市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

リコール署名簿騒動と名古屋・日立訴訟

 さて、ネット上では、愛知県知事リコール運動に伴う署名簿の偽造事件で様々な情報が飛び交っている。

 2月15日、月曜日の河村事務所における会合については既報通りであり、やはり高須氏が提示した構図のように、W秘書の「300万」が問題となって、W秘書は会合に同席しなかったようだ。

 ここで話し合われたのは、署名収拾問題に伴う情報交換と、善後策で、河村市長としては「県選管にある『名簿』は充足数に満たない仮提出の『名簿』で、地方自治法で捏造が違法とされている『署名簿』とは異なる。故に県の調査は違法であり、もし誰かがこの『名簿』を捏造したとしても、違法性を問われることはない」との見解であり、特に対応も決定されなかった。

 ここで、しばらく脇道に逸れることをお許し願いたい。

 河村市長や高須氏の誤り、これは多分、(CDCを崩壊させて、感染症を米国内に蔓延させた)トランプ前米国政権の誤りでもあり、森ー小泉ー安倍と続いた自民党清和会における誤りでもあるだろう。誤った民主主義の理解が、顕在化したものである。

 それは21世紀に新たに現れたものではなく、19世紀のジャクソン流民主主義でも見られた傾向であり、民主主義 ーー大衆の政治参加ーー が本来孕む問題なのだろう。「リベラリズムパターナリズム」の問題である。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 エーリッヒ・フロムや三島由紀夫、最近では中島岳志が指摘しているように、人間は自由を求めつつ、実は自由で自立した存在で居ることができない。そのため「自分の自由を縛る存在」を欲するようになる。その結果、河村たかし高須克弥というような扇動家が生まれ、そうした者たちの「口車」にのる人々 ーー自由から闘争してきた大衆ーー が、社会の方向性をかえる。そこでは必ずしも悲惨ばかりが起きるわけではない。大衆による民主主義が上手くいくこともある。けれども時に恐ろしい悲惨も生み出す。今回の河村たかし高須克弥たちピエロの演じた一幕の喜劇も、そうした人間の織りなす社会の一形態でしかない。

 パターナリズムは、パターナリストが作るものではないく、そうしたパターナリストを欲する者たちが作る。

 パターナリストは、リベラリズムを理解できない。自身の自由と、放蕩は守ろうとするが、他者の自由には平気で「干渉」する。パターナリストは、責任を取らない、反省もしない、それ故、常に無謬である。パターナリストが誤らないのは、常に正義が彼の側にあるからではなく、彼の側が正義であるからである。

 河村たかしが口にする「民主主義」とは、こうしたパターナリズムを基盤とした「民主主義」であって、河村たかしを信奉しない者はその範疇に入らない。河村たかしの口にする「議論」とは、河村たかしの独演会の謂であって、「活発な議論を起こす」とは「(河村たかしの)言うことを聞け」と同義である。

 それ故、あれほど否定した「党議拘束」を減税日本では事実上行っている。

 減税日本においては、河村たかしの意向、決定が全てであり、異論は許されない。議論においては、河村たかしの発言を聞くことが全てで、河村たかしの意向を実現する事が「民主主義」であると考えられている。

 2月15日の会合も、何も国民や愛知県民、名古屋市民の為に開かれたものではない。私党である減税日本のためでもない、河村たかしの利益を模索、擁護するための会議であり、河村たかしの意向を確認するための会合でしかない。

 名古屋市政に於いても、優先されるのは河村たかしの利益であり、市民の意向は二の次である。

 このリコール署名騒動を見ていれば、愛知県民や名古屋市民の意向よりも、河村たかしの意向が優先されている事が見て取れるだろう。河村たかしについても、高須克弥についても、少なくない愛知県民が、自身の署名を冒用され、主権を侵害されている。その責任主体は代表である高須克弥であり、リコールを主導した河村たかしにあるのは明白であるのに、そうした人々への謝罪はない。

 例えば、佐賀で署名偽造作業者を募集したとされる事業者は、自社のサイトに報告と謝罪を掲載している。
timee.co.jp

 それなのに、主体的な責任者であろう「お辞め下さい大村秀章愛知県知事 愛知100万人リコールの会」には説明もなければ当然謝罪もない。

aichi-recall.jp

 こうした無責任な態度、人権無視の姿勢は河村たかしの私党「減税日本」においても同様である。

genzeinippon.com

 私なぞは、パターナリストのこうした無謬性に、許しがたいほどの嫌悪感を感じるのだが、パターナリズムが好きな、フロムのいう「自由からの逃亡者」三島がいう「奴隷」どもは、こうした無謬性故に、彼らの語ること/騙ることが真実であると思えてしまうのだろう。

