追記;
「給食」がないと困る子どもたちもいるだろう。
そこにも配慮がほしい。
もう金曜日なので、今日のうちに掲載しておく。
人によっては、今年はうるう年で2月が29日あるのであれば、ついでに2月29日も金曜日であればいいのにと思っている人もいるだろう。
昨日突然、安倍首相が全国一律小中高等学校の休校を「要請」してきた。
その前に打ち出された「基本方針」ではこういった方向性ではなかったようなので、典型的な「朝令暮改」とも言える。
しかし、仕方がないだろう。こうした方針が打ち出された以上、それに沿って動いていかなければ混乱に拍車がかかるだけだ。
次のような調査がある。
bmchealthservres.biomedcentral.com
(訳は引用者による)
<概要>
<<バックグラウンド>>
2011年3月の東日本大震災と福島第一原子力発電所での事故後の福島県南相馬市の復興において労働力不足が重要な課題となっている。避難の要因にもなっている。住民が避難することを選んだ理由についてはほとんど知られていない。
この研究の目的は、南相馬の住民の避難と帰還に関する決定を分析することにより、災害後の環境で労働力を再建するための重要な要因を見つけるものである。特に、災害復旧に重要な役割を果たす医療従事者の一例として、看護師の経験に焦点を当てている。
<<方法>>
データは、南相馬市の4つの病院の25人の看護師とのインタビューを通じて得た。
インタビューの質問は、避難と帰還に関する彼らの決定の理由に焦点を合わせた。
データをテーマ別のアプローチで分析し、避難を促し、その後帰還することを可能にした主要な要因と、再定住に必要な支援を調査した。
<<結果>>
面接対象者のほぼ3分の2は、家族とともに南相馬から避難することを選択した。
決定に影響を与えた支配的な要因は家族の事情であった。
特に、小さな子供を持つことは、避難の強い原因となった。
生活、仕事の機会、仕事への愛着といった他の生活要因もこの決定に影響を与えた。
一方、放射線リスクは要因としては小さかった。
したがって、地域における看護師の確保には生活状況への配慮が必要であると分析する。
<<結論>>Determinants and supporting factors for rebuilding nursing workforce in a post-disaster setting | BMC Health Services Research | Full Text
子育て支援、雇用の安定、職場における心理的支援などが
雇用維持率を高めるための有効な施策であると提案します。
東北の震災の際、南相馬の帰還を調査した報告で、看護師に焦点を当てている。
子どもを預けて働かなくてはならないという条件が帰還を阻み、看護職員が帰還できない、医療の対応力が乏しいという社会インフラの整備困難が、また地域住民の帰還を阻む。
現代の社会は複雑な関係性の中で構築されている。そうした「リング」の一箇所が切れれば影響が連鎖的に起こり、その影響範囲を予め予測することは困難だ。
千葉市の熊谷市長も昨夜、休校に伴う、子どもを持った家庭の就労への影響をツイッターで懸念していた。
小中学校、高校を休校にすることは防疫に一定の効果はあるだろうと思う、しかし、それによって家庭に子どもを戻すだけでは、家庭や個人に負担を押し付けるだけになるだろう、そしてそうした個人や民間が支えていた社会インフラが途切れれば、現代の社会が維持できなくなり、こうした医療崩壊や流通崩壊、運輸崩壊といった事態にもなりかねない。
実際に、北海道の帯広厚生病院ではそうした事態に至っているようだ。
休校で看護師出勤できず外来休診
愛知県や名古屋市に於いても学校を休校にするようだが、どうぞ。
カリキュラムは止めることにしても、教職員はできるだけ出勤して、個別的な相談などの対応を受けていただきたいし、できれば自主登校を希望する児童や保護者の希望を受け入れるようにはできないものだろうか。
カリキュラム外の自習や、補講といった形を受け入れられないだろうか。
「託児」という行為はリスクがあり、責任が重い、重いからこそ行政がその責任を引き受けるようにできないものだろうか。
・・・しかし、リーダーというものは、その全体像と、方向性について明確な指針を指し示すべきで、それができないものはリーダーではない、そしてこうした個別的な事柄に着目するというのもどうだろうかとは思う。
人間は、己の視野と、視点が、その言動で判るものだ。
社会のリーダーには、広い視野と、高い視点を持って欲しいものだ。
世界各地の COVID-19 感染状況表示ダッシュボード
第31期 「2019-nCoV-新型冠状病毒全球简报」- 2020.02.27
