市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

メメント・モリ

衆議院議員であり、名古屋市市会議員としても活躍された東郷哲也氏が亡くなったそうである。

今のような時期でもあり、葬儀は家族葬として営まれ、私も詳しい状況はわかっていない。東郷氏が市会議員であった頃、市政について度々意見交換を行い、いくつかは具体的な成果を得た。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/ichi-nagoyajin/20140201/20140201032551.jpg

これは2009年の河村市長のマニフェストについて、その成果を調査したものであって、河村市長が「その大部分に『着手』」といい、市当局も8割方成果を上げているとしたものについての東郷氏の調査結果であり「その成果はおよそ26.5%にすぎない」と指摘した。

その後、東郷氏は市議を辞し、国会議員に転身することになる。

この転身の直前、私は東郷氏から国会議員転身の可能性について相談を受けた。

当時、愛知1区には河村市長子飼いの減税日本佐藤夕子*1議席を占めており、河村市長が国会転身するなら、愛知2区から出るだろうと言われていた。愛知2区には民主党古川元久氏がガッチリ議席を確保しており、河村市長は古川氏との一対一対決になったなら、出馬しないのではとも見られていた。古川氏には自民党の支持者からも票が流れていることは有名であったので、自民党から愛知2区に有力候補者が出れば、古川氏へ流れる自民党票が減り、河村氏有利となる。名古屋市政から河村氏を追い出したい私としては、自民党の現職市議である東郷氏が愛知2区に立候補するなら、河村市長の国会転身の可能性が高まると推測していた。そこで東郷氏から提供された過去得票データを様々に分析し、古川VS河村VS東郷の三者鼎立における予想得票数を算出した。そうしたところ、選挙区当選者は古川氏のままだが、3者ともに復活当選するという予想を立てることができ、これを元に東郷氏は各支援者などに国会転出の意向を説明したようである。

ところが、河村市長は国会転出しなかった。最後まで逡巡したようであるが、決断がつかなかったらしい。*2

そこで、減税日本は新人候補を2区に擁立した。2区に河村氏が出ればこそ、票が分散して、東郷氏にも復活当選の目はある、しかし新人候補では古川氏との得票差が開いてしまい、東郷候補の復活当選は遠のく。

いよいよ選挙戦が始まった時、東郷候補から手助けしてくれと言われ、こうした経緯もあり、仕事に区切りをつけて選挙を手伝うことになった。

ところが、自民党の現職市議、国会転出とは言っても、組織は脆弱で実質的に選挙業務を取り仕切るものがいない。市議の頃からKさん(故人)が「秘書」のような仕事をしていた。このKさんは以前地元で公職者として立候補した経験もあり、顔が広く人集めもうまかったが、実務についてはトンと疎い人だった。連れてきた行政書士が公営選挙の手続きすらうまくできない状況となり、私がギリギリで肩代わりした、その後も会計処理、人員配置(街宣車の乗務員、うぐいす、各会場の設置等)、スケジュール調整、選挙公報の原稿作成、各種原稿の手直し、街宣車の運行スケジュールや街宣場所の場所取り(挙句の果ては、安倍総理の受け入れ)、各マスコミ対応等々、等々、選挙事務所に寝袋を持ち込んで、ダンボールや書類を布団にして寝泊まりしつつ対応した。

そうした結果、信じられないことに、奇跡的な復活当選を果たしたわけだ。

本当に、嬉しかった。東郷氏本人は元より、Kさんを始めKさんがかき集めてくれた様々な人々とも交流ができ、信頼を築けたとおもう。確かに、綺麗事だけではすまず、色々な場面で諍いなどもあったが、最後まで一つの目標に向かって集団を引っ張り、結果が出せた事は本当に得難い経験だった。その上、自民党の国会議員選挙というものの実相も、まさにその渦中に入って経験することができた。

元々、私の主張は自民党(特に清和会的なソレ)とは大きくかけ離れており、そのまま東郷事務所や、自民党に留まることは無かったが、Kさんからは厚い信頼を得、その後も親しく交流を持った。

今、東郷さんの訃報を聞き、このKさんとも色々な話をしてみたいと思っても、そのKさんはいない。特にこの選挙後親しくさせていただいていた自民党千種区選出の桜井治幸元市会議長(河村たかしの例の「南京発言」の仕掛け人と自認されていた)もすでに鬼籍に入られている。

誠に、残念でならない。

私もこの歳になり、すでに幾人かの友人を見送っている。こうした経験を積んでくると、段々とこの世よりもあの世とやらの方に友人が増え、あの世も存外悪くないと思えてくる。

ひとは死ぬ。

私は歴史から一つだけ、間違いのない教訓を得ている。それは「ひとは必ず死ぬ」ということだ。古来より「メメント・モリ」という言葉があり、ひとに「死を忘れるな」「死を想起せよ」と呼びかけていた。しかし、こうしたある意味当たり前の事実をわざわざ強調する言葉がある背景は、ついついひとは自分自身が死ぬことを忘れがちだからだと思われる。

今のこの生が、永遠に続くかのように思い違える。今のこの生が、永遠に続くと思うからこそ、あくせくと短期的に目先の欲にくらんでしまう。今だけ、自分だけ。というような短絡的な思考。わがまま勝手で強欲な思考に陥るのは、今のこの生が永遠に続き、そうしたずるい行為で得られた享楽を、自分自身で味わえると思い違えているからだろう。今のこの生がいつか終わるという、当たり前の無常観を理解できれば、今だけ、自分だけというようなちっぽけな欲望で、貴重な「今」という時間を汚そうとするだろうか。いくら金を稼いだところで、あの世とやらに持っていくのはせいぜい六文だ*3。それよりももっと、この世になにか価値のあるものを残す、今を心穏やかに過ごす事を優先したほうが良い。

自分の名前をこの世に残すために、名古屋城をわざわざぶち壊して、木造のレプリカをでっち上げたいものだろうか。これとても、「本物」だの「国宝になる」だの「世界遺産になる」などと言ってみたところで、今の騒動を見てみればわかるように、子どもじみた「偽造」にしか思えない。そんな形で自分の名前を残そうとする行為は、修学旅行で文化遺産を訪れた小中学生が、自分の名前を貴重な遺物に残す行為と同じ様にしか見えない。

そんな幼稚な行為を、今般の知事リコールの首謀者だけではなく、少なからぬ「有識者」と呼ばれる者たちまでが賛同する。瀬島、三浦、麓。
現存する優れた外観復元である鉄筋鉄骨コンクリート造の現名古屋城天守の文化的価値が判らず、それを破壊してレプリカを作ろうとする。そんな者が日本における城郭建築の「有識者」であるとするのであれば、日本に城郭建築を理解する文化は無いと断じざるを得ない。貧しい国家は、文化まで貧しくなる。

話が大きく逸れてしまった。

死を思うとは、有限な自分の人生を思うということであり、有限であり、一回しか無いからこそ貴重なのだ。そして自分の死以降の時間の流れに思いを寄せることでもある。さらにそれは、自分が生まれる前の歴史にも謙虚になるということだろう。自分の在り方を歪めて理解されたくないのであれば、自分もまた、過去の出来事に対して、謙虚にあるがままを受け入れる姿勢が必要だ。*4

これは、市会議員時代の東郷氏のブログの1ページである。

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私は、このページを紹介した際、次のように述べた。

左のイメージは東郷市議のブログの一部である。


 去年の9月に襲来した台風15号は、東郷氏の地元である守山区に広範な被害をもたらした。自身の事務所も雨水が流れ込んで浸水したらしい。


 しかし、それよりはと、あちこちの現場に長靴姿で検証に訪れたそうである。


 そしてその一方、この本にはピーター・ドラッカーマックス・ウェーバーから論考を説き起こしている。心にドラッカーウェーバーの哲学を持ち、足に長靴を履いて泥沼の現場に赴く。


 このように空理空論に終止することなく、現場・現実に立脚し、それでいて高邁な理想を求め続ける姿勢が、真に政治家に求められているのだろうと思う。

市長の品格 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0


最後に、その東郷氏の自著「市長の品格」から一節を引き、彼の冥福を祈ろうと思う。

 今こそ「名古屋から地方議会が変わった」という強いメッセージを発信していかなくてはならない。河村市長の功罪はあるが、河村市政に対してはあくまでも是々非々。政局的判断でなく、常に市民の立ち位置で政策判断をしていくことが重要であろうと再認識させられる。


 そして、五〇年先、一〇〇年先の名古屋の将来が、先人の平和への願い、地方自治への想いを受け継いで発展していくことを切に希望する。


 最後に私の政治信条とする言葉で結びとしたい。


「息子よ、未来は美しい。」(コンゴ独立の英雄、初代首相パトリス・ル・ムンバ)


美しい国とは、自由であること。独立主権国家であること。】


  二〇一二年 二月
                        東郷 哲也

合掌


*1:名古屋市議(東区)

*2:ある人々は、この予想を的中させた。つまり河村をよく知る人々は、実は河村がノミの心臓であることを理解している。あの「バンカラ」風に装っているのは、この小心を隠す隠れ蓑にすぎない

*3:宗旨宗派により、諸説あり

*4:「総理を目指す男」が、落ちぶれたものだ「偽造署名が蔓延するリコール運動を引き起こした首謀者」とは

2月22日名古屋市長河村たかし弁明における嘘

追記:
「政治」をプロとして考察したい方は、こちらもご参照ください。

住民投票制度のプレビシット的運用(1)名古屋市の事例から考える : 2011-03|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

