市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

夜明け前

 2022年も大晦日となった。本年もありがとうございました。

 当ブログが一貫して追求している名古屋市政の問題、河村たかしの欺瞞性については、すでに明らかとなっている。

 来年(2023年)の地方選挙、その前哨戦である愛知県知事選挙において、河村たかし減税日本は知事候補を擁立できないようだ。知事リコール運動で熱心に河村のデマを信じた「ネトウヨ」候補が2人も立候補しているんだから、どっちかぐらい応援してやればいいのにネ。

 それどころか、名古屋市会議員選挙を前に、日本維新の会との連携が切れて逆に対抗馬を立てられる始末、減税日本を離脱した現職市議や、元職が維新から減税日本の対抗馬として立候補するようだ。この減税日本と維新の対立も、元はと言えば維新の岬まき代議士を戦略的見通しもなく「売った」河村たかしの失着であって、人を見る目、先を見越す目、政治的判断能力の無さを改めて露呈することとなった。

維新・岬衆院議員を不起訴 虚偽経歴「嫌疑不十分」―名古屋地検:時事ドットコム

 更に来年3月末には名古屋城木造化について文化庁に「基本計画」の提出をするつもりで居るらしいが、それはできない。

 それより先ずは、2022年の末までに文化庁に「基本計画」の提出ができなければ「切腹」するといった発言、まさに今日が切腹の期日だがまたまた食言するわけだ。

名古屋市:平成31年4月1日 市長定例記者会見(市長の部屋)

 「河村たかしの嘘」がまた一つ積み上がった。

 そして来年3月末に文化庁に「基本計画」を提出しても、それは受理されない、または文化庁はそのような計画を承認できない。なぜなら、現在の名古屋城木造化計画は日本弁護士連合会から「人権侵害である」と再検討を求められている代物だからだ。

www.nichibenren.or.jp

 文化庁日弁連から「人権侵害」と言われているような計画を受け取れるわけがない。

 つまり、名古屋市当局や河村たかしは、それが受け入れられないことを重々承知で、3月末に名古屋城木造化についての「基本計画」を提出することになる。そこで中日新聞はまたまたまた「名古屋市名古屋城木造化基本計画を文化庁提出」とか書くだろう。(何度目ですか)そして名古屋城問題が進んでいるかのように見せかけて、統一地方選挙が行われる。

 そして選挙が終わってから、5月か6月、ほとぼりが冷めたころに、ひっそりと不受理の知らせがやってくる。名古屋市民はまたまたまた、河村たかし中日新聞に騙されることになる。

 中日新聞は社説で、このバリアフリー問題さえ河村が譲歩すれば解決するようなことを書いている。

www.chunichi.co.jp

 これは欺瞞か、現状を判っていない。

 現在の計画では発災時の2方向避難路が確保できていない。この欺瞞が通れば、発災時に人が死ぬ。そうした事実を公器たる新聞が無視するとは見識が低すぎるし、名古屋市も行政として無責任にすぎる。

 また、この12月にあった名古屋市会経済水道委員会で木造化建築費だけでなく、その維持費も含めれば木造化の費用は1000億円になるのではとの市議からの質問に、当局は年間20億円の利益を50年間続けるというような回答を示しているが、こんな収益計画は欺瞞にすぎる。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 写真は現在の名古屋城「西北隅櫓」(御深井丸戌亥隅櫓、清洲櫓)であり1930年(昭和5年)、国宝保存法に基づき当時の国宝に指定、1950年(昭和25年)に文化財保護法施行にともない重要文化財に指定された名古屋城の櫓であり、清州城を移築したのではと言われていることから、 清洲櫓として親しまれている建物だ。少なくない人たちがこれを見て「名古屋城」と誤解し、直後にその後ろに控える大天守を発見して驚くほど立派な建築物だ。それなのに今、その 清洲櫓が雨漏りのため、瓦屋根にテントを張ったみっともない姿を晒している。

 河村市政では、木造化された大天守においても、この程度のみっともない事をやりかねない。こんなだらしない姿が、尾張名古屋であって良いのだろうか。

 そもそも「史実に忠実」といって、現在、現に存在している昭和改修大天守を破壊する行為は、第二次世界大戦の戦災による文化財の破壊や、戦後の市民による再建という努力を隠蔽し、歪め、踏みにじってしまうことにならないのか。文化、伝統とは、レプリカをでっち上げることとは思えない。今あるものを先ずは尊重し、大切に次の世代に受け渡していくこと、これこそが文化ではないのか。中日新聞の社説には胡麻をする音しか聞こえない。こうした高い見識を感じない。

 と、イントロのつもりで書き出して書きすぎてしまった。

 岐阜新聞土岐市に有る核融合研究所から輩出された核融合ベンチャーを紹介している。

www.gifu-np.co.jp

 ローレンス・リバモア研究所が12月にレーザー型核融合施設で自己加熱を達成させた。

www.llnl.gov

 ロッキード・マーチンも高ベータ核融合炉の実用化を2024年と発表している。

www.lockheedmartin.com

 核融合(「核」という言葉に抵抗があるのであれば、「プラズマ発電」でもいい、「核融合」では放射性物質は燃料として使われないし、出るとしてもトリチウムが少量(そもそもトリチウム自体危険性は低い)か、中性子被爆される施設の廃棄物程度である)がいよいよ実用化されようとしている。

 地球上に有るエネルギーはほぼ全て太陽由来である。石炭や石油、天然ガスは太陽エネルギーを蓄えた植物の変化したものにすぎない。太陽光はそのまま太陽由来だし、風も発生原理は太陽熱、波や潮汐力もその大部分は太陽を発生原因としている。水力は太陽によって引き起こされる雨、雪が水に対して位置ポテンシャルを与えている。

