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口頭弁論再開申立書/減税⽇本ナゴヤ政務活動費に係る不当利得返還請求事件(住民訴訟)令和5年(行コ)第63号

控訴人  森   晃
被控訴人 名古屋市長 河村たかし
被控訴人補助参加人 減税日本ゴヤ

令和6年2月28日

 頭書事件につき、下記理由により、新たに控訴人が入手し、判明した事実を証す証拠を添え、口頭弁論を再開されるよう申し立てる。

1.田島万友美さんが水野プランニングから再委託された配布、印刷の両業務に関わっているという疑義について。

 原判決において水野プランニングから配布、印刷の両業務において再委託が行われたと推認する根拠となる書面中、「名東区長久手市エリア地区別部数表」(丙5、6号証)において「担当」欄に「田島」との記名がある。

 なお、原判決においてこの両書面が「配布を発注していること」を証すものと述べているが、同書の「入金日」「入金確認」欄は無記入であり、当該発注について支払いがなされていないことを示している。「配布の発注」は為されたかもしれないが、支払いが行われたことは示されていない。原判決に示された「判断の枠組み」における「条例所定経費に該当する支出であることや社会通念上相当な範囲内の支出額であることを相応の根拠や資料に基づき主張立証する必要があり、被告または補助参加人がかかる主張立証を尽くさない場合には、条例所定経費に該当しない支出であることや社会通念上相当な範囲を超える支出であることが事実上推認されるというべきである」とされる以上、「配布の発注」を推認することで、支払いの立証が為されたとする論理建ては飛躍しており、失当である。

 原判決が水野プランニングから再委託された印刷業者において印刷業務が行われたと推認する、印刷業者発行と思われる(発行主体が黒塗りであるため、あくまで推測に留まる)御見積書、請求書、納品書(甲30、31号証)において「配送先」として「田島万友美」さん氏名が明記されている。なお、これら書面が見積もりの要請や納品、請求書発行を推測させるにしても、それらがキャンセルされ、支払いが行われなかった事も推認可能であり、これらの書面が存在するだけで原判決における「判断の枠組み」において必要とされた「相応の根拠や資料に基づき」「支出」を立証しているとは言えない。

 さらに、口頭聴取書(甲32号証)で水野昇氏が述べるような、NP掛け払いの業務において、支払いの後に印刷物が納品される、であるとかNP掛け払いにおいて、領収書は発行されないなどとの主張は事実と異なり、原判決が「その信用性を疑うべき事情があるとは認められない」などと断じることは事実に反している。

 NP掛け払いにおいて領収書が必要な場合には「領収書を紛失または、上記以外の領収書をご希望の場合は、以下のご注意事項をご確認の上、問い合わせフォームからお問い合わせください。・弊社にて着金確認ができている場合に限り、領収書発行を承ります。」(甲34号証)と発行を受け付けている。配布業務については丙12号証で示した「受領証明書」なる法的に不明確な書面を、本件提訴以降の2022年9月5日に、わざわざ株式会社ポトスに作成させ、提出しているにも関わらず、印刷業務についてはNP掛け払い業者への手続きを行わず、領収書を提出せず、更に領収書は無いなどと虚偽を陳述することは「被告または補助参加人がかかる主張立証を尽く」そうとする意志を疑わしむるものである。かかる懈怠は原判決における「判断の枠組み」に照らせば「条例所定経費に該当しない支出であることや社会通念上相当な範囲を超える支出であることが事実上推認されるというべきである」と断じられるべきである。

