市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

メメント・モリ

衆議院議員であり、名古屋市市会議員としても活躍された東郷哲也氏が亡くなったそうである。

今のような時期でもあり、葬儀は家族葬として営まれ、私も詳しい状況はわかっていない。東郷氏が市会議員であった頃、市政について度々意見交換を行い、いくつかは具体的な成果を得た。

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これは2009年の河村市長のマニフェストについて、その成果を調査したものであって、河村市長が「その大部分に『着手』」といい、市当局も8割方成果を上げているとしたものについての東郷氏の調査結果であり「その成果はおよそ26.5%にすぎない」と指摘した。

その後、東郷氏は市議を辞し、国会議員に転身することになる。

この転身の直前、私は東郷氏から国会議員転身の可能性について相談を受けた。

当時、愛知1区には河村市長子飼いの減税日本佐藤夕子*1議席を占めており、河村市長が国会転身するなら、愛知2区から出るだろうと言われていた。愛知2区には民主党古川元久氏がガッチリ議席を確保しており、河村市長は古川氏との一対一対決になったなら、出馬しないのではとも見られていた。古川氏には自民党の支持者からも票が流れていることは有名であったので、自民党から愛知2区に有力候補者が出れば、古川氏へ流れる自民党票が減り、河村氏有利となる。名古屋市政から河村氏を追い出したい私としては、自民党の現職市議である東郷氏が愛知2区に立候補するなら、河村市長の国会転身の可能性が高まると推測していた。そこで東郷氏から提供された過去得票データを様々に分析し、古川VS河村VS東郷の三者鼎立における予想得票数を算出した。そうしたところ、選挙区当選者は古川氏のままだが、3者ともに復活当選するという予想を立てることができ、これを元に東郷氏は各支援者などに国会転出の意向を説明したようである。

ところが、河村市長は国会転出しなかった。最後まで逡巡したようであるが、決断がつかなかったらしい。*2

そこで、減税日本は新人候補を2区に擁立した。2区に河村氏が出ればこそ、票が分散して、東郷氏にも復活当選の目はある、しかし新人候補では古川氏との得票差が開いてしまい、東郷候補の復活当選は遠のく。

いよいよ選挙戦が始まった時、東郷候補から手助けしてくれと言われ、こうした経緯もあり、仕事に区切りをつけて選挙を手伝うことになった。

ところが、自民党の現職市議、国会転出とは言っても、組織は脆弱で実質的に選挙業務を取り仕切るものがいない。市議の頃からKさん(故人)が「秘書」のような仕事をしていた。このKさんは以前地元で公職者として立候補した経験もあり、顔が広く人集めもうまかったが、実務についてはトンと疎い人だった。連れてきた行政書士が公営選挙の手続きすらうまくできない状況となり、私がギリギリで肩代わりした、その後も会計処理、人員配置(街宣車の乗務員、うぐいす、各会場の設置等)、スケジュール調整、選挙公報の原稿作成、各種原稿の手直し、街宣車の運行スケジュールや街宣場所の場所取り(挙句の果ては、安倍総理の受け入れ)、各マスコミ対応等々、等々、選挙事務所に寝袋を持ち込んで、ダンボールや書類を布団にして寝泊まりしつつ対応した。

そうした結果、信じられないことに、奇跡的な復活当選を果たしたわけだ。

本当に、嬉しかった。東郷氏本人は元より、Kさんを始めKさんがかき集めてくれた様々な人々とも交流ができ、信頼を築けたとおもう。確かに、綺麗事だけではすまず、色々な場面で諍いなどもあったが、最後まで一つの目標に向かって集団を引っ張り、結果が出せた事は本当に得難い経験だった。その上、自民党の国会議員選挙というものの実相も、まさにその渦中に入って経験することができた。

元々、私の主張は自民党(特に清和会的なソレ)とは大きくかけ離れており、そのまま東郷事務所や、自民党に留まることは無かったが、Kさんからは厚い信頼を得、その後も親しく交流を持った。

今、東郷さんの訃報を聞き、このKさんとも色々な話をしてみたいと思っても、そのKさんはいない。特にこの選挙後親しくさせていただいていた自民党千種区選出の桜井治幸元市会議長(河村たかしの例の「南京発言」の仕掛け人と自認されていた)もすでに鬼籍に入られている。

誠に、残念でならない。

私もこの歳になり、すでに幾人かの友人を見送っている。こうした経験を積んでくると、段々とこの世よりもあの世とやらの方に友人が増え、あの世も存外悪くないと思えてくる。