当該論文(PDF)がダウンロードされます。
https://aichiu.repo.nii.ac.jp/?action=repository_action_common_download&item_id=3464&item_no=1&attribute_id=22&file_no=3


河村たかし名古屋市長2月22日会見における嘘


河村たかしが大村知事リコール署名簿収集における不正署名問題について、22日の市長定例記者会見の後、補足の会見を開き、その際配布したという資料を公表しているが、嘘が混じっている。*1

文面には次のようにある。

2010市議会リコール時の各種名簿について


署名簿:
 名古屋市内16区合計で約450,000名の名簿。
 署名簿原本をスキャンしPDF化したもの。区ごとにわかれているが、町名・地番は順不同。エクセル等データ入力されたものは存在しない。
 保管されてから一切使用・閲覧されていない。
 2010年当時の管理者からは、ネットワーク河村市長の代表に譲渡したUSB以外の名簿は存在せず、その後の流用・譲渡依頼の接触もなかったとの確認が取れている。


受任者名簿:
 市議会リコール時の受任者名簿は、『名古屋市政改革活動の目的に限定して』との明文のもと、一般的に政治に携わる者が使用している支援者・後援者名簿のように使用されてきた。選挙・行事案内などに使用され、故人・転居者等は随時削除・訂正を行っている。また、別候補の選挙応援などのため、議員が後援会名簿などを使って案内を出すことは一般的に有り、名簿提供も個人情報保護法には抵触しない(市選管事務局に確認)
 名古屋市内16区合計で約34,000名の名簿。
 データ入力されている状態。ソート機能である程度の地番整理は可能。
 地番は飛び飛び・同一世帯者も少ない名簿であり、今回の不正署名簿のように相当数連続する地番、かつ相当数同一世帯者が並ぶ名簿(請求代表者の二人が市内選管にて実際に確認)にはなっていない。


不正署名簿について


 河村たかしが段ボール40箱分の不正署名簿を確認した事実はない。
 40箱という表現は、360,000名を超える不正署名簿の分量を枚数換算した場合、その程度の段ボール分になる、との請求代表者の一人がFacebookに投稿した推計によるものである。


この文書中「(署名簿は) 保管されてから一切使用・閲覧されていない」とされているが、明らかな嘘で2011年(平成23年)に流出事件を起こしている。

「リコール署名簿流出について」 H24.3.28 リコール署名簿流出調査委員会(実体は、単なる河村事務所)

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「使用・閲覧」はされていないが「流出」させているのであれば、それを記載していない報告書など虚偽報告と断じて問題ないだろう。典型的な「ご飯論法」だ。

更に「2010年当時の管理者からは(略)その後の流用・譲渡依頼の接触もなかった」という表現があるが、この筆者が自ら「嘘」を言っていることを認識しているように思えてならない。なぜなら、上のセンテンスでは「保管されてから」については「使用・閲覧」という表現を使っているのに比べて「その後」に対しては「流用・譲渡依頼の接触」という表現を使っている。上の流出事件は「その後」の前なので「その後」については「流用(流出)」がないと主張したいのだろう。

これは詭弁である。こうした詭弁を弄するものの発言を聞くときにはよほど注意深く聞くか、いっそ弁明させないことだ。付き合うだけ人生の時間の無駄である。つまり、名古屋市河村たかしは、名古屋市長として名古屋市民にこうした詭弁を弄して自己の無謬性を誤認させようとしているのであり、有権者に対して誠意ある態度と言えない。

また、悲しいことは、ここまで浅知恵を絞って詭弁を組み立てているにも関わらず、まだ明白に嘘があり、底が割れている。

この文書では、「その前」の流出事件以来、「流用(流出)」がないと言っているようだが、「平成25年(2013年)8月20日に、当時の減税日本ゴヤの幹事長であった中村孝道議員が、事務所に保管していた署名簿の写し及び受任者連絡用はがきを元スタッフ2名により窃取されたとして愛知県南警察署に告訴状を提出」している。(名古屋市会 平成25年12月6日)

会議録表示

明らかな虚偽である。名古屋市河村たかしは、名古屋市民、国民に対して嘘をつかず、詭弁を弄する事なく、誠実に事実をありのまま述べるべきであり、それができないのであれば公職者として身を引くべきである。


次に「受任者名簿/受任者の個人情報の取扱」については、そもそも市議会リコールにおける受任者募集時の実態を見る必要がある。

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これが、当時の「受任者募集ハガキ」であり、ここに

ご登録された個人情報は上記団体以外の第三者に開示提供せず、名古屋市政改革活動の目的に限定して、厳重かつ細心の注意をもって管理いたします。


とされている。


上記22日弁明書には「名古屋市政改革活動の目的に限定して」の部分だけが切り取られているが、その前段には「上記団体以外の第三者に開示提供せず」とされているのであり、今回、この受任者個人情報(約34,000名の名簿)を署名偽造行為を行ったとされる知事リコール事務局に提供したとすれば、この利用条件に反して「第三者に開示提供」したことになるか、「ネットワーク河村市長」は「知事リコール事務局」と一体不可分であったということであり、この受任者情報の提供をもってしても、河村市長の署名偽造事件に対する説明責任、また、今後署名偽造について、事務局の関与が立証され、警察(または、検察から)訴追されることになれば、河村市長の責任は明白であろう。

また、知事リコール事務局における受任者情報はすでに様々に流出しており、このネットワーク河村市長の受任者約34,000名に対する知事リコール受任者への参加呼びかけに対しては、約300名程度の参加があっただけである。つまり、参加率は0.8%であり、大部分は拒絶している。これを見ても登録された受任者の意図とは反する個人情報の利用と断じられるだろう。


(参考:
いわゆる「個人情報クラスタ」の皆さんは、次の私のブログに掲載された玉置市議と平野一夫の対論を読まれれば頭から湯気が出るだろう。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

会議録表示 )


また、個人情報保護は政治団体に対しては適用除外されているが、「ネットワーク河村市長」は現在、政治団体として登録されていないようだ。

ちなみに、名古屋市会は議会リコール受任者名簿に記載されている、一部受任者からの請願を受け、平成25年12月6日に「名古屋市議会の解散請求に係る署名簿及び受任者名簿の目的外使用に関する決議」を採択している。

名古屋市議会の解散請求に係る署名簿及び受任者名簿の目的外使用に関する決議


 減税日本ゴヤは、平成24年5月7日の議会運営委員会理事会において、平成22年8月から9月にかけて行われた名古屋市議会解散請求に係る署名収集のための受任者名簿を選挙等で使用する可能性があることを示唆した。
 これは、受任者名簿の目的外使用であり、大変遺憾である。
 よって、名古屋市会は、名古屋市議会の解散請求に係る署名簿及び受任者名簿を選挙活動に使用しないことを確認するものである。
 以上、決議する。

 
平成25年12月6日


名古屋市


この採択には減税日本ゴヤも賛成している。

この決議に伴う様々な騒ぎは以下を参照されたい。

名古屋市:市会だより第141号 平成25年11月定例会で可決した「名古屋市議会の解散請求に係る署名簿及び受任者名簿の目的外使用に関する決議」の撤回を求める請願を本会議で不採択(市会情報)


名古屋市会として当該受任者名簿の目的外使用は「大変遺憾」であると(減税日本ゴヤも含めて)決議しているのであり、今回の受任者名簿提供と矛盾するのではないか。

ここにも嘘がある。


次に、実際にこの受任者名簿によって送られた、知事リコール署名簿収集のための受任者募集の案内に同封されたいう文書を参照する。

愛知県知事解職請求(リコール)署名 受任者のお願い


 河村たかし名古屋市長・減税日本の政治活動にご支援賜り誠にありがとうございます。本日は、以前のリコール運動で受任者になって頂いた皆様に、大村秀章愛知県知事リコール署名活動受任者としてお力を賜りたく、葉書を郵送させていただきました。以下、『リコールへの経緯』を通読しご賛同いただける方は、是非同封の葉書に必要事項ご記入の上お送り頂くか、または下欄ご記入の上FAXご返信をお願い致します。後日、リコールの会事務局より登録先ご住所に署名簿を郵送させて頂きます。署名は、ご本人様・ご家族様の分だけでも構いません。一筆でも多くの署名を集める為、ご協力の程何卒よろしくお願い申し上げます。
※行き違いで既に受任者として活動頂いている方に重複で届いておりましたらご容赦ください。


