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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

2年8か月ぶりの市民説明会(2)

今年の2月に名古屋市は名古屋城天守木造化事業に関する市民説明会を2年8か月ぶりに開いたわけだが、その内容は酷いものだった。市民の疑問に応えるようなものではなく、名古屋市当局のスケジュールの都合で行われた説明会といってよく、それは差別発言の検証報告で批判された「スケジュールありき」の在り方そのものであり、名古屋市はその批判された在り方を繰り返している。

私は木造化事業には、バリアフリー以外に3つの大きなハードルが横たわっていると思っており、その3つのハードルについては、この説明会では全く説明がなされていなかった。前回のブログ

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

を見ていただければ分かるように、簡単な質問にさえまともに応えていない。「できていない」なら「できていない」と言えばいいし「判らない」なら「判らない」と認めればいい。

笑ってしまうのは、事前質問の1-15「避難計画についても、情報開示を求められれば市民に事実を示すべきではないのか」に対する回答だ。

「防災・避難計画については、(略)事業者の技術上のノウハウに関する情報を含むことから一部非公開としていますが」と回答している。

1-15

一部非公開?

http://www.nagoya.ombudsman.jp/castle/200318-2.pdf

この黒塗りが「一部非公開」と言えるのだろうか。

名古屋城天守木造化事業を行うにあたり名古屋市が竹中工務店と結んだ「名古屋市観光文化交流局名古屋城総合事務所業務委託契約約款」というものがある。

https://app.box.com/s/ff3ykt80mtkbmfcvoo27khekujr296id/file/775761926730

この第5条の2には「発注者(名古屋市)は、成果品が著作物に該当するとしないとにかかわらず、当該成果品の内容を受注者(竹中工務店)の承諾なく自由に公表することができ」とされている。

ましてやすでに名古屋市の著作物としてクレジットされ、避難経路という来場者にとって知らされて当然の情報について、何を隠す必要があるのだろうか?隠しているのは避難路が一つしかなく、それに代替する対応などしていないという名古屋市の怠慢なのではないのか?

名古屋市は「二方向避難路の不在」について問い合わせがくると、「防災対策というのはハード、ソフトを総合して成立させるものです」などと説明しているようだ。つまり、法に定められ、安全対策として当然必要な二方向避難路が確保できなくても、他のハード要件、またはソフト要件を代替措置として来場者の安全ははかられていると言いたいのだろう。

こんな文書がある。
「歴史的建築物の活用に向けた条例整備ガイドライン 平成30年3月 国土交通省住宅局建築指導課」

https://www.mlit.go.jp/common/001244018.pdf

この文書は歴史的建築物に対する適用除外を受けようとして条例制定を行う際の事例などを国土交通省が示したもので、文書自体は3条3項(名古屋城木造天守の場合は4項)を想定しているものなのでズバリとは言えないかもしれないが、様々な事例が示されている。

「6.代替措置等について」では「歴史的建築物の保存及び活用を踏まえつつ、ハード対策に限らず、ソフト対策も含め、個々の建築物に適した方法で代替措置を講じることとなる」と書かれている。まさに名古屋市の説明と軌を一にしている。

ということで「(3)先行事例から見た代替措置の内容」の「②防火・避難規定に関連する代替措置」を見ると「ハード対策では対象建築物の用途や規模に応じた措置が講じられている。また、ソフト対策の場合は、適切に維持管理が行われることを担保するための措置が条例や保存活用計画において求められている」と解説されている。

ハードというのは対象建築物の物理的側面での代替措置。ソフトというのは仕組みやルールなど非物理的な代替措置であることがわかる。

そして「 ●防火・避難規定に関連する代替措置の例」として具体的な事例が示される。

ハード対策:消火器やスプリンクラーなどの消防用設備等の設置、非常用の照明装置の設置や二方向避難の確保など。
ソフト対策:火気使用箇所の限定、警備員等を配置した避難誘導、立入制限 など。

はい、出てきました「二方向避難の確保」

しかし、ここで注目していただきたいのは、ハード対策としての代替措置として、「二方向避難の確保」が例示されているのであって、「二方向避難路」の確保ができないことの代替措置として何かが行われているなどとする例は文書全体を読んでみても見つからない。

不燃性の建材を使うとか、排煙や発生ガスの抑制などというハード条件を変更できない代替措置として、早く燃えてしまったり、煙が大量に出たとしても避難路が多重化され、迅速に退避ができれば安全は確保できますという事だ。

ほかでもない名古屋城の本丸御殿でも、発災時には「襖をぶち破って逃げればそのまま外に出られる」と言われているそうだ。平屋であれば言えることで、多層構造の建築物ではこうは言えない。

「ハード、ソフトの代替措置」に「二方向避難路」はあるが、
「二方向避難路」の代替措置はない。

二方向避難路を代替する「ハード、ソフトの代替措置」とは具体的に何か?名古屋市にはちゃんと示す義務があるだろう。

火災というものは、誰も起こそうとは思わない。
火災に遭った建築物はすべて火災予防に気を配っていた。延焼を遅らせても、排煙を心がけても避難路の多重化は代替できない!

人命にかかわる話で詭弁を弄するな。
その場しのぎの説明が、最終的に人の命を奪うことを知るべきだ。

これが3つのハードルのうちの一つ「二方向避難路の不在」だ。

二つ目のハードルは「収支計画」だ。

そもそも名古屋市は「名古屋城天守木造化は独立採算で行い、市民に負担をかけない」と説明してきた。それどころか「儲かる施設」と煽動してきた。

こういった言葉を真に受ける人々を利用してきたと言ってよい。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

現在の事業費は505億円とされているが、木造建築物として当然必要な維持管理費が過小評価されている。比較対象となる姫路城では、約50年ごとに30億円規模の大改修が必要だ。木造化名古屋城の床面積は姫路城の2.5倍と言われているにもかかわらず、名古屋市の収支計画に計上されている維持管理費はわずか30億円でしかない。

名古屋市が公表している「資料紹介 名古屋城天守宝暦大修理関係史料と『仕様之大法』」との文章によれば、慶長17年(1612)の完成から元文5年(1740)までの128年間に13回の改修が記録されている。

https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/center/uploads/026651afe7f399b285294d0453d1ea54_1.pdf

さらに宝暦二年(1752)から五年(1755)にかけては有名な「宝暦の大修理」が行われている。

平成30年の505億円という枠に収まるのだろうか。

そしてこのシミュレーションでもっとも非現実的なのは、50年以上にわたり320万人以上が来場するという想定だ。このシミュレーションの来場者推移を予測する根拠とされた「国立社会保障人口問題研究所の全国の将来人口推計」は2065年までの推計値しか示していない。このシミュレーションにおける以降の来場者推計には人口推計の根拠は無いという事になる。

そして昨年11月22日に広沢一郎名古屋市長は読売新聞のインタビューに答えて「もう一回見積もり直さないといけない」と発言している。

505億円のフレームを超えるのであれば市民や議会に民意を問わなければならないだろう。

事業費が拡大して「入場料収入の値上げで賄う」などと言ってみても、それで収支がバランスする保証があるのだろうか。

日本社会はインフレが昂進している。各地の戦争や円安の結果様々なモノの値段が上がっている。さきほど日銀が政策金利を上げるとの報道もあった。記憶に新しいのは名鉄が名古屋駅における開発計画を停止したことだ。ビルを一個壊し、デパートの営業を止めているにも拘らず開発計画を見合わせるのはすごい決断だろう。

経済が過熱している(インフレ基調)時には地方自治体は開発計画を断念して、市中経済の過熱を収めなければならないだろう。ましてやリチャード・クー氏も言っているように「将来の国民の負担にならない公共事業プロジェクトを見つけ出す」べきで、維持費の高い、またはランニングコストのかかる、公共事業は行うべきではない。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

なぜ、維持管理費の安価な鉄骨鉄筋コンクリートの建物を、毎年毎年維持管理費のかかる木造建築に替えるのか。民間企業の経営者なら絶対にやらない事だろう。(河村前市長は民間企業の経営を碌にやったことは無い。河村商事も、河村画廊も)

つまり、収支計画を見直せば、計画は破綻、とん挫することは目に見えている。ここにアジア大会の費用と木曽川導水路の事業費がのしかかってくる(木曽川導水路事業の費用が拡大したのも河村前市長の判断の遅れが原因だ)。冗費にかかずらわっている場合ではない。

名古屋城天守木造化事業は早晩破綻する。その責任はいつにかかって河村たかし前市長にある。にもかかわらず、あたかもバリアフリー問題によって名古屋城天守木造化がとん挫したかのように喧伝するとすれば、それは虚偽であり、バリアフリーを求めた人たちに責任を負わせる卑劣な世論誘導と言わなければならない。

バリアフリーの未成立を理由として文化庁が事業の基本計画書の受け取りを拒否すれば、河村氏は「文化庁は貴重な名古屋城本物復元の価値がわかっていない」などと騒ぎ立てるつもりなんだろう。これは事情を知らないものを煽動するデマだ。

そして独立採算の財政フレームが破綻すれば「なぜ愛知県や国は、名古屋城の本物復元の価値を認めて予算を付けないのか」と騒ぐ。これも河村前市長のこれまでの言動を考えれば全く説得力に欠ける主張だ。

事情を知れば、これも嘘で無責任な他責思想だと判る。行政の責任者であれば、最小の費用で最大の効果を上げるというのが、法の要請する職責(地方自治法第2条14項)であって、河村前市長がそのような意図をもって行動したとは言えない。

バリアフリーと「本物復元」という価値観は対立していない。
河村前市長がでっち上げているだけだ。

そもそも河村前市長が市長として策定した当事業の要求水準はユニバーサルデザインが条件となっており、現代の公共建築物がこの条件を無視して成立するわけがない。これを無視するというのは前近代的な見識だ。

www.chunichi.co.jp

河村・井沢文書では

(略)
推測に頼らず往時の姿を再現できる
(略)
本事業の最大の価値は 「完全復元」にあり、現代設備の導入はその真正性を損なう可能性があります
(略)
文化財の保存や安全確保に必要な防災設備・電気設備等は適切に整備されるべきですが、昇降機等の設備については慎重な判断が必要です

などとしているが、名古屋城天守には内部構造図は無い。名古屋市が「内部構造図」と言っているのは昭和実測図などで、それが外部からの観察をもとに柱や梁の配置などを示しただけで、そうした部材がどのような構造で組まれているか。伝統的な木造軸組工法の精華である継手や仕口といったノウハウについては、完全に失われてしまっている。

今次計画では、こうした柱や梁を接合金物で繋ぎ、壁には耐震ダンパーも入れるとしている。「本物復元」と言いながら「防災設備・電気設備等は適切に整備されるべき」と、自分たちの利便性については要求し「昇降機等の設備については慎重な判断が必要です」などと選別する態度は、幼稚で利己的というほかない。

このような低い見識を容れて木造復元がなされ、その財政負担が後世にのしかかるなら、未来の名古屋市民からこう言われるだろう。

「令和の名古屋市民はいかに愚かだったのか」と。



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一月に一回程度、「名古屋城の有形文化財登録を求める会」の月例会を開いています。

次回:     6月20日(土)
        午後2時00分
        市政資料館 第1集会室
名古屋市市政資料館 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」


2年8か月ぶりの市民説明会(補足)

ちなみに私が提出した事前質問事項を以下に掲載します。

名古屋市は質問にすべて答えると言っておりましたが
この質問事項、および回答はどこに掲示されているのでしょうか?

