市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

利益誘導?等々

1.階段シミュレータ
2.利益誘導
3.大村光子くんの誤り
4.田山くんは元気で何より

の豪華4本立て。

1.階段シミュレータ

 名古屋城木造化に伴う「エレベータに代わるバリアフリーの在り方をさぐる」として、名古屋市はオリジナルの名古屋城に存在した木造階段を模したシミュレータを作り(なんと、その額9000万円)ここを舞台にバリアフリーの新技術開発の国際コンペを行うらしい。
 車椅子の方や、足の不自由な方々が上層階に移動する新しい技術なるものが生まれるのであれば、それは確かに名古屋城天守だけに留まるものではなく、他の施設などでも利用できるかもしれない。また、介護ロボットや新たな義肢や車椅子に代わるような提案もあるようで、そうした物の開発を促す事には意義があるだろう。*1

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 さて、9000万円もかけて作られたシミュレーションの舞台だが、米ヒバ材が使われているそうだ。
 もちろん、この施設には空調も照明も現代的な配置がされているので、新築の木造による内覧も立派なものだろう。*2
 
 しかし、こうした写真が私の元に送られてきた。できたばかりで面板に亀裂が走っている。

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亀裂
 
 さすがに、みっともないようで、すぐに修復されているようだが、先が思いやられる。
 
 伊勢湾台風の被害は、名古屋港や堀川、中川運河などに広がる、貯木場の木材が街を襲って被害が拡大した。しかし現代ではそうした木材の需要が収まり、貯木場はほんの一部を残すのみのようだ。木材というのは生き物であって、貯木し、乾燥をさせるなかで、歪みやひび割れが抑制されるそうだ。伐採した木材を慌てて組み上げれば、組み上がった後に乾燥が進み、部材ごとに異なる乾燥と収縮は、建物自体を歪める。

 実際に、オリジナルの名古屋城も慶長17年(1612年)に大天守が完成してから、継続的に「普請」がなされ、140年後の宝暦5年(1755年)には大改修を受けている。

 木材が豊富に流通し、材料や工作のノウハウが整っている過去においても、木材建築というものには改修や修復という経費がかかるのであって、そうした経費を厭うからこそ、近代においてはコンクリートによる建築が選択されてきている。そして、木材流通が激減している現代においては、木造建築物を維持管理する経費は莫大な費用がかかる。つまり「ぜいたくな施設」なのだ。木造に伴うこうした高コストについて、名古屋市民は名古屋市から、満足な説明を受けてきたのだろうか?

 この亀裂は、事業自体の亀裂、破綻を顕しているようにみえる。

2.利益誘導

 菅原経済産業相が罷免された。

 地元の後援者にカニやメロンを贈り、挙句の果てにゲンナマ(香典)まで贈っていたとあっては、アウトだろう。
 
 その昔、確か「マルサの女」だったと思うが、脱税を行った政治家が「政治にはカネがかかる、地元の有権者が祭りだ、冠婚葬祭だと、その都度金を要求して、こうした『お付き合い』を断れば政治ができない」というような独白を行うシーンが有ったように記憶している。つまり、つい最近まで「政治家が地元有権者に金をばら撒く」という構図は見られた。
 
 しかし、これは何もこうした政治家が異常に気前よく、または議員バッチが欲しくて、私財を擲っていたわけではない。(中には、そうした人も居るには居たが)
 
 はしなくも関西電力福井県高浜町の資金還流が表沙汰になったが、こうした構図が日本全国(海外ODAも勘定に入れると、日本全国どころか、世界を股にかけて)どこにでも見られた。

 つまり、国(霞が関)→公共事業→大手事業者→地元事業者→地元事業者組合等→地元有力者→国・県の議員→?→(頭に戻る)
 こうした還流のエコシステムが出来上がり、この「国・県の議員」から、「?」だけではなく、地元の有権者にも金が還流していたのだろう。こうした関係は正当な公共事業を円滑に実現するためにも有効だったのだろうが、もちろん、こうした回転に利害がかかってしまうために、必要以上の回転が促されたり、各ノードで「かすり」を取られるために、高コストになりやすい。
 かといって、現在のように「公共事業」(特に土木など)をやり玉に挙げ、歳出を絞った結果、各所で様々な歪が生まれているようにも思われる。

 そもそもこうした構造は「誤り」だったのだろうか?
 政治とは平和的に社会リソースを再分配する仕組みであって、例えば田中角栄に代表されるような、日本海側の農村においては、政治力によって公共事業を、つまりは国の歳費を引き出してくるという行為は、真っ当な「再配分」であるかのようにも思われる。冬、雪によって農業を阻害される東北や北海道の農民にとっては、年末、年度末に行われる歳費の年度末調整的な公共事業も、貴重な収益源であり、これなくしては生活が成立しなかったのだろう。*3

 現在では公職選挙法でこうした循環の中の、「国・県の議員」から有権者への利益誘導は禁止されている。

 この禁止規定で一番胸を撫で下ろしているのは、当の「国・県の議員」だろう。
 
 いわゆる「虚礼廃止」で取り敢えず名刺一枚でなんとでもなる現在は良い社会だ。
 
 そうした「公正なルール」を破った菅原氏を誰も守れないのは当然の事だ。
 
 しかし、ここでふと思う。
 地元、自身の選挙区に対して自身の私財分配を約束して選挙を行う行為は違法であり、それは適正な行政運営を歪める行為だ。法的以前に社会的公正を歪める。
 
 で、あるとすると、「自身の歳費を地元に返す」と約束して選挙を行うことも私財分配であり、不適切な行為なのではないのか?
 更に、そうした社会的公正を歪めるような私財分配の約束を、守らないというのは、コレは何というのだろう。
 
 他でもない、減税日本ゴヤの市議たちの事だ。
 
 彼らは名古屋市の市議報酬は800万円が適正であると主張し、その根拠は示していない。
 そして、自らは、報酬800万円を超えた分については、「受け取らない」と公言している。
 
 「受け取らない」とは言っているが、「返す」とは言っていないということなんだろうか、この市議報酬の「受取拒否」を公言しつつ、市議報酬超過分を積み立ててきたという者たち、その内数人は選挙に落選し、または自ら議員辞職し、市議ではなくなっている。つまり、公職選挙法の規制を受けない立場になっているにも関わらず、超過報酬分について返金は実行されていない。

減税日本ナゴヤは市議報酬800万円超過分について受け取っている 名古屋市 河村たかしの嘘 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

 こうしたさもしい私財分配自体、社会的公正を歪める行為であり、なんとも稚拙な行為だが、そうした約束を更に破るという行為は、コレはもはやなんと表現すれば良いのだろうか。

 さてさて、こうした「私財分配」は減税日本ゴヤの市議たちばかりが悪いとも言えないだろう。

 そもそも減税日本の党首、河村たかし名古屋市長が「日本一給料の安い市長」という虚偽発言で選挙を行っている。(政令指定都市の市長の中では一番安いだろうが、「市長給与」でもっと安い人物は当然いる)
 
 そもそもその昔「私は首相として、1マルクも給与を得ていない」と自らの給与の安さを自慢していた首相が居たらしい。「マルク」でお分かりのように、アドルフ・ヒトラーの言葉だそうだ。(出典は不明)

 市長給与については誤魔化しようがないが、この河村市長、衆議院議員の頃に「国会議員年金は既得権である」と批判し、「自分は国会議員年金を1円も受け取らない」と公言し、国会の議事録にもこの発言は残っている。にもかかわらず、現在国会議員年金を受け取っている。

 「受け取っていても、通帳にためているだけで、お返しする」とか公言しているようだが、その担保はない。そもそも国会議員年金は一括受取りができるのだから、一括受取りして供託でもすれば発言にも重みがあるだろうが、そうした手続きを取らない事自体が、約束を有耶無耶にしてしまうという疑いを補強する。

名古屋市長 河村たかしの嘘 特集 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

 この減税日本ゴヤ市議団の初代団長、則竹元市議は、費用弁償を受け取らないと積立てて居たところ、そのお金を使ってしまい、市議辞職に追い込まれている。しかし、現在の減税日本ゴヤの全市議(前職も含む)も、党首の河村市長も、この則竹氏よりも不誠実な対応をしているのではないのだろうか。

東区補選候補・則竹勅仁氏インタビュー - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

3.大村光子くんの誤り

 人間、一つ嘘をつくと現実をありのままに受け止められなくなる。以前、絵画を書かれている方と親しくお付き合いさせていただいたが、その人に「良い絵、悪い絵と言われてもわからない、どう判断するの?」と聞いたところ「良い絵をたくさん見ること」と言われた。虚偽に塗れるとその虚偽が自分自身の判断自体を歪める。*4

 ヒトはそんなに簡単には狂気には陥らない。しかし、そもそも、人間には真っ当な認識にもなかなか至れない。物事を正しく捉えようとするためには、常に理性を働かせる緊張感と、自身の誤りを見つめる謙虚さが必要となる。そうした知的営為と、努力を怠れば、ヒトは自身の認識と、社会の有り様に齟齬を生じる。そしてそうした歪みが重なることで、社会を見る目が歪んでしまう。自身の見ている風景が、歪んでいるのではと気がつけるのならまだ良い。しかし、それすら気付かず、自身が真っ当に社会の中に収まっていると誤認してしまう時、狂気は静かに近づいてくる。

 政党「減税日本」は、党名自体がすでに事実から遠く離れている。

 彼らは、地方自治体が歳出を削減して「減税」を行えば、その地方の経済が活性化すると主張する。
 しかし、その主張は経済学的に誤りだ。

 「減税」自体は可処分所得の増加を促すかもしれないが、その原資を「歳出削減」で賄えば、それは単に経済循環を縮小するだけであり、経済をシュリンクさせているに過ぎない。

減税政策、再論 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

 そして、こうした「真っ当な経済理論」を裏付ける、つまりは「河村流減税政策」の誤りを証明する傍証がある。
 
 単純で明白だ。
 
 名古屋市の行っているような地方税減税を行っている地方自治体は、もはや日本全国どこにもない。
 
 名古屋だけの特殊な政策なのだ。なぜ特殊なのか?経済政策として間違っているにも関わらず、市長がそれを認めずに、続けているからだ。名古屋において、減税政策を主張する特殊な市長と、その政策を真っ当に評価し、否定できるメディアが居ないという特殊な状況が、市民の判断を特殊なまま歪めさせ、日本全国でも唯一、この異常な政策が続けられているに過ぎない。

 さて、この9月議会。9月18日に個人質問が行われ、減税日本ゴヤの大村光子市議が質問を行った。

名古屋市会本会議中継-会議名から選ぶ

 現在もその動画が見られるようだが、この動画の一部で音声が消えており、字幕が掲載されている。
 つまり、大村光子市議の質問の一部が、事実誤認のために議事録から削除されているのだ。

