市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「減税会」に伴う論考(4)

2)「減税会」のオピニオンリーダーと思しき渡瀬裕哉氏の著作を巡って(1)

 氏の著作である『税金下げろ、規制をなくせ ー日本経済復活の処方箋』(光文社新書2020年)はまだ理解できる(議論の論点が成立するという意味、同意できるわけではない)が、「社会的嘘の終わりと新しい自由」(株式会社すばる舎2023年)については、本質的な危うさが内包されているという問題。

 まず、『税金下げろ、規制をなくせ~』について、同書に沿って私見を述べてみる。渡瀬氏は同書について「僕がこの本で語ることの骨子は、アメリカの保守派、特に自由な経済を標榜するキーパーソンである全米税制改革協議会議長グローバー・ノーキスト氏の主張に沿ったものです。ノーキスト議長の著作には、減税のバイブルとも言われる”Leave Us Alone” (未邦訳、2009年)(引用者付記:2024年3月26日に 『救国シンクタンク叢書 Leave US Alone 減税と規制緩和、アメリカ保守革命の教典』として出版されている)があります。タイトルを直訳すると”放っておいてくれ”。『少ない税金こそが国を富ますのである』と、いかに減税が国にとって大切であるかを説き、どうやって減税を実現するかの方法を綴っています」(同書 p.3)とあるように、ほとんど「全米税制改革協議会」の布教書の面持ちを持っている。

atr.org

日本でも無視はできない団体であって。

外務省
www.mofa.go.jp

経団連がこうやって対応しており、
www.keidanren.or.jp

渡瀬氏自身もこうした展開をしている。
seijiyama.jp

日本における参加者の顔ぶれを見ると、団体の性質もおおよそ想像がつく。

 現在の行政には肥大化があると。例えば日本国内においても『近年の「立法爆発」で法律は「スパゲティ状態」の限界に』などと危惧されている。
webronza.asahi.com

 トランプ政権(前期)が行った「ニ対一ルール」(一つの行政施策を作るのなら、二つの行政施策を廃止せよという原則)。日本の財務省が振りまいた「ペイ・アズ・ユー・ゴー原則」(ペイゴー原則)より厳しい。こうした「小さな政府論」の現在のスーパースターがアルゼンチンのミレイ大統領ということになるのだろうし、今期のトランプ政権で設立されるという政府効率化省,”DOGE” または「政府効率化委員会」が、そうした考え方の具現化なのだろう。

x.com

 まだ、正式サイトとかなく、Xにアカウントだけあるらしい。率いるのはイーロン・マスクとのことだ。

 渡瀬氏の説く「減税の効用」を見ると、まず「減税=規制緩和/廃止」であると捉えている事がわかる。グローバー・ノーキスト氏の”Leave Us Alone” (放っておいてくれ)というドグマは、個人の自由を尊重し、介入を否定するという哲学であって、それは「放逸」と何処で線引が成されるのか、私には疑問がある。

 一つ例を取ると渡瀬氏は教育について次のように語っている。

 学校より民間の塾のほうが、ずっと教育内容がいい。学校の先生が「受験勉強は塾で教わってください」などというぐらいですから、それは明白です。
 教育の質が悪いだけではありません。いじめによって自殺に追い込まれたり、不登校となって社会から排除されたり、学校によって安全や将来を脅かされている子どもたちが数多くいます。学校に通っていると、下手をすると殺されてしまうのです。
 学校も民営化すればいい。もっと言えば、行かなくてもいい。もちろん行ってもいいですけど。(同書 p.99)

 まず興味深いのは最後の逡巡です。個人主義を主張する渡瀬氏としては、自身の価値観から演繹すれば「学校なんて行かなくていい」と言いたいが、子ども当人が行きたいのであれば「行ってもいい」というしかない。
 結局、子ども個々人の問題を一緒くたに議論するから、話が乱雑に聞こえる。「教育の質」が受験勉強や受験テクニックの販売であるかのような導入から、いじめや不登校による社会からの排除といった学校の問題と教育の問題、それと子どもを育成するという社会の問題がごちゃごちゃに語られている印象を持つ。

