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「特別史跡名古屋城跡保存活用計画(案)」における欠落


2月8日(木)
18時30分 
から
名古屋市民会館 第2会議室
で、

特別史跡名古屋城跡保存活用計画(案)」と
そのパブリック・コメントの勉強会を開催いたします。

参加費は無料(会場+資料代として、実費程度のカンパは歓迎)

勿論、天守木造化賛成の方で、何が問題とされているのか知りたい。
と思われているような方の参加も大歓迎です。


それでは現在、名古屋市パブリック・コメントを求めている特別史跡名古屋城跡の全体整備計画となる「特別史跡名古屋城跡保存活用計画(案)」(以下、保存活用計画)について書いてみます。

http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/page/0000101416.html
名古屋市:特別史跡名古屋城跡保存活用計画(市政情報)

パブリックコメントを募集した後に、改変するんじゃないですよ。
改変したのであれば、パブリックコメントなり、市民説明会をやり直すべきだろう。

コレについては極力主観を排して書いてみたいと思います。
ですので、先に主観的意見を述べておきます。
私は当初、「どちらでも良い」と思っていました。本気で現天守を破壊し、竹中工務店の示したようなハイテク・ハイブリットの木造風天守を作るのなら、作ればいい。その時、名古屋市民の幾人かは目を醒ますだろうし、歴史の中で「河村名古屋市政とは何だったのか」という課題の大きな墓標となるだろうとも思えた。
ポピュリズムという民主主義の一形態が暴走すれば、如何に無残に、如何に醜悪な、喜劇が演じられるか、その記憶を残すのも意義があるだろうと感じたからだ。
そして、その債務(現見積もりの建設費用約500億に金利を加えた、750億円、更に維持費や改修費も加えた1000億円程度)は、長く名古屋市民の上にのしかかってくるでしょうが、それも自ら名古屋市民が選んだことであって仕方がない。

すでに、名古屋市はMICE事業の舞台である国際展示場を愛知県に奪われつつあるのですが、ことここまで進んでも名古屋市民は目覚めようとしない。それなら、城郭の一つや二つ、壊してみてもピンとこないのだろう。そう思わなざるを得ない。

しかし、様々調べていく中で、現天守、鉄筋鉄骨コンクリートの現天守に対する重要性が理解できるようになった。そして、その現天守に愛着を持ち、涙を流す人まで居ることがわかった。こうした人々の心を無碍にはできないと感じるようになった。

私は、現天守閣は貴重であり、壊すべきではないと思っている。
しかし、これは主観的愛着であり、共感を押し付けはしない。
けれども、この共感に行き着かない人々の、ある欠落については非常に気がかりでもある。それは後に述べる。

さて、では主観を排して、「保存活用計画」について書いてみます。

まず中身の議論の前に、このパブリック・コメントについては即座に停止すべきであると考える。それは、「石垣部会」の構成員である有識者の指摘を受け、市当局が書き換えの可能性に言及しているからだ。書き換えられるのであれば、書き換えたものについてパブリック・コメントを求めるべきであり、完成もしていない文章について市民にパブリック・コメントを求めるのは誤りだ。
また、名古屋城天守木造化のスケジュールによれば、名古屋市はこうした全体計画を文化庁に3月頃には示さなければならず、その為には「市民意見を募った」という「アリバイ」が欲しい、その為に今のパブリック・コメントを求めるのだとしたら、まったく目的と手段が転倒した話であると断じざるを得ない。全体計画は「特別史跡名古屋城跡」をどのように保存すべきかという全体計画であるべきで、その策定を天守木造化のためだけに早めるとすれば、本来ある目的を見失っていると批判されてしかるべきだろう。

スケジュールの為に全体計画があってはならない。

ましてや、現在の文章で募ったパブリック・コメントを、新たに書き換えた「保存活用計画」に対して寄せられたものであると文化庁に説明するのであれば、それは虚偽である。
「保存活用計画」を書き換えるのであれば、新たにパブリック・コメントは求められるべきだ。