 質問の内容というのはそんなに重い話ではない、名古屋における「インバウンド」を図る一環として、「ハラル食品」(イスラム教徒が宗教的に許されている食品)についての理解を深めるべきとして、名古屋市がその講習会などを開けば、外食産業などを展開する事業者は参加するという主張を補うために、大村市議自身が名古屋市内の事業者の意見を引用したのだが、実は当該事業者はそのような意図で問い合わせを受けたと認識していなかったということだ。

 つまり、突然「名古屋市会議員」を名乗る者から、電話がかかってきて「名古屋市がハラル食品についての講習会を開くとすれば、興味を持って参加されますか?」ぐらいの事を聞かれれば、社交辞令としても「結構なことで、参加したいと思います」ぐらいのことは言うだろう。しかし、そうしたやり取りを名古屋市会の本会議で、実名まで公表して公開されるとは考えまい。

 この大村市議の質問以降、他の会派の市議が確認を行ったところ上記のような事態が判明した。大村市議はそれでも当初、当該事業者とのやり取りに正当性があると主張していたようだが、当該事業自身の否定によって議事録の訂正に追い込まれたものである。

 人間、間違えることはある。しかし、そうした誤りを起こした時に、その誤りを素直に認め、なぜ自分は間違えてしまったのか、そうした内省の機会と捉えられれば、同様の誤りを防ぐことにもつながるだろうし、自分自身の弱点を自認することもできる。しかし、こうした誤りを認めず、自己正当化のために誤りに嘘を重ねるような事をしてしまうと、どんどんと自身の視野が歪んでいってしまう。気をつけるべきだろう。*5

失敗に突き当たった時、それを噛み締めて、咀嚼することで再発を防止できる。

勇気ある者とは、失敗を恐れないものではない。
失敗を失敗と見つめられる者である。

4.田山くんは元気で何より

 今年の春、名古屋市会議員の改選が行われた際に、ちょっとした騒動が起こった。すでに、大多数の名古屋市民は忘れてしまっているだろうが、名古屋市の市会議員が、別の会派の市会議員に暴力を奮ったとして刑事告発されたのである。

 正確に言うと、自民党瑞穂区選出の藤田市議が、減税日本・北区選出の田山市議の頭をはたいたというのである。
 それは11月19,20日に行われた議会の公務旅行の際の懇親会での出来事とされている。

 音声が某週刊誌のウェッブサイトに掲載されていた。
 
 ただ、これは、選挙直前のことであり、加害者とされる藤田市議と同じ選挙区から減税日本は候補者を出しており、あからさまに藤田市議の評判を落とし、選挙に利用するという意図があったのではないのかとも推測された。

田山宏之市議は何を答えなかったのだろうか? - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

 正直、音声だけでは前後関係はわからないし、田山市議などの説明も釈然としないものであった。
 
 また、呆れたことにこうして藤田市議と同じ選挙区から選出された減税日本ゴヤの市議というのが、例の「伊勢湾台風で名古屋の街が綺麗になった」と発言し、減税日本ゴヤから会派離脱した前田恵美子である。

前田 恵美子(名古屋市会議員:減税日本・瑞穂区選出) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

 会派離脱など何の意味もない。議員辞職が当然の発言だろう。減税日本には半田元県議の件といい、任命者責任という言葉はないのか?

 ・・・というか、「責任」という言葉がないのか。

 まあ、そりゃ良いですわ。

 刑事告発やら民事訴訟やら、何だか「民主主義の破壊だ」とか言って、キャンペーンも行われたようだが、すでに沙汰止み。飽きちゃったんですかね?

 田山市議は藤田市議から頭をはたかれて、全治一週間の診断書も取ったそうだが、こうした資料が送られてきた。

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 田山市議が昨年11月頃政務活動費で使用したガソリンの領収書だそうだ。

11月 5日に約32リットル
     9日 あけて
11月14日に約32リットル
    12日 あけて
11月26日に約29リットル
    11日 あけて
12月 7日に約32リットル

 件の旅行が19,20日の2日間なので、14日から26日の間が開いており、ガソリンの消費量も少々少ないのは理解できる。こうしてみると、旅行の前後で変わることなく車に乗って、「住民相談対応、それに伴う調査等」がなされているようだ。まずは、お元気で、結構なことです。


「虚偽に塗れるとその虚偽が自分自身の判断自体を歪める」に関する「あいちトリエンナーレ」関連の論考

 今回の「あいちトリエンナーレ」問題でも、先日も差別扇動団体が大村愛知県知事の辞職を求めると称して名古屋市内をデモ行進したが、彼らが主張するような「昭和天皇御真影を焼くような展示」なるものは無い。そもそも「御真影」という言葉の意味を履き違えているし、彼らが指摘する作品の作者の言葉すら読んでいないのだろう。また、あいちトリエンナーレ検証委員会の中間報告にも非常にわかりやすく端的に説明がなされているにも関わらず、そうした事実に目をやらない。

 更に面白いのは、大村知事に対してそうした展示を認めたのは、大村知事自体が天皇制を批判しているからだ。というような主張をするバカが居る。

 なら聞くが、愛知県の図書館にも「毛沢東語録」くらいはあるはずだ。貴重な県の公費を使って「毛沢東語録」を買い揃えているから、大村知事はマオイストなのか?または「Mein Kampf」もあるだろう。日本では出版を制限されていないから。これを県図書館に揃えたら、愛知県は「国家社会主義」を信奉していることになるのか?

 バカバカしくって話にならない。


一旦、嘘をついてしまうと、どんどんと認識が事実から乖離していく例としての名古屋城問題

 これはアレにも似ている。名古屋城の「2万人アンケート」だ。

名古屋城天守閣木造復元「シンポジウム」 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

 この「アンケート」とは、名古屋城天守の改修方法を問い合わせたものなどではない。名古屋城天守木造案の説明を行う、カラー刷りの豪華な本に、コンピューターグラフィックによる木造完成予想の動画を紹介するDVDまで同封する、名古屋城木造計画の売込みパンフレットだ。そこに上記「問9」のようなあからさまな誘導質問を添えて、現天守の耐震改修と、木造化どちらが良いでしょうか。と聞けば、常識的な人間であれば「そこまで言うのなら木造化もいいんじゃないの?」ぐらいの回答はしてあげるのが大人というものだろう。

 それでも約30%の市民は「現天守の耐震改修」を選択し、市長提案に賛成したものは1553人にしかすぎない。
 
 しかしそれでも、「6割の市民が木造化に賛成している」という議論にすり替わっている。
 
 さらに、この「問9」をよく読めば、「耐震改修をしても(略)40年の寿命」というあからさまな嘘も記載されている。
 つまり、当ブログで繰り返し説明しているように、「耐震改修とは、建物の耐震性を高める改修であって、直接寿命を伸ばす改修ではない、コンクリート建物の寿命を伸ばす改修は別にあって、名古屋市はこれを考慮していない」

 けれども、一旦嘘をついて。それを指摘されてもその過ちを訂正せず、虚偽を抱えたままでいると、事実を歪んで認識することとなってしまう。


*1: しかし、ここで素晴らしい技術が開発されても、それが名古屋城の木造天守に利用されることはない。 なぜなら、名古屋城木造天守実現に横たわる法的条件の内、この施設で議論されている「バリアフリー法」は、その中の1つでしかない。その他にも、現に現在、事業自体を止めている文化財保護法の問題も存在するし、その先には建築基準法、消防法の問題も控えている。特に、建築基準法文化財保護法については、新たな動きも有ったようだが、名古屋市内のマスメディアはこうした動きに疎いようだ。(名古屋市も市民に説明しようとしていないし)今日は豪華四本立てなので、この新たな動きに関しては稿を改めてお伝えしよう。

*2:送られてきた写真をよく見ると、これが9000万円かけた建物?と思うような工作が見られるけど実物を見る機会があれば確認したい

*3:昨今、エジプトのピラミッドを作っていた「奴隷」の生活実態が明らかになってきたそうだ。その実態は「鞭打たれる奴隷」というようなものではなく、単なる労働者の姿だったようだ。つまり、ピラミッドを建築するという行為は当時のエジプト社会を形成する公共事業であって、そうした行為が多大な人々の生活を成り立たせていた。いよいよケインズの言葉が正しいという事になりそうだ

*4:「あいちトリエンナーレ」関連でアレコレ書いたが、本論からずれるので、欄外に移す

*5:ここで話が名古屋城問題にも飛んだが、寄り道なので、欄外に移す

10月9日配布予定資料

この文書は10月9日(水)に行われる名古屋城天守木造化訴訟の第4回公判(名古屋地方裁判所、第1102法廷 午後2時開廷(1時45分頃より傍聴整理券配布予定))の公判後に、ご希望の方に配布するために書かれています。



 名古屋市が進めようとしている名古屋城天守の木造化事業は何が問題か。そこからお話しいたします。まず、名古屋市が言うように「名古屋市民の6割が名古屋城天守の木造化を希望している」というのは本当でしょうか? 皆さんの周りでは如何でしょうか。お友達やご近所の方に聞かれて、名古屋城天守の木造化を希望する方々がそんなに多いですか?

1.実はそんなに望まれていない名古屋城木造化

 名古屋市が「6割の市民が希望している」と言っている根拠は、平成28年に行った「2万人アンケート」の有効回答の中で木造化に賛成する回答が6割あったというものですが。そもそも2万人アンケートの回答率は36.1%しかありません。このアンケートは「名古屋城天守木造化」の売込みパンフレットのような物で、カラー刷りの「木造化提案書」と、完成予想のCGを収めたDVDまで同封された豪華なものでした。

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アンケート資料

2万人アンケート説明資料.pdf - Google ドライブ

 こうした「売込みパンフレット」に添付されたアンケートにも関わらず、市長提案に賛成した市民は、2万人中、1553人しかいなかったのです。

 更に問題なのは、このアンケートでは当時の全体整備計画で定められた「現鉄筋鉄骨コンクリート天守の耐震補強案」について、正確な説明がなされていませんでした。「現天守と木造化とどちらが良いか」という聞き方はしていません。アンケートの「問9」に次のような記述があります。

「耐震改修した場合でもコンクリートが概ね40年の寿命」

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アンケート

2万人アンケート(見本).pdf - Google ドライブ

「耐震改修」とは建物の耐震性を高める工事であって、建物の寿命を伸ばすというものではありません。コンクリート製の建物については、「アルカリ回復工事」などの長寿命化のための改修手段があって、名古屋城天守よりも古い大阪城天守閣ではこの整備を行いました。

 しかし、名古屋市はこの「アルカリ回復工事」について検討していません。検討もしないまま「概ね40年の寿命」と市民に説明するのは、明らかに誤りです(文化庁の基準にも反しています)。また、こうした文章のあとに「この度 ~ 木造復元の ~ 優秀提案が選定された ~ 今後どのようにしたら良いと思いますか」という問いかけが続きました。これはあからさまな誘導です。こうしたアンケート結果が「6割」の根拠となっているのです。