追記:
一応「回答」は掲載しているつもりらしい。
しかし、質問の趣旨は全く捉えられていない。
「回答」はごまかしでしかない。

https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/save/tenshu_information/uploads/c8503baa161dccc6945bad077b54fa00.pdf

当該部分のスクリーンショットを掲載し、
必要に応じてコメントや参考資料を示す。


名古屋城天守閣整備事業 市民説明会 事前質問事項

名古屋市北区大曽根●●●●●●●●●●●●●
森   晃
令和8年1月30日

1.「史実に忠実な復元」と「バリアフリー」の両立について

 名古屋市は昇降技術の実験施設として、総工費約9千万円をかけて階段体験施設「ステップなごや」を開設し、「史実に忠実な復元とバリアフリーの両立を目指し、昇降技術を世界中から募り、実用化して木造天守へ導入することを目的とします」(※1)として、開発契約費8千万円、導入契約費2億円(※2)を示し、昇降技術を公募し、2022年に優秀提案者を選定した。
 その提案においても結局「史実に忠実な復元」と法の要請する「バリアフリー」の両立は叶わなかった。
 すなわち現代社会の技術力ではこの両者の要望を両立させることはできないと判明したのであり、名古屋市は多額の費用をかけて判明したこの事実を受け入れなければならない。
 他方近年、米国や中国などでは人間型ロボットの開発が盛んに行われ、そうした中で多脚型の歩行支援機器も実現化されている。数年後には車椅子の代わりにこうした歩行支援機によって、足の不自由な人でも史実に示されたような急峻な階段を安全に昇り降りできる機器が完成し、今回の昇降技術を公募では成しえなかった両者の要望を叶えられるかもしれない。
 本事業が歴史的に意義があり、文化的にも重要な建築物の復元であるというのであれば、慌てる必要はなく、こうした技術が完成し、それらが十分信頼性を獲得してから、本事業に組み入れればよいだけのことで、いま、中途半端な結論を出す必要はない。
 つまり、2022年の昇降技術公募における優秀提案は「史実に忠実な復元」と法の要請する「バリアフリー」の両立を満たしていないことを認め、早晩、そうした技術が完成するまで名古屋城天守閣整備事業を延期する考えはないか?
 また、こうした理性的には当然の結論を受け入れず、現在の中途半端な技術によって、「史実に忠実な復元」についても妥協し、「バリアフリー」の要請にも満足に応えないとした場合、そのように急がなければならない理由とは何であるのか、お示し願いたい。

※1 …「名古屋城木造天守の昇降技術に関する公募の実施について」(2022年4月18日)より
※2 …「名古屋城木造天守閣の昇降に関する公募 公募要領」(2022年7月)より

1-9

2.起点の問題

 今回この市民説明会を開くにあたって、名古屋市が事前に示した「名古屋城天守閣整備事業の進め方に係る総括について」(以下、「総括」という)を改めて読み返してみて、木材保管料の問題や、そもそも議会からの付帯事項を無視して行われた木材購入の問題、2万人アンケートにおける虚言、保存活用計画公表時のパブリックコメント隠蔽問題など、いくつもの欠落があることに不満があるが、そうした中でも特に、本事業の「起点」とも言うべき虚偽について正したい。
 平成26年6月27日に、当時の市長河村たかし氏は名古屋市議会本会議において「鉄筋コンクリートによるもう一回再建は認めないということを文化庁がはっきり言っております(略)もう朽ちたときにはあれは壊さないけません」と述べている。
 まず、この「はっきり言っておる」とする「文化庁」とは誰の発言なのか、明確にされたい。
 そしてこの発言は、6年後の令和2年6月に文化庁より示された「史跡等における歴史的建造物の復元の在り方に関するワーキンググループ」による「取りまとめ」である「鉄筋コンクリート造天守等の老朽化への対応について」(以下、「文化庁取りまとめ」)における「老朽化するRC造天守等は、 今後、木造による再現の可能性の模索や長寿命化措置など、個別の史跡等の事情により 様々な整備方策を執ることが考えられるが、老朽化対策を行う場合には、3.の既存の RC造天守等の役割等も踏まえつつ、4.を参酌し、史跡の活用方策とバランスをとり ながら、メンテナンスを行っていくことが望ましい。 」とする見解と矛盾している。
 文化庁が名古屋市に事実と異なる説明を行ったのか。
 あるいは文化庁が6年の間に見解を変更したのか。
 それとも、市長発言の根拠が誤っていたのか。
 本事業の起点でもあるこの件について、名古屋市の明確な回答をいただきたい。
 また、平成26年の市長見解が事実と異なっているのであれば、そうした誤認から始まった本事業について、現在、名古屋市はどのような見解を持つものか、明確な回答を求める。

1-10

山田まなの所為にしている。
↓ 当該議会議事録

会議録表示

河村は山田の発言を受けておらず、
「それから、天守閣につきましても、よく文化庁に問い合わせされましたけど、これはショッキングな話で、鉄筋コンクリートによるもう一回再建は認めないということを文化庁がはっきり言っております。」

としている。
伝聞であるとするなら、その発言者内容の真実性について名古屋市が担保しないというのであれば、やはり起点から嘘だった。または真実性がなかったといえる。


3.収支計画の見直しについて

 名古屋市は2016年に「名古屋城天守閣木造復元に向けた調査業務」と題された文書を示し、木造復元後2071年度まで入場者数が320万人前後で推移すると想定して、木造復元の費用は入場料収入で賄い得るとしている。
 2019年1月21日付け「一般財団法人 日本建築センター」発出の木造名古屋城天守に対する評定書、その評定書の添付文書として付けられた同日付の「評定報告書」に「在館者密度の制限」が謳われ「大天守の最大同時在館者人数」を「2,500人を上限とする」とされている。
 観光庁の「旅行・観光消費動向調査」などを参照すると、一般の観光施設においては、土日などの休日の来場者数は全体の来場者数の6~7割にのぼる傾向が見られ、320万人の来場者を見込む場合、名古屋城には休日には一日で約2万人程度の来場客を受け入れるということとなる。
 この来場者が上記制限の中で大天守に入場すると、すべての来場者が1時間で昇り降りできたとして、2,500人以上の在館者を受け入れないとなれば、2万人では8時間かかり、現在のような開場時間(9時から16時まで)では受け入れることができません。
 名古屋城の営業時間を修正されるお考えは有るのか。
 または、2016年の収支計画について、再考されるお考えが有るか、ご回答いただきたい。

1-12

復元検討委員会で審議が進むということは、現存天守建物を破壊して、天守台石垣の構造調査を行い、基礎構造を策定して、基本計画を作り直してからとなる。約10年後。竣工期限が再策定され、そこから改めて入場料収入を財源とする収支計画を「皆様にお示しします」として、それがとても受け入れられないものとなった際に、木造天守は建たず、現行天守も既に無いということになるのだろうか。

名古屋市民オンブズマン・タイアップグループ

4.避難計画について

 今回お示しいただいた「名古屋城天守閣事業の進め方について」の「3.事業の流れ」(p.9)の図によると、「防災計画」がすでに確定したかのように描かれている。
 また、有識者会議では確定したとの口頭説明があったと承っている。
 しかし、避難計画については、「垂直昇降設備の開発に至る経緯と技術開発等の状況」の中で「(ウ) 建物側の技術検討の状況」として「現在、観覧計画及び構造計画の検討や、避難誘導方法など防災計画の見直しを進めている」とされてているのみで、全体的な避難路、避難計画等については何も示されていない。
 4-1.現在策定されている範囲で、避難路、避難計画をお示し願いたい。
 4-2.その避難計画に対する名古屋市消防長の見解をお示し願いたい。
 有識者会議等の議事録によれば、上記のような来場者制限のために大天守来場者は靴を脱いでスリッパを使うこととなっていると伺っている。そして火災発生時には来場者は瓦屋根に設けられた誘導路を伝ってはしご車の籠まで歩いて避難することとなっているらしい。天守5階の屋根の高さは天守台石垣を含むと約55m(18階建てのビルに相当)となっている。そのような高さの屋根をスリッパ履きの一般入場者が安全に歩くことができるのか。そのような避難計画が承認されているのか、消防長の見解をお伺いしたい。

1-13,1-14,1-15

「防災・避難計画については(略)事業者の技術上のノウハウに関する情報を含むことから一部非公開としていますが」

「一部非公開」?

http://www.nagoya.ombudsman.jp/castle/200318-2.pdf

5.建築基準法との整合性の問題

 この度の名古屋城天守閣整備事業は、高層木造建築の作成であり、現行の建築基準法とは合致しない。そこで名古屋市は同法三条の「適用の除外」によって建築基準法との不整合を回避するとしているが、同条項は無条件に建築基準法の「適用の除外」を認めているわけではなく、建築物の安全性については「建築審査会の同意を得」ることを求めている。
 さて、今回お示しいただいた「名古屋城天守閣事業の進め方について」の「3.事業の流れ」(p.9)の図にはこの「建築審査会」の同意について触れられていない。
 5-1.「建築審査会の同意」については、この図中、どこに入るかお示し願いたい。
 また、この「建築審査会」と呼ばれるものは、特定行政庁である名古屋市にもあっては「住宅都市局 建築指導部 建築指導課」がその所管であると理解するところですが、本事業に対する名古屋市の説明の中で、現在まで、この「建築審査会」または「住宅都市局」の見解を伺ったことがない。
 5-2.「建築審査会」または「住宅都市局」の当該事業に対する見解をお示しください。

1-16

「現状変更許可を取得した後建築審査会の同意」?? 
順序が逆?
すでに現存天守は失われている。

そして、5-2に関しては回答無し。

「(4) 市民等への丁寧な説明と理解促進・機運醸成」とはこの姿のこと?


