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あいトリ問題で岸田首相に「意見書」?

 昨日有る方が「天皇陛下への名誉毀損内閣総理大臣が告訴する旨、刑法に 定められている」と主張された、私はそんな事があるのかと疑問を呈した所、ちゃんとその根拠条項を示された。

 刑法232条の第2項がそれである。最近、あいちトリエンナーレを訴えた大阪の方々が、この条項を引っ提げて「総理大臣は天皇陛下への名誉毀損を告訴すべきである」と主張し、内閣府などへ意見書を提出するとしているらしい。

 その場ではちゃんと根拠を示し、上記の主張を展開された事を尊重し時間もなかったことから議論は打ち切りになったが、この主張は2段階にかけて間違っている。

 まず、この刑法232条の第2項が適用された判例はないようである。

https://thoz.org/law/%E6%98%8E%E6%B2%BB40%E5%B9%B4%E6%B3%95%E5%BE%8B%E7%AC%AC45%E5%8F%B7/%E7%AC%AC232%E6%9D%A1%E7%AC%AC1%E9%A0%85/

1.そもそも刑法における「名誉」とは「人や企業の客観的な社会評価」をいい、主観的な「名誉感情」を傷つけられたことは対象にならない。また「具体的な事実を摘示」した場合が対象となり、主観的な「評価」や「感情」は原則として対象とならない。つまり、他者がどう思い、言動を行おうと、それが対象者の社会的評価を下げる効果、信憑性がなければ社会的評価は下がることはなく、名誉は毀損されない。

 具体的に言うと、(大浦作品の文脈は異なりますが、ここではその議論は置きます)天皇陛下の写真を燃やしたり、その灰を足蹴にしたとしても、その行為者、または作者の社会的評価には関わるが、それを為された天皇陛下自体の社会的評価は揺るがないということです。

 また、死者に対する名誉毀損は「虚偽の事実を摘示することによってした場合」(230条の2)と明確に定められている。

 事実を摘示しない侮辱について別条で定められているので、例えば執拗に主観的な評価を投げつけられるような場合には、こちらが適応されるのかもしれないが。少なくとも大浦作品が「天皇陛下の名誉を毀損した」とは現行法では考えられない。

2.名誉毀損、侮辱ともに「親告罪」である。つまり対象者(この場合、天皇陛下)が主観的に名誉が毀損された、侮辱を受けたと感じ、法に抵触していると判断した場合、「告訴」を行い「公訴」を提起することになります。 
 
 ここが私の引っかかったポイントで、刑法は実行者と警察(国家)の関係を定めていて、対象者(被害者)は何もしなくても、刑法に抵触していれば国(警察や検察)が「公訴」するもので、誰かの「告訴」など必要ないと、私が勘違いしていました。「親告罪」(秘密漏示罪や過失傷害罪)の提起は被害者の「告発」で国(警察)が動くものと思っていたのですが「告訴」が必要だったのですね。

 ともかく、この第232条の規定はその「親告罪」の規定です。
 第1項は「この章(第三十四章 名誉に対する罪)の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができない」と定めています。

 そして第2項で「告訴をすることができる者が天皇、皇后、太皇太后、皇太后又は皇嗣であるときは内閣総理大臣が、外国の君主又は大統領であるときは(以下略)」と親告罪の告訴を内閣総理大臣が輔弼することと定めている。

 いわゆる「記帳所事件」(1989年)において、「象徴という特殊な地位に鑑み、公人としての天皇に係る行為については、内閣が直接的に又は宮内庁を通じて間接的に補佐することになり、その行為に対する責任もまた内閣が負うことになるので、天皇に対しては民事裁判権がない」(1989年5月24日千葉地裁)とする判断が示され、「天皇といえども日本国籍を有する自然人の一人であって、日常生活において、私法上の行為をなすことがあり、その効力は民法その他の実体私法の定めるところに従うことになるが、このことから直ちに天皇も民事裁判権に服すると解することはできない。仮に天皇に対しても民事裁判権が及ぶとするなら、民事及び行政の訴訟において天皇と言えども被告適格を有し、また証人となる義務を負担することになるが、このようなことは日本国の象徴であるという天皇憲法上の地位とは全くそぐわないものである。そして、このように解されることが天皇は刑事訴訟において訴追されるようなことはないし、また公職選挙法上選挙権及び被選挙権を有しないと一般に理解されていることと整合する」(1989年7月19日東京高裁)とし、1989年11月20日に最高裁で確定している。

 つまり「天皇は刑事訴訟において訴追されるようなことはない」し、名誉毀損を告発する必要がある場合においても、天皇陛下がご自分で行うことはできず、内閣総理大臣が代わって行わなければならない。

 ここからは私の考察だが、では、天皇が名誉を傷つけられた、侮辱を受けたと主観的に考えた場合、それを内閣に伝えて内閣総理大臣に「告訴」をさせるということになるのだろうか?天皇は内閣にアレコレ指示はしないことになっているとすると、そうした事例が起きた場合、時の内閣総理大臣天皇の主観的感情を「忖度」して「告訴」をするという法律の建付けになっているのかと感じる。

 つまり、ここでも決定権、決定主体が隠蔽されている。

 この国は、何かというとこうした決定権、決定主体を隠蔽したがる。誰がやったのか、誰が決定したのか、その決定の責任を負うものは誰か、結局わからない。そうした在り方が、無責任な付和雷同を社会風土として定着させている。「中心は空洞」この神道的世界観、天皇を神とした中心(決定権力者)の不在。この問題は突き詰めるべきではないのかと思う。

 付言:というわけで結論としては「岸田総理に、『大浦作品は昭和天皇への侮辱であり、今上陛下も心を傷められているはずなので、告訴を行い、公訴を提起すべきである』と意見書を出す」行為自体は上記の法律的理路からは成立するように見える。(つまり、「名誉毀損」ではなく「侮辱」であり、「告訴」というよりも「親告罪の告発」による「公訴」の提起)

 しかし、今上陛下の心情、及び岸田首相の心情に対して提起者が主観を押し付けているように感じますし、その意見書が社会的合意を得られるようには思えない。

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