2018-01-31 !! 緊急 !! 本日の中日新聞報道について

これについては、それを報じた中日新聞とともに、名古屋市当局を批判した。
こうした歪んだ報道は、市民/購読者の利益を損じる。有ってはならない報道姿勢だ。


さて、やっと「保存活用計画」の中身について書いていくが、概要版でも24ページ、本文では230ページになる文章へのコメント募集を一ヶ月に切るというのも如何なものだろうか。その為に概要版があると言うかもしれないが、この概要版は概要版の体をなしてはいない。そもそも「保存活用計画」の中で、それまでの「特別史跡名古屋城跡全体整備計画」(以下、全体整備計画)を排して「保存活用計画」を全体計画とするとしているが、その理由は触れられていない。また、「 全体整備計画」と「保存活用計画」の差異についても触れられていない。こうした全体計画は長期的視野と、他の様々な計画との整合性が必要なはずだ、実際に石垣整備について、現在行われている北部馬出しの整備と、現在進めようとしている天守台、及び周辺の堀の調査と整合性が取れているとは思えない。

名古屋市はこの天守台及び堀の調査を石垣及び堀の維持のための調査と説明しているが、学芸員も置かず、調査の実施者が天守木造化を進める竹中工務店とあっては、その調査の目的が石垣や堀の維持のためではなく、天守木造化の為のものであることは瞭然ではないのだろうか)

この「保存活用計画」について、1章、2章、及び4章から7章までには異論はない。学術的には齟齬があるようだが、指摘しない。勝手に齟齬のある文章を天下に提示すればいい。
3章について、大問題があると感じており、それから導かれる8章は誤りの上に構築された議論であり到底容れられない。その為に以降の9章、10章にも頷くことはできない。

では、その誤りの起点である3章とは何か。

「保存活用計画」における「第3章 特別史跡名古屋城跡の本質的価値」の誤り。


この「保存活用計画」は第3章で「名古屋城跡」の「本質的価値」とは何かを議論している。「本質的価値」の議論は既存の「全体整備計画」にはない概念であり、「全体整備計画」においては「本質的価値」などという言葉すら使われていない。

(この「本質的価値」という概念は、文化庁において「奈良平城京復元」の起点となった概念であり、文化庁に対して名古屋城天守木造化を認めさせるとするならば、このドグマに立脚する以外にないからではないかと言う見解がある。それにしても少々幼稚だ)


この「本質的価値」は概要版にも展開されており、そこには主に次の3つの項目が掲げられている。

○御三家筆頭の尾張徳川家の居城であった城跡
○現存する遺構や詳細な資料により、築城当時からの変遷をたどることができる城跡
○現在の名古屋へと続く都市形成のきっかけとなった城跡


私はこれを読むと、この風景を連想してしまう。

これは、戦後、モージャー氏が、GHQ文民スタッフ(civilian secretarial staff)として1946年4月から1947年1月に日本に滞在した際、撮影した写真の一部である。

モージャー氏撮影写真資料 | 憲政資料室の所蔵資料 | 国立国会図書館


「保存活用計画」は、この「本質的価値」の根拠を「昭和7 年(1932)の史蹟名古屋城の指定説明文」と「昭和27 年(1952)の特別史跡名古屋城跡の指定説明文」から導いている。

当然、ここでは昭和34年の天守復元事業は触れられていない。その写真にあるような姿しか把握されていない。

確かに、法的には「特別史跡名古屋城跡」とは大天守を含んでいない。
しかし、名古屋城天守は現に眼前にあって、間違いなく存在する。

そして既存の「全体整備計画」では、当然この大天守に対する「整備計画」も言及されている。

けれども、今回の「保存活用計画」では、昭和34年の天守復元事業は欠落したままであり、第二次世界大戦の戦災によって焼失したことも取り上げられていない。

奇しくも、市民説明会およびシンポジウムで竹中工務店名古屋城天守の歴史を解説したが、その中でも天守そのものを焼失させてしまった第二次世界大戦による空襲は取り上げられていた。「特別史跡名古屋城跡」まして名古屋城天守の歴史を捉える上で、空襲による焼失は無視できる歴史なのだろうか。そして昭和34年の天守復元事業は無視をしても良いのだろうか。