6.説明会の在り方(意見、その1)

 「総括」を読むと、その中で繰り返し繰り返し指摘され、反省とともに改善すべき事柄として上げられているのが「スケジュールありきの中で、様々な事柄が正当な考慮をされずにいた」という事であろうと思います。
 しかし、以上に述べた通り様々な問題、違法性。市民に対する説明の不足、情報開示の不徹底。さらに議会への軽視。すなわち民主的手続きの欠落が見られる。
 そして今、このような形で名古屋市が一方的に論点を定めて「市民説明会」とすることは、放置されてきた様々な問題点を押し隠し、名古屋城天守を木造化しようとする、まさに「スケジュールありき」の一方的な姿勢ではないのか。
 そうした意味で、名古屋市は「総括」において指摘された問題点を何等理解していないし、反省もしていない。そして改善しようともしていないと解釈する以外無い。
 上記 1 で述べた通り、
 「史実に忠実な復元」と「バリアフリー」が現在の技術では両立できないことを認め、将来こうした条件が整うまで、本事業を停止すべきであり、停止できないのだとするならば、その理由を市民に対して明示すべきだ。
 また、2 にあるように、
 平成26年6月27日の市長発言における文化庁の見解は誰の発言か明確にする責務があり、それが虚偽であるのなら本事業を停止するか、本事業は虚偽の発言によって始まったという事を市民に広く伝えるべきである。
 起点となる発言の虚偽性を隠蔽したまま進められる本事業は、その虚偽性を払拭などできない。歴史的評価に耐えられないことを知るべきである。
 そして 3 で述べたように、
 名古屋市が、木造復元後も今後50年間にわたり年間320万人の来場者が継続すると想定しているのであれば、その来場者を在館者密度2,500人という厳しい制限のもとで安全かつ円滑に受け入れられると本当に考えているのか、明確な説明が求められる。
 この来場者想定や運用計画に、事実と異なる前提や不正確な説明が含まれていないかを確認すべきである。もし不正確な説明が積み重ねられてきたのであれば、それは本事業の起点にある誤った情報を覆い隠すために生じたものではないかという疑念を招く。
 名古屋市は、これまでの説明に誤りがあったのであれば率直に認め、市民に対して謝罪し、事実に基づいた正確な説明を行うべきである。誤った説明を重ねても事実が変わることはなく、隠蔽や取り繕いを続ければ、最終的にはその負担が職員に重くのしかかることを自覚すべきだ。
 避難計画についても、情報開示を求められればすべての黒塗りを取り払い、市民に事実を示すべきではないのか。
 また、「建築審査会」または「住宅都市局」の見解を仰ぎ、建築物の最も重要な要件である安全性について、開かれた議論を展開するべきだ。
 尾張名古屋の象徴である名古屋城天守を本事業によって木造し、その後に、火災や地震などの災害に見舞われ、万が一人命に関わる事態が生じた場合、その時点で本事業が民主的かつ合法的な手続きを欠いたまま進められていたとすれば、その責任はどこに帰するのか。適切な手続きと安全性の検証を経ないまま事業を推進することは、将来の重大な事故に対する説明責任を著しく困難にする。
 1610年の清洲越し以来、約400年にわたり尾張名古屋の誇りとして存在してきた名古屋城が、もし安全性を軽視した計画の結果として人命被害を招くようなことがあれば、その歴史的評価は大きく損なわれることを強く懸念する。
 将来の災害を完全に予測することは人知の及ぶところではない。しかし、だからこそ法律が存在し、長年にわたり蓄積されてきた建築技術と安全基準がある。これらを軽視し、「スケジュールありき」「木造化ありき」で無責任に計画を進めるのであれば、その結果として生じる事態は、名古屋市としても名古屋市民としても到底受け入れがたいものとなり、後から説明や釈明が不可能な状況を招きかねない。
 今、表面的なごまかしや取り繕いに終始するのではなく。本事業は高層建築物の建設であるという、明らかに明白な事実に立ち返り、来場者の安全を預かるという重い責務を担っている事を再確認し、法と事実に即した計画推進を行う責任があることを自覚すべきである。

7.説明会の在り方(意見、その2)

 「文化芸術基本法」という法律がある。
 その第二条に 「3 文化芸術に関する施策の推進に当たっては、文化芸術を創造し、享受することが人々の生まれながらの権利であることに鑑み、国民がその年齢、障害の有無、経済的な状況又は居住する地域にかかわらず等しく、文化芸術を鑑賞し、これに参加し、又はこれを創造することができるような環境の整備が図られなければならない。」とあり。
「6 文化芸術に関する施策の推進に当たっては、地域の人々により主体的に文化芸術活動が行われるよう配慮するとともに、各地域の歴史、風土等を反映した特色ある文化芸術の発展が図られなければならない。」とある。
 また、「総括」の「推進ポリシー」には「推進ポリシーは、職員だけでなく市民等に対して提示し共有する」とあり、「様々な機会を捉え、議論を尽くし、市内部の認識を一致させた上で、事業を推進する」とある。
 はたして、今回の市民説明会はそのポリシーに準じているだろうか。 「文化芸術基本法」の律法の趣旨に適っているだろうか。
  「文化芸術基本法」には、「文化芸術により生み出される様々な価値を生かして、これまで培われてきた伝統的な文化芸術を継承し、発展させるとともに、独創性のある新たな文化芸術の創造を促進することは、我々に課された緊要な課題となっている。」と謳われている。
 名古屋城天守は昭和三十四年に、当時の名古屋市民、我々の父や母が、現在の形で復元したものである。果たしてこの十数年間行われた本事業の議論の中で、こうした先人たちが残し「培われてきた伝統的な文化芸術を継承」する議論が行われてきただろうか。現在、厳然と眼前にある価値を認めないまま、新たな文化的価値を生み出すことができるだろうか。我々が、先人たちの残した文化を軽んじるのであれば、我々の創造した事物もまた、後世の者たちから軽んじられると知るべきだろう。
 大いに反省すべきである。
 「総括」の「推進ポリシー」には「⑥ 観覧者等の防災上の安全を確保した整備基本計画とする」とあり「⑦ 天守閣整備事業に係る市民等の理解促進と機運醸成、現天守閣の価値の継承に取り組む」とある。
 名古屋市当局において見落としたものが多々あり、誤解があることを再認識し、名古屋市当局から市民に一方的に説明、教示するという狭隘な管見から脱却し、市民との徹底した対話の中にこそ、事実があり、民意がある事を、もっと深い反省と、謙虚な態度で受け止め。徹底した情報の開示と、ごまかしのない事実に基づいて、再度、市民説明会を開催すべきである。


以上

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一月に一回程度、「名古屋城の有形文化財登録を求める会」の月例会を開いています。

次回:     6月20日(土)
        午後2時00分
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2年8か月ぶりの市民説明会(1)

名古屋市はこの2月に名古屋城天守木造化事業についての「市民説明会」を開いた。実に2年8か月ぶりの市民説明会だった。

www.nagoyajo.city.nagoya.jp

こちらでその模様が報告されている。
この「市民説明会」について、評価しろと言われれば「カス」の一言となる。

そもそも名古屋城天守木造化事業は、すでに行き詰まりを見せている。
重大な問題が三点ほど横たわっているにもかかわらず、驚くべきことに、これら三点について市民説明会で議論されることは一度もなかった。
もう一度強調する。
近い将来、名古屋城天守木造化事業を直撃するであろう重大な問題について、この市民説明会で名古屋市が説明する場面はまったく無かった。
名古屋市当局が本当に問題を認識していないのか、それとも意図的に語らず、事実を覆い隠そうとしているのか。
こうした前提の時点で、すでに名古屋市は大きく外れている。
そのうえ、説明会の運営もお世辞にも良いとは言えず、まさに「カス」と言わざるを得ない内容だった。


最も酷いのは「後出しじゃんけん」だ。
頭の悪い子供のように、ルールを後から継ぎ足してくる。

この市民説明会の間、参加者市民からの質問であるとか意見表明は受け付けられなかった。これは前回の「討論会」において、無責任で見識の低い市民に勝手な意見をしゃべらせていたら、身障者に対する酷い差別発言を行う事態が発生したために、「羹に懲りて膾を吹く」のたとえのように、用心をしたという事で、一定の理解はする。

その代わり、一通りの説明の後に会場の後ろにブースを設けて、個別に質問を受け付けると発表されていた。

私は伺いたいことがいくつもあったので重たいA4キングジムのバインダーを抱えて、参加していたわけだが、この質問受付が始まる直前に「質問時間は3分以内で」と来た。

こんな制限を付けるのであれば最初から言え。こんなに重い資料を持ってこなくても済んだ。

実際に1番にブースに入って質問の前提を説明していたら、その説明だけで3分は過ぎてしまった。市の担当者がブースから出ろという。次の質問者に譲れと。私は不当であると、この「3分」などのルールは事前に説明もなかったし、とても質問に答えられる時間ではない。

