名古屋市が「なごや平和の日」(仮称)の制定についてのパブリックコメントを募集している。(12月12日まで)
以下の意見を送りました。
名古屋空襲を語り継ぎ、戦争の記憶を風化させないことは貴重なことであると考えます。特に今制定されようとしている「なごや平和の日」を5月14日に定められた意義は、資料にもある通り、数年にわたり63回もの空襲を受けた中でも、1945年5月14日の空襲はB-29爆撃機440機による最大規模の爆撃であり、死者338名、被災者66,585人、被災家屋21,905棟という甚大な被害をもたらし、その中には当時国宝であった名古屋城まで含まれていたという象徴的な日であったからでしょう。
戦国の末期に建てられ、江戸時代、幕末の戦乱においても戦争や災害に巻き込まれることなく、永く尾張徳川家の象徴であった名古屋城は、名古屋市民の誇りであり魂の拠り所でありました。それが失われた事実は、名古屋市民にとって誠に重いものであったと忍ばれます。
そうした意味からも、5月14日を「なごや平和の日」として、名古屋大空襲を語り継ぐ事には意義があると思います。
歴史を胸に刻み、その教訓を糧とする事は重要な行為です。記憶から学ぶことができるからこそ、ヒトはヒトであるとも言えます。
昨今、名古屋城天守を木造で建て替え、「史実に忠実な復元を行う」などという意見を耳にしますが、こうした行為は名古屋城の歴史的事実を正確に反映した行為とは思えません。名古屋城の歴史は1612年天守が完成し、1945年戦災で焼失し、1959年に当時の名古屋市民の力で近代建築として外観復元されたもので、それが正しい歴史であり、史実に忠実な建物とは、まさに現存する名古屋城天守こそがそれで、正しい歴史を体現する建物であります。それを碌な議論もなく取り壊し、内部構造、木組みに関する資料もないものを(飛騨の匠の関わった木造建築の粋は、その内部構造にあります)、写真や矛盾を内包する実測図から適当に推測し、木造化して、選択的に慶長期の姿、または宝暦期の姿として再現する行為は、何よりも1945年に起きた悲しい歴史的事実から目を背ける行為であり、幼稚な歴史修正主義であります。
鉄筋コンクリートで造られた名古屋城天守を訪れた者は、或いは落胆するかもしれません。しかし、木造のオリジナルが失われた事情を知ることで、戦争の悲惨を思い、外観復元された事実を知ることにより、より一層名古屋市民が名古屋城にかける気持ち、歴史を受け止め、先人たちの事跡を尊重する心が想起されるのではないでしょうか。
そうした先人の残したものを軽々しく破壊する行為は、また、後世の人々により、我々の行いも軽んじられると知るべきです。
5月14日を「なごや平和の日」とし、歴史を正しく伝える現存する名古屋城天守を有形文化財として登録することで、戦争の悲惨、名古屋市民が名古屋城に思う気持ちを永く後世に伝えましょう。
ところで、「愛知県民の日」(11月)に対抗して、名古屋だけ5月に休日を設けるような話も聞きますが。今ですら新入社員、新入生が「5月病」になる原因の一つと言われる5月の連休を増やすようなことは止めていただきたい。
私も、新入社員に講義をしていて、5月の連休明けに、それまでの苦労が水の泡になったことがよくある。
11月のシルバーウィークを充実させたほうが良い。
5月の「なごや平和の日」制定には賛成だが、休日は11月の「愛知県民の日」に合わせるべきだ。
「名古屋は愛知県の植民地じゃない」などと私怨に任せて口走っている子どもがいるが、
「名古屋市民は、市長の奴隷ではない」と言っておく。