市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

リチャード・クーさんの本を読んでみた2020

名古屋市は今、市民税を3.75%減税している。法人への減税は止めており、公式には5%減税していると言っているが、愛知県より移管された地方税は現在、名古屋市市民税であり、これを分母に入れない減税比率の主張には根拠などない。

もちろん、この市民税減税は名古屋市河村たかしの「独自の」主張であり、経済学的には正しくない(歳出を削減して地方税を減税しても、経済効果はマイナスに出るだけだ)
当ブログでは様々な検討を行ってきた。

減税に対する単純で明白な3つの質問 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
「正しい経済学」が導く減税の意味(前編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
「正しい経済学」が導く減税の意味(後編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0


今まで、名古屋市河村たかしは、なぜ減税政策を行うのか。まともに回答をしてこなかった。当ブログも、最初から減税政策に対して否定的だったわけではない。しかし、検討し、説明があやふやであったり、明らかな間違い、嘘が並べられていた結果として否定しているに過ぎない。

減税検証シミュレーションに対する疑惑 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
霞と消えた1128億円 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

そして、現在では明確に言える。名古屋市が実施している河村流減税政策は明白な誤りであると。その証明は簡単な唯一の事実を提示するだけで十分だろう。

「日本において、河村流減税政策を実施している地方自治体は名古屋だけである」

つまり、議論はすでに終了している。これ以上「河村流減税政策に効果がある」という主張を続けるのであれば、それは単なる嘘だ。

減税日本の減税政策への「怪説」はこちらになる。

政策Q&A | 減税日本

ポイントはここだろう。

Q.そもそも減税政策とはどういうものですか。
A.一般的に減税政策には以下のいくつかの観点があります。
 1)経済政策として
 2)プライスキャップ(料金上限規制)による行革の推進として
 3)小さな政府論として

果たして、こういった主張は、クー氏の論理と合致するのか?

名古屋市河村たかしが自分の口から減税政策の説明を行わなかった頃、経済評論家である「リチャード・クーさんの本でも読んだってちょうだい」と名古屋市会本会議で発言があり、言葉のとおりに読んでみた。


リチャード・クーさんの本を読んでみた(前編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
リチャード・クーさんの本を読んでみた(中編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0
リチャード・クーさんの本を読んでみた(後編) - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0


先日次のようなツイートが流れてきた。


お言葉のように読んでみましょう。


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THE OTHER HALF OF MACROECONOMICS AND THE FATE OF GLOBALIZATION
(写真)


昨日丸善で買ってきて、ひと晩かけて読んでみた。

「要は 皆が借金返す社会」なんて、クー氏は言っていない。というよりも、これは彼の言うバランスシート不況の姿であって、問題とされる状況を言っている。名古屋市河村たかしのこのツイートでは、主語が不明確であるために「この経済学に立つ 新政治勢力出ないかん」と期待される政治勢力は「要は 皆が借金返す社会」(=財政均衡論)であると解釈できてしまう。しかしそれは同書の趣旨をまるで真逆に理解していることになる。

また、この書籍には名古屋市河村たかしに直接語りかけているような部分もある。(もちろん、論理的帰結としてという意味であって、クー氏がわざわざ名古屋市河村たかしを意識して書いているという意味ではない。また、これももちろん、名古屋市における減税政策についての言及は一切ない)

THE OTHER HALF OF MACROECONOMICS
AND THE FATE OF GLOBALIZATION


本書の概要は、今までの経済学では経済主体は常に拡大を求めるのであって「資金需要」は常に存在するという前提に立っていた。しかし、バブル崩壊後、各経済主体はバランスシートが毀損され、個人や企業経営者は財務健全化のために資金需要を無くした。さらに被追国(後述)として資本流出が起こっている。これらを認識し、対策を立てなければならない。

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第3章の議論を p.114 の図表3-1を軸に展開してみる。

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図表3-1

図は、水平線が労働者数で、右に行くほど労働者が増えることを表す。
垂直線は賃金で、上に行くほど賃金が上昇することを表す。

青い線が、段階ごとの賃金状況と労働者数を表す。

起点はDで、工業化・都市化以前の状況で、企業規模が大きくなるごとに(労働者数が増え、点Dから点Gに移行すると)労働者の収入(=消費額)は四角形DEFGの面積によって表されるように、拡大していく。労働者の総収入(=総消費額)は拡大していくが、労働者数が拡大しただけで、賃金自体は上昇していないために、青い線は水平のままだ。

ここで、黄色い線D1を引いてみると、三角形BDGが現れる。これが経営者・資本家の利益を表す。資本家は自らの収益を拡大するためにより企業規模を拡大させようとして、点Gを点Hへと移行させようとする、すると、線D1は線D2に移行し投資収益を得ることができる。こうして投資が連続して起こることによって企業はより拡大し雇用が生まれ、労働者数が上昇し、総賃金収入=総消費額も増えていく。これが工業化の姿である。