2番で待っていた顔なじみのジャーナリストの方が、私が当局とこの質問時間について議論しているのを見ていて「まだ時間がかかりそうなら、先に私に質問させてもらって良いですか」と聞いてきたのでとりあえず資料をまとめて引き上げ、当局に対してブース外で「質問をさせろ」「不当だろう」と交渉を続けていた。

ここで名古屋市の職員が私を取り囲み「3分以内です」「会場の都合もありますから」などと口々に排除しようとした。記憶では最大8人ぐらいに取り囲まれた。

8人ほどの人間に取り囲まれて口々に反論されていては、こちらも声が大きくなる。のちに「大きな声を立てないでください」と、あたかも私がクレイマーであるかのように扱われたわけだが、大きな声を出されたくなければ、不当な後出しルールなど付けなければいいし、多数で取り囲んで口々に反論すような事もしなければいい。

名古屋市当局が本当に市民の質問に真摯に向き合おうという姿勢があるのであれば、3分ルールなど付けるべきではないだろうし、付けるのなら事前に告知するべきだ。

そして、ブースを3分で明け渡すとしても、私はちゃんと質問事項を整理して資料も持ち込んで説明をしているのだから、ブースとは別にこの質問事項に2~3人当たらせれば良かったのではないのか。実際に8人ほど取り囲む人員は居たのだから。その場で回答できないにしても、私の質問事項をヒアリングして後日回答するぐらいのことは誰でもできるだろう。

そういった対応をせず、形だけブースで3分間「お伺い」をして、市民説明会は平穏に終了したとしたい。そうした魂胆が透けて見える。

私が「カス」といった理由もご理解いただけるだろうか。

市民説明会として「カス」だった。説明会というのだから、市民からの疑問に対して、応えなければならないだろう。
名古屋市はこの市民説明会の開催の前に事前質問を募っていた。
この事前質問には必ず回答を行う。そして質問事項と回答は公表するとしていた。さて、


https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/save/tenshu_information/2026/04/20260406_4861.html


判ります?
どこにその募った質問があり、回答があるか?

「市民説明会当日アンケート(ウェブアンケート)」
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/save/tenshu_information/uploads/ca918cf37c0d366e4243189b06e76f75.pdf

の先にあります。

「市民説明会当日アンケート」では何のことやら判らない。
「市民から寄せられた事前質問、及び回答」ぐらい書けばまだしも。
で、この内容も酷い。私の質問も換骨堕胎されて重要な論点に対して応えられていない。まあいい。応えるに答えられない問題については、こうやってごまかして無かったかのような顔をしていればいい。そうやって問題を隠ぺいしようとしても、結局はどこかの段階で、その「事実」に向き合わなければならないのは当の名古屋市だ。

ここでは深く追求しない。上で私は「大きな問題が3点ほど横たわっている」と書いたが、ここでも2点だけしか書かない。1点については敢えて書かずにおく。もうしばらくすれば大きな問題となりそうだが、その時になって対応策を練られればいい。

さて、この大きな問題のうちの1つはすでに当ブログでも何回も指摘している問題であって「二方向避難路が存在しない」という問題だ。

「市民説明会当日アンケート(ウェブアンケート)」の中では、PDFとして p.14 質問の1-2,1-3で取り上げられている。それをそのまま引用させてもらおう。

質問1-2,1-3

1-2では「避難路の二重化」に対して、実際は対策などせず、「第三者の評定を取得し、安全性を確認している」と回答している。二方向避難路は確保しないつもりのようだ。
1-3を見ると「消防局」は二方向避難路について、まったく問題としていないようだ。これが事実ならば重大な回答だろうと思うが名古屋市消防局としては、観光文化交流局がこんな回答をしていることを容認するのだろうか。


名古屋市の既存の資料を引いておきましょう。

「特別史跡名古屋城跡木造天守整備基本計画(案)」
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/save/tenshu_information/uploads/92fbe410abef7d7aa02ccb663ef3be7b.pdf

第8章 復元計画と活用

③ 防災・避難計画
連立式天守である名古屋城天守は、小天守のみが直接地上に通じる構成であるため、大天守、小天守を一体的にみなした防災・避難計画とし、復元原案への防災・避難設備の付加により、観覧者の安全を確保する
既に第三者機関である一般財団法人日本建築センター(BCJ)及び消防設備安全センタ-の審査を受け、評定書が発行された防災・避難計画の概要を以下に示す。


ア防災・避難計画の基本的な考え方


復元原案では以下の防災・避難上の課題がある。


・ 外部からの火熱には外壁が漆喰塗の大壁、屋根が本瓦及び銅瓦葺きであるため、ある程度の延焼防止・遅延効果が期待できるが、内部の火災による煙の流動抑制、延焼防止効果が弱い。


・ 内部及び外部への避難ルートが限られている。大天守からの避難経路は、橋台・小天守地階を経由して、地上へと避難する経路1ヶ所のみとなる。

「整備基本計画(案)」の中でも「日本建築センター」が「大天守からの避難経路は、橋台・小天守地階を経由して、地上へと避難する経路1ヶ所のみとなる」と課題である事は明記されている。

これに対して名古屋市はこう続ける。

上記課題に対し次の対策1~4を講じ、対策の効果を避難計算等により検証し、観覧者が安全に避難できることを確認した。


■対策1 避難安全性の確保
現存・復元天守には入場する人数に上限を設けることによって安全性を担保している例もあるが、名古屋城天守は規模が大きく多数の入場者も見込まれることもあり、3階から4階の間に階段を1ヶ所付加する。なお、4階から5階へは史実に忠実な意匠を確保するため階段の付加はせず、係員による厳格な入場制限を行い避難可能人数を超えないようにする。ただし、4階から5階へは表階段1ヶ所のみであることから、5階入側に救助袋式避難ハッチを設置し下階への二方向の避難経路を確保する。また、小天守も入場制限を行い、避難可能人数を超えないようにする。


■対策2 出火防止・初期消火
木造天守であるため復元原案のままでは出火すれば火災が制御できないほど大きくなる恐れがある。対策として、大・小天守各所に煙感知器等を配して火災の早期発見に努めるほか、開館時間には、適所に係員と消火器・屋内消
火栓を配置し、また夜間や休業日にはITV(監視カメラ)による遠隔からの監視を行い、火災の早期発見に努める。このほか、スプリンクラーや屋内消火栓等を付加して初期消火及び火災の制御を図る。


■対策3 火災被害拡大防止
姫路城と同程度の対策1、対策2だけでは火災時にスプリンクラーが作動しても、発生する煙が避難や救助に支障を及ぼすことが十分に考えられる。そのため、史実に忠実な意匠に配慮しながら、蓄煙や自然排煙を行う。


■対策4 安全な避難経路の確保
階段は、火災時に煙の拡散経路にもなることから、大天守北東部にある階段のある部屋と、それ以外の部屋や入側を、板壁や板戸もしくは感知器連動で自動閉鎖する建具を付加することによって、煙に汚染されない避難経路を確
保する。

この対策1~4の中に「大天守からの避難経路は、橋台・小天守地階を経由して、地上へと避難する経路1ヶ所のみとなる。」との指摘に対応する対策はどれになるのだろうか?

特に、大天守地階の出入り口から橋台、小天守及び地上に至る通路はどうあがいても一つしかない。大天守から橋台に続く通路には巨大な敷居材があり、出入り口は小さい。名古屋市はそこにバリアフリー対策で車いす用のスロープを設置するという案も提示している。

また、橋台を伝って電力線を置く以外に大天守に電力を供給する方法は無いのだから。この大天守出入り口の直近に電力を賄う機材も置かれる事だろう。それが出火場所にならないという保証はどこにもない。大天守出入口付近から出火した場合、来場者はどうやって避難すればいいのだろうか?

ちなみに、こちらが一般財団法人日本建築センター(BCJ)の評定書だ。

名古屋市民オンブズマンが情報公開請求を行って開示された文書となる。

http://www.nagoya.ombudsman.jp/castle/200318-2.pdf

評定書自体にも「下記7.に示す前提の下に妥当なものと判断します」とされている。

その下記「7.評定の前提」の「1)避難計画・煙制御 1-1在館者密度の制限」では「大天守の最大同時在館人数:2500人を上限とする」と制限が加えられている。(それにしても、火災発生時に2500人が、あの大天守出入り口に殺到する模様は想像するだけで恐ろしい)

さて問題となる「1-2安全な避難経路の確保」については、黒塗りが多すぎて、ほとんど何が何やらわからない。「整備基本計画(案)」を見ればここに「内部及び外部への避難ルートが限られている。大天守からの避難経路は、橋台・小天守地階を経由して、地上へと避難する経路1ヶ所のみとなる」との指摘があったのだろうと推測できるが、その実態は判らない。

そしてこの開示資料は評定のために提出された「防災計画書」を含んでいるようだが、その実態も黒塗りでまったく正体不明だ。

もう一度、市民説明会への事前質問と、その回答を確認しておこう。

1-2:避難計画の観点が抜けている。避難路の二重化の当局の認識は。

回答:
連立式天守である名古屋城天守は、小天守のみが直接地上に通じる構成であるため、大天守からは小天守を通り外部に避難をすることになります。大天守・小天守を一体的にみなした防災・避難計画とし、復元への防災・避難設備の付加 (スプリンクラーや屋内消火栓、3階~4階への付加階段など)により、観覧者の安全を確保する計画としています。既に防災・避難計画にかかる第三者評定を取得し、安全性を確認している状況でありますが、現在、垂直昇降設備を設置する場合の安全性を確認するものとして、評定の再取得に向けて検討しています。

避難路の二重化、来場者の生命の確保について、何も回答していない。
「カス」と評する以外言葉がない。


ちょっと視点を変えてみよう。

名古屋市当局に報道関係者が「二方向避難路の不在」について問い合わせると、「防災対策というのはハード、ソフトを総合して成立させるものです」などと説明しているようだ。

こんな文書がある。
「歴史的建築物の活用に向けた条例整備ガイドライン 平成30年3月 国土交通省住宅局建築指導課」

https://www.mlit.go.jp/common/001244018.pdf

歴史的建築物の活用に向けた条例整備ガイドライン(表紙)