 更に、補助参加人の信用性を疑わせる事実として、水野プランニングは印刷業務についての提出書面において、印刷業者名、及び金額欄と思われる項目について黒塗りで御見積書、請求書、納品書(甲30、31号証)を提出している。配布業務については「株式会社ポトス」という業者名を明らかにしているにも関わらず、印刷業務に関してだけ業者名等を隠蔽する理由について不整合であると指摘したい。更に、補助参加人減税日本ゴヤ浅井康正元市議は令和4年3月18日の回答書(甲10号証)において、「仲介手数料等が発生していない」と回答し、名古屋市監査委員に対する回答(甲16号証-3)においても「仲介手数料は発生しておらず、無駄な公費の濫用などという話にはなりません」と主張している。であるならば水野プランニングが再発注した印刷業者に対して支払う金額は名古屋市減税日本ゴヤに支払った¥442,200円(A3版分:甲2号証)及び¥198,000(A4版分:甲4号証)であり、黒塗りし隠蔽する必要はないはずである。なぜ必要のない黒塗りがされているのか、信用性について疑義が有り、主張に整合性が無い。

 以上のように、原判決が支払いの事実を推認した配布業務における「名東区長久手市エリア地区別部数表」(丙5、6号証)及び、印刷業務における支払いの事実を推認した御見積書、請求書、納品書(甲30、31号証)について、同一人物と推測される田島さんの氏名が記名されており、同一人物の介在が推測され、これら書面の客観的存在を疑わしめるものである。

 また、田島万友美という氏名の人物が株式会社エスアンドピーの役員として登記されている。(甲36号証)

 その株式会社エスアンドピーは配布の再委託を受けたとする株式会社ポトスと所在地を一にし、株式会社エスアンドピーの会社概要には事務所所在地は「ポトス事務所・2F」であることが示されている。株式会社ポトスと株式会社エスアンドピーが関連する企業体であるとするならば、株式会社ポトスの発行した「名東区長久手市エリア地区別部数表」(丙5、6号証)に株式会社エスアンドピーの役員である田島万友美さんが「担当」として同書を作成したとも推測され、で、あるならば同様に田島万友美さんが他の書面である領収書控え(丙4号証)や受領証明書(丙12号証)及び入金伝票(丙13号証)を作成していないと否定できる根拠はなく、これらの書面が被告、並びに補助参加人の主張、信用性を補強するものと断じることはできない。
 
 原判決の示した「判断の枠組み」の通り、「条例所定経費に該当する支出であることや社会通念上相当な範囲内の支出額であることを相応の根拠や資料に基づき主張立証する必要が」あるのであり、上記のような疑義が生じている限り、論理的にここで株式会社ポトス、株式会社エスアンドピー及び田島万友美さんが介在し得ない客観的な条例所定経費に該当する支出である事実を示す必要がある。「被告または補助参加人がかかる主張立証を尽くさない場合には、条例所定経費に該当しない支出であることや社会通念上相当な範囲を超える支出であることが事実上推認されるというべきである」

2.本件被控訴人名古屋市長であり、本件政務活動費の受領機関である減税日本ゴヤが所属する地域政党減税日本の設立者でもある河村たかし氏が政務活動費の使途に関し透明性の徹底を名古屋市会に向け要請しており、本件訴訟における主張、行動と矛盾が見られ、信用性にかける件。

 名古屋市長であり、名古屋市会会派減税日本ゴヤの所属する地域政党減税日本の設立者である河村たかし氏は、平成25年(2013年)10月17日に名古屋市会に対して「政務活動費の使途に関する基本方針」について、運用の厳格化、透明性の徹底を要請している。

 しかるに、本件各主張においては必要最低限の説明を行い、提出資料においても黒塗り隠蔽を容認するという姿勢は、主張の一貫性がなく、被控訴人、被控訴人補助参加人としての主張全般への信用性を疑わしむるものであると指摘する。

 特に、名古屋市においては、本件訴訟に至る前の住民監査において、A4版領収書(甲4号証)における「A4 90kg 両面印刷」との記載と、減税日本ゴヤから提出された同印刷物(丙2号証、11号証)(同一の証拠品について重ねて提出される理由も判らない)の様態の齟齬について触れられていない。原審において、発行者印も不明であり、収入印紙も添付されておらず、領収書とは認められなかった「領収書(控)」(丙4号証)を「領収書」として誤認し、住民監査において釈明も求めていないという懈怠について、名古屋市民として真摯な反省を求める。