 さて、16日に佐賀において偽造署名が作られていたとの報道が行われ、それ以降各メディアが競って事実関係を追っている。そしてあちこちから様々な情報、憶測、観測が飛び交ってきている。私もそうした情報の内、どれが本当であるか、どれが嘘かは判別がつかない。まるで「皆が嘘を言うゲーム」に参加しているようだ。

 こうした場合、その全体図式をまず把握すべきだ。上で延々とパターナリズムについて述べていたのはその為でもある。上の図式に矛盾する情報、憶測には注意したほうが良いだろう。*1

 とはいえ、まさかまだ「河村たかしは少女像が日本人の心を踏み潰す展示だから知事に対してリコールを仕掛けた」とか「高須克弥天皇陛下昭和天皇)への忠誠心から国士的行動を行った」とか「田中事務局長は有能な事務局員である」であるなどと思っている人は居ないだろう。

 さて、昨日の高須氏の示した図とは違って、佐賀の作業現場に河村事務所のメンバーであるM氏が派遣されていたという情報が飛び交っている。すでに数社のマスコミはM氏に直接接触し、否定されているようだ。河村事務所のメンバーが、佐賀の捏造に関わっていたとするならほとんど確定的で河村市長には致命的な情報だが、どうも事実関係が異なっているらしい、また、このM氏は河村事務所のメンバーではなく、自主的に手伝っていただけとの情報もある。また、そうした情報が河村事務所を擁護するための誤情報であるという指摘もある。まさに「皆が嘘を言うゲーム」だ。

 面白いのは、このM氏、以前「朝日新聞で働いていた」という情報もある。一体どんな業務についていたかは不明だが、そうした情報も転がってきた。

 2つばかり独立したトピックの後に、現在最も注目される話題を述べる。

 昨年の9月、10月に河村事務所は資金難に陥っていた。恒例の旅行やビアホールなどが開催できなかったからだが、そのため職員に支払う報酬も滞っていたという観測がある。

 そうした中で、W秘書が資金調達を模索していたのではと見られても居る。(真偽は不明だ)

 さてさて、田中事務局長と反目が決定的になっている水野昇氏(元瀬戸市議)の話題が飛び込んできた。水野昇氏は一昨年の愛知県美術館前における河村座り込み現場にも参加しており、その後 Facebook の閉鎖サークルで愛国倶楽部などのメンバーを集めて、大村知事の批判と、河村市長への支持を続けてきたようで、田中ー高須が大村知事リコールを具体化した際には、真っ先に参加して田中事務局長と歩調を合わせてきたようだが、やがて袂を分かつことになる。(略)水野氏は12月4日の「受任者・請求代表者の記者会見」にも参加しており、その後独自に見解をYouTUBE に掲載したところ、このYouTUBE掲載者とともに、田中事務局長から提訴されているようだ。

www.tokai-tv.com

 そうしたところ、田中事務局長が県議時代県内の旅行代理店に旅行代金500万円の未払いがあった事を水野氏が掴んだようで。(田中氏については、こうした未払いや借財が至るところにあるようですが)それを週刊誌に売り込んでいるようだ。

 こうした場外乱闘も構図をややこしくしている。

 さて、重要な話。

 こうして様々な思惑や錯綜した情報を解いていくと、実はこの知事リコールの構図は至極単純なことが判る。早い話が「河村名古屋市長のサバイバル」でしかない。

 そこで重要なのは4月に迫った市長改選だ。この改選で河村市長の再選が叶うように動いたのがリコール運動である。一昨年、河村市長は市長再選、または国政転身のために、大阪の維新との関係を保っていたほうが得とみなして、松井一郎大阪市長から指摘を受けたあいちトリエンナーレにおける「少女像/慰安婦像」の展示を批判してみせる。そうしたところ、思ったより反響があり、各メディアがこの話題を取り上げるのでそのまま主張を続けた。しかし、「少女像/慰安婦像」だけでは名古屋市民の反応が薄かったために、大浦さんの作品を「天皇陛下の肖像を燃やした」だとか、中垣さんの作品を「特攻隊を揶揄した作品」であるなどと、批判の戦線を広げた。それでも、名古屋市民の反応は鈍かったが。
 けれども、高須克弥氏が河村のこうした「口車」に乗って、本気でリコールをはじめた。

