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哀れな自我喪失者の姿 ~ あいトリ知事ー市長書簡について ~

追記:
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あいちトリエンナーレに伴う騒動も、そろそろ過去の話になっていそうな気はする。

この騒動に絡んで、河村たかし名古屋市長と大村秀章愛知県知事の間でいくつか書簡が交換されている。

その中で、9月20日の河村市長による「公開質問状」(以下[920河村質問」とする)

<<920河村質問>>

それに対する11月5日の大村知事による「回答」(以下「115知事回答」とする)

<<115知事回答>>

並びに、11月8日の河村市長による「見解書」(以下「118河村見解」とする)

<<118河村見解>>

の3つの文書について、含まれている7つの論点について、整理して検討してみた。

あいトリ 知事ー市長意見交換(はしがき)
あいトリ 知事ー市長意見交換(問1)
あいトリ 知事ー市長意見交換(問2)
あいトリ 知事ー市長意見交換(問2における表現の自由とヘイトスピーチの誤解)
あいトリ 知事ー市長意見交換(問3)
あいトリ 知事ー市長意見交換(問4)
あいトリ 知事ー市長意見交換(問5)
あいトリ 知事ー市長意見交換(問6)
あいトリ 知事ー市長意見交換(問7)

特に、「問2」における「表現の自由」と「ヘイトスピーチ」という問題につては、一般性もあることなので別項を立てて述べている。「ヘイトスピーチ」を繰り返す者たちが「日本人へのヘイトスピーチをやめろ」などと、「どっちもどっち論」を振りまいて、「ヘイトスピーチ」を繰り返しているが、「日本人へのヘイトスピーチ」などは単なる錯誤であり、主張者における論理性の欠如を示すに過ぎない。


これらの議論が実りある結果を生み出しているとは到底思えない。大村知事の文章は、常識的であり、当たり前の主張をされている。ここには政治も関わる行政における、教育や芸術の位置づけについて、非常に基本的な事項が盛り込まれており、中高生でも理解できる貴重な文章も含まれている。(ちょうど、「つくる会」の歴史教科書が文部省の検定で不合格となったというトピックもあり、そうした出来事に向き合うときの基礎知識にもなるだろう)

しかし、河村市長の文章には戸惑うことだろうと思う。

ほとんど常識では理解できない。また、矛盾を多く含んでいる文章であり、自身がテーマと据えた論点からも平気で外れた立論を展開してもいる。

つまり、支離滅裂、ほとんどメチャクチャ、口からでまかせのいい加減な妄言でしかない。

法律論や文化論、行政や国家、歴史。こうしたものを語る上で、自身の発言の統一性すらとれていない。(田中角栄裁判において、渡部昇一立花隆にふっかけた「議論」も酷いものだったが、それでもまだ統一性だけは維持されていただろう。今回の河村市長の文章にはそれすらない)

簡単な例を上げると「問4」において河村市長は京都大学大学院法学研究科の曽我部真裕教授(憲法学)の発言を引用して大村知事への批判を展開している。しかし、大村知事が同教授の発言を引き、見解を確認し反駁すると「曽我部教授の当該見解は、同教授独自の見解であり(略)不当に歪曲し(略)対立する見解をもつ批判者をイデオロギー的に攻撃する「道具」として使用することを是認する曽我部教授のような意見については、憲法学者の見識としていかがなものかと思われます」などと否定して見せている。

「いかがなものか」と言われてしまった曽我部教授も迷惑な話だろう。

そもそもこの議論に同教授を持ち込んだのは河村市長であり、こうした引用をするからには、その発言に一定の信憑を置いているはずではないか。

これは「問5」における阪口正二郎一橋大学教授においても言える。こうした論駁を受けた時点で、河村市長の議論における敗北は明白だ。つまり、河村市長の主張には客観的な根拠もなければ、支持する者もおらず、論理的にも誤っている。(こうした法理論や文化論、芸術論がわからないもの、または論理学がわからないものでなければ河村市長を支持することはできないだろう)


結果として、齢70を数え、国会議員年金も受け取っている*1ような立場の者が、憲法を始めとする法律や、行政の在り方、その代表者としての責任、立ち居振る舞い、芸術や文化についての見解すら誤っているということなんだ。早い話が、河村市長にはこの世界やこの社会は判っていない。これは哀れにすら思える。せっかく生まれて、生きてきたこの世界を真っ当に眺めることすらできていない。これほどまでに歪んで捉えることしかできないとは、なんという悪夢だろうか。多分、彼には不満と不安が渦巻いていることだろう。「なぜ、自分の主張は受け入れられないのか」「なぜ、自分の思惑は外れ続けるのか」そりゃあ、そうだ。ここまで社会や人間を歪んで理解していれば、そこで行われている様々な出来事は理解できないだろう。