 現在裁判になっている「木造化のための基本設計予算」は名古屋市の議会で承認されています。「議会も木造化に賛成している」と主張する人もいますが、これも嘘です。
 議会は同予算を承認するときに「附帯決議」という条件を付けていました。次の3つです。

  1.収支シミュレーション(独立採算を守る) 
  2.国や県から理解を得て補助金を得る
  3.工費の圧縮

 工費の圧縮については、圧縮どころか工期が延長され「名古屋城調査研究センター」なるものまで新設し(このセンター維持費は当初予算とは別!)金利負担も考えると1000億円程度になるとも言われています。国や県からの補助金など出ないし、理解もされていない。そして収支シミュレーション。これが大問題です。

 名古屋市が公表している収支シミュレーションでは、入場者推計が平成83年(2071年)まで算出されていますが、その入場者推計の根拠とする人口動向については「国立社会保障・人口問題研究所」のデータを根拠にしています。しかしそのデータは平成77年(2065年)までしか推計値を出していない。また、これも当たり前のことですが、同推計では日本の人口が減少すると示しています。にもかかわらず収支シミュレーションでは来場者推移が変わらない。


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 平成27(2015)年に 12,709万人だった人口は、平成77(2065)年には 8,808万人と減少する。
 総人口において69%が減少するにもかかわらず、来場者はそれほど減らないとすると、実質では144%の来場者増が期待されなければならない。

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収支シミュレーション

名古屋城についての事実確認と現状の推測(4) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

 更に、この「収支シミュレーション」では、木造建築物であれば必ず必要となる、毎年の改修費や定期的に行われなければならない大改修(姫路城などの例を引くと、20年程度に20~30億円程度)の費用は考慮に入っていません。採算性は疑問です。

 この名古屋城木造化事業には幾つも幾つも事実とは異なる事が重なって、本当の実像を掴むのは大変です。「基本設計が完成した」と名古屋市は言っていますが、名古屋市民の中で木造天守の真の姿を知っているひとはいません。なぜそんな事が言えるのかといえば、基本設計の文書は、その大部分が黒塗りの非公開情報だからです。名古屋城天守建物は名古屋市のシンボルであって、日本の国の宝です。その改修計画の資料が情報公開されていないというのは、はなはだ異常なことだと考えます。

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黒塗り設計書

名古屋城天守閣整備事業 基本計画書(概要編・資料編・図面編)


 民主主義の基本は、情報の公開と、公平で開かれた議論でしょう。しかし名古屋市が行っていることは、情報の隠蔽と、市民の疑問の無視、当たり前の議論への拒否です。文化庁や石垣部会と意見が衝突するのも当然の結果です。そして、そうした非民主的な運営を行っているために、結果として事務手続きに齟齬を来して、今回私達が指摘したような違法行為が生まれるという事態に至っています。

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主な過去ログ

河村城騒動についての主な過去ログ - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

2.最も簡単な名古屋城住民訴訟の内容

• 平成30年3月30日に完成し、納品されたとする名古屋城天守閣木造化事業の基本設計は完成していない。
• 完成していない業務に代金を支払ったことは違法である。
(地方自治法第232条の4第2項、名古屋市会計規則 第71条、名古屋市契約規則第53条違反)
名古屋市長はこの違法な基本設計代金の支払いを行った者に賠償を求める義務がある。
• 基本設計が成立していないとすれば、それを根拠に行うとしている実施設計も行えない、当該契約は無効である。
• 基本設計が成立しておらず、実施設計も無効であるとすれば漫然と事業を継続することによって市の公費が浪費される。
• これは地方自治法第2条14項の規定に反しているので本件事業(名古屋城天守閣木造化事業)自体を中止せよ。

 ここでこの事業の構造を整理しておきましょう。名古屋市名古屋城を木造化するということで、その業務内容の定義をしました。こんな建物をこのように造ってくださいよという決まりですね。一般的には「仕様書」ですが今回は「要求水準」(裁判資料の甲1号証:裁判資料は下にある会のHPからリンクがあります)としました。
 この中に「木造復元に際し、実施設計に着手する前の基本設計の段階において、文化庁における『復元検討委員会』の審査を受け、文化審議会にかけられる」という文言があります。公知の事実ですが、この事業は上記審査も審議会にもかけられていません。

 次に業務委託仕様書(甲6号証)の「第23条」に「建築基本設計」という項目があり、「建築基本設計は、以下の項目について行う」と書かれています。ここに挙げられたのは「(1)基本計画書(2)透視図」の2つです。基本計画書の下に(a)~(t)までの細目があります。
 建築基本設計=基本計画書+透視図 という関係は分かりやすいですよね。

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天守閣部会の配布資料(甲21号証)

甲第21号証 特別史跡名古屋城跡全体整備検討会議天守閣部会(第9回)配布資料(部分).pdf - Google ドライブ


 さてさて、ここで平成30年3月28日に行われた天守閣部会の配布資料(甲21号証)を見てみましょう。ずっと見ていくと「基本計画の策定」というページが出てきます。ここに「基本計画(まとめ)」は「7月(未定)」とあります。つまり、平成30年7月に基本計画がまとまる予定だが、まだ未定であるということですよね。
 しかし、待ってください。名古屋市が基本設計を受け取ったとしているのは何時だったでしょうか。平成30年3月30日なんですね。その納品日の2日前に、名古屋市は「基本計画」が未策定であると天守閣部会に説明しているのです。

 裁判で名古屋市代理人はこの「基本計画」というのは「文化庁基本計画」の事だというような説明をしていますが、名古屋市と竹中の他の契約書にそんな言葉はありません。

 その他にも例えば8月13日の名古屋市代理人の次のような答弁について、皆さんならどう思われますか?(簡便にするために、一部省略しました、省略箇所には ”~” のマークを付けます。また、個人名は “K” とします)

「ア  一日で検査・確認を終えることができたことに合理性が認められること

 原告は、成果品による検査を訴外竹中工務店から提出された平成30年3月30日に検査及び確認を行っており、 一日で行ったとされるのは疑義があることから、正当な検査及び確認が行われておらず、違法であると主張する(~)。

当該検査及び確認は、~検査員による検査の前に仮納品を受けた上で、担当監督員による業務委託概要書に基づく成果品についての内容の点検・修正を行い、続いて同室主査(建築)である主任監督員による監督員の検査と同様の点検・修正を経て、精査の上納品されたものに対して平成30年3月30日に、Kが検査・確認を行っているものである(~)。

このような検査・確認の手続は、契約約款(甲第8号証)第8条第2項第1号において、成果品を完成させるための監督員による受注者に対する業務に関する指示を定めていること、第33条第1項において、第31条第4項による引き渡し前であっても成果品を発注者が使用できると定めていることから、基本設計業務委託契約として当然に予定されているものである。

また、検査員による検査に当たっては、~効率的な検査を実施したものである。

したがって、1日で検査確認を終えることができたことに合理性が認められる。」

 さて、いかがでしょう。契約約款8条に監督員の定義があるのは間違い有りませんが、監督員が「引渡し」についての権限を有するとは書いてありません。検査・引渡しについて取り決めているのは同約款の31条ですが、ここに監督員の記述はありません。「業務の完了を確認するための検査を完了し」となっています。そして業務の完了によって成果品の引渡しが行われ。続く32条が規定するように成果品の引渡しによって初めて代金の支払いが受けられます。

 また33条が規定する部分使用は成果品の引渡しを意味していません。

 その他にも様々論点はありますが、今後とも当訴訟の動向にご注目ください。

令和元年10月4日  名古屋城天守有形文化財登録を求める会


名古屋城天守復元60周年祭」

 日時 : 10月21日 (月)  午後6時より
 場所 : KKRホテル名古屋  4階  菊の間
 
   (中区三の丸1丁目5-1 電話:052-201-3326)

 会費 : 無料(カンパは大歓迎です)
 参加資格:名古屋城天守の60周年を祝いたい心

 内容は、名古屋城天守の歴史や、現在の木造化事業についてのお話や、ご参加いただいた方々のフリースピーチになる予定ですが、何よりきれいに名古屋城天守が見られる部屋から、その威容に触れ、60年の感謝を捧げたいと思います。お気軽にご参加ください。


月に一回程度、北区にある「北生涯学習センター」で「名古屋城有形文化財登録を求める会」の月例勉強会を開きます。

10月4日(金) 18:30~20:30 第1集会室
11月11日(月)18:30~20:30 第1集会室

※どなたでもご参加いただけます、参加費無料。



名古屋城天守閣木造化事業基本設計代金支払い住民訴訟

次回、第四回公判は10月9日(水)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。
(傍聴希望の方は、15分前に整理券が配られ、抽選となる場合があります。お早めにお越しください)


河村たかしの公開質問状について

名古屋市がまたまた面白いものを掲載している。

www.city.nagoya.jp


明らかにこちらと形態が違う。

www.city.nagoya.jp


しかし「貴職」と来て一人称が「当名古屋市長」とは代筆がバレバレだ。
自分に敬称(職名)付けるか?「当職」で良いじゃん。

大丈夫か?
代筆した者の能力が低いか、代筆したやつは原案のつもりで出したものを、河村名古屋市長が右から左に掲示してしまったか。
この文章の成り立ちを推測するに、そんな感じがする。

公開質問状の形態を取っているけれども、質問事項が五月雨的で系統だっていない。思いつきなんだよね。問の3なんて、大村知事あての質問じゃなくて津田っちの見解を問うとなってる。そんなこと言われても困るだろうね。「当職(愛知県知事大村)においては、津田大介氏とは別の人格なので不知」ぐらいの回答以外ないだろう。

こうした思いつきの質問事項を並べて、代筆者に補足させたんだろう。法的見解なんかをね。で、代筆者が Wikipedia かなんかで調べましたか? 半田県議が Wiki 丸写しの報告書で政務調査費をセシメタみたいに。

そして、それを見て当名古屋市長は黙っていられなくなったんだろうね。後ろに「質問の趣旨」とか余計な文章を付けちゃって。そのために、その「質問の趣旨」でまた別の質問を挙げてしまっている。公開質問状としては無茶苦茶な構成だ。

いいねぇ、いい傾向だ。

こういった人物というのは、黙って他人の話を、とりあえずでも聞くということができないんだろうね。主観に囚われている。こうなってくると知性は硬直化する。というか、そもそも知性なんぞ無いんだろうけどね。

まったく、「議論」の体を為していない。

まあ、大村知事が「論破する」とおっしゃっているのだから、個別の回答については大村知事にお任せしますよ。

大村知事「論破する」、不自由展巡る河村市長の質問状に


https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190924-00000027-asahi-pol


 国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」が中止になった問題をめぐり、芸術祭実行委員会会長の大村秀章・愛知県知事は24日の記者会見で、会長代行の河村たかし名古屋市長からの公開質問状に対し、「きっちり論破する」と述べた。