それらの歴史的事実を無視して「本質的価値」を定めるということは、歴史的事実を恣意的に選別するという行為であり、歴史の改ざん、歴史の修正ではないのか。

名古屋城天守において、それが消失してしまったという事実を隠蔽して「本質的価値」が語れるのだろうか。民主的な社会が建設された戦後に、市民の発意によって天守復元事業が行われ、現鉄筋鉄骨コンクリート天守が再建されたということを無視した「本質的価値」など本質といえるのだろうか。

このように欠落した歴史認識、重大な見落としがある「本質的価値」の上に、計画された「保存活用計画」は失当であり、認められない。


ここから、前置きの続きの余談。

最近、安倍首相が「(エンゲル係数の上昇は)物価変動のほか、食生活や生活スタイルの変化が含まれているものと思います」と回答し、エンゲル係数の上昇が国民生活の悪化ではないという認識を示した。

エンゲル係数可処分所得中の食費の占める割合で、これが低くなれば国民生活が豊かになり、これが高まれば国民生活が苦しくなっている。(必須である食費の比率が高まる)というのは、中学校のレベルの常識のはずで、こうした答弁は異常だ。

そして、こうした答弁に歩調を合わせるかのように、誰かが Wikipedia の「エンゲル係数」の説明文を修正して、首相答弁に正当性をもたせようとする。その内、首相が「太陽は西から昇る」といえば、太陽がのぼる「あちら」の方角を「西とする」と言いかねない。

私は、若い頃、勤めた企業の経営者に「私が黒と言っても、君等が白いと思えば、白と言えよ。私には目は2つしかないが、君等の目のほうが数が多いのだから。私に誤りがあればどんどん指摘してくれ」と言われた。世間で言う「ボスが黒といったら白いものでも黒といえ」などという文化は誤りであると思っている。また、三島由紀夫が喝破したように、個々の知性を無視するような「道徳の押しつけ」は「奴隷道徳」であり、それは社会を困難にさせるという意見にも賛成だ。

80年台頃だろうか、「価値相対化」が表面化し、それは様々な在り方の尊重、多様性の尊重には道を開いたが、一方では価値基準の破壊となり、価値基準を喪失したまま漂流している問題も散見される。確かに様々な問題で価値は相対化され、それまでの伝統的な権威は解体されたが、それでもなお共通認識として成立している前提はあるのであって、こうしたものすら受け入れないとすれば社会は千々に乱れるだけだ。そこでは人間は生存できない。暴力的な弱肉強食のルールが支配することになるだろう(完全に価値が相対化され、個々が自由放佚であり、それを制限する法の支配自体も相対化される対象であるのなら、その法の支配よりも強い暴力を掌握した者が法を超越して社会を支配することになる。これは人間の社会ではない)

小泉構造改革から打ち続く、デフレ不況と、その結果としての格差拡大。
その原因を作る、均衡財政論。財政再建論。(つまりは、弱者切り捨ての理論)

雇用の流動化と、家庭の崩壊。結婚できない若者の困窮、少子高齢化
こうした厳しい社会情勢を背景にした、排外主義、差別主義の顕在化。

排外主義、差別主義と軌を一にした歴史修正主義

これらは全て「視野狭窄」という原因を持つ。

自身に都合の良い「事実(の欠片)」をつなぎ合わせ、それに反する事実について受け入れない。こうした視野狭窄、思考停止がこの社会を困難に陥れ、日本を経済大国から沈没させたのだろう。

今日ここで、このような偏った歴史認識によって、貴重な名古屋城天守を破壊するとすれば、私たちは終戦直後の名古屋を復興した人々にどのような釈明ができるのだろうか。

そして、そのような貴重な文化財を失ったことを、100年後の名古屋市民にどのように説明することができるのだろうか。

「今」の名古屋市民の視野だけでなく、戦後の名古屋市民の視野、100年後の名古屋市民の視野、そうしたことに思いを致すことができなければ、それも「視野狭窄」なのだ。



8章内部の問題、比較衡量の問題ついて書くスペースが無くなった。
別の機会に譲る。