リコールの経緯


 この度のリコールは、昨年の『あいちトリエンナーレ2019表現の不自由展』において、①昭和天皇写真をバーナーで燃やし、足で踏みにじる動画作品、②慰安婦像、③日本兵士を間抜けな日本人の墓という作品を、名古屋市愛知県主催の公共事業として税金を使い、愛知県芸術文化センター(公立施設)で、大村秀章愛知県知事(実行委員会会長)が独断独裁で展示許可した事実に端を発します。昭和天皇侮辱動画は、名古屋市への展示内容説明文とは違う作品説明(虚偽)であり、事実を知った河村たかし名古屋市長(実行委員会会長代行)が展示中止・再開取りやめ等、実行委員会での話し合いを4度に渡って大村知事に求めましたが、一切協議は開かれず大村知事は独断で展示を再開しました。名古屋市としては、皆様の血税である公金を支出する事はできないと判断して、名古屋市負担分残金3380万円不払い決定を通知致しました。すると大村知事は、日本・世界が一丸となってコロナ感染対策に苦心している真っ最中に、名古屋市を負担金不払いとして訴えてきました。これも大村知事の独断独裁による行動であり、このような愛知県知事を認めることはできません。
 政府、自治体、名古屋市、愛知県主催の場合では裏書き効果が生じます。名古屋市愛知県がその内容を正しいものと保証する効果が生じ、あたかも皆様方ご自身が支持しているような効果が生じ、社会に与える影響は膨大となり、民間主催・私費で個人的に表現主張された場合とは全く異なります。河村市長は個人の表現について、それに抗議したことはただの一度もございません。公共主催の公共事業、皆様の血税を使ってのこのような反日プロパガンダといわれるような政治的に著しく偏った展示を大村知事の独断独裁でするのは許されないと、名古屋市の公務として主張しているのです。


※HPでも詳しい説明・動画等ご覧頂けます。『愛知100万人リコールの会』

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愛知県知事解職請求(リコール)署名 受任者のお願い

特に後半の「リコールの経緯」における事実誤認、というよりも、明白な「プロパガンダであり、政治的に著しく偏っている」主張については、敢えて論評しない。愛知県の検証委員会や、名古屋市の検証委員会の議事録等を引いて、詳細に批判することも可能だろうが、それよりも今般の知事リコール署名活動において、愛知県民有権者660万人の内、訴えに応えた署名実数はわずか8万筆弱であり、わずか1.2%の同意しか得られなかったのであって、それだけを見ても如何にこの主張が歪んでいるかが判る。

問題なのは文末にある「名古屋市の公務として主張している」との記載である。

これは、この書面を受取る名古屋市民に対して、名古屋市長として「名古屋市の公務として」の呼びかけを行っていると解することができる。

一部報道によると、佐賀において行われた署名偽造作業について「行政の仕事」であるような説明がなされていたようであるが、確かに「市長の要請」によって為された作業であるのなら、「行政の仕事」であるのかもしれない。つまり、名古屋市は市の公務として署名簿の偽造という法に反する行為を行ったのか?

およそ想像を超えた破廉恥な事態という以外無い。*2

名古屋市会において、名古屋市会議員の皆さんは上記のように。

1.2月22日の市長弁明書における虚偽
  1-1.2011年(平成23年)に発生した流出事件を隠蔽していること
  1-2.2013年(平成25年)に発生した
      減税日本ゴヤ幹事長・中村孝道議員における窃取告発を隠蔽していること

2.議会リコール受任者に対して個人情報を「第三者に開示提供せず」としているのであれば、ネットワーク河村市長は知事リコール事務局と一体不可分なのか

3.または、議会リコール受任者に対する説明を翻して、第三者に無断で流用したのか

4.「ネットワーク河村市長」が政治団体として登録されていないのであれば、任意団体として個人情報保護法に従う必要があるのではないのか

5.名古屋市会の平成25年12月6日「名古屋市議会の解散請求に係る署名簿及び受任者名簿の目的外使用に関する決議」を無視し受任者名簿の提供を行ったのか

6.議会リコール受任者に対する要請は「名古屋市の公務」として行ったものか

などの疑問点について、名古屋市河村たかしに対し名古屋市民に代わって追求していただく責務があると考える。

また、マスコミは有権者の目や耳として、これらの議論を伝える義務があるだろうし、名古屋市民は自ら選んだ市長の弁明を注視すべきだ。

私の主観から言えば、市民に虚偽を述べる者は公職者の資格はなく、この期に及んでもまだ、上記のように虚偽によって自らの無謬性を言い立てるのであれば、即座に市長の座から身を引くべきだろう。

「恥」という言葉を知るべきである。


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ネット署名にご賛同を!


*1:それにしてもその後、24日の選挙管理委員会に対する愛知県警の「ガサ入れ」を受けた会見などでは「名古屋弁」を忘れて標準語で話すなど、明らかに慌てふためいていたのには笑った。平野氏も報道を見て慌てて市長室に飛び込んでいったそうだし。よほど県警の動きは効いたようだ

*2:ある方は、「頭が逝っちゃった尊師に率いられた名古屋市オウム真理教になっちゃった」と論評していた

リコール署名簿騒動と名古屋・日立訴訟

 さて、ネット上では、愛知県知事リコール運動に伴う署名簿の偽造事件で様々な情報が飛び交っている。

 2月15日、月曜日の河村事務所における会合については既報通りであり、やはり高須氏が提示した構図のように、W秘書の「300万」が問題となって、W秘書は会合に同席しなかったようだ。

 ここで話し合われたのは、署名収拾問題に伴う情報交換と、善後策で、河村市長としては「県選管にある『名簿』は充足数に満たない仮提出の『名簿』で、地方自治法で捏造が違法とされている『署名簿』とは異なる。故に県の調査は違法であり、もし誰かがこの『名簿』を捏造したとしても、違法性を問われることはない」との見解であり、特に対応も決定されなかった。

 ここで、しばらく脇道に逸れることをお許し願いたい。

 河村市長や高須氏の誤り、これは多分、(CDCを崩壊させて、感染症を米国内に蔓延させた)トランプ前米国政権の誤りでもあり、森ー小泉ー安倍と続いた自民党清和会における誤りでもあるだろう。誤った民主主義の理解が、顕在化したものである。

 それは21世紀に新たに現れたものではなく、19世紀のジャクソン流民主主義でも見られた傾向であり、民主主義 ーー大衆の政治参加ーー が本来孕む問題なのだろう。「リベラリズムパターナリズム」の問題である。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 エーリッヒ・フロムや三島由紀夫、最近では中島岳志が指摘しているように、人間は自由を求めつつ、実は自由で自立した存在で居ることができない。そのため「自分の自由を縛る存在」を欲するようになる。その結果、河村たかし高須克弥というような扇動家が生まれ、そうした者たちの「口車」にのる人々 ーー自由から闘争してきた大衆ーー が、社会の方向性をかえる。そこでは必ずしも悲惨ばかりが起きるわけではない。大衆による民主主義が上手くいくこともある。けれども時に恐ろしい悲惨も生み出す。今回の河村たかし高須克弥たちピエロの演じた一幕の喜劇も、そうした人間の織りなす社会の一形態でしかない。

 パターナリズムは、パターナリストが作るものではないく、そうしたパターナリストを欲する者たちが作る。

 パターナリストは、リベラリズムを理解できない。自身の自由と、放蕩は守ろうとするが、他者の自由には平気で「干渉」する。パターナリストは、責任を取らない、反省もしない、それ故、常に無謬である。パターナリストが誤らないのは、常に正義が彼の側にあるからではなく、彼の側が正義であるからである。

 河村たかしが口にする「民主主義」とは、こうしたパターナリズムを基盤とした「民主主義」であって、河村たかしを信奉しない者はその範疇に入らない。河村たかしの口にする「議論」とは、河村たかしの独演会の謂であって、「活発な議論を起こす」とは「(河村たかしの)言うことを聞け」と同義である。

 それ故、あれほど否定した「党議拘束」を減税日本では事実上行っている。

 減税日本においては、河村たかしの意向、決定が全てであり、異論は許されない。議論においては、河村たかしの発言を聞くことが全てで、河村たかしの意向を実現する事が「民主主義」であると考えられている。

 2月15日の会合も、何も国民や愛知県民、名古屋市民の為に開かれたものではない。私党である減税日本のためでもない、河村たかしの利益を模索、擁護するための会議であり、河村たかしの意向を確認するための会合でしかない。

 名古屋市政に於いても、優先されるのは河村たかしの利益であり、市民の意向は二の次である。

 このリコール署名騒動を見ていれば、愛知県民や名古屋市民の意向よりも、河村たかしの意向が優先されている事が見て取れるだろう。河村たかしについても、高須克弥についても、少なくない愛知県民が、自身の署名を冒用され、主権を侵害されている。その責任主体は代表である高須克弥であり、リコールを主導した河村たかしにあるのは明白であるのに、そうした人々への謝罪はない。

 例えば、佐賀で署名偽造作業者を募集したとされる事業者は、自社のサイトに報告と謝罪を掲載している。
timee.co.jp

 それなのに、主体的な責任者であろう「お辞め下さい大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会」には説明もなければ当然謝罪もない。

aichi-recall.jp

 こうした無責任な態度、人権無視の姿勢は河村たかしの私党「減税日本」においても同様である。

genzeinippon.com

 私なぞは、パターナリストのこうした無謬性に、許しがたいほどの嫌悪感を感じるのだが、パターナリズムが好きな、フロムのいう「自由からの逃亡者」三島がいう「奴隷」どもは、こうした無謬性故に、彼らの語ること/騙ることが真実であると思えてしまうのだろう。

 さて、16日に佐賀において偽造署名が作られていたとの報道が行われ、それ以降各メディアが競って事実関係を追っている。そしてあちこちから様々な情報、憶測、観測が飛び交ってきている。私もそうした情報の内、どれが本当であるか、どれが嘘かは判別がつかない。まるで「皆が嘘を言うゲーム」に参加しているようだ。