(次回に続く)


peraichi.com

一月に一回程度、「名古屋城の有形文化財登録を求める会」の月例会を開いています。

次回:     6月20日(土)
        午後2時00分
        市政資料館 第1集会室
名古屋市市政資料館 | 【公式】名古屋市観光情報「名古屋コンシェルジュ」


体現帝国「実験演劇[無限劇の扉]/石を狙え」

久しぶりの投稿となります。
名古屋市政については、ある意味停滞、ある意味安全運航が続いているなという印象です。

The Economist 2026/4/1

"The Economist"が4月に現在の米中関係(というかトランプ政権の迷走を取り上げ)
"NEVER INTERRUPT YOUR ENAMY WHEN HE'S MAKING A MISTAKE"とのナポレオンの名言を引いていましたが、まさにそんな感じ。しばらくは様子を伺うことにします。
今のところ私が口を出さないほうがよい。

このブログについても大きく方向性を変えようとも考えています。

そんな中、早急に皆さんにご紹介したい出来事があり、急遽更新をしています。

当ブログで度々取り上げている、劇団「体現帝国」

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

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劇団「体現帝国」が5月2日(土)、3日(日)、9日(土)、10日(日)と、内田橋の「体現帝国館」で「実験演劇[無限劇の扉]/石を狙え」を上演します。

この作品のゲネプロにお招きいただいて、一足先に拝見しました。

非常に面白い試みです。

今回の「実験演劇[無限劇の扉]/石を狙え」は前回の『見えない青髭公の城』や、そのまた前の『奴婢訓』などの「本公演」とは異なり、「無限劇の扉」の枠内で上演されるものとなっています。『青髭』や『奴婢訓』は「体現帝国本公演」であり、演劇作品として提供されていて、観客としてはそれをそのまま受容するだけで楽しめるように作られている。作りこまれたウェルメイドな作品と言えますが、「実験演劇[無限劇の扉]」ではそれとは異なり様々な意図があり、演劇を鑑賞するだけではない体験が得られる事でしょう。

taigenteikoku.com

体現帝国のホームページから、「実験演劇[無限劇の扉]」の説明を見てみます。

「上質な舞台芸術を実現するためには本公演だけでなく、観客を交えた継続的かつ定期的な実験公演が不可欠だ」として、「創作の過程そのものを舞台として開き、作品を深化させていく」「終わりなき実験のための演劇空間」と定義しています。「観客を交え」「舞台として開き」作品として深化させていくのが[無限劇の扉]であるとしています。

主宰の渡部剛己自身がこちらのインタビューで答えている事によれば。

nagoyatrouper.com

「本公演では商品としての側面から、安全で整った選択が求められますが、『無限劇の扉』では、より攻めた構成や破綻した表現を積極的に選択していきます。言わば、本公演の劣化版というよりは、攻めまくった危険な本公演です。」

つまり、本公演としての安全性を二の次にして、より攻めまくった演出を行い、演劇としての可能性を、その成立の際まで現出させ、演劇の可能性そのものを広げようとする試みであり、さらに「作品について観客も含めた参加者全員での意見交換を行う」などして、さらに作品を追及していく場としている。そういった在り方そのものを「舞台として開き」それを体験する、そこに参加する事までを「実験演劇」としているようです。

そうした意味では、様々な演劇に触れ、一家言ある方も、それとは逆に演劇というものに触れたことが無い方にも楽しめる試みではないかと思います。(ただし、いままで演劇に触れたことない方が、突然体現帝国の『無限劇の扉』なんかに触れたら、びっくりして、ひっくり返って、ドインてなことになってしまうカモネ(って、悟空の大冒険なんて今更誰が知っているのか))


今回の作品ギィ・フォワシィの「石を狙え」の戯曲を読むと、作品自体は短く、ストーリーも非常に単純なものとなっています。「娘が通行人を転ばせ石に頭をぶつけさせる“ゲーム”を仕掛け、紳士たちがそれに巻き込まれていく(体現帝国HPの作品紹介の記述内でネタバレ)」というもので、最初読んだ時には演劇というよりも「コント」なのかという印象を持ちました。

どのような物語なのだろうと考えると、男女の恋の危険性なのかとも受け取れました。娘とそれを取り巻く何人かの紳士のありようかな。または、現代的な持つ者と持たざる者を戯画的に描いたのだろうかとも。

主宰の渡部剛己は「演劇がストーリーやキャラクターのセリフによって、何かを訴えかけるというようなものならば、脚本を配ればいい」と言います。

今回の作品も、私が鑑賞させていただいた範囲でも、すでにこの原作からは想像もできないような世界を展開させていました。まだ拡張させていくのでしょう。

演劇と、戯曲を読む。この両者を並べてみて、演劇は何が違うのか。それは共時態でしょう。不特定多数の者たちが同じ時間同じ場所にいて、そこで共通の(そして少しづつ異なる)体験を踏む。その共時的体験と、差異が演劇鑑賞以前と以後の経験の差異にもなる。

最後にはあなたも「石」を買って帰りたくなるでしょうか。

体現帝国「実験演劇[無限劇の扉]/石を狙え」

体現帝国「実験演劇[無限劇の扉]/石を狙え」
5月2日(土)、3日(日)、9日(土)、10日(日)
午後8時より
内田橋「体現帝国館」
taigenteikoku.stores.jp


劇伴|石を狙え / 作曲:赤木萌絵を聴きながら書きました。
taigenteikoku.stores.jp


最近感じること

 久しぶりのブログでもあり、どこから話そうかと迷うところだけれど、国民民主党山尾志桜里の件から触れてみよう。

 山尾志桜里が来る参議院選挙に国民民主党から立候補することとなり、記者会見を開いたところ、山尾がしばらく前に噂されていたスキャンダルへの追及で会見が混乱し、国民民主党は急遽公認を取り下げ、山尾の出馬も無くなったらしい。

 これを受けて、国民民主党における擁立やその取りやめ手続きが稚拙であると見做されている。そもそも擁立に関して玉木代表が(本人も不倫スキャンダルを抱えているのだろうに)ほとんど勝手に担ぎ出したにもかかわらず(つまり、山尾を担ぎ出せば、自分の乾ききっていない「かさぶた」も剝がされるのは目に見えているというのに)、いざ批判が沸き起こると手を引くという姿はとても見られたものではない。

 また、山尾のスキャンダルについては、それを追及していたマスコミにも問題を感じる。山尾自身は不倫関係については認めていないわけだし、本人が認めていないものを過剰に追及していた感は拭えない。関係者が亡くなっているという報道もあるようだが、その「遺族」の気持ちを代弁して追及する姿勢も異常だ。犯罪などでもマスコミが犯罪被害者やその遺族の立場に立って代弁しているような姿をみかけるが、それは正当な事なんだろうか。被害者という立場を利用しているようにしか見えない。山尾に対する異常なまでの追及を、聖書に記述されている「石打刑」になぞらえた主張も見かけたが、まさに「玉木に対して石を投げた者だけが、山尾にも石を投げなさい」と言いたい気分になる。

 古代ローマの詩人は、大衆統治の要諦を「パンとサーカス」と喝破したが、21世紀を四分の一過ぎても、それは変わらない。いや、水はやすきに流れる。いよいよ社会はそうした愚かしい在り方に落ち着いてきているようだ。ここでいう「サーカス」というのは、円形闘技場の事を言うようで、映画『グラディエーター』などで描かれていた剣闘士は実在し、大衆はその殺し合いに熱狂したという。

 現在の社会で、この「サーカス」はユーチューブなどのSNSということになるのだろう。Tiktok や X(twitter) その他様々なインターネットコンテンツが、人々に刹那的な娯楽を提供している。若い女の子が踊って見せたり、若者がビルの屋上でパルクールをして見せたり(そして、本当に落ちてみたり)まさに命がけの「サーカス」に人々は目を奪われ、時間を奪われていく。そしてそうしたコンテンツの社会波及力を利用して、消費社会は様々な消費財を広告し、その販売代金の一部がコンテンツ会社や出演者に渡される。今までテレビや新聞などの「オールドメディア」が収益を得ていた領域に、一般大衆が徒手空拳で殴りこんできて、その美田を奪っている。

 こうした社会の変貌が様々な歪を見せているが、ここでは2つの側面だけを取り上げてみよう。
 一つは、「オールドメディア」の在り方の話。
 もう一つはそうしたSNS社会が生み出す政治の問題だ。

 私は現在、業務上 Windows11 を使っている。そこにお仕着せで搭載されているウェッブブラウザは Microsoft Edge ということになる。そうなると、起動時には MSN(MicroSoft Network)ニュースが表示される。そこではほどほどのビジネスニュースや外信と、圧倒的な芸能ネタが展開されている。正直誰が誰か、私のようなロートルには見分けがつかないが、おきれいなお嬢さん方や、さわやかな笑顔の若者のクッツイタの離れたのという話題で溢れている。まさに「サーカス」、江戸時代の瓦版や「羽織ゴロ」と変わらない。しかし、少し様相が異なるところがある。記事のタイトル、キャッチは誰々と興味を引くような有名人が、何々をやったというようなトピックなのだが、似たような記事が少しづつ表現を変えて併記されている。記事を読むとその出来事は、どこかのテレビやラジオ番組の上でということになっている。つまり、テレビやラジオなどの番組上に起こったことを記事にする「こたつ記事」だ。呆れるのは、その「こたつ記事」は、最後に「~と、週刊〇〇が報じた」などと、他のメディアのパクリ(これでも報道引用?)であることが多々あることだ。そもそもその有名人が番組の上で何をしようと知った事ではないが、それをこたつ記事に仕立てたメディア報道を、さらに孫引きしているというわけだ。この記事の存在価値は、MSNにタイトルが掲載され、そのタイトルにひかれた読者からページビューが稼げるということだけなんだろう。内容も薄ければ、需要の在り方も薄い。多分、稿料自体は驚くほどの安価なんだろう。その安価に見合うだけの労力で記事は構成されている。それを読む読者は5分もすればその記事の事など忘れてしまうだろう。刹那的な時間つぶし。そうした孫引きサイトが山のように存在する。