(No.31 COVID-19 グローバルブリーフィング - 2020.02.27)
Coronavirus and the race to distribute reliable diagnostics / nature biotechnology 2020/2/21
追記:
先日、この COVID-19 について、あれこれ言うつもりはない、どうせ私が考えている程度のことは、どこでだって誰だって考えているだろうからだ。と述べたが、上記は、それでもどうなんだと思った次第で、その根拠も添えて述べてみた。そしてついでと言ってはなんだがいくつか述べてみたい。
今起きているのは、日本社会の貧しさの問題ではない。
(精神的には貧しいが)
小泉構造改革以降続けてきた「小さな政府」の抱える問題だ。
圧倒的に「人が足りない」のではないだろうか。
一昨日の国会審議における枝野立憲民主党党首の主張でもあるが、すべての省庁を横断的に人員配置して、すべての省庁で対峙しなければ対応できないだろう。仄聞するに、厚労省の中央が少なくない人員をクルーズ船問題だけに割いて、全体を見る人員が不足していたとするのであれば、愚の骨頂だろう。(水際作戦の「賭け」に出たのだろうが、それは誰のための「賭け」だったのだろうか。国民のためとは思えない、省益のための「賭け」であり、政権の支持率のための「賭け」だったのではないのだろうか。厚労省が近視眼的な評価を目指し、政権支持率の向上を目指したのかもしれないが、彼らが「賭け」たチップは何だったのだろうか)
そして、その「賭け」に負けただけではなく、職員自身が罹患すると来ては、歴史に残る汚点だろう。
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私は、全国的に自衛隊に出動要請をしてもいいと思える。
「トモナリ」の生産ラインに人員配置して、マスクを増産できないのだろうか。
名古屋市や周辺の化学プラントを持つ事業者に人員を派遣して「消毒用エタノール」の増産はできないのだろうか。
確か、「サリン事件」を受けて、自衛隊にはBC兵器対応の工科部隊ができたのではなかっただろうか。(BC兵器のBは、バイオテクノロジーで、まさに感染兵器対応だろうし、Cは化学兵器で、化学生成についてのノウハウを持っているはずだ)
そうした生産ラインを持っていても、人員の都合がつかない事業者に「ロハ」で人員を派遣すると発表すれば、手を挙げる事業者が出るのではないのだろうか。
また、PCR検査が中国、韓国に比べても日本では実施されていない。
PCR検査が万能ではないとか、不正確なPCR検査は却って感染を広めるといったような主張もあるが、実際に対応可能であっての上での主張であれば説得力もあるが、肺炎症状を訴える老人に対してまで検査ができないとするような対応は異常だろう。
仄聞するに、そのPCR検査のネックは次の3つ
1.検体を採取する医療従事者が少ない(運送者が居ない)
2.検査機器が少ない(1回の検査、検体の増殖に6時間かかるそうだ)
3.検査試薬が足りない
まず 1 現在警察では被疑者のDNAを採取している。(というか、ありとあらゆる機会にヒトのDNAを採取しているようだ)これは口内の粘膜から組織を削ぎ落とす行為で、PCR検査の検体採取よりも侵襲性が高いはずだ。
つまり、警察官にできることなら自衛隊員がやったっていいだろう。
次に、機器が足りないという件。機器自体は大した作りではないだろう(信頼性は必要だろうが)
自衛隊員を生産ラインに投入して増産させられないだろうか。
検査試薬については、時限的に製法の特許を無効にするとか、特許自体を一定金額で買い取るとかできないものだろうか。
更に、そうした上で製造設備を持っているところに自衛隊員なりを配置して生産、配布を行う。
国民は、不安に思っている。
マスク、消毒用エタノール、PCR検査。これら国民が切望するものに応えられなければなんのための文明国なのだろうか。
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最近、口の悪い人々の間で「お猿の機関車」のたとえ話がもてはやされている。
「立憲主義とは、猿が機関車の運転をしても事故が起きないようにする仕組みだ」というのだ。
ポピュリズム、つまりは民主主義の悪いところが出れば、社会はまるで「猿」が運転する機関車のようになる。その為に、予めレールをはめ、一定程度以上に速度が出ないようにしておけば、「お猿の機関車」として安心して人が乗ることもできる。
最近ではこれももう一つ進んで。
「今の首相がダメと言っても、なら次に誰にやらせるんだ。という反論があるが、猿が機関車の運転手なら、とりあえず猿を退けるだろう」という言葉もある。