大村知事「論破する」、不自由展巡る河村市長の質問状に(朝日新聞デジタル) - Yahoo!ニュース

この当名古屋市長こと河村被告名義の「公開質問状」(以下、面倒なので「駄文」)については2点だけ。場外からヤジっときましょう。


1.引用判例を間違えてる(笑)


「駄文」(p.6)では4で昭和59年12月12日最高裁判決を引いている。
これは有名な判決で「昭和57(行ツ)156「輸入禁制品該当通知処分等取消」昭和59年12月12日最高裁判所大法廷判決」という。一般には「札幌税関検査事件」と言われている。

裁判所 | 裁判例情報:検索結果詳細画面


早い話が「洋物ポルノ」を持ち込もうとして税関に召し上げられたものが、「検閲」に当たると最高裁まで訴えたもので、結果として「検閲」についての解釈は、「駄文」が引用するとおりとなっている。

つまり「行政権が主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止を目的として、対象とされる一定の表現物につき網羅的一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを、その特質として備えるもの」となる。

なら、行政権者である市長(または会長代行)が、表現物を対象として、その発表の禁止を目的とし、不適当と認めるものの発表を禁止するというのが今回の申し入れの趣旨だから、当名古屋市長自ら「検閲」であることを認めたことになる。

後段の除外条件「本件企画展に寄せられた『肖像画・焼損映像』のような作品の展示を中止したとしても、他県の美術館での展示や、『作者自らの資源を用いて表現活動を行う』ことを何ら妨げるものではないから、『検閲』に当たらない」つまり、特定の発表機会を奪っても、一般の発表機会、表現の自由を束縛するものではないから、検閲に当たらない。と言いたいのであるなら、引くべき判例は、これも有名な「昭和61(オ)1428最高裁判決」いわゆる「第一次家永訴訟判決」だろう。

第一次家永訴訟判決文

「一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲に当たらず」だよね。

法学部出身なんだろうか?いや違うだろうね。こんな判例の参照は学部生でもしないだろう。

でさ、そもそも今回の問題と論点が違うよね。


2.引用者を間違えてる(笑笑)


7ページ目で一橋大学の阪口正二郎教授を引いてござるな。

「言論に対する『制限(abridging)』と言論に対する『援助(funding)』の区別は基本的なものであり、後者に対して(合衆国憲法)修正1条(注:「表現の自由」を規定し、日本国憲法21条に相当する)は適用されない。」との意見を述べておられる(阪口正二郎著「芸術に対する国家の財政援助と表現の自由」法律時報74巻1号参照)


その阪口正二郎教授は今回の出来事に次のようにおっしゃってござるよ。

ここで今回の「排除」に公権力が関わっていると考えるのは、河村たかし名古屋市長が、今回の展示物に対して「日本国民の心を踏みにじる行為」だとして、展示の中止を求める抗議文を実行委員会に提出していたことによる。河村市長の行為は公権力の行為として誤っている


「表現の不自由展」中止と「ヤジ排除」不寛容な日本社会の深刻な状況(阪口 正二郎) | 現代ビジネス | 講談社(2/5)

弱ったでござるなぁ。(笑笑笑)


おまけでござる。

www.tokai-tv.com

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

この前田恵美子という御仁は、前田有一元市議の配偶者ということだよね。
そして、前田有一元市議は最近、よく河村被告の活動に帯同しているようだ。

これって、「議員の家業化」って言うんじゃないのかね?
だれだっけ、「議員の家業化」を批判していたのって。

追記:
もちっと、上の阪口教授の文章を引用しておこう。


ここでの「抗議」の意味は、脅迫や威力業務妨害といった犯罪に該当しない場合でも、本質的には展示すること自体への抗議であり、言い換えれば、自分が望まない表現行為をなそうとする相手に対して、そのような表現をするなという内容のものである。


自分自身は、憲法が保障する表現の自由を行使しながらも、相手には同じ表現の自由の行使を認めない、抗議をなした人々の行為はそのように理解されても文句は言えないはずである。そんな一方的で、えらそうで、卑怯なことがはたして認められるだろうか。


(略)


多元的な価値が存在する社会だからこそ表現の自由は決定的に重要なのである。自分は表現の自由を享受しながら、他者には表現の自由を認めない、そんなことがまかり通れば自由や民主主義は失われる。


(略)


展示への市民の抗議の多くは、たとえ合法でも「不寛容」を示すものに他ならない。ましてや河村市長がなしたような公権力による展示への抗議は、市民の「不寛容」に公権力による正当性を付与するものであり、看過すべきではない


「表現の不自由展」中止と「ヤジ排除」不寛容な日本社会の深刻な状況(阪口 正二郎) | 現代ビジネス | 講談社(4/5)


名古屋城天守復元60周年祭」

 日時 : 10月21日 (月)  午後6時より
 場所 : KKRホテル名古屋  4階  菊の間
 
   (中区三の丸1丁目5-1 電話:052-201-3326)

 会費 : 無料(カンパは大歓迎です)
 参加資格:名古屋城天守の60周年を祝いたい心

 内容は、名古屋城天守の歴史や、現在の木造化事業についてのお話や、ご参加いただいた方々のフリースピーチになる予定ですが、何よりきれいに名古屋城天守が見られる部屋から、その威容に触れ、60年の感謝を捧げたいと思います。お気軽にご参加ください。


月に一回程度、北区にある「北生涯学習センター」で「名古屋城有形文化財登録を求める会」の月例勉強会を開きます。

10月4日(金) 18:30~20:30 第1集会室
11月11日(月)18:30~20:30 第1集会室

※どなたでもご参加いただけます、参加費無料。



名古屋城天守閣木造化事業基本設計代金支払い住民訴訟

次回、第四回公判は10月9日(水)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。
(傍聴希望の方は、15分前に整理券が配られ、抽選となる場合があります。お早めにお越しください)


過去を顧みないものは、現在にも盲目となる

1.破棄される「友好」のモニュメント
2.あいちトリエンナーレについての知事コメント
3.文化庁の『責任ある方』とは誰だ?
4.「歴史修正主義者」に語る言葉

1.破棄される「友好」のモニュメント

 バカは、自分がバカであることが解らないからバカのままで居られる。そして、自分のバカさ加減に一生気が付かないために、恥を感じることもないし、後悔もしない。そういう意味では幸せな一生を送れる。おめでとうございます。

 さて、こういった出来事はなんと理解すれば良いのだろうか。

“友好の証”処分…名古屋市が姉妹友好都市から贈られたモニュメント6基を廃棄「劣化したため」(東海テレビニュース)


 名古屋市久屋大通公園の再整備に伴い、姉妹友好都市から贈られたモニュメント6基を廃棄処分していたことがわかりました。

 名古屋市が今年1月から再整備をしている久屋大通公園の北エリアには、姉妹友好都市から贈られたモニュメントが合わせて10基設置されていました。

 名古屋市によりますと、このうちメキシコ市の「アステカの暦」やシドニー市の「英国船シリウス号のいかり」など6基をすでに廃棄処分したということです。

 廃棄の理由について、市は、「劣化し破損や腐食しているため」としていて、南京市から贈られた石の柱「華表」など一部を除いて処分する方針です。

 不十分な管理で友好の証を失ったことに批判の声が上がっていて、河村市長は18日の市議会で「今後残せるものは残す」と話しています。

https://www.tokai-tv.com/tokainews/article.php?i=98102&date=20190918

対象となったのは「姉妹友好都市記念広場」のこの10件のモニュメントのようだ。

姉妹友好都市記念広場 - 名古屋姉妹友好都市協会

megalodon.jp

原因を「劣化したため」としているそうだが、「劣化させた」のは名古屋市だ。

名古屋市は科学館に露天展示(雨ざらし展示)していた。B6を「動態展示」しようと、業者に7800万円かけて調査させている。

あのB6を動かす? それも「ヒトを乗せて動かせるレベルに修理する」?なんて、それこそ常識で考えれば無理なことは判る。(なにせ、野ざらしになっていて、表面からバリバリ剥離しているのが判るし、内部のボイラーなどはもっとひどい状態だろうことは想像に難くないからだ)結果として、ボイラーを再建して動かそうとするのなら4億8000万円かかるとの結果が出た。

これは海外の事例だが、17年の歳月を費やして、500万ドルで蒸気機関車を「復元作成」した例が紹介されている。

www.businessinsider.com

つまり、まったく新規に作るのと同じことなのだ。

なんだろう。これでも「当時の物と同じように作ったんだから「本物復元」とでも言うのだろうか。復元は復元だろう、どこまでいってもイミテーションだ。「本物」ではない。*1

復元には復元の価値がある、本物には本物の価値がある、その両者は違う価値なのだ。
なぜそんな簡単な事が解らないのだろう。まあ、解らない者には解らない。解らないからバカなのだ。


復元だの本物だのの前に、その「物」の経緯というものがあるはずだ。ましてや「友好」を顕すための公的な物であれば、その価値は別のものでは代え難いはずだ。しかし、そうした価値が解らない者には解らない。

追記:なんか大切なセンテンスが抜けていた。
指摘を受けた。

こんなバカげた事に使うお金があったら、大切な友好姉妹都市のモニュメントの維持管理費に割いていれば、劣化させることもなければ破棄することもなかったのではないかということだ。


2.あいちトリエンナーレについての知事コメント

さて「あいちトリエンナーレ」について、当ブログでもあれこれ言ってきたが、大村愛知県知事・あいちトリエンナーレ実行委員会会長のコメントが最も得心がいく。

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について (2019年9月10日 あいちトリエンナーレ実行委員会会長・愛知県知事 大村 秀章)

まず、中止の理由については河村市長や菅官房長官などの発言、さらに有象無象の政治家から寄せられた意見が原因ではなく、あくまで重篤な犯罪を想起させるような電話、ファックスによって防犯上の判断が必要と考えられたと説明されていて、ここには納得がいく。特に、「京アニ事件」の直後でも有り、あの展示場の形態(完全に袋小路となっている)を考えても、仕方のない判断だったと思える。(その後の検証委員会でも、展示場が小さすぎた、または、展示作品が多すぎたという意見があった)

その上で「表現の自由」についての知事の見解はスタンダードなものであり、河村市長とは一線を画し誰しも納得できるものだろう。

特に次の一文は。このまま教科書や公務員試験の教材にしたいぐらいの代物だ。

 憲法は、表現の自由だけでなく、19条で思想・良心の自由を保障し、14条で法の下の平等も保障しています。したがって、公権力は、補助金の交付といった便益の供与・サービスの給付的な局面で用いられる場合でも、こうした基本的人権に反することが許されないことは当然です。そして、表現の内容、思想や良心に立ち入り、表現や思想等の内容次第で便益の供与やサービスの給付の取り扱いを判断し区別することは、これら基本的人権の保障に反することは明らかです。公的な場であるからこそ、多様な表現が保障されるべきことが、憲法の要請と考えます。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