 困ったことは、こうした孫引きサイトは記事の内容など保証していない。裏取りなんて面倒なことをしていては採算割れする。「誰々が言った」事は事実なんだから、それを「報道引用」することに問題はないだろうとばかりに量産し、拡散し続ける。彼らにとっては中身など関係ない、サイトに客を引いてページを見てもらい、そのページに掲載した広告を見てもらうことが目的なのだ。他人が傷つこうが、人が死のうがお構いなしだ。

 これは「オールドメディア」においても同じだ。キーマンの発言を裏取りもせずに「誰々の発言」と拡散する。それが事実と遊離していてもメディアは反省もしない。(おかげで、名古屋城の木造化は全く進まないのだろう、メディアがもっとちゃんと検証すれば、事実は明らかとなる)「横のものを縦にして」(役所などのマスコミ発表は横書きが多いので、それを縦書きの新聞記事に仕立てることをこう言う)いるだけの「オールドメディア」は、上記の孫引きサイトを笑えない。こうした孫引きサイトは淘汰されるだろう。すでにライターにはAIの代替が迫ってきているし、そもそも乱立したニュースサイト、まとめサイトには、価格競争ぐらいしかユーザー(広告クライアント)に訴求するネタはない。

 そしてそうした波に「オールドメディア」も飲み込まれている。一般新聞社などの既存メディアのインターネット上のサイトも、孫引きサイトも見た目だけでは差はない。いや、逆に内容のないサイトの方がデザイン的に優れていたりする。手軽なトピックを短めに発信している孫引きサイトの方が、記事の途中からは「有料会員専用です」といやらしく限定をかけてくる既存メディアよりも好感をもって受け入れられるかもしれない。

 ここで、「オールドメディア」に提案がある。記事自体を有料提供するのはそれで良いかもしれない。しかし、アーカイブに関して無料提供してはどうだろう。たいていのメディア、新聞は図書館での閲覧を容認している。インターネット上のコンテンツに関しても、速報性のある当日分や一年以上前のアーカイブに関しては有料提供は理解できるが、昨日分から、直近一年程度の記事については無料開放してはどうだろうか。

 図書館で新聞の閲覧を容認するのは、国民に対する知る権利の保障でもある。

 さらに聞いた話だが、記者によってはこうしたアーカイブの存在を嫌がる者もいるようだ。つまり、記事の中でその時々に世論迎合しているような者は、そうした記事の歪みが残るのが嫌なのだろうか。ワシントン・ポストの発行人フィリップ・グレアムは「新聞は歴史の第一稿」という言葉を残したが、自身の原稿をアーカイブに残したくないような記者や、そんな者が書いた新聞に意味があるとは思えない、そんな言葉によって作られた社会が健全性を保てるわけもない。(中日新聞の「河村ウォッチ」なんて、負の遺産として集約しておくべきだ)

 ちょっと、気になって中日新聞において「堀川浄化」というキーワードのヒット数を調べてみた。

中日新聞/東京新聞における「堀川浄水」キーワード掲載件数推移
中日新聞/東京新聞における「堀川浄水」キーワード掲載件数推移

 松原市政になる直前、堀川の浄化が数多く取り上げられ、その結果か松原時代に「庄内川からの導水」が実現化した。そのおかげで堀川は徐々に水質が改善され、やがて木曽川からの導水が行われ、「堀川千人調査隊」が結成される。確かにあの頃は、堀川の川底が見える時もあり、泳いでいる魚や亀も眺められたものだった。

 しかし、2010年、河村市政となり、この導水事業(堀川に、庄内川木曽川の水を流す事業)が停止されると、2011年の中日新聞紙上には「堀川浄水」という言葉は一言も載らなくなった。

 現在も「堀川千人調査隊」は活動を続けており、なんとなく「堀川がきれいになった」という根拠のない(というか、あからさまな事実誤認)がもてはやされている。上記のように2010年以降、堀川には上流の水は流れておらず、水源は下水処理場となっている。(それでも、しっかりと処理はされているから、まだ、あの程度で済んでいる。また、堀川の水質の問題は、名古屋港の水質の問題でもある)

https://news.yahoo.co.jp/articles/d26ef0afa9987feeaff3984fff12a21e30a73237news.yahoo.co.jp

追記:
アユが遡上していたそうだ。
それは否定しないけれど、「浄化に手ごたえ」というのは、あまりにむなしい。


 今年など、突然暑くなって、堀川周辺の悪臭は一段と厳しい。河村市政における堀川対策は悪政、失政の連続だ。

(「鳥久騒動」も私は忘れていない、ああいった公人にあるまじき権力の乱用をしっかりと批判していれば、後に起こる愛知トリエンナーレや知事リコールなどの騒動も起きなかったのではないのだろうか)

ichi-nagoyajin.hatenablog.com


 名古屋の街、堀川がどぶ川になってしまったのは、この河村市政の誤りと、それを報じなかった中日新聞の責任だ。こんなメディアなら、数多ある孫引きニュースサイトとともに、消え去っていっても何の問題も感じない。

 次に「SNS社会が生み出す政治の問題」に触れようと思うが、次回に続く。



追記:
いま、2014年当時の「鳥久騒動」の自分の記事

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

を読み返してみて「河村市長が主体的にこの問題を解決しようとしていた動きが無い。つまりここでも河村市政にありがちな「ネグレクト」が発生していた事が分かる。」という自分が書いた文章を読んで、現在起こっている日本保守党、百田&有本とのいざこざに通じるものがあると感じる。

記事のテーマである「鳥久騒動」記事で触れた「相生山問題」「木曽川導水路」「国際展示場の問題」など、その他にも「南京発言問題」「愛知トリエンナーレ問題」「知事リコール問題」。河村は様々な問題を起こしてきている。(何でもないことを「問題」にしてメディアに取り上げさせたのは河村と言っていい、理由は、そうやってありもしない「問題」を騒ぎ立て、メディアに取り上げさせることで、あたかも河村がなにか活動をしているように見せかけているに過ぎない。実態はマッチポンプ、不必要な「問題」を起こして、事態をいたずらに深刻化させているだけに過ぎない)

河村はそうした「問題」の途中で、「なんとかしてちょうよ」と、誰か第三者に解決を訴えかけ、支援を呼びかける。少なくない人々がこの支援の呼びかけを真に受けて、その問題に飛び込んでみるが、その「問題」がこじれると河村はいなくなる。そもそも河村がいっぱしの政治家であれば解決策を提案するとか、市長など一定程度権力を持つ立場なら、解決のための行動を率先して起こすものだろうが、河村の行動原理は異なる。解決の為ではなく問題をより深刻にするような行動に走ることが多い。(その方がより広範に支持を訴えかけることができるからだろう。思い起こせば、中日新聞は河村のこうした策略にはまっている、または意図してはまっているのかもしれない。それは河村のこうした行動原理(問題解決よりは、問題を拡大させて、自らの支持を得ようとする傾向)は、地元メディアとしては「美味しい」からだ。何事もなく、無事これ名馬の市長よりも、何かあれば問題を引き起こす市長がいれば、紙面は賑やかになる。/しかし、地元の住民としては迷惑な話だ)

実は、河村は庶民でもなければ世慣れた「中小企業の経営者」でもない。河村が経営していたとする「画廊」はすでに実体はないし、世間が河村たかしの家業と認識している、古紙回収業「河村商事」は河村の父親が亡くなって以降は母親が経営を継ぎ、河村が政治ごっこにかまけている間に母親から河村の息子に代替わりしている。つまり、河村には中小企業を経営し維持したという実績などない。彼自身「人生行き詰ったから選挙に出た」人物であり、なぜ人生に行き詰ったのか、その反省などなく現在に至っている。

その為に、河村自身には問題解決能力であるとか、交渉力といったものは微塵もない。

それどころか、河村の父親が亡くなって以降、家業を切り盛りし、維持してきた優秀な母親は、同時に河村お坊ちゃまにとっては大きな存在であり、代議士になって以降も様々なタイミングで河村をいさめては彼を助けていたとされる。河村がバカなことをやって地元の有力者を怒らせた際には、河村の代わりに頭を下げにいったり。私の聞いた逸話では、そうやって地元有力者に対する謝罪の場を設け、親子で連れ立って謝罪に訪れた際、誠実に釈明、謝罪する母親の横で、ぼやっと他人事のように様子を見て、母親に促されて頭を下げる際にも、中学生のようにふてくされたように頭を下げる河村の姿があったという。いじめ自殺事件で被害者宅を訪れていた河村がまさにこれだった。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/ichi-nagoyajin/20210814/20210814224828.jpg


河村はメディア露出のために様々な「問題」を引き起こす。しかし、そのたびに解決は誰か第三者に依存する。そうした行動原理は、河村とこの母親の関係が原型なのではないだろうか。


「体現帝国」第十二回公演『見えない青髭公の城』

  • 「体現帝国」第十二回公演『見えない青髭公の城』
  • なぜ「青ひげ」は「剥製職人」となったか
  • 渡部版『青髭~』にかかる戦争の影
  • 「呼応」「トレース」「自分」
  • 誰の心にもある『見えない青髭公の城』

「体現帝国」第十二回公演『見えない青髭公の城』

 名古屋を拠点とする劇団「体現帝国」が第十二回公演『見えない青髭公の城』の上演を、独自劇場『体現帝国館』で続けている。

www.youtube.com

taigenteikoku.com

 地元メディアをはじめ、演劇人やサブカル人士の口コミで好評が伝えられ、毎公演満席のようで、全国から観客が詰めかけている。

 私はこのブログで以前にも、同劇団による第十一回公演『奴婢訓』の紹介を行った。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 今回の上演にあたっては、私は『試演会』から鑑賞することができた。それどころか、同劇場が作られていくところから、その経緯を目にすることができ、同劇団の主催であり、演出家の渡部剛己が「青髭公の城」を題材に「青ひげ」そして『見えない青髭公の城』として作品を練り上げていく工程を見ることができた。