 こうした場合、その全体図式をまず把握すべきだ。上で延々とパターナリズムについて述べていたのはその為でもある。上の図式に矛盾する情報、憶測には注意したほうが良いだろう。*1

 とはいえ、まさかまだ「河村たかしは少女像が日本人の心を踏み潰す展示だから知事に対してリコールを仕掛けた」とか「高須克弥天皇陛下昭和天皇)への忠誠心から国士的行動を行った」とか「田中事務局長は有能な事務局員である」であるなどと思っている人は居ないだろう。

 さて、昨日の高須氏の示した図とは違って、佐賀の作業現場に河村事務所のメンバーであるM氏が派遣されていたという情報が飛び交っている。すでに数社のマスコミはM氏に直接接触し、否定されているようだ。河村事務所のメンバーが、佐賀の捏造に関わっていたとするならほとんど確定的で河村市長には致命的な情報だが、どうも事実関係が異なっているらしい、また、このM氏は河村事務所のメンバーではなく、自主的に手伝っていただけとの情報もある。また、そうした情報が河村事務所を擁護するための誤情報であるという指摘もある。まさに「皆が嘘を言うゲーム」だ。

 面白いのは、このM氏、以前「朝日新聞で働いていた」という情報もある。一体どんな業務についていたかは不明だが、そうした情報も転がってきた。

 2つばかり独立したトピックの後に、現在最も注目される話題を述べる。

 昨年の9月、10月に河村事務所は資金難に陥っていた。恒例の旅行やビアホールなどが開催できなかったからだが、そのため職員に支払う報酬も滞っていたという観測がある。

 そうした中で、W秘書が資金調達を模索していたのではと見られても居る。(真偽は不明だ)

 さてさて、田中事務局長と反目が決定的になっている水野昇氏(元瀬戸市議)の話題が飛び込んできた。水野昇氏は一昨年の愛知県美術館前における河村座り込み現場にも参加しており、その後 Facebook の閉鎖サークルで愛国倶楽部などのメンバーを集めて、大村知事の批判と、河村市長への支持を続けてきたようで、田中ー高須が大村知事リコールを具体化した際には、真っ先に参加して田中事務局長と歩調を合わせてきたようだが、やがて袂を分かつことになる。(略)水野氏は12月4日の「受任者・請求代表者の記者会見」にも参加しており、その後独自に見解をYouTUBE に掲載したところ、このYouTUBE掲載者とともに、田中事務局長から提訴されているようだ。

www.tokai-tv.com

 そうしたところ、田中事務局長が県議時代県内の旅行代理店に旅行代金500万円の未払いがあった事を水野氏が掴んだようで。(田中氏については、こうした未払いや借財が至るところにあるようですが)それを週刊誌に売り込んでいるようだ。

 こうした場外乱闘も構図をややこしくしている。

 さて、重要な話。

 こうして様々な思惑や錯綜した情報を解いていくと、実はこの知事リコールの構図は至極単純なことが判る。早い話が「河村名古屋市長のサバイバル」でしかない。

 そこで重要なのは4月に迫った市長改選だ。この改選で河村市長の再選が叶うように動いたのがリコール運動である。一昨年、河村市長は市長再選、または国政転身のために、大阪の維新との関係を保っていたほうが得とみなして、松井一郎大阪市長から指摘を受けたあいちトリエンナーレにおける「少女像/慰安婦像」の展示を批判してみせる。そうしたところ、思ったより反響があり、各メディアがこの話題を取り上げるのでそのまま主張を続けた。しかし、「少女像/慰安婦像」だけでは名古屋市民の反応が薄かったために、大浦さんの作品を「天皇陛下の肖像を燃やした」だとか、中垣さんの作品を「特攻隊を揶揄した作品」であるなどと、批判の戦線を広げた。それでも、名古屋市民の反応は鈍かったが。
 けれども、高須克弥氏が河村のこうした「口車」に乗って、本気でリコールをはじめた。

 河村としては、メディアに自分の名前が載る。特に右派のメディアが取り上げ、河村にしてみれば久々に「全国規模」で名前を売ることができたと感じた。

 全ては、この4月に来る市長選挙における再選が叶うように動いていただけに過ぎない。

 実は、火曜日に「名古屋市が日立と和解の方針である」と報じられた。私はこれを行政事務の手続きから現在のタイミングになったのかと思っていたが、事はそうではないようで、河村市政の将来を占う上でも重要な事案であるとのことだ。

 そもそもは、2009年の市長選の際に「4大事業のストップ アンド シンキング」として、西部医療センター建設の見直しを掲げたものだが、その後計画は8ヶ月遅れで再開された。そもそも「止めた」判断が誤りで、再開に至るまでの決定もモタモタしたものであった。

 やがて、この遅れた8ヶ月分の損失4億5千万円を、名古屋市は日立から訴えられることになる。

 この訴えに対応したのが、副市長に迎えられた弁護士の岩城氏で、裁判外紛争解決手続(ADR)で、賠償額を1億5千万円に圧縮した。

 しかし、河村市長はこの和解を飲まず、和解をまとめ上げた岩城副市長まで解任する騒ぎとなった。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com
 
 ここで和解しておれば1億5千万円で済んだ損失を、今回の和解では3億8千5百万円とするのだから、2億3千万円も割高となる。

 そして重要なのは、そもそも河村市長が止めなければ発生しなかった3億8千5百万円という名古屋市民の負担であるということだ。

 「国立上原ケース」という判例がある。

ja.wikipedia.org

 市長が政治的に下した決定によって私企業などが損害を蒙り、その損害賠償を市が行った場合、その政治的判断を下した市長に「個人的な賠償責任が求められる」という判例である。

 そして、名古屋市におけるこの日立訴訟は、まったくこの「国立上原ケース」と符合する。河村市長の政治的判断であって、名古屋市名古屋市民が負担するべき筋合いはない。

 名古屋市と日立との訴訟が確定した段階で、名古屋市、または名古屋市民から河村氏はその損害賠償額を個人負担するように訴えられる可能性がある。以前、ADR1億5千万円を蹴った理由にこれがあり、河村市長は個人賠償を受けないように、判決を先送りしたと見られている。・・・しかし、先送りすれば個人賠償を免れるというものではないが。

 さて、裁判の判決は議決に優先するが、和解であれば議会の議決が必要となる。

 名古屋市が日立と和解しようとすれば、議会の同意が必要になる。ここで議会が和解を承認すると、訴訟は終結する。終結すると、上記のような個人賠償が提起される可能性がある。その為に、訴訟終結後、河村市長は市長として、自らの個人賠償に関わる部分について、自己責任を回避するように工作を行う可能性がある。

 ここで、議会が和解を拒否すれば、訴訟は継続される。和解額よりも大きな額が請求されるだろう。(金利も含めて、6億から7億円に達する可能性がある)

 と、すると。議会が和解を拒否すれば、河村市長は訴訟継続、または個人賠償を回避する工作のために、「市長を降りるわけにはいかなくなる」

 名古屋・日立和解案 → 議会:同意 → 市長:工作 → 市長:再戦せず

 という可能性があるが、議会が不同意の場合、河村市長は市長を降りるわけにはいかなくなる。今、2月定例会における議会の追求は、リコール署名に関する市長の関与、減税日本の関与だけでなく、河村市長再選がかかったこの日立訴訟和解の審議も注目に値する。

名古屋市:会期中の本会議・委員会(市会情報)


 さて、ここで市長選挙の見通しだが、自公による候補者選定は難航している。

 更に、最近某有力者からの拒否回答を受けたとの情報もある。リコール運動による河村市長批判は確かに激烈だが、事は汚職やスキャンダル、政治資金規正法公職選挙法に関わる話題ではない。そもそも「直接請求署名の偽造」という話題が、法的にも責任追及しにくい河村市長の再選にどの程度影響するのか測りかねる。

 こうした場合、有権者は単純に「以前書いた名前を書く」傾向があり、このまま再戦されてしまうのだろう。そして、上記訴訟に対する市長個人請求については、ゆっくりと工作が行われるのだろうか。

 しかし、元々河村氏の再選の為のメディア露出を狙った知事リコール騒動が、問題が拡散し、出馬表明すらできないまで時期がずれてしまった。考えてみれば事務局が普通に中間集計、仕分け、ナンバリングを行い、KKRにおいて「43万筆なれど、充足数に達せず」として、終結宣言していれば、県選管に提出することもなかったし、43万筆という数字が一人歩きをして知事に対して批判的に働いていただろうに。


*1:しかし、一方予め図式を構えてモノを見る危険性も承知しておくべきだ

令和3年2月15日(月曜日)河村事務所における会合

一昨年の「あいちトリエンナーレ」に端を発した、河村たかし名古屋市長と大村秀章愛知県知事の対立、というよりも実態としては河村市長の独り相撲。

  ーー この騒動は、直前に起こった「徴用工問題」に関わる日韓国交問題が、展示物である「少女像/慰安婦像」に影響を及ぼして、そうした日本国内における「嫌韓派」に阿った河村市長の「ウケ狙い」の言動と、そうした議論には乗らなかった大村知事の行政マンとしての当然の姿があっただけで、何も生み出していない。
 その証左に、その後ドイツ・ミッテ区に設置された「少女像/慰安婦像」に対して、河村市長はこの像の設置があいちトリエンナーレの影響であるなどと、まったく根拠もない主張をおこない、わざわざドイツに抗議文まで送ったものの却って反発をかい、結局「一年間の限定設置」だった「少女像/慰安婦像」を、常設設置としてしまうという、まるでオウンゴールのような結果を生んでしまった。河村市長は中国に対する「南京事件否定発言」においても、問題を進展させず、本人がいうような「議論」も起こさず、ただいたずらに、友好都市であった名古屋と南京の両都市間の交流を阻害し、両国間に壁を作っただけで何も解決させておらず、何も生み出していない ーー 