 そして産業革命以降起こった戦争は、最近のウクライナ・ロシア紛争も含めて、こうしたエネルギーの獲得合戦が原因となっている。つまり、人類にとってエネルギー獲得が容易となれば、紛争など起こす必要もなくなるということだ。

 また、食料も結局は太陽エネルギーを由来としている。人間の活動エネルギーも太陽由来であることは既に述べた。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 人間は太陽と、それを受け入れうる地球の農地や海洋を奪い合って生存してきた。かのローマクラブの「成長の限界」も、こうした地球の限界(=太陽の限界)に束縛された論考でしか無い。しかし、人類が太陽の束縛から解き放たれれば、こうし選別論も必要ないし、獲得合戦の悲劇も必要ない。

 もし、人類が無制限のエネルギーを手に入れることができれば、それを利用して植物を人工光栽培し育てる事が可能だ。つまり、食物生産に日照も耕作地の制限も必要なくなる。(「無制限のエネルギー」を手に入れることによる危険性は、それを手に入れた世代に任せる以外にないだろう。私は人類には可能性はあると考えている)

 そうして生成されたアミノ酸を使えば、人工の肉すらも創作可能だ。

www3.nhk.or.jp

gigazine.net

www.hybrid.t.u-tokyo.ac.jp

 遺伝子操作でもない。単にタンパク質を生体内で培養するのか、シャーレの中で培養するのかの違いでしかなく、これを忌避する行為は「カメラで写されると魂が抜き取られる」と言うに等しい行為となるだろう。

 さて、ここで話はガラリと変わる。

 人類が無制限のエネルギーを手に入れ、食の不安が払拭した時、産業革命以降発展し、途中社会主義と競争をし、一旦は勝利を遂げたかに見える「資本主義」は必要なくなる。

 特に、新自由主義とでも言うような、「金」の収奪合戦としての経済競争は必要なくなる。本来、経済学とは、食料などの人が生きている上での資源をどのように配分すべきかという議論に他ならない。それが資本や「金」という代替ツールへの幻想が定着し、そうした人間が本来手に入れるべき物を差し置いても、「金」を得ようとする。まるで「健康のためなら命も要らない」というような現在の歪んだ社会が生まれた。

 こうした歪んだ社会のあり方の一つが「財政均衡論」とも言える。

 「経済の目標は財政の均衡である」というのは、こう書いてみればその言明が如何に虚しいかわかりそうなものだ。ここには目的と手段の転倒がある。「経済の目標は人々の需要に対する適正な配分である」そのために、完全雇用(または、所得の保障)格差の是正、適正なインフレ(緩やかな社会の拡大)を実現すべきであって、その手段の上での一つの指標でしか無い財政の均衡など人類にとって必要ない。

 以前示したように人口と経済成長も比例などしない。人口が減少するからと、経済まで縮小させ、その結果、富裕層が占有率を高める必要もないのだ。

「日本の人口と経済成長」
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 こうしてみると、竹中平蔵パソナなど、日本社会を歪めてまで「金」を求めた者たちが哀れなピエロに見える。

 私は約10年前に「アベノミクス」で言われた財政出動、経済の拡大は正しかったと思っている。問題は国が当面の流動性拡大のために、債務を積み上げるという行為は、問題を先送りしているのであって解決ではない。それによってイノベーションを起こすなど、適正な再配分が安定的に行われるように社会を立ち直らせる必要がある。社会が適正に立ち直れば、結果として財政は均衡するし、再拡大が図れる。日本社会はその前の段階で社会を効率化すべきと勘違いし、経済を縮小均衡させてしまった。小泉・竹中改革が誤りであった事は明白である。(竹中改革は行政の縮小ではなく、単なるレントシーキングと、公的資本の不当廉売でしか無かった)それを受けた民主党政権や、その尻尾である河村流減税政策も、程度の低い劣化コピーでしかなかった。

 それを打ち破ったのが安倍政権の財政出動なんだが、ここでも新たなレントシーキングが行われ、必要なイノベーションは起きず、債務が積み上がるだけになってしまった。

 大学に対する予算を引き上げ、教育に潤沢な予算を付け、国民の力を底上げすべきであったし、研究開発を行う企業を助けるために、法人税を「引き上げるべき」であった。

 もう一度いう。法人税率は「引き上げ」ないと、法人の設備投資、人的投資は上がらない。アベノミクスによって過剰流動性が高い時期に法人税率を下げていたことが、企業内留保の積み上げという、国債以上に厄介な経済上の贅肉を作り上げてしまった。

 まあ、それはいい。

 日本社会はアベノミクス財政出動で稼いだ時間を無駄に使ってしまった。そうこうしている間にロシアがウクライナに攻め入り、中国、韓国の経済拡大に置いてきぼりを食ってしまった。更に中国・台湾がきな臭いという言説に誤魔化されて米国の軍産複合体にたかられているのが今の日本なんだろう。日本は国力を失い、国民の教育も劣化してしまっている。戦後築き上げてきた日本のプレゼンスは落ちるところまで落ちた。ここから人口動態がバランスする2050年頃までは、日本は暗い谷を歩くことになる。

 しかし、悲観視することはない。人類の新しいイノベーションは目前まで迫ってきているし、その世界では経済の正しい適応である「経世済民」が最優先に考慮され、戦争や資本による暴力的な収奪は無効化され、より適切で適正な再分配が図られるだろう。

 夜は夜明け前が最も暗いのである。

 皆様に、良い年が訪れますように。