 「青ひげ」はグリム童話とされるが、シャルル・ペロー執筆の童話(1697年)が源流で、現代のグリム童話では収録されていない。

www.aozora.gr.jp

ja.wikipedia.org

 その後、バルトークがオペラ『青ひげ公の城』として構成し直し、このバルトーク版を下敷きに寺山修司が戯曲『青ひげ公の城』を作り、『演劇実験室◎万有引力』が上演した。

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なぜ「青ひげ」は「剥製職人」となったか

 今回の渡部版『青髭~』では、青髭は「剥製職人」となっている、しかしペロー版でも寺山版でも「青ひげ」が「剥製職人」であるなどという記述はない。ではなぜ渡部版『青髭~』では、「青ひげ」は「剥製職人」となったのか、その経緯の中には非常に今日的な問題が含まれているのではと私は推測する。

 そうした課題と、寺山版が訴えていたもの、それらを演出家渡部剛己は見事に融合し、更に普遍的な主題に昇華している。
 そうした私の視点から見た「体現帝国」版『見えない青髭公の城』の読み解きを披瀝したいと思う。

 こんな事を書くと「演劇など、雑音を入れずに作品を鑑賞したい」という方もお見えでしょう。ご自分で作品を鑑賞され、その後にこの文章を読まれて「違うじゃないか!」とご意見を戴くのも一興かもしれません。

 しかし、ある方が観劇前に販売されている脚本を読まれて

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ピンと来なかったそうですが。来場され、実際に劇を見て驚いたと言われていた。

 渡部剛己の作劇は会話劇やプロットを提示して見せるようなものではなく、<場>を作り出す創作であり、まさに<体現>を信条としている。そうした意味ではここで「体現帝国」版『見えない青髭公の城』とは何かについて一万字を費やしたところで、今、毎週体現帝国館で繰り広げられる出来事は何も伝わっていないに等しい。

 また、渡部剛己自身、劇の内容について他者に語ることを妨げていない。(予め「戯曲」として台本を売っているのだから)そうした意味からも遠慮することなく考えを述べてみたい。


 それと、5月7日の中日新聞夕刊で同作品が取り上げられていた。「けたたましい音を立てながらシャッターが閉まると、自分の手すら見えない完全な暗闇に。暗所、閉所恐怖症気味の人は注意が必要かもしれない」として劇団ホームページの観劇の注意に触れている。

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 この「けたたましい音を立てながら閉まるシャッター」というのが『体現帝国館』の<おもてなし>で、オープニングで披露される赤木さんの歌唱と、このシャッターの暴力的な閉鎖音によって、観客は日常と断絶される。是非体験されることをお勧めする。

 ひとことつけ加えておくと、客席には劇団のTシャツを着たスタッフが付いており、異常時にはスタッフにその旨を告げると、適切に対応誘導してくれる。

渡部版『青髭~』にかかる戦争の影

 さて、ペロー版と寺山版の「青ひげ」について、手短に整理しておこう。ペロー版では青ひげは妻に「この鍵の部屋は決して開けてはいけない」と告げる。しかし妻は好奇心に逆らえず部屋を覗いてしまう。こうした「好奇心と禁忌」が主題であると言われている。寺山版ではそうした「青ひげ」の舞台を作るという劇中劇の形を借りて、現実と虚構。演劇と演者の関係を語り、いささか乱暴に結論を言うのであれば、寺山が繰り返し訴えていたような「書を捨て、街へ出よう」という結論に至っていたのだろうと理解している。

 本公演に先駆ける『青ひげ公の城・試演会』においても、寺山版の影響は感じられた。天井から吊り下げられた自転車と、蠢く渡部演じる「男」が絡み合う演出は、「現代人が耽溺する文明社会/機械文明からの離脱」を主張するのだろうかと推測させた。(第2回試演会ではこの自転車はオートバイのフレーム+手となり、よりロボットを連想させた、本公演では割愛された)

 こうした試演会が続けられている間にも、イスラエルによるパレスチナ侵攻に関係する非人道的な行為に対する報道が続けられていた。
 演劇人による抗議行動としての「ガザ・モノローグ」も各地で様々な形で行われ、渡部剛己も参加していた。

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 そうした中で、私は「ガザの動物園」の話を渡部剛己と赤木萌絵に披露した。

 「ガザ地区」では、自由に出入りできない子どもたちに、動物を見せようと「動物園」を開設した。しかし食料の搬入に制限を加えたイスラエルの影響で多数の動物が死んでしまった。動物園の運営者は、それでも子どもたちに動物を見せたいと、死んでしまった動物を<剥製>として展示したのだ。

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 イスラエルプロパガンダの影響で、日本では「ガザが悪い」「パレスチナが悪い」「イスラムが悪い」というようなイメージが流布されているが、動物の飼料搬入を拒んで、子どもたちに展示している動物園の動物を餓死させるようなイスラエル政府に、正義や大義は感じられない。人間として疑問を投げかけざるを得ない。

 痩せこけ、餓死してしまった動物たちの姿は、こうした非人道的な行いを止められない、私達文明社会の貧弱さを表しているように感じられてならない。剥製の動物たちの弱く悲しげな眼差しはとても正視できない。

 お二人は非常に興味を示してくれた。

 そして確か、次の試演会では「青ひげ」は「剥製職人」ということになったと記憶している。

 「剥製職人の青ひげが、国連が決めた戦争博物館の展示品を作るために戦場に出向いて、その死体で剥製を作る」

 このプロットに触れた時に私は「しまった」と思った。余計なノイズを入れてしまったのではないかと恐れた。
 しかし渡部剛己は「剥製」を単なる逸話と捉えず、「時間を止め、ものの本質を浮かび上がらせる行為」と捉え直し、戦争を語り直してみせた。

 剥製の踊り
 意思、思考、言葉の剥製
 そして108体のユディット

 「剥製」は見事に物語の背骨となっている。

 そして展開される「好奇心と禁忌」「現実と虚構」
 物語は寺山が主張したように、「観客を現実へと」誘う。

 最後、まばゆい光と、飛び散る水しぶきの、その先にあるものが「一幕の劇」=現実であり、観客が居るべき場所である。

「呼応」「トレース」「自分」

 ここでおじさんは、余計な一言を書く。雑誌『創』5月号に香山リカさんが話題となっている小説『世界99』(村田沙耶香集英社)の書評を載せている。


 この物語世界は「世界1」から多層的に続く世界が重なり合い、その世界の人に同調することを「呼応」自分もその通りに振る舞うことを「トレース」と呼んで自我を失っていく。

 この物語世界の在り方と、朝日新聞のガザ通信員を努めていたムハンマドマンスールさんがイスラエルのミサイル攻撃でなくなった事。ムハンマドさんがNPO法人「地球のステージ」に所属して、子ども支援活動を行っていた事がリンクする。

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 「地球のステージ」の桑山紀彦医師(精神科医)のメッセージが引用される。

  「地球のステージの活動がきっかけとなり、
  誰かが自分の人生の主人公として、
  また一歩踏み出すきっかけになれば…」

e-stageone.org

 香山さんは「自分の人生の主人公」として生きなければならないのかと逡巡する。
 知らぬ間に「呼応」し「トレース」していく中で、自分自身を見失っているのではないかと。

 しかし子どもたちが自己決定権を奪われ、戦いの中で亡くなっていくのは悲惨であり、「一歩踏み出すきっかけ」を作ろうとしていたムハンマドさんの行いは尊く、それを打ち砕くイスラエルの無差別な攻撃は非難されるべきだ。

 誰しもが自分の人生を生きる権利は守られるべきだ。それが決して「主人公」などと胸を張って言えるものではなくても。
 「呼応」や「トレース」によって歪められた現実で生きていたところで、それは生きていると言えるのか?

 戦争博物館に飾られた剥製ではないのか。

誰の心にもある『見えない青髭公の城』

 ここで、私の思考はもう一段飛ぶ。九段理江さんが北国新聞に2023年2月25日に掲載した『彼と彼女の間に投げる短い小説』に次のような一節がある。

 「それはいつもきみがしている、人の言葉を失敬するようなもの。君は一生、そうして他人をリサイクルしながら生きていくつもりなの?」

 「パレスチナが悪い」「ウクライナはナチだ」「移民を排除してアメリカを再び偉大な国に」「国の無駄な組織を解体すれば、国民の負担は減る」「財務省を解体せよ」「知事に対する誹謗中傷の文章を書いたような職員は処罰されても仕方がない」「国会議員は庶民並みの収入にしなければならない」「減税を行って民間にカネを戻せば経済は活性化する」「女性支援団体は、公的助成を着服している」「保険証を電子化すれば医療は効率化する」「日本社会は外国人労働者に支配される」

 根拠のない、またはあやふやな言葉が溢れかえっている。

 デマを飛ばして、そしてそのデマに乗って、一時の溜飲を下げることは楽しいのだろう。単純な構図を描いて、他人を批判、攻撃する行為は手軽なハッピー・ピルだ。しかし、そうした根拠のない主張に「呼応」し、現実からの遊離を「トレース」すれば、どんどんと自分の依って立つステージは現実とは程遠いものになっていく。

 解決策は簡単だ、見ればいい。事実を、過去を、周囲を、そして自分自身を、虚心坦懐に見つめ直し、事実からの遊離を確かめていけば良いのだ。

 『見えない青髭公の城』は誰の心にもある。そこでは自分は決して間違わず、どんな願いでも実現する。歴史は常に自分たちの納得のいくように書き換えること(by 西田昌司)もできる。しかしこの城に引きこもる行為は一幕の生を生きることにはならない。

 納得のいかない事実から目を背けている間に、床一面にドロドロのユディットが転がる、荒れ果てた世界が残されるのだ。


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「減税会」に伴う論考(7)

 前回に続いて、3月22日に守山区生涯学習センターにおいて行われた「減税会」の会合における渡瀬裕哉氏の講演についての検討を続けよう。

 渡瀬氏は効率の悪い行政機構による国家運営よりも、減税を行って小さな政府を実現した方が良いのだと主張する。これはアルゼンチンのミレイ政権や米国におけるDOGEの施策とも重なる、いわゆる「新自由主義的な夜警国家論」と言える。