南京事件について議論をしない河村たかし - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
南京事件に対する法的に認定された事実、客観的事実 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0


 しかし、そうした河村市長の主張に呼応した高須克弥氏の唱導した大村秀章愛知県知事に対する「リコール運動」は署名収集期間の様々なグタグタぶり、陰謀論を顕在化させ、高須氏や事務局を務めた田中維新の会第5区支部長の事務能力のなさを露見させた。署名開始時期の遅れ、期間中の「ハッカー被害」「盗聴事件」「車に細工したとする殺人未遂」すべて「夕刊フジ」ネタレベルであり、つまり高須氏の発言や、河村市長の発言、そもそもこのリコール運動自体が、まともな大人が取り合う話でないことは明白であった。更に、署名収集終了時の「公開開票」(?)やそれ以降の「仕分け」や「ナンバリング作業」。そもそも仕分けやナンバリングなど事務局で順次行うべきものであって、それらを行っていないということ自体、高須氏や田中事務局長の「直接請求制度」への理解の低さを表している。

 仄聞するに、高須氏は、河村市長の「自分たちは名古屋市議会をリコールしている、そのノウハウを持っている」という言葉に騙されたそうだが、実は河村市長も、その河村事務所の職員、並びに署名収集団体であった「ネットワーク河村市長」の代表である平野一夫も、署名収集のノウハウなど全く持っていない。10年前の市議会リコールにおいて、その実態は某企業のオーナー経営者と、その意を汲んだ人々によって運営されていたのであり、河村市長はそうした人々を裏切って、すでに関係は切れている。今般、そのうちの中心人物に「協力の要請」を行っていることは私も知っているが、こうした関係からもそれらの人物が協力するはずもない。そればかりかその内の幾人かは高須氏のこの運動が顕在化する前から私のブレーンとして私に情報提供をしてくれていた。

 その後、収集団体自体が「仲間割れ」を起こし、事務局と一部請求代表者が相互に批判するに及んで、たぶん、一般の愛知県民も呆れていたことだろう。

 高須氏にしても、それらから離れた人々にしても、そもそも河村市長のあいちトリエンナーレへの批判が正しいものか、誤っているのか。そこから読み違えている。

 例えば、韓国の行った「徴用工裁判」に対して、それが日本の国益に反すると考えるのであれば、その徴用工とは何であったのか、そしてその賠償がなぜ今になって問題となるのか、そこを直接批判すればいい。そして、そうした議論こそがこうした問題に対する解決の道だろう。

 こうした具体的な問題が発生した時に、その本当の問題を見ようとせず、キャッチーな「少女像/慰安婦像」の展示という問題に論点をずらせば、自身が考える「国益防衛」という問題意識を、誰かに「ずらされている」と考え、警戒すべきだ。歴史は、こうした論点をずらす「煽動家」と、それに踊らされた一般大衆の累々たる屍で飾られている。


 社会がおかしいと思った時に、本当に社会がおかしいのか、社会がおかしいと思う自分のほうがおかしいのか、あまり自己を過信せず論考を深めたほうが良い。


 さて、その「煽動家」である河村市長は、今週の月曜日(2月15日)に、河村事務所で小さな会合を開いている。参加者は河村たかし市長、佐藤夕子減税日本ゴヤ市議団団長、島袋朝太郎愛知県会議員、ネットワーク河村平野一夫代表、元愛知維新幹事長杉江秀一元県議、河村たかしO秘書のようだ。(W秘書は呼ばれなかったという説もある)

 この会合の意味も、3説ある。

 1つは、河村市長が県選挙管理委員会の告発を受けて、善後策を協議するため招集をかけたというもの。
 2つは、佐藤夕子市議が、やはり、県選管の告発を受け、地元支援者から問い合わせを受け、招集をかけたとする説。
 3つが、実際に署名収拾にも関わっていた杉江元県議が河村事務所に招集をかけたとする説。

 まず、この会合を理解する前提として、河村市長の周辺には、現在行われている愛知県選挙管理委員会の調査自体が違法で不必要なものであるという認識がある。これは度々河村市長が口にしている解釈であるが、「現在、県選管にある『署名簿』と言われているものは、定数にも足りていない、仮提出の『名簿』に過ぎず、地方自治法で言う『署名簿』ではない。なので、『無効署名』はあるだろうが、『不正署名』はない」という立場だ。

  地方自治法で言う『署名簿』ではないので、数を水増しするために偽造、捏造しても地方自治法の違反にはかからない。という主張とも言える。
 そして、それを敷衍すれば、今問題なっているような「偽造署名」を書いてしまった人も、地方自治法の違反にはかからない。という態度だ。


 さて、この会合に河村市長の秘書であるW氏は呼ばれていないという説がある。

 今一部に次のような「怪文書」がばらまかれているらしい。


 高須克弥氏の言うように、こんなモノをこうしてSNSなどに掲載する行為は犯罪だろう。一部には、私人が含まれており、肖像権の侵害でもあるだろう。私信ならなまだしも、なんの考慮もなくSNSに掲載するというのは、犯罪だ。

 ちなみに、私信は公表されることを前提としていないので、差出人には、私信をみだりに公開されないことについて法的保護に値する利益が認められ、差出人の承諾なしに私信を公開したとすれば、人格権であるプライバシー権を侵害する行為となり、民法第709条に基づいて損害賠償の請求が発生する可能性がある。(高松高判平成8年4月26日)

日本ユニ著作権センター/判例全文・1996/04/26


 この図にも高須氏からW秘書に向けて「300万」という記載がある。

 (この図で特に興味深いものは、高須氏が指している「勲章(旭日章)」だろう、 高須氏は寄付行為等で紺綬褒章を何度か受賞しているが、県知事には「旭日章」が受勲される。)

 この「W秘書に300万」という説が、この会合でも問題となって、W秘書は呼ばれなかったという説がある。とにかく、月曜日の夜の段階では、何も決まらなかったようだ。


 そして、火曜日(16日)の朝、中日新聞の朝刊が炸裂する。


 呆れたことに、「業者」に依頼して、佐賀県で人を集め、署名簿を偽造していたというのである。この報道を受けて、田中事務局長が県記者クラブで会見を開いて、その席上「事務局の誰かが発注したが、使い物にならなかった」と事実関係を認めてしまっている。そのうえで「誰が発注したかは言えない」としているが、こんな発注(代金で数百万円にのぼるだろう)ができるのは田中事務局長以外考えられないし、署名収取運動を見てきた人間で、今でも田中事務局長の発言を真に受ける人がいるとすれば、それはよほど人がいい。
 それにツイッター上などでは10月下旬、「田中事務局長が居ない」という発言が散見され、「事務局を馘になったのか」などという観測も出ていた。10月下旬といえば、報道されているような「作業」が佳境になっていたときで、田中事務局長自身が佐賀に行っていたと考えると、ちょうど符号する。

 この「署名簿偽造」という問題は、確かにとんでもない。

 しかし、このような偽造で(つまりは、金で)知事をリコールできるということはない。当然、充足数に足りれば、審査を受け、縦覧に付される。そうすれば、その真偽は明らかとなってしまう。偽造数自体中途半端な量(全体の偽造数は36万筆強/佐賀で作られたものも、その一部だろう)であり、河村たかしが大村知事に宛てた「公開質問状」(下記)で「悲しい、哀れな人」と揶揄してみせる以上の意味はない。


 いったい誰が、どのような意図でここまで馬鹿な行動をとったのか、是非真相を明らかにして欲しい。そして、笑わせて欲しい。


 さて、先にも述べたように、10年前の市議会リコールを主導した事実上の事務局から、私は様々な情報を得ている。そうした人からみると、今回の「佐賀における偽造問題」を河村市長が主導したとは考えにくいという。10年前の市議会リコールでは、中間集計を行い、収集数を把握していたが、河村市長にそれを報告しても、まったく興味を示さなかったそうである。つまり、河村市長にとっては、10年前の市議会リコールは、騒ぎ立てメディアに自分が載ることが目的であり、市議会の議員を怯えさせることができればそれで良かっただけで、リコールそのものの成立など興味はなかったのだそうだ。

 そうした河村市長の感覚、価値観から考えると、わざわざ高いお金を払ってまで、佐賀で偽造をしたというのは考えにくいと言うことだそうだ。

 佐賀の偽造行為。

 私は注目点は3点あると考えている。

 1.指揮命令系統
 2.お金は誰が出したか
 3.偽造の元データは何か、誰が提供したか

(続く)


令和2年11月16日 河村たかし名古屋市長による、大村秀章愛知県知事に対する「公開質問状」

令和2年11月16日 河村質問状 1of3
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令和2年11月16日 河村質問状 2of3
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令和2年11月16日 河村質問状 Eof3