 河村としては、メディアに自分の名前が載る。特に右派のメディアが取り上げ、河村にしてみれば久々に「全国規模」で名前を売ることができたと感じた。

 全ては、この4月に来る市長選挙における再選が叶うように動いていただけに過ぎない。

 実は、火曜日に「名古屋市が日立と和解の方針である」と報じられた。私はこれを行政事務の手続きから現在のタイミングになったのかと思っていたが、事はそうではないようで、河村市政の将来を占う上でも重要な事案であるとのことだ。

 そもそもは、2009年の市長選の際に「4大事業のストップ アンド シンキング」として、西部医療センター建設の見直しを掲げたものだが、その後計画は8ヶ月遅れで再開された。そもそも「止めた」判断が誤りで、再開に至るまでの決定もモタモタしたものであった。

 やがて、この遅れた8ヶ月分の損失4億5千万円を、名古屋市は日立から訴えられることになる。

 この訴えに対応したのが、副市長に迎えられた弁護士の岩城氏で、裁判外紛争解決手続(ADR)で、賠償額を1億5千万円に圧縮した。

 しかし、河村市長はこの和解を飲まず、和解をまとめ上げた岩城副市長まで解任する騒ぎとなった。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com
 
 ここで和解しておれば1億5千万円で済んだ損失を、今回の和解では3億8千5百万円とするのだから、2億3千万円も割高となる。

 そして重要なのは、そもそも河村市長が止めなければ発生しなかった3億8千5百万円という名古屋市民の負担であるということだ。

 「国立上原ケース」という判例がある。

ja.wikipedia.org

 市長が政治的に下した決定によって私企業などが損害を蒙り、その損害賠償を市が行った場合、その政治的判断を下した市長に「個人的な賠償責任が求められる」という判例である。

 そして、名古屋市におけるこの日立訴訟は、まったくこの「国立上原ケース」と符合する。河村市長の政治的判断であって、名古屋市名古屋市民が負担するべき筋合いはない。

 名古屋市と日立との訴訟が確定した段階で、名古屋市、または名古屋市民から河村氏はその損害賠償額を個人負担するように訴えられる可能性がある。以前、ADR1億5千万円を蹴った理由にこれがあり、河村市長は個人賠償を受けないように、判決を先送りしたと見られている。・・・しかし、先送りすれば個人賠償を免れるというものではないが。

 さて、裁判の判決は議決に優先するが、和解であれば議会の議決が必要となる。

 名古屋市が日立と和解しようとすれば、議会の同意が必要になる。ここで議会が和解を承認すると、訴訟は終結する。終結すると、上記のような個人賠償が提起される可能性がある。その為に、訴訟終結後、河村市長は市長として、自らの個人賠償に関わる部分について、自己責任を回避するように工作を行う可能性がある。

 ここで、議会が和解を拒否すれば、訴訟は継続される。和解額よりも大きな額が請求されるだろう。(金利も含めて、6億から7億円に達する可能性がある)

 と、すると。議会が和解を拒否すれば、河村市長は訴訟継続、または個人賠償を回避する工作のために、「市長を降りるわけにはいかなくなる」

 名古屋・日立和解案 → 議会:同意 → 市長:工作 → 市長:再戦せず

 という可能性があるが、議会が不同意の場合、河村市長は市長を降りるわけにはいかなくなる。今、2月定例会における議会の追求は、リコール署名に関する市長の関与、減税日本の関与だけでなく、河村市長再選がかかったこの日立訴訟和解の審議も注目に値する。

名古屋市:会期中の本会議・委員会(市会情報)


 さて、ここで市長選挙の見通しだが、自公による候補者選定は難航している。

 更に、最近某有力者からの拒否回答を受けたとの情報もある。リコール運動による河村市長批判は確かに激烈だが、事は汚職やスキャンダル、政治資金規正法公職選挙法に関わる話題ではない。そもそも「直接請求署名の偽造」という話題が、法的にも責任追及しにくい河村市長の再選にどの程度影響するのか測りかねる。

 こうした場合、有権者は単純に「以前書いた名前を書く」傾向があり、このまま再戦されてしまうのだろう。そして、上記訴訟に対する市長個人請求については、ゆっくりと工作が行われるのだろうか。

 しかし、元々河村氏の再選の為のメディア露出を狙った知事リコール騒動が、問題が拡散し、出馬表明すらできないまで時期がずれてしまった。考えてみれば事務局が普通に中間集計、仕分け、ナンバリングを行い、KKRにおいて「43万筆なれど、充足数に達せず」として、終結宣言していれば、県選管に提出することもなかったし、43万筆という数字が一人歩きをして知事に対して批判的に働いていただろうに。


*1:しかし、一方予め図式を構えてモノを見る危険性も承知しておくべきだ