 現代の教育制度や学校のあり方に問題が無いなんて思わないが、だからといって渡瀬氏の言うような解決策である「学校も民営化すればいい」が最適解であるとも思えない。社会的格差や学力だけではなく、経済的要因で落ちこぼれていく子どもが生まれるであろうことや、そうした脱落した子どもたちが社会に別の層を形成し、それが社会を不安定にさせるだろうことは容易に想像がつくからだ。

 そんなことを言うと、どこかから「学校は勉強をするだけのところではなく、人間教育をするところだ」とか「集団行動を学ぶことが大事なのだ」などという声が聞こえてきそうです。
 それなら、ボーイスカウトにでも入ったらいい。目的はいったい何なのでしょう?そのために、今の学校が必要ですか?それは別にやればいいのです。僕に言わせれば、勉強すら教えられない学校で、人間教育なんかできるわけがないし、やって欲しくもない。できない組織ができないことをやろうとするから、何もできない学校になるのです。

 唐突に「ボーイスカウト」が出てくるところなど、米国右派文化に浸っていたであろう渡瀬氏の視野を感じさせます。「人間教育」や「集団行動」。もう少し正確に言えば子どもの「社会適合性」を練磨する為に、現代の学校という集団生活が用意されているという側面はその通りでしょう。しかしこうした集団生活が、先のセンテンスで指摘されたような「学校によって安全や将来を脅かされている子どもたちが数多くいます。学校に通っていると、下手をすると殺されてしまうのです」という側面もあるのでしょう。しかしこれは「ボーイスカウト」などの他の集団生活においても起こりうることであって、本質的な議論であろうとは思えない。

 まして、これから求められる多様な価値観とスキルが身に付けられる教育など、こなせるわけがありません。誠意をもって真面目に教育に取り組んでいる学校の先生も、わけのわからない文科省からのお達しをこなしたり、日教組の取り組みに付き合わされたりして、本来は子どもと向き合うために費やされるべき時間が減ってしまい、生徒や先生も可哀想だと思います。

 青少年健全育成条例の項で、意味のない規制を作っていると言いましたが、「利権をよこせ連合」からすると意味のない規制にも意味があるのです。不毛なことをさせられていると人間は次第に考える力を奪われていきます。そして、知らず知らずのうちに利権屋の仲間に入れられてしまうのです。学校の先生が真に子どものために働ける環境を作りましょう。(同書 p.99)

 確かに学校教育においても「ブルシット・ジョブ」は有るでしょう。子どもの存在を無視したような、教員と教育委員会の間だけでやり取りされるような類の報告やら通達というものもあるでしょう。また日本における英語教育に見るように、中学、高校の6年間を費やして日常会話もこなせないカリキュラムというのも問題だろうと思う。

 しかし「では、代替策は」と考えた場合、教育や学習の方法について最も知見を積んでいるのは、やはり文科省などの既存行政組織ではないかと思える。

 渡瀬氏が主張するような現在の教育行政の問題点を挙げ連ねて、「政府効率化委員会」でも通して文科省をはじめとした国内の公教育の制度を全て ”Leave Us Alone/放っておいてくれ” とばかりに廃止し、子どもたちの教育については各家庭などの自由裁量に任せるという社会も想像できなくもない。学校などに通いたくない子どもは通わなくていい。子どもには数学よりも生きるすべを学ばせたい。というような考え方も成立するのかもしれない。

 しかしここで即座に想像がつくのが、社会の階層化とその固定化。世代間移転。つまりは、金持ちの子どもは充分な教育を受け、社会の上部構造を再形成し、豊かな生活を送るようになり、貧しい階層に生まれた子どもは充分な教育を受けられないまま、刹那的な生活に追い込まれるであろうという未来図だ。

 これは結論と言っても良いが、”Leave Us Alone/放っておいてくれ” というドグマは、豊かな階層にとって非常に都合の良いものであるということだ。そしてそこで語られる「行政の無駄」なるものは、豊かな階層から見た「無駄」であって、貧しい階層やマイノリティの立場からはけして「無駄」とは言えない施策ではないかということだ。つまり、持たざる者たちを切り捨てて、持てる者たちの社会を構築するというのが、こうした「新自由主義」の姿と言える。