名古屋市長河村たかしの嘘と詭弁を排除せよ

名古屋市河村たかしの嘘と詭弁を公共の場において否定しなければならない。名古屋市河村たかしの嘘と詭弁を名古屋市政から排除しなければならない。なぜなら、嘘や詭弁によって名古屋市政が歪められていくならば、名古屋市政による福祉を期待する人々。➖➖眼前の感染症対策、生活困窮者への支援、高齢者や身体にハンディキャップを持った人々への公平な社会実現➖➖こうした基礎自治体としての機能が、嘘と詭弁で歪められていくからだ。そのためにも、名古屋市長 河村たかしの 嘘と詭弁を名古屋市民に広く知らしめる必要があるし、地元メディアである中日新聞は、名古屋市河村たかしの嘘と詭弁という「事実」を名古屋市民に知らせる義務がある。

先日、中日新聞を読んでいて呆れた。名古屋市河村たかしを生み出したと言っても過言ではない「河村市長の提灯持ち記者」が、その河村たかしがろくな議論もなく停止した政策について「停滞である」と批判を加えていたからだ。

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木曽川導水路 まだ「凍結」を続けるのか 豊田雄二郎論説委員

誰が、どの口で言うのかと呆れ返った。

追記:
ichi-nagoyajin.hatenablog.com


しかし、そんな過ぎ去った過去はどうでもいい。それが停滞であるというのであれば、是正すればよいし、その決定に至った背景を反省すればいい。早い話、名古屋市長として河村たかしを排除すれば、その政策課題も結論をみるだろう。幸いにも名古屋市は4月には市長選挙を迎える、それまでにこの河村市政12年を再検証し、市民に「嘘と詭弁」という実情を伝えれば良いだけだ。

このブログに「リコール署名の疑惑について」と題された文章がある。掲載日は2011年6月6日で、すでに10年ほど前の文章となる。
ichi-nagoyajin.hatenablog.com


これは今、騒動になっているリコールについて「予言」を行った文章ではなく、当時、河村市長の煽動で行われた「名古屋市会に対する議会リコール」についてその疑惑を掲載したものだ。

当時も大量の無効署名が存在し(多くは、受任者未記載の署名)名古屋市選挙管理委員会はサンプル調査として約10万件の郵送調査を行った。その際、601件の冒用(書いた覚えのない署名、つまり捏造)が判明したが、議会リコールを推進するかのような中日新聞の論調や、そうした報道に押された「民意」で正当な検証がなされないまま、住民投票となり、議会は解散、地域政党減税日本」が誕生した。その後の減税日本を起因とする馬鹿騒ぎは、呆れ返るほど続出し、それは今も続いている。

河村市長は、現在の疑惑と同時に、この疑惑にも答える義務がある。

今回の知事リコールに係る、大量の署名偽造問題で、河村市長は「自分も被害者である」というような発言をしているようだが、これは10年前の議会リコールに続く、「リコール署名簿流出事件」における物言いと同様の、無責任極まりないものであり、自分の事しか考えていない、公職者としてあるまじき思考を露呈したものであると指摘する。

10年前の「流出事件」においても、まっ先に行うべきは、管理の稚拙についての謝罪と、自分の署名が流出したのではないか、悪用されるのではないかと不安に思う署名者に対する説明であったはずで、そうした謝罪も、説明も行われてはいない。

今般の事態においても、大量の偽造があるのであれば、不正に氏名を利用された市民、県民への謝罪を最初に行うべきで、こうした違法な運動を起こしてしまった責任についても釈明すべきだ。河村たかしには、市民、県民の心、民意というものを「忖度」する能力がない。常に、河村たかし河村たかし自身の考え、価値観、視点、つまりは主観に縛られ、客観的に状況を俯瞰して、市民、県民が何を必要としているかという観点がない。彼は自分がやりたい放題をやっているだけに過ぎない。もはや、これだけでも公職者として資格喪失だ。更に、こうした公的責任を追求されると「嘘と詭弁」で逃れようとする。

「嘘と詭弁」を突き通し、その場だけ逃れれば、地元メディアである中日新聞は、適当に擁護してくれるし、「人の噂も七十五日」大部分の有権者は問題を意識することもなく沙汰止みとなり、選挙ともなれば現職ということで自分の名前を書いてくれる。何もせず、適当に口からでまかせを言い、酒でも飲んでいれば、あとは優秀な名古屋市職員が尻拭いしてくれるから安泰といったわけだ。

こうしたやらずぶったくりの市長給与と、国会議員年金で安穏な生活を続けていられる。

まさに「人生行き詰まったら、選挙に出ろ。運良く受かれば税金で飲んで遊んで、おまけに外国旅行まで付いてくる、たまりませんわ」という極楽が待っているというわけだ。

国会議事録にまで残っている「国会議員年金は1円も受け取らない」との明言を無視して、議員年金を受け取り続けても、誰も咎めもしない。なんと名古屋市長とは楽ちんな仕事だろう。中日新聞がちょっと批判じみたスタンスを取るようなら、名古屋城金鯱でも下ろしてイベントをやらせておけば機嫌を治すということだろうか。市民の困窮や市政の停滞など、知ったことではないのだろう。

このリコール騒動についても、東京新聞は先週の段階で実情を紙面に掲載した。しかし、その記事は「共同」の配信した記事だ。地元名古屋の中日新聞は、全く掲載もしない。東京新聞が掲載するような問題を、地元の中日新聞が掲載せず、東京新聞は「共同」電を掲載する。これが報道の歪みでなくて何が報道の歪みなんだろうか、中日新聞は明白に筆を曲げている。

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愛知県知事リコール署名、刑事告発を調整へ 名古屋市でも8割超不正の疑い 東京新聞(1月29日)共同電

du-contrat-social.hatenablog.com

もう、こんな異常は、この私のような変わり者が騒ぐだけでは済まない。すでに10年以上も続けていれば、少なくない名古屋市民も気がついている。いい加減に中日新聞は目を覚ますべきだろうし、これ以上歪んだ報道を続けていれば、市民(購読者)が離れていくことを覚悟するべきだ。


当ブログをひっくり返せば、名古屋市河村たかしの嘘と詭弁はいくらでも見つかる。しかし、最新の嘘、詭弁をお伝えしよう。

名古屋市名古屋城天守木造化についての市民向け説明会を行っていたことは前回の投稿で述べた。その中で河村市長は「奈良文書」(本人は当初、「奈良ドクトリン」などと誤って理解していた)を持ち出して、新たな材料による木造復元が「真実性がある」と主張していたが、これは詭弁である。そもそも「奈良文書」には直接的にそのような言及はないし、彼が言っていたような3つの条件などもない。

議論していけばややこしいので、骨格だけ引いておくが、そもそもこの「奈良文書」は次のような経緯を踏まえなければ理解できない。
最初に、1931年の「アテネ憲章」がある。

https://icomosjapan.org/charter/others1931.pdf

ここで貴重な歴史的建築物修復のためには、どしどしコンクリートでも何でも使って、補強、保存が必要だと結論づけた。ところが、当然のことに、乱雑な補強修復が乱発されて、却って歴史的建築物の一貫性(真実性)がなくなってしまった。そうした反省を基に「ヴェニス憲章」(1964年にヴェネチアで取り上げられたので、「ヴェネチア憲章」と記載しているところもある)が1965年に採択され、ここでは「修復工事はいっさい理屈抜きに排除しておくべきである」とまで厳しく、真実性の維持を訴えた。

https://icomosjapan.org/charter/charter1964.pdf

豊かなメッセージ - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
ichi-nagoyajin.hatenablog.com

しかし、ここからは河村市長が言うように、確かに木造の建築物について、この基準を当てはめると、歴史的建築物の維持ができなくなってしまう。例えば法隆寺なども、現在残っている素材は、最古のものでも鎌倉時代と言われているが、全体としての法隆寺は1400年の歴史を伝えているとみなしても良いのではないか。今後、修復を重ねたとしても、「その真実性はゆるがないのではないか」というような議論を提起したのが「奈良文書」(1994年)となる。

http://www.japan-icomos.org/charters/nara.pdf

この「奈良文書」の第5センテンスは次のようになっている。

5 我々の世界の文化と遺産の多様性は、すべての人類にとってかけがえのない精神的および知的豊かさの源泉である。我々の世界の文化と遺産の多様性を保護しおよび向上させることは、人類の発展の重要な側面*1 として積極的に促進されるべきである。

また、11には次のように言う

11 文化財がもつ価値についてのすべての評価は、関係する情報源の信頼性と同様に、文化ごとに、また同じ文化の中でさえ異なる可能性がある。価値とオーセンティシティの評価の基礎を、固定された評価基準の枠内に置くことは、このように不可能である。逆に、すべての文化を尊重することは、遺産が、それが帰属する文化の文脈の中で考慮され評価しなければならないことを要求する。

さらに、1994年に「奈良文書」が採択されて以来議論は続けられ、「姫路提言」(2012年)や

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/isanbukai/sekaitokubetsu/1_03/pdf/shiryo_1-4.pdf

「奈良+20」(2014年)という文書が採択されている。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/isanbukai/sekaitokubetsu/3_03/pdf/shiryo_1.pdf

さて、こうした中で「復元」や「復元的整備」についても、多様な在り方が容認されるようになり、敢えて言えばその極北が「平城京跡歴史公園」という、どこに「真実性」があるのか見当もつかない観光施設(公共事業)ということになるのだろう。(私は、公共事業一般を否定しないし、「無駄な歳出」という価値観だけでものは見ない)