 更に、河村たかし氏は、平成25年(2013年)10月23日に名古屋市会に対して、政務活動費による活動は極めて公費性(控訴人において、この「公費性」なる言葉についてその定義は不明のままではあるが、引用における源発言の表現を尊重するためにそのまま引用し、「公共性」類似の語として解釈する)が強いものであり政務活動費の支出の透明性を確保し、収支報告書等を市民の閲覧に供し、市民の信頼に応えることが必要不可欠であるとの見解を示している。同様の情報公開の重要性については甲21号証、22号証においても示されている。

 であるならば、被控訴人名古屋市河村たかし氏自身が、法人税法150-2,及び同施行規則59,60に定められた7年間の保存義務によって、水野プランニングが保存しているはずの、株式会社ポトスに配布の再委託を依頼した際の領収書、及び印刷業務における明確な支払いを立証する根拠、領収書を水野プランニングに求めるか、または減税日本ゴヤ、浅井康正元市議に対して指示を行うべきで、それが為されていない事実は、言動に一貫性がない。更に令和6年1月5日付答弁書において、控訴人の主張を「不満や独自の見解」と断じ「原審での主張を繰り返し述べるもの」としているが、その通り控訴人の主張は一貫しており、上記に示したような矛盾を名古屋市長が行うことに対して、主権者たる名古屋市民として満足できようはずがない。更に、控訴人の主張が「独自の見解」であるとするならば、被控訴人の矛盾する言動はどのように表現すべきであろうか。そこに信用性を置くことはできない。

 公金の支出は、誰が見ても理解できる、支出の真実性を証す根拠が必要である。それが示されず、推量によってかような支出が許されるとするのは失当であり、原判決や過去における様々な判例が示すように、政務活動費など公費の支出を受けた議員や、その支出を行った地方自治体が「かかる(支出の正当性を)主張立証を尽くさない場合には、条例所定経費に該当しない支出であることや社会通念上相当な範囲を超える支出であることが事実上推認されるというべきである」

 公金の支出は、誰しも理解しうる事実によって、根拠付けられなければならない。 

3.原判決は失当である。

 控訴人は以上のような理由から、口頭弁論の再開を求め、高等裁判所において原判決の誤認した事実の確認を求めるものではあるが、或いはこれが控訴人の最後の発言機会かもしれないとの覚悟をもって以下述べさせていただく。

 司法については全くの門外漢ではあるが、市井に存する国民として、三権分立を打ち立てているこの日本において、司法が守るべきは何か?

 それはけして行政の無謬性ではあるまい。

 法により支配される行政の姿こそが文明であり、民主主義を担保し、国民が安心して暮らせる国家体制の存在を示すものと心得る。

 司法は行政よりも、法を守らねばならない。

 一般国民が、事実の摘示によって行政の矛盾、説明の齟齬を指摘した場合、行政はその摘示事項の誤りを誰もが理解できるように説明する責任があり、それが為されない以上、行政は一般国民から見た矛盾、齟齬を孕んだものとなり、社会はその安定性を欠く。一般国民の指摘を、事実と法的根拠も示さず蔑ろにするべきではない。そうした態度は国民主権の原則に反する。

 司法は行政よりも、法を守らねばならない。

 法が正しく守られていると国民に示すためには、明確な事実の認定と、正しい論理構築によって、その事実が持つ法的位置づけを示す必要がある。

 事実と論理、そして法の支配を蔑ろにして文明社会は存続し得ない。

 以上の趣旨からも、原判決の自ら示した「判断の枠組み」を無視し、矛盾、齟齬、事実誤認を孕んだまま、推認によって判決を構成した原判決は取り消されるべきであり、口頭弁論を再開されるよう申し立てる。

以上

ichi-nagoyajin.hatenablog.com


※証拠書面については、必要のない個人情報等に対するマスク処理を施した後に掲載する予定です。