こうした傾向が進むとやがて「ルイスの転換点」と呼ばれる現象が起こる。
工業化が進み、都市が生まれ発展すると、単位労働者賃金の上昇が始まる。ルイスの転換点である点Kから点Lへの移行は、労働者数の上昇以上に、労働者の総賃金である四角DEJKが四角CEMLへ面積の拡大を見せるように、経済は拡大する。これが米国における「黄金の60年代」や日本における高度経済成長期の姿となる。

こうした局面では従来までの経済政策が的を射ることができる。
ここで p.35 に示された図表1-3 に移る。

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図表1-3

経済の拡大局面においては常に資金需要があるのだから「借り手」は常に「あり」であり、問題は「貸し手の有無」ということになる。従来の経済学はこのケース1からケース2の状態を推し量って、貸し手と借り手がバランスするように調整をすれば良かった。

ここでまた図表3-1に戻ると、経済の拡大は永遠には続かない。天井がある。それが賃金水準が他国に追われる段階まで上昇した時となる。先進国は必ずこの段階を迎える。

これがこの本で繰り返し述べられている「被追国の経済状態」となる。(本の日本語タイトルである「『追われる国』の経済学」として考慮すべき問題がここになる)
日本も、バブル崩壊後、うかうかしていたら台湾、韓国、中国に追い上げられて、この段階に陥っている。

ここでまた図表1-3に戻ると。
こうした経済が頭打ちになった国においては、資金需要は減速する。国内に投資するよりも、賃金の安い周辺国に生産拠点を求めた方が企業は有利となり、国内投資よりも海外への資本流出が起こる。この状況がケース3,ケース4の状況であり、「従来の経済学では語られてこなかった世界」となる。、(本の英語タイトルである「THE OTHER HALF OF MACROECONOMICS」の「OTHER HALF」とは、この右側のケース3とケース4の事である)

これがクー氏がこの本で述べたかった主な主張の元となる現状把握、問題意識である。

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図表4-3

これに対してクー氏が主張する対応策を最も簡便に表した図が p.189 の図表4-3となるだろう。ルイスの転換点前の「都市化の時代」からルイスの転換点を迎え「黄金時代」を享受し、「他国に追われる時代」になると「物価と賃金は低迷」し、金融政策は通常時よりも効果を見せなくなる。こうした場合は「民間の過剰貯蓄を国債利回りより高いリターンの公共投資によって吸収すべき」であると提言されている。

「そして被追国の経済政策の担当者には、次の二点を期待したい。まず、金融政策に対する過剰な期待と、財政政策に対する過剰な嫌悪といった黄金期の発想は、勇気を持って捨て去ること。そして、追われる段階の経済にとって死活問題となった、将来の国民の負担にならない公共事業プロジェクトを見つけ出すこと。この二つができれば、被追国の国民にもそれなりの生活水準を提供することは可能であると思われる。」(同書 pp.234)

「将来の国民の負担にならない公共事業プロジェクト」
木造の新築観光建築物は、果たして年間どの程度の維持管理費が必要なのだろうか。
姫路城の例を引くまでもなく、20から30年ごとに、確実に20億円から30億円ほどの改修費がかかる。それ以外にも毎年のように細かな改修費は必要となるだろう。相手は「生き物」なのだから。
更に、様々な方向から木造計画実現のために「圧力」を受けて設立した「屋上屋」とも言える「名古屋城調査研究センター」などの維持費は木造化のコストとしては考慮されていないが、「将来の市民の負担」ではないのか。
更に、なんだろう。「子どもたちが喜ぶ」からと、蒸気機関車B6の動態展示を科学館・白川公園で行う?これにつける予算が3億6千万円。これも維持管理費は考慮されていない。「将来の市民の負担」を無視した計画だ。こんな動態展示で喜ぶ「子ども」は70歳を過ぎて、国会議員年金をもらっても「お城だ」「SLだ」とダダを捏ねて満足しない「子ども」ぐらいのものだろう。本当の子どもは、そんな予算があるのなら、まともな給食を食べさせろ。と言うだろう。

名古屋めし・プレミアム小学校給食 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

本当に河村たかしはこの本を読んだのだろうか?

または、彼はすでに言葉の意味を真っ当に解釈し、受け入れるという知的行動が取れなくなっているのではないのか?