私はこちらの文章で「三権をふるうものは『全体の奉仕者』として、自身の『思惑の空間』から離れ、誰もが共有できる公共空間を構成しなければならない」と述べた。

政治家が私的にどのような思考をしようと、発言をしようと、自由*2だろう。しかし一旦公的な立場となった場合には、公的な発言を行う義務を持つ。そうした制限が嫌ならば公職を辞せばよいわけで、公職には就くが、わがままを通すというのではガキの振る舞いだ。


今回、名古屋市会でも、この問題が取り上げられたようだ。

減税日本の田山市議も本会議における個人質問をしたようだが、事実誤認があったようで大村知事から名指しで批判されている。

(44分20秒のあたり)

t.co


田山市議の発言は河村市長の発言と同工異曲のようで意味がない。
死ぬまでこうした過ちに気が付かないままで居てくれ。


自民党藤沢市議については私は2点異論がある。(歴史認識については、議論しない)

聞いていると「表現の自由にも制限がある」ということで、昨今のヘイトスピーチでも同じではないかとの発言もあったが。例えば私は、あのヘイトスピーチを行うような団体が、どこかホテルの会議室を借りて、好き勝手に騒ごうと、気勢をあげようと自由だと考える。

つまり、表現には当然その様態というものが密接に意味を与えるのであって、閉鎖された空間であり、それに触れることで不快になる者(または、そう推測できる者)に対して、十分な配慮がなされているなら自由であろうと考える。

その表現行為(オブジェなどの作品)の存在そのものだけでは意味を持たない。表現行為と観覧者の関係性が大切なのだろう。

いわゆる、昨今の「ヘイトスピーチ」で問題なのは、そうした当事者たちに向かって「憎悪表現」を投げつける行為が、投げつけられた人々の「被害」を生み出してしまうという事であって、それを夜中に金城ふ頭でやるのなら、どうぞご勝手にと思う次第だ。

そういった意味からすると、日本政府が韓国政府に大使館前に設置された当該少女像の撤去を求めていることについては一定の理解はできる。しかし今回のように閉鎖された空間で展示されることまで抑圧する事は政治的には逆効果であると考える。

次に藤沢市議は「美術祭」なら「美術」でなければならない。と言われた。この「不自由展」の作品については「美術」とは認められないので、「美術祭」での展示にそぐわないと。残念ながら政治家が「よい美術」「わるい美術」を選別するといった場合、歴史の上には良い例はない。

ソビエト連邦や、その前の国家社会主義を標榜して歴史に消えていった国のように、政治家が「美術」を「よい/わるい」で選別することは、歴史的には良い傾向とは言えないとだけご指摘しておきたい。

共産党の田口市議の発言について、河村市長の反論にはしびれた。

出ましたね「吉田発言」

ichi-nagoyajin.hatenablog.com


ここで批判している「部分否定」の誤謬だ。本当につくづくわかりやすいバカだ。

伝統と格式のある名古屋市の市会議事録に「吉田証言問題があるから、従軍慰安婦問題は存在しない」というような趣旨の発言が残るとすれば、これは凄い。表現の自由を尊重する立場から、ぜひ残すべきだと思う。なんなら、ぶっ壊したモニュメントの代わりに、その議事録を銅でエッチングして飾ろう。発言者の名前も明記して。そして皆で指を指して笑おう。末永く。


「発言の自由と、それへの批判について」ちょっと付言しておくと。

一つの発言に対して、それを「批判」すると「表現の自由ではないか」と反発するのは間違っている。発言に対して「批判」という表現行為が投げかけられるのは、これも表現の自由である。特定の発言を途中で遮るのであれば、表現行為を制限する抑圧だろうが、その発言を許した上で、批判をするのは、当初の発言者の表現の自由を認める行為だ。

表現の自由」を「表現に批判を受けない権利」と解釈するのは間違っている。

3.文化庁の『責任ある方』とは誰だ?

さて。

本日の中日新聞に、昨日(9月20日)に行われた名古屋市会経済水道委員会の模様が書かれている。この記事によると、名古屋市名古屋城天守の「先行解体の申請」を取り下げない方針のようだ。この「先行解体の申請」に「天守木造化の申請」も加えて、一体申請とするというような説明をしている。

色々な契約問題やら、触法性を考慮すると、こういった回答になるんだろう。

正直言ってよくわからない上に、高いハードルを飛ぶための足元がぬかるんでいるので、更に水を撒いているように見える。結構な傾向です。

河村被告は「文化庁の『責任ある方』と電話でやり取りした際に助言されたことだ」と繰り返したらしいが、そんな言葉をこの期に及んで信じるとすれば正気を疑う。

そもそも「臨時の特別部会で、早急に回答(許可)を出す」と文化庁から言われていたのではないの?その「臨時の特別部会」やら「早急の回答」という言葉を伝えたのも、この「文化庁の『責任ある方』」なら、騙される方が無能でバカだ。

委員から「今後の市長と文化庁との電話連絡については正しく記録を」と念押しされるとは、情けない。というか、もう、割れてるでしょうよ。

別の委員から「10月の審議会で申請が不許可になる」という観測を質したら、市長は「不許可は絶対に有り得ない」と断言して「生死を懸けて臨む」と回答したそうだ。

安い命だ。

春には「切腹」と言っていたが、知らない間に「自分が切腹」ではなく職員に切腹を求めるような話になっているし、この「生死」も自分ではなく職員の誰かの「生死」なのだろうか?

21世紀の今、政策の失敗で「死ね」とは言わない。しかし、「生死を懸けて臨む」というのなら、そめて「政治生命」ぐらい懸けられるのですかね。

減税政策についても、「10%実現できなければ堀川で泳ぐ」「名古屋港で泳ぐ」と公言していたが、そうした公約は実現されていない。

まさに「エドマンド・バーグ」*3である。安い命だ。


結果として、河村たかし被告にとって、成果は自分の手柄だが、失敗は誰かの責任でしかなく、彼の頭の中、お花畑が広がっている頭の中では、河村たかしは間違えたことが一度もないし、負けたことも一度もないのだろう。(間違いも、負けも、全て焼酎で洗い流して忘れてしまうのだろう)

4.「歴史修正主義者」に語る言葉

私は、「歴史修正主義者」にどのように語ればよいか、わからないでいる。「歴史修正主義者」というのは、頑なな思い込みに囚われてしまって、事実が全く見えていない。

歴史修正主義者」とはオルテガのいう「大衆」の一形態だ。

歴史修正主義者」は批判されても、それを顧みて思考することができない。自身に対する批判について、批判者の思惑やら利益を勝手に想像して「こととして自分を批判しているに過ぎず、その言葉には正しさはない、聞く価値はない」と排除することによって、自己防衛する。こうして自分の発言は無謬となる。(「歴史修正主義者」が陰謀論と親和性があるのもこうした理由だろう)

上の「発言に対する批判は表現の自由への圧力だ」というような考え方も同根だ。
自身の発言と、その批判という「論点」に着眼せず、自分が批判されたという「形態」に着眼する。そして、相手は表現の自由だとか言っているくせに、自分の表現を抑圧している。相手は矛盾している、間違っている。というわけだー形態としての対論者の矛盾(本当は矛盾は成立していないが)を指摘し、対論者の「過ち」を証明できれば、議論は自身の「勝ち」で終了というわけだーろうか。そして、本来の「論点」については考慮しないままだ。

オルテガは過去の人々、「死者」を再考することで、刹那的な社会運営や制度設計を批判した。社会が時間の経過とともに流動的に動いていく中で、「今、ここ、自分」だけにとらわれる社会運営や制度設計は脆弱にすぎる。

数十年、または100年程度のスパンで社会を考えなければ次世代の人々に万全な社会は手渡せない。

そしてまた、ありがたいことにこの半世紀以上、戦争を*4味わうことがなかった日本という国、社会に住んでいる人間は、この「平成」という不戦の世代を生み出してくれた人々に感謝を感じるべきだろうし、その苦労を偲ぶべきだ。

確かに死んでしまった人々は、現実に今、存在しない。その人たちの想いなど、今、この時に現実には存在しない。それよりも、自分の、今の、主観的感覚のほうが間違いなく存在し、自分を動かしている。

先人たちが積み上げてきた姉妹都市だろうと、友好都市関係だろうと、知ったこっちゃない。それよりも、自分の勝手な「歴史修正主義」の思い込みのほうが大切だし、自分が好きなSLの調査のための予算の方が大切だ。

「史実に忠実な再現」であり「史実に忠実」であるが、その名古屋城に起こった、昭和20年の事実と、昭和34年の事実はまったく無視をする。無かった事にする。

これが「歴史修正主義者」のメンタリティだが、自身は永遠に解らないままだろう。


「●●ちゃん、鼻の頭になにか着いているよ」
「え?そんなわけないよ」
「着いているって、鏡見てみなよ」
「そんなわけないから鏡も見ないよ」

永遠に、鼻の頭に「ナニカ」着けて歩いていかれればよい。

あなたには「恥」という言葉は関係ないのだから。


追記:

司馬遼太郎日露戦争から太平洋戦争に至る期間を「奇胎の四十年」と名付けた。日本は皇国史観を建てやがて亡国に至ってしまった。

太平洋戦争を引き起こした軍部、日本政府、日本社会のリーダー、そして国民に至るまで、そこには大きな慢心を感じずにはおれない。当時の日本人が愚かであったなどとは思わない。
当時の日本人が、たまたま愚か揃いであるから、ああいった結果に至ったのであって、今の自分達は違う。などと考えるものは、多分、当時の彼ら以上に愚かだ。もっと愚かしい者も居る。つまりは、こうした亡国の実情すら、反省を持って見つめないものだ。そうしたものが歴史修正主義に走り、微かでも日本国の誤謬を糊塗しようとする姿は、愚かしさを通り越して哀れでもある。

歴史から得られるものは異なるが、歴史そのものは変えられない。

太平洋戦争直前の日本人、日本社会の一つの傾向に。歴史への学びが単眼的であったということが言えるだろう。キリスト教一神教思想を導入してしまった日本神道の歪んだ解釈は、排除、排外を生み出して「国家主義」を視野狭窄の傲慢なモンスターに変えてしまった。

国家、そしてその象徴としての国旗や国歌は、国民の底から湧き出ものでなければならないはずだ。

ちょうど現在、ラグビー・ワールドカップが行われている。ここでニュージーランド代表が披露する「ハカ」は、「戦いの踊り」ではあるが、その意味するところは、先人たちを思い、同胞を思う気持ちであって、こうした過去や、守るべきものへの思いがあるからこそ、それを象徴する国歌に力が与えられるのである。

それは逆であってはならない。

www.youtube.com

f:id:ichi-nagoyajin:20190922173241j:plain
pukana

名古屋城天守復元60周年祭」

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※どなたでもご参加いただけます、参加費無料。



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*1:いい加減に「嘘」はやめよう。これでも元画商なのか?というか、そういう「画商」か?