ここで、そうした在り方の是非は議論しない。平城京跡歴史公園に価値を見出す人がいても構わない。個々人の価値観だ。

つまり、かつて有った木造の歴史的建造物を、現代に、新たな材料(木材)を揃えて再現してみて、それを「真実性がある」とか「本物である」と言ってみても、そうした価値観も認めるべきなのかもしれない。(説明会場で言っていたように、名古屋城には確かに資料は豊富にあるが、内部構造図は残っていない。外形的な資料を基に、推測で再現するに過ぎない。これも河村市長の「嘘」だ)

ichi-nagoyajin.hatenablog.com


つまり、大幅に譲歩して。名古屋城を木造復元することが「本物の再現」であり「真実性がある」ことであるとの主張を受け入れてみよう。しかし、大問題がある。

名古屋城跡に今、何も建っていないのであれば、その議論は成立するだろう。

「木造復元天守」の真実性という議論については、一定の指針を得ることができるだろう。しかし、この論点には大きな見落としがある。名古屋城跡には外観復元を果たした鉄骨鉄筋コンクリート製の天守が厳然と聳えているのである。

この、今建っている、鉄骨鉄筋コンクリート名古屋城を取り壊すことについてはどう評価すべきか。

先に「奈良文書」の第5センテンスと第11センテンスを引いた。そこに述べられている言葉は、現存する鉄骨鉄筋コンクリート名古屋城天守にこそ適応されるべきではないのか。

「我々の世界の文化と遺産の多様性は」つまり、昭和の名古屋市民が外観復元を重視し、素材については燃えて無くならない鉄骨鉄筋コンクリートによって名古屋城天守を再現したことは、「すべての人類にとってかけがえのない精神的および知的豊かさの源泉である」現に、この名古屋城を見るために、世界各国から観光客は訪れ、周辺のホテルは借景として天守を望む。「我々の世界の文化と遺産の多様性を保護しおよび向上させることは、人類の発展の重要な側面として積極的に促進されるべきである」つまり、この貴重な戦後復興のシンボル、昭和の名古屋市民が建てた平和と民主主義のシンボルである、現名古屋城天守建物を保護し、向上させるべきである。と解釈可能だ。

文化財がもつ価値についてのすべての評価は、関係する情報源の信頼性と同様に、文化ごとに、また同じ文化の中でさえ異なる可能性がある」確かに、木造復元を希望する市民もいるのだろう、しかし、現在の名古屋城天守に愛着を持ち、それが取り壊されるという報道がなされた際に、それを泣きながら聞いていた市民も居るのだ。「価値とオーセンティシティの評価の基礎を、固定された評価基準の枠内に置くことは、このように不可能である」つまり、乱雑に木造が良いとか、現存天守が良いとかを一方的に決めつけるべきではないだろう。「逆に、すべての文化を尊重することは、遺産が、それが帰属する文化の文脈の中で考慮され評価しなければならないことを要求する」ただ、ここで現在の天守をわざわざ壊して、無くならせることは、戦後復興期の歴史的事実を失わせる事となる。

現在の天守を尋ねる人々は、それがコンクリートによる再建であることを知り失望する、しかし、それは同時に第二次世界大戦による戦災と、都市に対する無差別爆撃という非文明的な暴力の惨禍を知る縁となり、戦争の悲惨を語り継ぐ語り部ともなる。

けれども、ここで木造復元を行うことはこうした「それが帰属する文化の文脈」そのものを否定し、失わせしめる行為にほかならない。
このように、「奈良文書」の語るところは、現在の鉄骨鉄筋コンクリート名古屋城天守の真実性と、歴史的重層性への尊重であり、この天守を残すことこそが、歴史の連続性を維持し、現在の名古屋市民として先人から託された責務であり、将来の市民への義務でもある。

文化財とは、その建物、物そのものが尊いのではない。
その遺物を残し、伝えた、それぞれの時代の人々の思いが尊いのであり、

その思いを今に受け継ぎ、次の世代に引き渡す、時の連続性が尊いのである。

そして、そうした事実に気がつく時、
自分自身もまた、
自らが歴史の中に居る存在なのであると知ることが尊いのである。

このようにして、時の流れに視座を据えてみたときに、そこから、社会性は紡ぎ出される。
保守思想とは、こうした人の営みを信ずる立場をいうのである。


*1:引用者:補足

令和2年度名古屋城天守閣木造復元・市民向け説明会

 名古屋市は1月22日から「令和2年度 名古屋城天守閣木造復元 市民向け説明会」を開催している。

www.city.nagoya.jp


 そもそも「名古屋城天守閣木造復元事業」というのは、2020年7月に名古屋城天守を木造で建て替えるというものであったはずで、つまりすでに竣工期日を過ぎているにも関わらず、その工事の目処も、竣工が遅れている理由も理解し難い事業となっている。そして完成の遅延について、その理由や完成の見通しを知るものは、名古屋市民の中で恐らく一人としていない。なぜなら、事業に携わっている名古屋市職員ですら完成見通しについて知り得ないし、遅れの本当の理由*1はさておいて、建前の理由ですらその実情が公開情報とはなっていないのである。

 更に言うならば、呆れたことに。この事業を最重要課題としている筈の河村たかし五期名古屋市長も、名古屋城天守木造化について、その事業の遅れの理由を理解していないし、完成時期の見通しも持っていない。

 そうした中で、名古屋市が市民に向けてどのような「説明」をするのか、伺ってみた。

 1月22日、名東文化小劇場において、私は次のような質問を投げかけてみた。


追記:
https://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000136/136007/shiryouhen.pdf

会場で配られた「資料冊子」の4頁から「事業の経緯」が載っているが、これから虚偽(または、「嘘はついていないが本当のことも言っていない」という隠蔽)がある。この経緯を見ると、平成27年12月に事業公募が行われたとあるが、この事業は天然自然に湧いて出たものではない。市民からの発案でもない。この事業の起点には重大な虚偽がある。

1.平成26年6月定例会における河村市長発言は虚偽ではないのか


名古屋市会平成26年6月定例会中の6月27日 河村市長は次のように発言している。


天守閣につきましても、よく文化庁に問い合わせされましたけど、これはショッキングな話で、鉄筋コンクリートによるもう一回再建は認めないということを文化庁がはっきり言っております。したがいまして、あと何年もつか知りませんけど、30年なのか、50年なのか、100年なのかわかりませんが、もう朽ちたときにはあれは壊さないけません。


そうすると、何にもなしになってしまうのか、それとも、木造再建をするかということで(略)」


ssp.kaigiroku.net


「鉄筋コンクリートによるもう一回再建は認めないということを文化庁がはっきり言っております」との明言が議事録に残っている。


 ところが、令和2年6月 文化庁が「史跡等における歴史的建造物の復元の在り方に関するワーキンググループ-鉄筋コンクリート天守等の老朽化への対応について(取りまとめ)」を公表した、そのなかに次のような記述がある。


耐震診断等により耐震強度が不足していること等も踏まえ、築後50年を超過したこれらのRC造天守のうち、いくつかの天守においては、従来果たしてきたその機能などに鑑みつつ、コンクリート部分の再アルカリ化、構造補強等の長寿命化のための措置が行われた。
(略)
RC造天守等においても同様に、財務省令上は耐用年数を超える一方、従来果たしてきたその機能などに鑑みて、今後も、老朽化対策の検討に及ぶことが想定される。
(略)
RC造天守、その多くは往時の外観を模して再現されているように、史跡等の往時の姿を今に伝え、その本質的な価値を正しく理解していくうえで一定の役割を果たしてきた。
(略)
また、天守自体が『歴史的景観の形成に寄与』する近代の建築物として国の登録有形文化財(建造物)として評価されているものもある(略)」


www.bunka.go.jp


これは名古屋市会において河村市長が公表した文化庁の方針とは異なる。この発言の根拠を明示せよ。


もし、この発言が事実でないのなら、当事業自体が虚偽より行われていることとなる。



2.天守木造化に向けた木材調達は、議会の条件を満たしていない見通しの誤りと、不必要な予算の浪費の説明がない。


名古屋市会平成30年6月定例会7月4日の議事録には経済水道委員長として減税日本ゴヤの鹿島としあき議員が次のように報告している。


「第97号議案(いわゆる木造化に向けた木材、約94億円の予算)に対する 議会の決定においては、次のような条件のもとで認める。
(略)
1、木材の調達に当たっては、文化庁から与えられた課題を確実に解決し、現状変更許可の見通しを立てた上で計画的に行うこと。
(略)
1、名古屋城天守閣木造復元事業について、市民の理解を得ながら市民とともに事業を進めることができるよう、説明会やシンポジウム等さまざまな場面において丁寧に説明をしていくこと(略)」


ssp.kaigiroku.net


しかし、現在に至るも『現状変更許可の見通し』は立っておらず、なぜ『現状変更許可』が降りないのかの理由についても市民に説明がない。


市民は説明もなく、94億円の木材費の負担と、1年当たり1億円という費用負担を強いられている。天守木造化に向けた木材調達は、議会の条件を満たしていない見通しの誤りと、不必要な予算の浪費の説明がない。


 この質問の1について、何ら回答が得られなかった。回答とは異なる論点外しのごまかしに終始し、本来であれば、文化庁の意見と言われるものによって始まった木造化事業であり、その文化庁の意見が異なるか、全く虚偽であったのなら、事業そのものを停止すべきではないのだろうか。