民主主義とは手続きだ。
予め、ありとあらゆる事柄を想定して、そうした想定にそって手続き(憲法から始まって、各種の法律や条例、法令や規則、施行令など)を定めておき(文章化しておき)、その枠に収まるように罰則なども決められる。
この決まりには2つの重要な要件がある。一つは「予め決められたもの」であることと、今一つは「決められたことは誰しもが理解できる言葉で表現されていること」だ。理解しにくい事柄であれば、「解釈」を助ける事例提示や別の表現による補足もあるだろうし、誰しもが理解できるかどうかを押し計るためにも、規則を定める際には「熟議」が求められるのだろう。
ゲームは、始める前にルールを決めておかなければ、フェアには進まない。誰かの恣意的な判断でルールが変わるのであれば、ゲームは成立しない。なぜなら、ゲームとは受け取った情報を元に、どのような判断をしたか、それを比べるものであって、情報の解釈、判断の為にルールは予め共有化されていなければならないからだ。
また、社会生活の様々な場面で、ヒトは精神的負担を覚える。こうした負担の主要な要因は人間であることが多い。なぜ、他者を負担に感じるか、それは他者が自分の予測の範囲外にいる不条理な存在だからだ。
文明とはヒトに降りかかる不条理を減らす行為だ。天災や疫病などの不条理をヒトは克服してきた。しかし、最後に残った自然、不条理とは、ヒトそのものであるということだ。そのヒトの不条理性に枠をはめる行為が法治主義であり、立憲主義ということだろう。ヒトは神にもなるし、猿にもなる。社会の舵取りをする者が、時に「猿」に成ってしまっても、社会という機関車が脱線しないような工夫が法治国家であり、憲法を奉ずる国の姿だ。
その昔から、政治において、「信なくば立たず」という言葉があった。(過去形!)
民主主義に於いて政治のリーダーは、ルールを定め/定めさせ、それを守る/守らせる機能を担う。
リーダーが嘘を言えば、必ずその嘘で板挟みになる者が出てくる。
リーダーが嘘を言い、リーダー自身のミスを繕おうとすれば、下の者も失敗を報告するよりも、それを隠蔽し、胡麻化すことに知恵を使うようになる。嘘は矛盾を生むが、リーダーが嘘を言えば、その組織にはすでに矛盾が内包されるので、新たな矛盾が発生しても、それが矛盾であるのか矛盾でないのか判断ができなくなる。こうしてその組織では判断基準が曖昧になり、構成者はより怠惰になっていく。真面目にルールを守る者が損をして、適当に取り繕うことに長けている者が得をするようになる。こうなると、組織を維持するために必要な者がスポイルされる。やがて組織自体が維持不能となる。
「組織は頭から腐る」とはこの事を言う。
行政が、アホなほど文書主義であり、いつまで経っても「ハンコ」と手を切れないのは、この為だ。
元々行政組織も、赤の他人の塊だ。
赤の他人が、赤の他人である国民、県民、市民の為に働こうというのだから、そもそものモチベーションは生まれにくい。いくらでもサボろうとすればサボれてしまうだろうし、実際、制度設計の失敗で、サボり方を開発するのが仕事のような部署もある。(そして、生来生真面目な行政職員は、一所懸命サボるわけだ)
そうした組織に箍を嵌め、組織を合目的的に維持するためには、ルールと文書が必要なのだ。
ルールと文書を軽視する者には、機関車の運転席は任せられない。
ルールと文書を軽視する者は、それを定めた者、守る者への敬意がなく、他者の心を踏みにじっていることに気が付かない。平気でそれらを踏んづけたまま平然としているのだ*1。それは単なる文字の羅列ではなく、ヒトの仕事であり、生活であり、職業人から見れば、生きている意味そのものなのだ。
学校休校について方針を固めました。3月3日(火)より市内一斉休校とします(市立高校は4日から)。2日(月)に休校中の学習・生活指導を丁寧に行う等、混乱を回避します。
— 熊谷俊人(千葉市長) (@kumagai_chiba) 2020年2月28日
1・2年生で保護者がどうしても対応できない場合は学校で自習。疫学的知見に基づき、各教室少人数に分散して予防に努めます。
翻って、我が名古屋市の河村市長。
(略)
名古屋市、小中高の卒業式を一転実施へ 前日の方針撤回:朝日新聞デジタル
河村たかし・名古屋市長は27日、安倍首相の新型コロナウイルス感染拡大防止の要請を受け、3月2日から市立小中高校などを休ませるのに伴い、卒業式や卒園式も中止すると表明しており、この方針を事実上撤回した。
(略)
記者会見に先立って、河村市長が報道陣の取材に応じ、昨日の段階では、卒業式を開催する場合は万全の対応をとるよう求める政府の文書を「知らなかった」と述べた。
(略)
B6機関車の運転席はくれてやるから、今座っている椅子からは降りてもらうべきだろう。
*1:馬鹿面を下げて