*2:発言の自由と、それへの批判については特に後述する

*3:偽善者は素晴らしい約束をする、約束を守る気がないからである。それには費用も掛からず、想像力以外の何の苦労も要らない。

*4:直接は

半田晃士敗訴

減税日本の元県議、半田晃士被告の政務活動費返還訴訟の二審判決が出た。

f:id:ichi-nagoyajin:20190920072129j:plain
20190920 中日新聞

政務活動費を使ってオーストラリア・パース市に「視察旅行」に行ったが、内容は「大半が私的な観光旅行の域を出ていない」と判断されたわけだ。

県民の貴重な税金を私的に消費したこととなる。

この問題、許しがたいのは。

こうした事を是正すると訴えて立候補したはずの人物が、まさに同じことを(私から言うと、もっと酷く)やっていたということだ。

f:id:ichi-nagoyajin:20190920072504j:plain
西区 半田晃士

つまり「既得権打破」とは「既得権を我が手に」ということでしかない。
こうした者は、結局私利私欲の徒でしかない。

私も半田元県議とは直接面談させていただいたが、その他にも問題は幾つもある。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com


ichi-nagoyajin.hatenablog.com

こうした事に減税日本は自浄能力がない。
「切り捨てて責任回避」をするだけで、問題発生の原因を追求できていないし、現在も問題を抱えたままだ。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com


結局、出発点が、出だしが、頭が「嘘」だから、到達点も「嘘」にしかならない。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com



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 内容は、名古屋城天守の歴史や、現在の木造化事業についてのお話や、ご参加いただいた方々のフリースピーチになる予定ですが、何よりきれいに名古屋城天守が見られる部屋から、その威容に触れ、60年の感謝を捧げたいと思います。お気軽にご参加ください。


月に一回程度、北区にある「北生涯学習センター」で「名古屋城有形文化財登録を求める会」の月例勉強会を開きます。

10月4日(金) 18:30~20:30 第1集会室
11月11日(月)18:30~20:30 第1集会室

※どなたでもご参加いただけます、参加費無料。



名古屋城天守閣木造化事業基本設計代金支払い住民訴訟

次回、第四回公判は10月9日(水)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。
(傍聴希望の方は、15分前に整理券が配られ、抽選となる場合があります。お早めにお越しください)


名古屋城天守復元60周年祭

1.ある会合における名古屋市職員の認識について
2.名古屋城木造化住民訴訟第三回公判で示された疑義
3.名古屋城天守復元60周年祭

現在、当ブログ主は「名古屋城天守有形文化財登録を求める会」の事務局として、名古屋市を相手取って名古屋城木造化事業の違法性を指摘し、事業を停止すべきであるという住民訴訟を行っている。

8月22日に第三回公判が行われ、非常に興味深い出来事があった。

裁判の資料を整理してお示しする中で、この出来事の意味をご説明しようとしたのですが、そんな事を言っている間に、「現天守先行解体申請」を文化庁から蹴られ、事業自体、2022年竣工を断念してみたり、「求める会」としてもお知らせすべき「ビック・ニュース」があるので、久しぶりにお城の話をしてみます。

(当ブログでは、「河村たかし」の処遇に窮している。とりあえず市長として、多数の市民が、事実誤認の結果とはいえ市長として選んでいるのだから敬称を付けるべきとの意見は尊重したい。しかし、ここまで嘘を並べて、名古屋市の貴重な公金を浪費している者を「市長」とは呼びにくいし認められない。また、市民にここまで平気で嘘をつく人物については敬意など表することはできない。という事で、ここではこの住民訴訟に準じて「被告 名古屋市長 河村たかし」または「河村被告」と呼ぶことにする)

1.ある会合における名古屋市職員の認識について

さて、その前に。名古屋市内のある会合に出て、そこで名古屋市の職員が名古屋城木造化事業ついて市民に説明されていた。その方の業務については否定するものではないし、価値ある事だろうとは考えるが、いくつかの違和感を持った。

説明の中で次のような発言があった。

1)今回の木造復元においては建築基準法3条の適用除外を受けるのだから建築基準法の制限は受けない
2)現在天守の東側にある「外階段」は外観を考慮して取り外す
3)名古屋城は「史実に忠実」に木造復元される。

その方を糾弾したいわけではないのだから多分、私が説明を聞き間違えたのだろう。
しかし、こうした解釈で居るとしたら、それは大きな誤りだ。

(1)について。

まず、建築基準法の適用除外を定めた第3条にはこうある。

建築基準法第3条第1第四号
「第一号若しくは第二号に掲げる建築物又は保存建築物であつたものの原形を再現する建築物で、特定行政庁が建築審査会の同意を得てその原形の再現がやむを得ないと認めたもの」

当ブログでも旧法によって、名古屋城天守建物は「国宝」とされているが、それは焼失してしまったのであって、この条項で言う「建築物又は保存建築物」とは言えないのではと指摘したが、これについては重要文化財に準ずる扱いとするらしく、文化庁名古屋市もそういった取り扱いとするらしい。これについては百歩譲る。

しかし、適用除外の為にはもう一つの条件がある。「建築審査会の同意」がそれだ。
そしてそれは、要求水準書などにも「法同等の安全性を確保すること」と謳われており、適用除外を受けるのだから、建築基準法の束縛を受けないかのような認識は誤りだ。逆に、法の縛りが無い状態で、どのように「法同等の安全性を確保すること」ができるのか。それがなされていなかった場合、災害発生以降、重大な責任が追及されるだろう。

要求水準書(PDF)

(上記、要求水準書の p.10 「5.建築基準法」に「認定の要件として、構造及び防火・避難の安全性の確保が必要であるため、現行法同等以上の評定・評価の取得等が必要となる。現行法と同等以上の耐震基準を満たすこと。」とある)

(2)について。

名古屋市は木造天守においては外観を配慮して「外階段」を設置しないとしている。

しかし、建築基準法施行令第121条第3項で求められている「二方向避難路」を確保するためには、「外階段」を設置する以外にない*1。そこで「飛行機のタラップのような付帯設備を作って、それを使う」と説明されている。けれども、そのような付帯設備、または仮設の設備は「常に付けられる*2」のであって、それなら現在の「外階段」とどう違うのだろうか?

却って、構造物としての「外階段」なら目立たぬよう、調和を考えることもできるだろうが、可動性を付加した場合、今よりも目立ち、外観を損ねるのではないのだろうか。建物の側にも仮設ドアが必要となる。

外階段を付けずにすむ良い方法が一つだけある。「ヒトを入れないこと」だ。実物大木造模型として、ヒトを入れなければ外階段は要らない。ヒトを入れるのであれば、外階段は必須であり、「二方向避難路」は必須だ。

(3)について。

これが最も我慢ならなかった。

木造復元は「史実に忠実」に行われる??

ふざけないでいただきたい。

名古屋城跡に、昭和20年。何があっただろうか。
5月14日、米軍による名古屋空襲で、大天守をはじめとする建造物は焼失した。

これは「史実」ではないのだろうか。

そして、昭和34年に何があっただろうか。
総工費6億円の内、1/3である2億円あまりを市民からの寄付で賄った現天守の再建だ。

これは「史実」ではないのだろうか。

こうした「史実」を無視して、特定の、つまりは焼失前の時点を「史実である」とし、木造化するという事は、こうした歴史の中の事実を隠蔽し、隠してしまう事ではないのか。

特定の歴史を「史実」と言い、特定の歴史を「史実から隠す」これは歴史修正主義にも通じる暴挙であり、文化破壊だ。
文化とは、あるがままの事実を受け入れ、それを次代に受け継いでいくことだ。そうした歴史の積み重ねが、文化であり文明だろう。事実を歪曲するところに真っ当な文化も文明も根を生やさない。

こうした議論が行われてこなかった。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

保存活用計画に対して、こうした異常性の指摘がなされているにもかかわらず、その保存活用計画に対するパブリックコメントを隠蔽しているのも名古屋市だ。

名古屋市「名古屋城跡保存活用計画に対する市民意見まとめは手引に従い1か月でwebから消えた」

こうした議論から逃げに逃げ、問題を隠しに隠し、ついにその矛盾によってにっちもさっちも行かなくなったのが、今の名古屋城木造化計画だ。

実は、課題はまだある。まだ可視化されていない課題もあるが、そこに行き着く前にとん挫している。

2.名古屋城木造化住民訴訟第三回公判で示された疑義

名古屋城木造化事業における住民訴訟についてはこちらが最も手軽だ。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

第一回で原告側の主張(訴状)が提示された。
第二回公判までに修正がなされて、さらに異例の一時間に及ぶ裁判官口頭調査が行われた。
つまり、裁判官主導で訴状の意味について、不明確な部分の確認が行われた。

この二回の公判で訴状が整理された。

そして、その訴状について、被告河村たかし代理人(弁護士)による答弁書が提示されたのが第三回公判となる。

ここで興味深い出来事が起こった。
被告側に対しても、裁判官より指摘、質問事項が示されたのである。

1)「スケジュール感」という言葉
2)基本設計の黒塗り
3)文化庁「復元に関する基準」


1)「スケジュール感」という言葉

住民訴訟に先行する住民監査請求においても問題と考えられるのがこの「スケジュール感」という言葉だ。
どういうことかというと。名古屋市の「要求水準書」には次のような記述がある。

木造復元に際し、実施設計に着手する前の基本設計の段階において、文化庁における「復元検討委員会」の審査を受け、文化審議会にかけられる。

甲第1号証 名古屋城天守閣整備事業にかかる技術提案・交渉方式(設計交渉・施工タイプ)による公募型プロポーザル 業務要求水準書.pdf - Google ドライブ

これは「第2章.業務の概要及び計画条件」という章の「第4節.敷地に関する事項」の中の「1.敷地条件」の「(6)特別史跡における条件」の中で、上記「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」に続いて「その他、下記事項による」のなかの2(マル2/特殊文字なので丸を表記せず)として明記されている。

これらの表題の一部をもう一度抜き書くと「計画条件」の「敷地に関する事項」の「「敷地条件」の「史跡における条件」の「その他、下記事項」となり、私の読解力では「業務のための条件」にしか読めない。

つまり、文化庁の「復元検討委員会」の審査は「実施設計に着手する前の基本設計の段階」で受けるという業務の条件だ。

これが基本設計の「条件」であるなら、公知の事実として「復元検討委員会」の審査など受けていないのだから、基本設計の条件を満たしていない。

しかし、名古屋市はこの文章は「スケジュール感を示したにすぎず、条件ではない」というのだ。いったいどこに「スケジュール感」という言葉や、解釈を許す箇所があるのか教えてほしい。また、その前後は厳しい「条件」が並んでいる。
「掘削行為を行ってはいけない」とか「地中を荒らす恐れのある行為や杭の打設は、認められない」というのは、事業者が誤って行いそうな事ではあるが、文化財保護法の観点からは重大な事項だ。(本丸御殿においてこれが行われて問題となっている)

併記している項目がこうした厳しい「条件」であるのに、この「マル2」だけ「スケジュール感」を示したものだとするなら、その両者を分ける表現はどこにあるんだろうか?