 そう重ねて追求していたところ、質問時間が無くなってしまい。結局、私一人で市民の質問時間をなくしてしまうということになった。


 そもそも質問時間が余りにも短い設定であったことや、終了時間を厳格に守ろうとする運営の問題もあると思うのだが、確かに私も余りに短慮に過ぎた。そうした反省を踏まえて、2日めの港文化小劇場における説明会では発言することなく、黙って見守るようにした。

 そうしたところ、2日目にはジャーナリストの水野誠志朗さん

(こちらの記事の筆者)
news.yahoo.co.jp


 名古屋市市民オンブズマンの内田隆さんなどの質問が投げかけられた。
www.ombnagoya.gr.jp

お二人をはじめ、市民からの質問は4名いらっしゃり、その詳細は名古屋市オンブズマンのページに委ねます。


 さて、余分な事を2つ。

  1日目、私が質問時間を使い果たし、それでもちゃんとした回答が得られなかったために、市職員を呼んでしばらく押し問答となった。その中で職員の一人はアンケート(文書)で質問をいただけば、回答する。というような事を言っていたが。いままでも様々な機会に質問は投げかけているが、そうした回答が公表されたり、HPに掲載された試しはない。
 こうした席で提出したアンケートに記載した質問項目について、そうした質問や回答について名古屋市は公開してこなかった。この日の質問事項等についてもHP等に掲載する方針ではないとの発言があった。
 名古屋城天守木造化事業に対する懐疑論や否定論が、名古屋市のサイト上どこにあるだろうか、どこにもない。結局、現在の名古屋市や河村市長は、自身の意見に反する市民の意見は否定、無視、隠蔽するのであって、民意の尊重であるとか、民主主義といった市政運営には興味はないらしい。そうした民意無視の姿勢が顕著に現れたのが、保存活用計画に対するパブリックコメントの公開削除の問題だ。

ombuds.exblog.jp

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

暴力的に、民意を圧殺するのであれば、暴力的に訴える以外にない。

 ーー 暴力を肯定しているのではない、名古屋市の運営自体が、河村たかしの態度自体が、権力者の横暴、暴力であると言っている ーー

名古屋市は、公平に事業に対する疑問や否定論も公表し、ホームページに掲載すべきだ。

 もう一つは、いつものことながら、河村たかしの「論点外し」の詭弁術についてだ。

 地域委員会の議論についても、「行政の民営化」であるとか「地域活動の担い手」などの論点外しで議論をごまかしていた。そのために結局「地域委員会」自体の議論が深まらないまま、この公約は消え去ってしまった(解決すべき問題だけは残ったまま)

 減税政策についてもそうだ。「国の借金は借金ではない」であるとか(これは「MMT」にも繋がる議論なのだが、結局河村たかしは「MMT」すらまともに理解していない)「リチャード・クーさんの本」などと議論を煙に巻いたが、そのリチャード・クーさん自身、地方自治体の減税政策など否定的にしか捉えていない。
ichi-nagoyajin.hatenablog.com


 今回の質疑でも「石の文化と木の文化は違う」であるとか、議論をごまかしていた。

 河村たかしは「奈良ドクトリン」と言っていたが、それは「奈良文書」の誤りであろう。*2
http://www.japan-icomos.org/charters/nara.pdf

 しかし、この「奈良文書」も基準となるのかは怪しい。
 なんせ、こんな事になっているのだから。

www.heijo-park.go.jp

そうはいっても、「平城京問題」も含めて、様々な議論があることは事実で、そうした議論を踏まえると。

「現名古屋城天守保存」こそが「奈良文書」に合致しているとも言える。

なぜそう言えるかは、稿を改めよう。なにせ大村知事に対して、批判するつもりが、その批判の根拠とした専門家から、自分自身否定されてしまった河村たかし五期名古屋市長であるから、議論について、弱い弱い。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

こんな人物の打ち立てた理論に乗っていると、捏造でもしないことには理論の穴にハマりまくることになる。人生においてこんなロスはないし、こんな恥もない。


*1:本当の理由は至極簡単だ。河村たかしの虚偽と無能に尽きる。

*2:河村たかしは文章を読まない。彼の口から出るものは主に「耳学問」に過ぎない。それも居酒屋を舞台とした聞きかじり(文字通り)の知識しか語らないため、曖昧で底が浅い。

体現帝国 「不安の島 GULLIVER」

本日は、少々毛色の違う記事を書きます。

確かに知事リコールの問題はいよいよ一般マスコミまで騒ぎ出す大事になりつつあり、翻って名古屋市ではコロナ重症者に対する病床が逼迫し、ついには満床という報道もあります。そんな中で名古屋市会ではあいも変わらぬ減税日本の迷走が見られ、深夜議会が続いている。一部には「しつこい」であるとか「減税や市長与党に対するいじめではないのか」という声も有るようですが、こうした中途半端な態度が、現在の名古屋市政、河村市政5期の姿ではないのでしょうか。立証責任、説明責任は河村5期市長、及び減税日本に有るのであって、それが果たされないうちは追求するべきであり、それは名古屋市会の責務であると考えます。ここで明白な回答がないまま放置することは、市議としての職責放棄であろうと思います。

・・・と、いうような切迫した話題もありますが、もっと急ぐ必要のある話題を掲載します。
12月13日までの期間限定の話題なので、大急ぎなのです。


現在、「体現帝国」という演劇集団が名古屋市内某所で野外演劇を行っている。

「野外移動式摩訶不思議演劇アドベンチャー 不安の島 GULLIVER」

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体現帝国 「不安の島 GULLIVER」

watabe-gouki.net


「ワタシタチの抱える<不安>の正体を巡り旅する 野外移動式摩訶不思議演劇アドベンチャー

こんな紹介もある

www.chunichi.co.jp

「コロナ禍の日本 真の恐ろしさは 「体現帝国」新作劇、有料生配信も」

劇評子は「(主人公は)川を越えるたびにさまざまなものを失っていく。大きく膨らんだ不安を解決するために奮闘する姿を通じて、コロナ禍の日本における真の恐ろしさをあぶり出す」と書かれているけれども、私の感想はちょっと違う。

現代、じゃないな。現在のこの日本、世界で不安にならない者は、それ自体おかしい。
そうした不安に向き合ったときに、どうすれば良いのか。多分、作者自身も巨大な不安に苛まれているに違いない。当たり前だろう。ただでさえ「劇団」などという代物は「食えない」昔っから、若い演劇集団、役者は「食えない」と決まっている。そこにこのコロナ禍だ。食えないの2乗が襲いかかっている。遂に「小屋」も借りられず、野外演劇とは、正しく正統な「カワラコジキ」の伝統を踏襲している。しかし、こうした活動、奮闘、蠢き、足掻き、藻掻き、じたばたを今、支援できる者が支援しなければ、彼らは息絶える。こうした人々は、いつの時代にもいる炭鉱のカナリヤであって、それらが息絶えた社会は、社会そのものも息絶える。そうした意味でも、12月13日までに一人でも多くの人にこの足掻きを告知して、賛同者を募る必要がある。私が慌てて記事を掲載する理由がこれだ。

なので、見る見ない。参加するしないに関わらず(!)、ぜひともチケットの購入をしていただきたい!

ws.formzu.net


野外移動式摩訶不思議演劇アドベンチャー
体現帝国 第九回公演 『Gulliver-不安の島-』予約フォーム

www.facebook.com

上記劇評子は「コロナ禍の日本における真の恐ろしさをあぶり出す」と書かれているけれども、私が感じたのは、大きな不安を抱えた作者自身が、その不安に向き合う中で、不安といかに向き合うか、その方法を提案したいという意図があるように思えた。

配信も結構だが、実際に現場に足を運び「参加」してみると、参加者(観客)は2つのものを渡される。
この2つのものは非常に示唆に富む。

更に野外を移動する。数度の移動、これにもなかなかに練られた意味があるように受け止めた。更にいうと、当初「移動劇」と聞いて、「成立するのかな」と危惧をもったが、様々な配慮が為されており、プロとしての手練を感じさせる。初日の最後の最後に、ちょっとしたトラブルがあったが、劇空間を守り抜いた演出や演者の信念が感じられて心強く思った。こうしたアクシデントに向き合った時に、その人々が何が大切であると思っているかが判る。

その他にも、衣装、音楽、照明、様々な仕掛け。素晴らしい才能を感じる。

追記:おっと、私が書くと、なんだか子難しい「演劇」に見えるけれども、そんなことはない。非常に面白い体験型アドベンチャー、アトラクションであり、時には息を飲むほどの美しい表現だったりします。

こうした体験の中で、参加者(観客)は「不安の島」とは何か。それを感じる事となる。

劇団からのご厚意で本番のスチル写真を掲載する許可を頂いた。
劇団の公式ツイッターでも公表されている本番の模様だ。

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ガ・リバーは不安を払拭できるのだろうか。
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語り部の導きを聞く
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語り部の指し示すものとは
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謎のロボット

ここから、余計なことを書く。ネタバレではないが、この演劇をノイズ無く味わいたいという方は、ここで読むのをやめていただいたほうが良い。
そしてできれば、実際に参加した後に読んでいただけるならそれは嬉しいし、できればご意見も伺いたい。

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