ひとは死ぬ。

私は歴史から一つだけ、間違いのない教訓を得ている。それは「ひとは必ず死ぬ」ということだ。古来より「メメント・モリ」という言葉があり、ひとに「死を忘れるな」「死を想起せよ」と呼びかけていた。しかし、こうしたある意味当たり前の事実をわざわざ強調する言葉がある背景は、ついついひとは自分自身が死ぬことを忘れがちだからだと思われる。

今のこの生が、永遠に続くかのように思い違える。今のこの生が、永遠に続くと思うからこそ、あくせくと短期的に目先の欲にくらんでしまう。今だけ、自分だけ。というような短絡的な思考。わがまま勝手で強欲な思考に陥るのは、今のこの生が永遠に続き、そうしたずるい行為で得られた享楽を、自分自身で味わえると思い違えているからだろう。今のこの生がいつか終わるという、当たり前の無常観を理解できれば、今だけ、自分だけというようなちっぽけな欲望で、貴重な「今」という時間を汚そうとするだろうか。いくら金を稼いだところで、あの世とやらに持っていくのはせいぜい六文だ*3。それよりももっと、この世になにか価値のあるものを残す、今を心穏やかに過ごす事を優先したほうが良い。

自分の名前をこの世に残すために、名古屋城をわざわざぶち壊して、木造のレプリカをでっち上げたいものだろうか。これとても、「本物」だの「国宝になる」だの「世界遺産になる」などと言ってみたところで、今の騒動を見てみればわかるように、子どもじみた「偽造」にしか思えない。そんな形で自分の名前を残そうとする行為は、修学旅行で文化遺産を訪れた小中学生が、自分の名前を貴重な遺物に残す行為と同じ様にしか見えない。

そんな幼稚な行為を、今般の知事リコールの首謀者だけではなく、少なからぬ「有識者」と呼ばれる者たちまでが賛同する。瀬島、三浦、麓。
現存する優れた外観復元である鉄筋鉄骨コンクリート造の現名古屋城天守の文化的価値が判らず、それを破壊してレプリカを作ろうとする。そんな者が日本における城郭建築の「有識者」であるとするのであれば、日本に城郭建築を理解する文化は無いと断じざるを得ない。貧しい国家は、文化まで貧しくなる。

話が大きく逸れてしまった。

死を思うとは、有限な自分の人生を思うということであり、有限であり、一回しか無いからこそ貴重なのだ。そして自分の死以降の時間の流れに思いを寄せることでもある。さらにそれは、自分が生まれる前の歴史にも謙虚になるということだろう。自分の在り方を歪めて理解されたくないのであれば、自分もまた、過去の出来事に対して、謙虚にあるがままを受け入れる姿勢が必要だ。*4

これは、市会議員時代の東郷氏のブログの1ページである。

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私は、このページを紹介した際、次のように述べた。

左のイメージは東郷市議のブログの一部である。


 去年の9月に襲来した台風15号は、東郷氏の地元である守山区に広範な被害をもたらした。自身の事務所も雨水が流れ込んで浸水したらしい。


 しかし、それよりはと、あちこちの現場に長靴姿で検証に訪れたそうである。


 そしてその一方、この本にはピーター・ドラッカーマックス・ウェーバーから論考を説き起こしている。心にドラッカーウェーバーの哲学を持ち、足に長靴を履いて泥沼の現場に赴く。


 このように空理空論に終止することなく、現場・現実に立脚し、それでいて高邁な理想を求め続ける姿勢が、真に政治家に求められているのだろうと思う。

市長の品格 - 市民のための名古屋市会を! Ver.3.0


最後に、その東郷氏の自著「市長の品格」から一節を引き、彼の冥福を祈ろうと思う。

 今こそ「名古屋から地方議会が変わった」という強いメッセージを発信していかなくてはならない。河村市長の功罪はあるが、河村市政に対してはあくまでも是々非々。政局的判断でなく、常に市民の立ち位置で政策判断をしていくことが重要であろうと再認識させられる。


 そして、五〇年先、一〇〇年先の名古屋の将来が、先人の平和への願い、地方自治への想いを受け継いで発展していくことを切に希望する。


 最後に私の政治信条とする言葉で結びとしたい。


「息子よ、未来は美しい。」(コンゴ独立の英雄、初代首相パトリス・ル・ムンバ)


美しい国とは、自由であること。独立主権国家であること。】


  二〇一二年 二月
                        東郷 哲也

合掌


*1:名古屋市議(東区)

*2:ある人々は、この予想を的中させた。つまり河村をよく知る人々は、実は河村がノミの心臓であることを理解している。あの「バンカラ」風に装っているのは、この小心を隠す隠れ蓑にすぎない

*3:宗旨宗派により、諸説あり

*4:「総理を目指す男」が、落ちぶれたものだ「偽造署名が蔓延するリコール運動を引き起こした首謀者」とは