 ちょうど、1月20日にトランプ大統領の就任演説式が盛大に開かれたが、トランプ大統領の周りを取り巻くのはメタのマーク・ザッカーバーグ、アマゾンのジェフ・ベゾス、アップルのティム・クック、Googleのスンダー・ピチャイ、オープンAIのサム・アルトマンらいわゆる巨大テック企業の首脳であって、「フォーブスの“リアルタイム・ビリオネア・リスト”のトップ3であるマスク氏、ベゾス氏、ザッカーバーグ氏が、トランプ氏の家族や閣僚候補らに近い特等席を当てがわれていた」などと報じられている。

 その他のトランプ政権の人材登用をみると、ヘアケア製品会社コンエアーを創設したビリオネアであるレアンドロ・リッツートの息子であり米州機構大使を務めるジュニア(推定資産35億ドル)や投資銀行CEOのウォーレン・スティーブンス駐英国大使(34億ドル)、プロレス団体「WWE」の経営者一族であるリンダ・マクマホン教育長官(30億ドル)、金融サービス会社カンター・フィッツジェラルドCEOハワード・ラトニック商務長官(22億ドル)、不動産デベロッパーでトランプと縁戚にあたるチャールズ・クシュナー駐フランス大使(18億ドル)、スペースXで船外活動を行った民間宇宙飛行士で決算処理会社のCEOジャレッド・アイザックマンNASA長官(18億ドル)、不動産会社を経営するユダヤ系富豪スティーブン・ウィトコフ中東特使(10億ドル)、実業家のビべック・ラマスワミ政府効率化省(予定)(10億ドル)等など。資産によって構築されたトランプ政権とも言える。ちなみにあのイーロン・マスクは今回の大統領選挙で447億円をトランプ陣営に拠出したとされる。

 今回の米国大統領選挙は、民主党対共和党の戦いではなく、民主党エリートと共和党エスタブリッシュメントという既得権益を持つ旧態依然とした米国政治体制と、それに対峙するドナルド・トランプと「我々」の戦いだ。などと喧伝されたが、この「我々」を構成するのは、4年前に米国議会を襲ったトランプ支持者ではなく、こうしたビリオネア、社会の富裕層という事になる。米国において社会の下層を構成する国民の受け皿になるべき民主党左派は、そうした人々から嫌われているようにみえる。日本社会にも見られる「肉屋を称賛する豚」の姿だ。

 なかでも呆れかえるのはリンダ・マクマホンの教育長官就任で、そもそもWWEというキワモノプロレス団体のタレント経営者であったマクマホン一族の一人で、そのWWEでは、立役者ともいえるビンス・マクマホンとドナルド・トランプは数々の小芝居で客を沸かせてきた。このリンダはマクマホン一家の中では「良識派(プロレス用語でベビーフェイス)」で通してきた。上院議員選挙にも出馬しており、議席こそ獲得していないが2017年にはトランプ政権下で中小企業庁長官となっている。

 昨年、1980年代初頭に「WWE」の従業員(リングサイドアナウンサー)による児童の性的搾取を故意に助長したとして提訴されている。なお、本人は否定。

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 余談が長くなったが、トランプの大統領就任式でもう一つだけ。
 トランプ氏の三男であるバロン・トランプの存在が注目された。

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 パターナリズムと、世代間移転。いわゆる「世襲」。
 格差の拡大、階層の固定化と強化。
 その中で行われる政治権力の世襲。

 民主主義とは最も遠い情景が米国において展開されている。

 自由競争とは、スタートラインを金で買える自由も含まれるのだろう。

 話を渡瀬氏の著作に戻そう。

 渡瀬氏は『税金下げろ、規制をなくせ~』の中で「政治を変える戦略」として「政治家に約束させること」を具体的に掲げ、「政治家に約束・履行させることの重要性」を訴え、「僕たちは政治家を常に監視し続けなければならない」と指摘している。これにはまったく同意できる。そして「まずは地方政治から変えよう」と呼びかけている件についても同意できる。こうした現実に即した活動と、議会と有権者の関係性が政治を空理空論から現実のものに変えていくのだろうと思える。