裁判官からもこのもっともな疑問が提示され「スケジュール感というのは、どういう意味ですかね」と次回までに説明が求められている(合掌)


2)基本設計の黒塗り

前回の第二回公判で、被告河村たかし代理人から、「基本設計が未成立というのであれば、原告においてどこが未成立なのか指摘してもらわなければ反証のしようがない」という発言があり、それに対して、私は「基本設計図書の大部分が黒塗りなので内容については判りません」と応えた。

裁判官より、「成果品目録」が基本設計成果品として収められているのであれば、それが分かる方法はないですか。

成果品目録


現在、黒塗りで何が何か分かりませんから。という指摘があった。

甲第17号証 名古屋城天守閣基本設計業務 基本設計説明書(部分)

被告河村たかし代理人がどのような対応をするのか、期待しているところです。


3)文化庁「復元に関する基準」

文化庁は「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」を定めており、そこに

ウ.復元以外の整備手法との比較考量の結果、国民の当該史跡等の理解・活用にとって適切かつ積極的意味をもつと考えられること。

とある。これは上記「要求水準書」にも示されている。

ところが名古屋市大阪城において行われた「アルカリ回復工事」を考慮していない。業者に見積もりを取るなどして、効果の評価や費用等を考慮していない。

「2万人アンケート」などで名古屋市が市民に説明していた「耐震改修をしても40年しかもたない」という説明はおかしい。「耐震改修」というのは建物の震災に対する耐性を高める改修で、建物の寿命を長期化するものではない。建物、特に鉄骨鉄筋コンクリートの建物を長寿命化するには、この「アルカリ回復工事」などの手法があるのであって、大阪城においては実際に施行された。先行事例について踏襲するのが行政の素直な在り方だろうに、名古屋市大阪城において行われたこの先行事例を参照していない。これは異常だ。また、上記文化庁の基準からも脱落している。

平成の大改修


これは、基本設計業務とは直接関連しない論点ではあるが、被告河村たかし代理人弁護士が、「2万人アンケート」による民意を云々という主張をされたために、反論としてこちらが掲げた中で提示された論点ではあるが*3、この文化庁の基準について、被告河村たかしの答弁はいかがかと問われていた。

3.「求める会」のビッグ・ニュース!

 本年、令和元年(西暦2019年)は、現在の名古屋城天守が昭和34年(西暦1959年)に再建されてから、60周年となります。人間で言えば「還暦」に当たります。

 平成30年5月に、耐震性への危惧として現天守を閉鎖してから、すでに一年五ヶ月が経とうとしております。

 名古屋市は2022年竣工予定の木造天守のために、「現天守の先行解体」を文化庁に申請いたしましたが、有識者会議「石垣部会」の反対に遭い、また文化庁から求められた条件を満足させられなかったことから、許可は得られませんでした。(詳しい事情については、情報開示されておらず不明です。市民に事情の説明は有りません)

 こうした状況の中で、現名古屋城天守は還暦を迎えるのですが、名古屋市としては公式には何ら行事を行わないようです。解体するにしても、いや、解体するのであればこそ、名古屋の街を60年の永きにわたって見守ってくれた、名古屋のシンボル、名古屋城天守に対して、何らかの行事を執り行い、その歴史に対して敬意を表するべきであると考えます。そこで・・・!

名古屋市が何もやらないのであれば、市民が勝手に行います。

名古屋城天守復元60周年祭」

 日時 : 10月21日 (月)  午後6時より
 場所 : KKRホテル名古屋  4階  菊の間
 
   (中区三の丸1丁目5-1 電話:052-201-3326)

 会費 : 無料(カンパは大歓迎です)
 参加資格:名古屋城天守の60周年を祝いたい心

 内容は、名古屋城天守の歴史や、現在の木造化事業についてのお話や、ご参加いただいた方々のフリースピーチになる予定ですが、何よりきれいに名古屋城天守が見られる部屋から、その威容に触れ、60年の感謝を捧げたいと思います。お気軽にご参加ください。


月に一回程度、北区にある「北生涯学習センター」で「名古屋城有形文化財登録を求める会」の月例勉強会を開きます。

10月4日(金) 18:30~20:30 第1集会室
11月11日(月)18:30~20:30 第1集会室

※どなたでもご参加いただけます、参加費無料。



名古屋城天守閣木造化事業基本設計代金支払い住民訴訟

次回、第四回公判は10月9日(水)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。
(傍聴希望の方は、15分前に整理券が配られ、抽選となる場合があります。お早めにお越しください)


*1:現在の外階段を設置した時に、こうした議論が起きなかったとでも思っているのだろうか。だとしたら傲慢に過ぎる

*2:ヒトの出入りしない夜中は外せても、ヒトの出入りする昼間、営業時間は「二方向避難路」を確保するために、設置しなければならない。つまり、ヒトがいる間は常に設置されている

*3:つまり、俗に言うところの「藪蛇」ってやつだ

部分否定再録&MMTについての会話など

1.部分否定と歴史的事実
2.他国批判と自国批判
3.MMTについての会話

1.部分否定と歴史的事実

いわゆる「従軍慰安婦問題」について、「従軍慰安婦などなかった」などと主張する人々がまだいるようです。
何を根拠にされているのか伺いたいものですが、「従軍慰安婦」の存在については政府見解が出されており、その存在は疑いようがありません。また、従軍慰安婦制度について、旧日本軍や旧政府*1の関与を示す資料も出てきているようで、こうした「事実」から目を背け、厳然とある「事実」を否定する態度はファナティックですし、理性的とは言えないでしょう。そしてそれは「歴史修正主義」と批判される態度です。

www.mofa.go.jp

こうした事実を否定する人々の中には、「従軍慰安婦」の存在を裏付けていた証言自体が事実ではなかったという出来事を取り上げ、「従軍慰安婦」の存在まで否定する人もいるようです。いわゆる「吉田証言問題」です。

www.asahi.com


こうした「部分否定」と「歴史的事実」については当ブログでは「南京事件」についての論考ですでに述べておりますので、それを再掲したいと思います。

南京事件に対する法的に認定された事実、客観的事実 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

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 私は「歴史的事実」というものはこういったものだろうと考えている。
 まず全体として「歴史的に解明しきれない部分」という領域がある。これを模式図では灰色のグラデーションで示してみた。概念的にはこの領域はもっと大きいものだろうが、図の収まりとしてこの程度にしてみた。

 この中で「事実」と呼ばれる領域がある。
 模式図の中では青いグラデーションで示した領域だ。
 これとても当事者の証言があろうと、一方的な見方という側面もあろうし、その証言における表現方法に事実を伝えきれていない部分もあろうことは容易に推測できる。つい最近の事であっても「何が事実で何が事実でないか」判別する事は難しく、ましてや歴史という大きな壁を超えて、その中から事実を拾い出すのは大変な作業だろう。

 そうした中で、事柄によっては「法的に認定された事実」という物もある。

 司法や学問的な批判を乗り越えて、信憑が揺るがなかった「事実」であり、社会的には充分「客観的事実」(または「スタンダードを獲得している」)と呼ぶにふさわしいものだろう。

 この「客観的事実」に対して懐疑を呈する事は自由だ。しかし、その懐疑は信憑性を持たない。持っていない。「法的に認定された事実」「客観的事実」に対して、公的にその「事実」を否定したり「解釈変更」しようとするのであれば、そこには新たな立証と信憑の構築が必要となる。


 ここで注意したいのはこの「法的に認定された事実」「客観的事実」にしても取りこぼしている事実は有るだろうし、事実として認定するのに根拠が薄弱と捉えられるものもある。こうした司法的な、または学問的な研究、批判は常に続けられるべきで、一旦確立した「法的に認定された事実」「客観的事実」が「不磨の大典」であると言っている訳ではない。新たな批判、反論に開かれ、その評価を続ける事によって、この「法的に認定された事実」「客観的事実」の信憑は成立している。

 しかし、こうした「事実」を基盤として、そこから何かを言おうとすれば ― 歴史的教訓を学ぼうとするのであれば、または歴史的傾向を汲み取ろうとするのであれば ― 今の段階ではこの「法的に認定された事実」「客観的事実」を基盤として対話をする以外にないのではないか?

 この「法的に認定された事実」「客観的事実」を「認めない」という主観的態度は自由だが、それが客観性を持つことは無い。

 つまり、こういった部分に対して懐疑を持つことは、社会的に客観性を獲得していないのである。

 主観的信憑を持つことは各個人の自由である。しかし、各個人が持つ主観的信憑を他者に押し付ける行為は文明的な、理知的な行為とは言い難い。


 さて、南京事件南京大虐殺などという大きな事件になれば、その関係者は膨大な数になる。そうなると法的な評価を受けず、歴史学的な評価がまだ十分に為されていない「証言」や「写真」「資料」が存在する。

 それが模式図で言うところのピンク色の部分「異なる立場から見た『事実』」の部分となる。ここはまだ事実ともそうでないとも言えない部分になる。

 先ほど示した「『南京大虐殺』は捏造だった」というサイトが否定しているものはその大多数がこのピンク色の「事実、証言、写真、資料」に対する批判だ。(東中野修道氏の検証した物もだいたいはこういった事例)

 つまりこうした「新たな事実」に対して、その反証を行い、よしんばその批判が正当であって、「新たな事実」なる物に対しては懐疑的な結論に行き着いたところで、全体としての「南京事件南京大虐殺」の否定までには行き着いていない。

南京事件に対する法的に認定された事実、客観的事実 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

つまり、当たり前のことだが「部分」が否定されたからといって全体が否定されたわけではない。全体の中でも「客観的事実」としての信憑性を獲得している事柄というものはあるのであって、それを否定するのであれば、その信憑以上の材料を示せなければならない。

「違うと思いますよ」などと個人の主観に捉われて、こうした厳然とした事実を見ようとしない態度は知的怠惰でしかなく、営々として重ねられた検証作業を無にする行為である。つまり、文化や文明といったものに*2敬意を払わない態度であり、そうした者はまた、他者から文化的、文明的な評価は得られない。

歴史修正主義 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

2.他国批判と自国批判

外交問題を語るときに、「自国の批判ばかり行って、他国が同じ問題を引き起こしたときに批判をしないというのは偏っている」というような批判も目にする。

今回の日韓外交問題についても、確かに文在寅政権の外交手法についても問題があるようにも思えるし、彼の政権を揺るがすスキャンダルといった韓国国内事情も、この外交問題に大きな影を落としているようには思える。

しかしだからといって韓国政府の手法を批判しなければならないとは思えないし、そんな必要も無いと思える。逆に、韓国政府や文在寅政権の問題をあげつらって、日本政府の問題点について不問に付してみたり「相手も悪いのだから、こちらの問題もアイコだ」とでも言うように免罪を主張する態度は疑問だ。

私は私が批判すべき事柄しか批判しない。それは私と関係があるものに限られる。関係が無いものについて批判してみても始まらない。

私は日本国民であって、日本国の、日本政府の施策は直接私の生活に関りがあるので批判する。そして私は日本国の主権者の一人であるので当然こうした声を上げる権利も義務も持っていると思っている。