 国政において行政改革などが行われているが、意味はないと断じる。一つの事業を潰したところで、余った予算を他の事業が持って行ってしまい、なかなか「減税」、つまり国民の懐にはお金は戻ってこない。なので先に減税をさせて、縮小した歳出の中で、無駄な事業については縮小、廃止させた方が良いのだと主張する。これは10年以上前、市民税減税を進めた河村たかし名古屋市長の「プライスキャップ」理論と同じような主張で、渡瀬氏は河村前市長を「減税の先導者」であるように称賛する。

 確かに名古屋市は市民税減税を行ったが、実はこの原資は歳出削減や事業廃止ではない。

 河村氏が市長となって廃止したような事業があるのであれば、ご指摘いただきたいが、河村氏が主張するような「市職員の給与を一割カットして市民税減税を行った」という主張には嘘がある。

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 少なくとも名古屋市総務省が示している資料には、名古屋市の職員給与が一割削減されたような痕跡はない。

 また、木曽川導水路事業は停止したが、それも先ごろ再開されることとなった。そして停止している間に事業費等が高騰して名古屋市の歳出負担は却って大きくなっている。

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 つまり渡瀬氏の主張するような、「減税を先に行って、行政機構を小さくする」という事例に、河村氏による名古屋市の減税は、残念ながら当たっていない。

 河村氏は、市長になりたての頃、水道料金を値下げしてみたり、最近では名古屋城を木造化するという巨大ハコモノ事業を主張してみたり、どちらかというと「小さな政府」を志向するのではなく、ばらまき政策に親和的だ。


 渡瀬氏は「地方こそ減税を行わなければならない、東京一極集中に抗して、地方が繁栄するには、減税を行ってヒトや企業を呼び込む必要がある」とも主張する。これも市民税減税を進めていたころの河村前市長の主張と同じだ。

 では、実際に市民税減税を行った名古屋市にヒトや企業は集まったのだろうか。

 確かに名古屋市の人口は集まっている。しかしこれは全国的に見られる、人口の集中化と呼ばれるもので、社会の高齢化にともなって、病院や交通インフラが整っている都心に人が回帰しているというに過ぎない。名古屋市においても、春日井市高蔵寺小牧市桃花台といった郊外型ニュータウンの一戸建てから、高齢者が名古屋市内の医療施設付き高齢者集合住宅に移住する傾向が見られる。特に名古屋市内では「敬老パス」があることから、郊外の一戸建てで、通院や買い物にも車を運転する生活から、無料の公共交通機関による通院や買い物に利便性を見出す人が多いのは自然な事だろう。

 では、企業は名古屋に集まっているのだろうか。

 名古屋市会でもこうした議論は行われた。統計的にも名古屋市の河村減税で企業が名古屋に移ってきたという有意な傾向は見られない。そして、「減税などしても企業は移ってこない」という象徴的な事例が存在する。

 他でもない河村前市長の家業である「河村商事」は、当時、名古屋市のお隣である春日井市の勝川に居を構えていた。ほんの50mもずれれば名古屋市という場所だ。その気になれば、河村氏の居宅がある旧河村商事/河村画廊の住所に、本店所在地を替えることも容易だっただろう。市議会でも、「ぜひ引っ越してきていただいて、名古屋市に税金を納めてくれ」と言われていた。ところが「市民税減税10%」が実施されても、河村商事は春日井市の企業で居続けた。

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 河村流減税程度では、その減税を求めて名古屋市に移転しても、利は少ないのだ。

 そもそもこの世には「タックスヘブン」というものがあり、日本国内でも儲かりすぎている企業、個人はしっかりと税を逃れている。現在先進国は協力して、こうした税逃れの不公正を是正する国際的な枠組みを設けようとしているが、"Americans for Tax Reform" の一員として、こうした傾向に反対をしているのが渡瀬氏本人であるはずだ。

 「タックスヘブン」で租税回避しているお金が適正に課税されれば、少しは一般庶民の税負担は軽減されるだろうに、なぜこんな行動を取っているのか理由を知りたいものだ。減税会の方々は一度、渡瀬氏に伺ってみても良いかもしれない。

 

 渡瀬氏は「減税を進め、規制を廃止することが繁栄を導く」と、こんな話もしていた。

 いわく「日本の企業が市場で競争しようとしても、米国の巨大資本に叶うわけがない。ボクシングでたとえるならば、マイクタイソンを相手にボクシングをさせられるようなものだ。勝てっこない、しかし規制を撤廃し、こちらがサブマシンガンでも持ち出していいなら、マイクタイソンにだって勝てるかもしれない」

 まったく「政治系ユーチューバー」の主張だろう。バカバカしいにも程がある。そもそも企業運営は「競争」ではない。優れた経営者というのものは「競争」がまだ行われていない市場を探し出すか、競争などない、新たな市場を生み出すものだ。「市場競争」に真っ向から突っ込んで疲弊しているのであれば、そんな経営者は無能という以外ない。

 また、規制を撤廃して「サブマシンガンを持ち出して」良いというのであれば、対する巨大資本はタイガー戦車でも砲兵隊でも持ち込んでくるだろう。規制を撤廃するというのは、今、持てる者が優位に立つということで、スタートラインを揃える(機会の均等を求める)のであれば、規制を設けることこそビジネスチャンスを生む。現実のボクシングがウェイトやグローブなどの規格、競技ルールと規制だらけなのは、こうした適正な競技を行うためで、ボクシングのたとえから考えてみても「規制を廃止することが繁栄を導く」などと言えないことは明らかだろう。

 次のような発言もあった。

 会場から「税金を取っていても道路に穴は開く」という発言が飛び出した。埼玉県八潮市の道路陥没事故を指しての発言であることは明白だろう。

 これを受けて渡瀬氏は「行政はダメなんです。税金を払えば安全になるわけではない。行政は予算をもらえば、新しい道路を作ってしまう。メンテナンスにお金をかけていないんです」と発言した。「減税会」の皆さん、事実を元に、まともな政治の議論を行うのであれば、こんな程度の発言を聞いて笑っているようでは、真っ当な政治議論は成立しません。これは明らかにお笑い芸人レベルの「政治系ユーチューバー」の主張です。

 行政において、現在「アセットマネジメント」が最重要課題となっています。高度経済成長期、景気も順調で労働者人口も多かった時期に建てられた建物や社会インフラが、改修時期を迎えて経済は縮小しており受益者も減ってきています。どのように計画的に、無理のない形で改修を進めるのか、考慮していない地方自治体など存在しないでしょうし、予算をもらえば新しい道路を作るなんて行政機構はありません。

 前回のブログで欄外に付け加えた「名古屋市上下水道局」主催で行われた「なごや水道・下水道連続シンポジウム」でも、基盤をなす社会インフラである「上下水道」を安心、安全に維持するためのお話が展開されていました。

 名古屋市上下水道
「なごや水道・下水道連続シンポジウム」 第1回~第3回案内
https://www.water.city.nagoya.jp/category/sdgs/index.html

 これが事実にもとずく「真っ当な政治議論」です。「行政はダメなんです。税金を払えば安全になるわけではない。行政は予算をもらえば、新しい道路を作ってしまう。メンテナンスにお金をかけていないんです」などとする主張は単なる「扇動」であり、こうした「行政悪玉論」や「行政や議会は既得権者である」というような事実に基づかない批判が、真っ当な政治議論を阻害し、いたずらな対立を生む。

 その一つの象徴が、現在行われている「財務省解体デモ」なのでしょう。

 本当に財務省を解体したいのであれば、財務省の存在を根拠づける法律は「財務省設置法」であり、これを改正すれば解体だろうと消滅だろうと、なんでもできる。そしてその「立法権者」は国会であり、国会を構成する議員を選出するのは有権者である。

 財務省の前で騒いでも解体などできない。やるなら国会なり(実際に、法案改正を提出するのは内閣であると考えるなら)首相官邸の前でアピールすべきだろう。

 そもそも財務省は、その昔大蔵省という古風な名前(飛鳥時代以前に遡る)だったわけだ。1998年、大蔵省接待問題や金融危機に対する再生委員会の所管問題を受け、大蔵省が解体されて、金融庁が生まれた。大蔵省とすれば、接待疑惑などの批判に晒されたおかげで銀行局が金融庁に、つまり局が庁になったわけで、「焼け太り」と言っていい。

 今般の「財務省解体デモ」でも「歳入庁」と「歳出庁」に分離しろというような話もあるらしいが、財務省の中の人々も歓迎するのではないだろうか。焼け太りは目に見えているのだから。


 当面の生活防衛は大切だ。社会における不正や非合理も是正されるべきだろう。しかし、それには民主的な手続きと、法に準じた方法論が必要となる。そういえば、渡瀬氏はオンブズマンを批判するのに「彼らは法的な問題しか追及しない」とか言っていたが、行政を外から是正しようとするなら、その根拠は法を起点にする以外ない。法の範囲を超えて行政や社会を改変しようとするなら、それは脱法行為であり「反社会的行為」と呼ばれる。

 そうした法や手続きを無視して闇雲に騒いでも解決には至らない。こうした道筋に沿って議論する事こそ、政治的議論と呼ばれるもので、そうした法を無視して、事実を確認もせずに主観を押し付ける行為は居酒屋などで行われる、「憂さ晴らし」「居酒屋政談」「政治系ユーチューバー」のPV稼ぎでしかない。国民生活や国家の行く末に何も関係がない。

 そうした趣味の世界でワチャワチャ遊んでいるのは楽しいのかもしれないが、それではあまりに・・・いろいろ足りない。
 前回エントリーで述べた言葉を繰り返そう。

 「当ブログの今までの主張(「減税会」に伴う論考(1)~(5))の趣旨は、結局、政治論やら経済論以前に「嘘や煽動家に騙されないように、事実に立脚してものを見ましょう」と言っているに過ぎない。」