 現代の日本社会には根強い問題が横たわっている。それは有権者の中にある議員、特に地方議員に対する無理解と不信感だ。名古屋市では河村たかし前市長が唱導して2010年に名古屋市議会がリコールされた。市議会が丸ごと有権者から解職されたわけだ。

 リコールを求める有権者からは「地方議員は何をやっているのか、仕事が見えない。ロクに仕事もせずに高給を貪るのは許せない」という声を聞いた。

 そうした声を受けて何人かの議員はブログやSNSなどを利用して情報発信に務め、また名古屋市では議会基本条例が制定され、市議会開催時に議会報告会を開いて、市民との意見交換を行う事とされた。(しかしこの議会報告会は、やがて河村前市長の反対によって施行されなくなった)

 リコール選挙の後に、私は名古屋市会の議員と様々議論を行ってきたが地方議員自体は、その職責を十分自覚しており、誠実に職務を行っている。そして何割かは本当に尊敬できる人々だ。確かに一部の議員には問題も感じたが、リコールされなければならないような議員は少ない。

 そして、その基準を、河村前市長が生み出した減税日本ナゴヤの市議たちに当てはめるのなら、ほとんどの減税市議は即刻辞表を書くべきだ。

 そして、リコール選挙の時に言われた「市議の仕事が見えない」という批判も、市議の仕事が見えないのではなく、有権者、市民が市議の仕事を見ていないと言ったほうが正しい。現に、今の減税日本ナゴヤの市議の仕事を見て、再選を許すその基準がわからない。有権者は地方議員の仕事など見ておらず、その仕事の内容で投票をしていない。漠然としたイメージだけで投票しているのであって、そんな的はずれな基準で有権者が市議の当落を決めるのであれば、地方議員は有権者に対する信頼感を失う。

 そう、つまりは有権者の議員に対する不信感と同時に、議員における有権者に対する不信感や侮りがはびこっている。4年に一度、河村前市長の名前や声を掲げて、選挙区を自転車で走り回れば、後は眠っていても高給がもらえる。それが河村たかし生活協同組合である減税日本の姿で、有権者や地域住民の生活向上など気にもかけない。

 そうした相互不信を払拭し、地域住民の議会となるためには、地域住民、有権者が議会や首長と言った選出公職者の言動をしっかりと見つめ、それを厳しく評価する必要がある。それは渡瀬氏と同じ観点を持つ。

 渡瀬氏の言うような「減税」と「規制緩和」そして、「小さな政府」が国民生活にとって利益があるのか否か。それはそうした政策を実際に実現させているアルゼンチンのミレイ政権や、米国のトランプ政権の動向を注視すればいいだろう。そうした先行事例に注視し、良い結果がもたらされるのであれば、日本社会においても「減税」と「規制緩和」そして、「小さな政府」を進めれば良い。しかし、アルゼンチンや米国において成功とは言えない結果と成ったのであれば、それを進める事は論理的に間違っている。

 本当の「保守思想」とは、これぐらいの慎重さと、事実に対する厳しい目を持つものだろう。

 なので今のところは渡瀬氏とは手法においては同意ができるが、方向性については私は懐疑的であると言うに留めておこう。

 次回では渡瀬氏の「社会的嘘の終わりと新しい自由」(株式会社すばる舎2023年)という最新書籍にそって、その本質的な危うさについて述べてみたい。

 更に、「既存政治勢力がなぜ「減税」を主張に加えようとするのか、そしてそれの何処が誤りか」についても触れておきたい。

 ちなみに、東京都千代田区長選挙において、元N国党/政治家女子48党の佐藤沙織里が次点という結果になった。河村たかし衆議院議員もSNSで支持を表明していたようだが、

「『減税』と言っておけば支持を得られる」類の話で、それによって有権者はメリットを得られるのか、得られないのか、見定める必要があっただろう。ちなみに、彼女はN国党において「チューナーレステレビ(つまりは、単なるモニター?)」を販売していたようだが、それを買った消費者は、喧伝されていたような利益を得られたのだろうか。

(続く)