私は名古屋市民であって、名古屋市の、名古屋市当局の施策は、直接私の生活に関りがあるので批判する。そして私は名古屋市の主権者の一人であるので当然こうした声を上げる権利も義務も持っていると思っている。

極端な事を言うならば、韓国がどんな酷い施策を展開し、国家破綻したところで知ったことではないし、東京都がどのように失敗しようと知ったことではない。

例えば車に乗っているとする。あなたが運転している。するとエンジンルームから異音がしてきた。あなたはどうするだろうか。「なんだか変な音がしない?」と同乗者に確認するかもしれない。こうした時「そんな音、大したことないよ」と同乗者から言われたら、その声に同意して放置するだろうか、「確かに気になるから、いっぺん止めてみてみたら」と言われた方が良いだろうか。また、実際に車を止めてエンジンルームを見てみる。見たところではよく分からない。こうした時に異音のするあたりを「ひっぱたいたり」はしないだろうか?*3

自分が責任をもってかかわる物事について、不具合が発生しているようなら、「いやいや、気のせいさ」とか「俺様の車だ、大丈夫さ」などと過信する態度は異常だろう。ひっぱたいたり、分解してみたり。様々な角度から原因を追究するのが当たり前の態度だ。「批判」とはこうして対象を「ひっぱたく」行為であり、そうすることによって車や、社会の健全性を保つことは理知的な行為だ。

隣の車から異音がするからと言って、それをひっぱたく者はおるまい。

3.MMTについての会話

先日、参議院選挙の直前にMMTの旗頭ステファニー・ケルトン教授が来日して以来、日本国内でMMTと、積極財政論の主張が活発だ。

当ブログがMMTに触れたのは2016年8月になる。「相模原大量殺傷事件」を受けて、均衡財政論の危うさを述べた中で取り上げている。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com


今でも、河村たかしと植松聖の論理は通底していると思っているし、河村たかしにおいて、自身の主張する「減税政策」が、実はどれほど社会に深刻な問題を投げかけているか、その自覚の無さは醜悪に過ぎる。(こうした文脈で見ると、私設政党「減税日本」など、バカで貧乏くさい「ナチス」の尻尾にしか見えない)

まあ、それはさておき。財務省がそうしたMMTへの反論資料を掲載している。均衡財政論を突き崩されたくはないのだろう。*4

説明資料(わが国財政の現状等について)平成31年4月17日

※「上で外務省の文書、政府文書を「客観的事実」と取り上げており、ここでは財務省の文書に疑問を投げかけようというのか」というような反論は受け付けない。この財務省の資料を読んでみればわかるが、財務省は自分を主語として、MMTに対する反論を述べていない。つまり、客観的にMMT批判者の発言を集めているに過ぎない。


この資料の中の、特に後半の「世界的有識者によるMMT批判」を読むと、MMTへの批判点がよくわかる。特に多いのは「ハイパーインフレ」への懸念なんだろうが、これについてはケルトン教授が見事な反論を加えている。「日本のようにデフレからの脱却に苦労している国が、なぜ、ハイパーインフレの心配をするのか分かりません」まったく、お見事。自分の頭で考えず、他人の文書/言葉で批判している人に対する切り返しとしてはこれ以上ない。なぜなら、ここに掲載されているコメントは、主に米国国内におけるMMTの展開に対するコメントであって、日本のようにデフレに張り付き、過剰流動性が企業の内部留保という形で蓄積され続けている場合には、考慮する優先順位が異なるというものであって、「ハイパーインフレ」の心配をしている場合ではない。というか、そんな批判は説得力がない。

この文書を肴にある人たちと話をしていたのだが、ひとりが指摘するには「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」という主張を批判しなければMMTを否定できない筈だが、日本の財務省はこの主張ができないという。2002年に日本国債の「格付け」下落に対して、時の財務官黒田東彦氏(現日銀総裁)が提出した意見書に、堂々と「自国通貨建ての国債はデフォルトしない」と書かれているそうで、今更それを否定することはできない。

また、ハイパーインフレの原因を通貨の過剰を原因とするには無理がある。すでに日本は十分流動性が高いが、ハイパーインフレどころか、インフレの兆しさえ見えない。現在の日本国内においては、そうした過剰流動性(お金)は、フローから、ストック(企業内部留保)にたまってしまって、物価に影響を与えていない。

企業にたまったストック(内部留保)をフローとして、社会に循環する「お金」にするには、こうした資産に対して課税する(国が無理やり吐き出させる)か、企業会計を旧来のように戻して、労働分配率を上げさせるかしかない*5。現在の日本の企業は、顧客や労働者の為にはなく、資産家や株式市場の為にあるように見える。なんとなく「国際企業会計」に合わせるというような方向性が「正しい」とされているけれども(されていたけれども)その根拠は、まともな議論も無かったように思われる。日本の消費者は賢く、「外国車を買おう」と言われても、バカみたいにガソリンを食って故障の多い米国車は買わずに、ヨーロッパ車、それもドイツ車を買ったのだが、日本の経営者は企業会計に米国車を買ったようなもので、これで日本国内を走り回っているように見える。

社会にお金が回らない(フローが足りない)ので、国内経済が振るわず、いくら金融政策しようと国内総生産が高まらない。

ハイパーインフレとは、商品の需要と供給のバランスが崩れた際に起きる。*6ドイツでハイパーインフレが起きたのは、ベルサイユ条約によって生産拠点を奪われて、国内生産力が落ちてしまったために、需要を満足させる供給が行えなかったからだ。

日本においてもデフレ傾向が続くのは、通貨流通によるものではなく、商品の需要と供給のバランスによる。労働分配率が低く、国民の可処分所得が低いままなので、需要が起きていない。そこに十分以上の供給能力があるので「物が売れず」価格が上がらない。需要を発生させなければならないし、そのためには可処分所得を上げなければならない。・・・・ここで少し「河村流減税政策」の誤りに触れておく。河村流減税では、減税によって納税者の「可処分所得」を上げるとしている。確かに減税されたお金は「可処分所得」にも成り得る、それは認める。しかし、その原資を「歳出削減」で賄う。「歳出削減」とは需要の削減である。100削減された歳出は、100の需要を減少させる*7。そしてそれによってなされた100の市民税減税は、果たして100の支出を生むだろうか。逆進性の高い、富裕層に篤い減税制度のため、その大部分が貯蓄され、100の支出がなされないのであれば、その減じた分だけ経済効果としては低くなる。河村市長は市民税減税で名古屋市の経済が活性化し、市税収入が増えたと言っているようだが、そんな言葉を信じている経営者はいない。単に、市長の前で調子を合わせているに過ぎないか、企業経営者/高所得者であれば、富裕層としてしっかりと減税政策の恩恵にあずかっているので喜んでいるだけだろう。

ここで、需要と供給、通貨流通量と物価などを話しているうちに、これって電気回路に似ていないかという話になった。

需要と供給のバランスは「電圧」そこで流れる通貨が「電流」、物価は「電流量」になるだろう。今、30Ωの抵抗に、12Vの電圧をかけると、0.4Aの電流が流れる。「電圧×電流=電力」なので、12(V)×0.4(A)=4.8(W)という事になる。

この回路に、もう一つ。20Ωの抵抗を並列につなげる。この時の「合成抵抗」は幾つか。

答えは12Ωになる。20Ωの側にも、12Vかかると、0.6Aの電流が流れ、7.2Wの電力消費となる。両者で1Aの電流量になるので、回路全体の消費電力は12Wとなる。これは合成抵抗の12Ωに流れる電流量と電力と合致する。

ここで、ちょっとおもしろい現象が起きた。30Ωと20Ωの抵抗を並列につないだ回路の合成抵抗が12Ωとなる事が理解できない。と言い出す人が出た。「電流(電子)の立場からすると、30Ωの回路を通るにせよ、20Ωの回路を通るにせよ、抵抗は残っているのだから、並列につなげた場合はその間の値になるんじゃないのか?」というような事を言っていた。

こういった場合には「仕事算」という考え方で説明すると良いというので、それを試みた。

「一人の人は、一つの仕事を片付けるのに30日かかる。もう一人は同じ仕事を20日で片付ける、2人でこの仕事を片付けるには何日必要か」1日当たり「1/30(仕事量/日)」の処理能力を持つ人間と、「1/20」の処理能力を持つ人間がいると、二人の合計は「5/60」(仕事量/日)となる(2/60+3/60、大丈夫だよね)この合計の処理能力で、1の仕事を片付けるには60÷5を計算すればいい。答えは12。二人で12日で片付く。

・・・と、言っても合成抵抗の演算について理解してもらえなかった。しかし、この経済循環と電気回路の比喩は、何か導き出しそうで面白かった。

それと、次のような話も興味深かった。ハイパーインフレの際に、よく引き合いに出されるのが、瞬く間に目の前のパンの値段が上がっていくという話だ。

これでわかるのは「生産性」なんて幻想にすぎないという事だ。パンの価格が10倍になれば、それを売る者の生産性は10倍になると言える(厳密には色々と違うが)。商品の本質(そこから得られる便益)も、販売員のスキルも関係ない。状況がパンを売る者の生産性を高め、購買者がそれを(リヤカーに乗せた札束であろうと)買った段階で、生産性が決定される。

吉野家のアルバイト店員と、ホテルのラウンジのウェイター。サービスの本質は変わらないのだろうが、生産性は異なるだろう。それでは生産性は何が生み出した?ホテルのラウンジという「説得力」と、そのラウンジを利用できるだけの可処分所得を持った消費者の存在(そして、その消費者を引き付け得る、ホテルのブランドなりの「説得力」ということだろう)「生産性」を生み出すのは、そこで働く労働者ではなく、その環境を造る経営者なのではないのか。日本の労働者の生産性が低いというのであれば、それは日本の労働者における問題ではなく、日本の経営者の問題なのではないだろうか。

などなど、グダグダと話し合った。


追記(令和2年4月5日):
wam-peace.org


*1:大日本帝国

*2:実は、十分にその恩恵によくしつつ

*3:まあ、最近の車はひっぱたいたところで影響を受けるようにはできていないだろうが

*4:いったい何のため!ここなんかも最早、合目的性を失って、ドグマの為に省庁が動くという、戦前からつながる日本型官僚制度の自動運動の恐ろしさが垣間見える

*5:法人課税を下げると、内部留保はたまる。なぜなら法人税が低いのであれば、企業は課税対象利益を計上でき、それは役員報酬や株主配当(ということは企業の株価高騰)につながり、そうした残りが内部留保となるからだ。逆に法人税率が高いと、企業は課税対象利益を圧縮しようとするので、当期の設備投資や人件費などに利益を分配する(労働分配率が上がる)。つまり、消費が喚起される

*6:第二次世界大戦以前に

*7:名古屋市が買わなくなるという事