その昔、「社長になると人間はバカになる。部下に『玉ねぎを持ってきてくれ』というと、社員が玉ねぎを買ってくる。係長は泥を落とすだろう、課長は皮を剥く、その上の部長ももう一枚ぐらい剥いて、その上の役員ももう一枚ぐらい剥いてくる。結局社長はらっきょうぐらいの大きさのものを玉ねぎと思い込んでしまう」という話を聞いた。河村市長もおだてられ、誰も歯向かわないまま、または、河村市長自身が異論に耳を貸さないまま過ごしてきたので、自己研鑽の機会を失ってしまったのだろう。悲惨な話だ。


もう一つだけ触れておこう。
「問3」において「疑問提起」という言葉が出てくる。「提起」するのなら「問題」だろうし、「疑問」であれば「表明」するべきだろう。この「疑問提起」という異様な言葉。こうした言葉に違和感がないということは、その人物の言論空間の貧弱さを示すものだが。

更に考察を進めてみたい。なぜ「問題」は「提起」されて「疑問」は「表明」されるのだろう。

つまり「問題」は外部にある。話者や対象者の外にあって、共有できる事柄であり、話者がそこに着目を求める行為が「問題提起」なのだろう。

では「疑問」とはどこにあるだろうか。これは話者にある。対象者に共有されているかは不明だ。つまり、その言明においてはまだ外部に現れていない、話者における主観的疑問を、議論の場に提出する事で、その「疑問」が話者における無理解か、事象における問題か、対象者における見落としかを議論する事となる。話者の中から提出されるから「表明」となる。

では、「疑問提起」という独特な言語はどのように生まれてくるのだろうか。

つまりここでは「疑問」という本来主観的な、個の領域にあるモノが、あたかも客観的な、共有の領域にあるかのように思えてしまうという「自我の漏出」が、このような語の誤用を生み出すのではないだろうか。

「疑問」を「提起」すれば、「提起」された対象者もその「疑問」について理解できなければならない。なぜなら「(話者)自身が見えているものは、誰でも見えていなければならないから」

・・・人間は、だいたい9歳程度で自我に目覚めると、自分が見ているものが必ずしも他人も見えているのではないということを知る。その相違をお互いに言葉などで埋めなければならないことを理解するものだ。


河村市長は市長就任直後「民主主義発祥の地、ナゴヤ」というような標語を作った。
しかし、河村市政では情報公開や議論は広がっていない。(議会報告会やタウンミーティングなども行われていない)「南京問題について、自由に議論したい」と勇ましいことを言っていたが、市民団体から出席を求められた会合に欠席を続けている。

河村市長にとって「議論」とは自身の発言を聞き入れてもらうこと。であり「民主主義」とは「河村市長の発言を皆が同意すること」でしかない。

つまり、こうした主観と客観の境が曖昧な、主観の漏出に囚われたヒトにとって、そもそも議論など成立しないし、議論を基盤とすべき民主主義も成立しない。

そもそもこの議論は「検閲」についてと、それを規定する憲法についての議論であるはずだ。ここで見られるように河村市長には憲法に対する理解も欠けている(というよりも、大きく歪んでいる)し、それを指摘する専門家の意見に対しても持論を曲げない。つまり改善を期待できない。

もとより、首長は地方自治体の長として、範を示し、憲法を遵ずる義務があるが、その憲法に対してこのような歪んだ理解では、それは期待できない。

また、検閲の概念に対しても正当な理解ができていない。つまり、国民、住民の権利を侵害することについて無自覚である。(揖斐川導水路事業、相生山道路問題、名古屋城木造化など、すべておなじ根から発している)

以上のような結論から、河村たかし名古屋市長たる資格はないと断言する。



資料:

・2019年8月9日
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について
河村
名古屋市:あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について(暮らしの情報)



2019年9月4日
あいちトリエンナーレ2019に係る愛知県及びあいちトリエンナーレ実行委員会との情報共有の経緯並びに愛知県(実行委員会)へ依頼及び回答について

名古屋市:あいちトリエンナーレ2019に係る愛知県及びあいちトリエンナーレ実行委員会との情報共有の経緯並びに愛知県(実行委員会)へ依頼及び回答について(暮らしの情報)



・2019年9月20日
あいちトリエンナーレ2019にかかる愛知県知事への公開質問状について
河村→大村

名古屋市:あいちトリエンナーレ2019にかかる愛知県知事への公開質問状について(暮らしの情報)



・2019年10月3日
あいちトリエンナーレ2019にかかる愛知県知事への公開質問状に対する督促状について
河村→大村

名古屋市:あいちトリエンナーレ2019にかかる愛知県知事への公開質問状に対する督促状について(暮らしの情報)



・2019年10月11日
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について(10月11日付)
河村→

名古屋市:あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について(10月11日付)(暮らしの情報)



・2019年10月24日
あいちトリエンナーレのあり方検討委員会による市長へのヒアリングについて

名古屋市:あいちトリエンナーレのあり方検討委員会による市長へのヒアリングについて(暮らしの情報)