次のようなセンテンスもある。題も「減税か、歳出拡大か」だ。

「一口に財政刺激策と言っても、その手段には大まかに言って、歳出拡大と減税の2種類がある。(略)バランスシート不況下で政府の歳出拡大が不可欠なのは、民間部門が借金の返済を優先している時に減税を行っても、その大半が借金返済の原資に回ってしまうからである。そのような減税は個々の企業や個人の財政健全性には役立つかもしれないが、経済のデフレ・ギャップを埋めることにはならないのである。」(同書 pp.102)

前回の「リチャード・クーさんの本を読んでみた」でも同様だが、クー氏の主張は修正ケインジアンであり、バランスシート不況を認識した際には、歳出の拡大、財政出動が必要であると主張されていた。翻って減税日本における「減税」の役割は、すでに引用したとおり「 2)プライスキャップ(料金上限規制)による行革の推進として、 3)小さな政府論として」であり、歳出削減、財政均衡論である。

「1990年代にバブルの崩壊を経験した日本である。(略)地下地価が暴落した結果、民間部門のバランスシートは大きく傷つき、経済はきりもみ状態に陥った。
 当時の自民党政権は直ちに財政拡大策を取りまとめ、経済の崩壊を防ごうとした。(略)
 政府が自らおカネを使う財政刺激策が実施されると景気は上向いたが、財政政策が取り下げられると景気は失速した。期待された財政の呼び水効果がいつになっても実現しなかったのは、不動産価格が87%も下落した結果、民間部門が債務の健全性を取り戻すのに必要な時間が膨大なものとなり、その間の企業や家計は節約したおカネをすべて借金返済に回し続けなければならなかったからである。
 しかもメディアや学会を支配する伝統的な財政再建派は、ことあるごとに財政刺激策を中止させようとした。彼らは大幅な財政赤字はすぐに金利の上昇と財政危機を招くという持論を延々と展開したのである。こうしたタカ派は、財政出動で景気が息を吹き返すや否や財政刺激を中断するように政治家に働きかけ、それが新たな景気の失速を招く原因となった。そして景気が失速すると再び財政刺激策が打たれたが、その効果が出てくると再度、財政再建派がそれにブレーキをかけた。こうした一貫性を欠いた景気対策の結果、日本の不況は不必要に長引き、一般国民の政府の経済運営に対する信認は低下していった。」(同書 pp.91)

河村たかしもオピニオン・リーダー(笑)として、この財政再建論に乗っかっていたわけだ。
そして、本人にはなんの反省もない。

「先進国が被追国という今までとはまったく違う経済発展段階に入ったことが認識されなかった結果、既存政党の景気回復の約束はいつになっても達成されず、多くの人々は回復とはほど遠い生活を強いられた。そのために国民は既成政党を信用しなくなり、アウトサイダーや過激論者を支持し始めた。これはどの社会にとっても危険な兆候である。社会的な安全網がきちんと整備されている現在の民主主義は、1930年代よりも不況に対する抵抗力は高い。しかし中道左派あるいは中道右派の指導者たちが致命的な欠陥のある経済政策を追求し続ける限り、一般庶民の不満を解消することはできない。またそのような状態が続くと、民主主義の基礎も蝕まれていくことになる。」(同書 まえがきⅳ)

霞が関、及び政権の経済政策が外れ続けると、あやふやな「アウトサイダーや過激論者」の言説が歓迎される。しかし、実は経済はそのようなあやふやな態度で取り組んで良いものではないのだ。(これは、減税の経済効果が1128億と新聞一面にデカデカと載せた中日新聞にも猛省を促したい)

「私は経済学という学問を『日常生活の科学』として、大変真剣に受け止めているつもりである。その理由は、人類が経験してきた多くの悲劇のかなりの部分は、当時のエコノミストたちが状況を正しく把握して、それに見合った政策を提言していれば回避できたと思われるからだ。このことは、エコノミストたちが経済の状況をどう理解しているかで億人単位の人々の生活が良くも悪くもなったりすることを意味している。」(同書 あとがき pp.615)


ところで、同書には突然「名古屋」の文字が出てきて驚かされる。

「日本には数百年の歴史を誇る企業が京都や名古屋とその近郊に数多く見られるが、その大半は無借金経営に徹している。」(同書 pp.31)

こういった事柄も、もっと取り上げれば名古屋の観光の資源になるのだろうけどね。



追記:
この本に河村たかしの名前が出ているとのことで、私も読み飛ばしていた。


 索引も当たってみたが 河村の名前は無い(例えばP.602に記載されている加藤紘一氏は索引に記載がある)ので 「記載などされていない」 と 報告したが 今日の動画ではp.258であるとしている 確かにあった 次のように記載されている 

 そもそも論点は「学生のドロップ・アウトを減らす努力をせよ」という論点で p.258で次のように記述されている「日本でも名古屋市では、同市の河村たかし名古屋市長の強力なリーダーシップのもとでスクールカウンセラー制度の導入が進んでいる(以下略)」というもので 

 河村の施策(減税制度)ではなく スクールカウンセラー制度について語っている 逆に 名古屋市スクールカウンセラー制度について リチャード・クー氏は論述しているのに 本命であるだろう 河村流減税政策については 一文字も書かれていない。チャンチャン