意見陳述要旨その1 (PDF形式, 237.78KB)
意見陳述要旨その2 (PDF形式, 46.15KB)
別紙1_補充書 (PDF形式, 440.96KB)
別紙2_検証補充要望事項 (PDF形式, 217.09KB)



・2019年10月24日
あいちトリエンナーレ2019 愛知県弁護士会の会長声明に対する抗議申入書について

名古屋市:あいちトリエンナーレ2019 愛知県弁護士会の会長声明に対する抗議申入書について(暮らしの情報)

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愛知県弁護士会 「表現の不自由展・その後」の中止に対する会長声明 2019年9月 3日
www.aiben.jp

「 今回の「表現の不自由展・その後」の中止に至る過程において、8月2日、あいちトリエンナーレ2019実行委員会の会長代行である河村たかし名古屋市長は、同企画展の展示を視察した上で、企画展の作品について「日本国民の心を踏みにじるものである」と公然と批判し、大村知事に対して少女像などの撤去を求める要請をした。

 河村市長の発言と行動は、行政庁の長である市長が企画展の展示物である表現の内容に対して異議を唱え出品者の表現行為を止めようとするものであり、憲法21条2項との関係において適切さを欠くものである 」

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東京弁護士会 会長声明「表現の不自由展・その後」展示中止を受け,表現の自由に対する攻撃に抗議し,
表現の自由の価値を確認する会長声明」2019年8月29日

https://www.toben.or.jp/message/libra/pdf/2019_10/p42-43.pdf


3 一方,河村たかし名古屋市長は,展示中止発表前日の8月2日,「日本国民の心を踏みにじる行為」などと述べて,大村知事に対し,展示中止を含む適切な対応を求める抗議文を提出した。しかし,公権力が,表現内容に異議を述べてその中止を求めることは,表現活動に多大な萎縮効果をもたらすものであり,到底許されるものではない。

  この点,補助金を支出していることから,公権力が介入することを肯定する意見がある。しかし,補助金の支出が特定の団体に有利になされるようなことがあれば格別,予め設定された基準や要件を満たしたとして支出された以上,個々の展示内容の選択については,専門家から成る実行委員会で決めるべきことであり,展示内容に対して,補助金の支出を根拠として公権力が中止を要求することは,まさに不当な政治介入と言うべきである。

4 憲法21条で保障される表現の自由は,自己の人格を形成・発展させる自己実現の価値を有するとともに,国民が政治的意思決定に関与する自己統治の価値をも有する,極めて重要な基本的人権である。政治的表現が芸術という形をとって行われることも多く,芸術を含む多種多様な表現活動の自由が保障されることは,民主主義社会にとって必要不可欠である。

  我々は,思想信条のいかんを問わず,表現の自由が保障される社会を守っていくことが重要であるという価値観を共有したい。

  よって,当会は,正当な言論等によらずに展示中止を求める不当な行為や,公権力が表現内容に異議を述べてその中止を求めることに対して,強く抗議するとともに,多種多様な表現活動の自由が保障され,ひいては民主主義社会が維持・発展するよう努力する決意を表明する。

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・2019年11月8日
あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」にかかる新聞報道への対応について
名古屋市:あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」にかかる新聞報道への対応について(暮らしの情報)


令和元年8月7日水曜日 朝刊 社説「『不自由展』 中止」「社会の自由への脅迫だ」について 令和元年9月12日
http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000122/122374/01.pdf


令和元年8月21日水曜日 朝刊「多事奏論」について
http://www.city.nagoya.jp/kankobunkakoryu/cmsfiles/contents/0000122/122374/02.pdf


・2019年11月8日
公開質問状への回答にかかる見解書について
河村→大村
名古屋市:公開質問状への回答にかかる見解書について(暮らしの情報)

                                                                                      • -

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について、大村秀章愛知県知事(あいちトリエンナーレ実行委員会会長)の考え方をまとめました。

あいちトリエンナーレ2019「表現の不自由展・その後」について - 愛知県



名古屋城天守木造化事業基本設計代金支払いの違法性に対する住民訴訟」の第6回公判は

2月26日(木) 午後3時
名古屋地方裁判所 第1102法廷です。

各方面で有名人となった北口弁護士(名古屋市代理人)も出席されます。

peraichi.com

また、月に1回程度会合を開いております。

3月11日(水)18:30~20:30 
         北区「北生涯学習センター」第1集会室
4月11日(土)18:30~20:30 
         第1集会室

参加自由、参加費無料。

https://www.suisin.city.nagoya.jp/system/institution/index.cgi?action=inst_view&inst_key=1164770111&fbclid=IwAR3dCep_82RHqZ8L7YgqsegRtQOr3IiSer-A2DL5XtG45JSpcRt2W9v6UzA


*1:はいはい、受け取っていますよ。公約を無視してね