市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

無知のヴェール

 (理由はまったく判らないのですが)最近はトンと映画を見る時間が取れなくて残念なんです。しかしどうにも気になって、新作映画「一命」を見てしまいました。これって彼の名作「切腹」のリメイクだったんですね。それすら知らなかった。そして驚いたことに、この作品には表題の「無知のヴェール」が盛り込まれていたんですね。
 確か「切腹」はDVDかビデオを持っていた筈なので、そちらで当該部分の台詞を確認しようとしましたが、当のメディアが見当たりません。貸したような覚えもあります。結局、確認できませんでした。ですので、うろ覚えの状態で引用いたしますが、大筋では外していないと思います。

 「切腹/一命」の映画のストーリーを語ってしまってはこれから映画を見られる方の興を殺ぐことになりますので、致しません。

 「一命」では市川海老蔵が、「切腹」では仲代達也が当プロットによって浮き出た「人間性の奪還」を訴えます。

 「武士の世は一騎当千。生活に困窮し切腹をさせられた千々岩求女も、そこもとに居られる井伊家のご家中も、或いは立場が入れ替わっておったかもしれん。
 そのように思ってはみられなかったのか」

 人の世であればこそ、人には「そこまではできない」という限界があります。「自分がここまでされるのは、たまらない」それを乗り越えられるのは、人ならざる野獣です。(※1)(※2)(※3)

 無知のヴェールとはこういうことです。

 複数の個人が彼らで構成する社会を作ろうとする。その社会におけるルールや規範を合議で決めようとする時に、次のような仮定を置く。このルールや規範は普遍的で誰にとっても受け入れられるものでなければ、この社会は成り立たない。そうした場合、今からこのルールや規範を決めようとする者は「自らの属性 ―健康であるか病弱か、男性か女性か、金持ちか貧乏か等々― について一切情報を持たない」とする。

 これが「無知のヴェール」です。自分が健康であるか病弱かを知らない個人は、健康な者だけが有利な社会のルールには賛成しないでしょう。同じように金持ちか貧乏人かについても知らないのであれば金持ちだけに一方的に有利な規範にも、かといって貧乏人ばかりが優遇されるような社会にも賛成できないでしょう。

 千々岩求女に切腹を求めた井伊家の家臣にも「義」はあるのでしょうが、その前に人間として、「自分が千々岩の立場であったなら」と「慮る」気持ちがあってもしかるべきではなかったか。つまり、簡単に言ってしまうと「相手の立場に立って、それが受容できる範囲であるかどうか」が制度を設計する上で重要なファクターとなる。
 なので、制度を設計しようとする政治家において必要な素養は、自分自身の立場を離れて、こうした社会的弱者の立場に身を置いて考える事ができるか。という事である。度々( )春日一幸の言葉を引用しますが、彼も「人を慮る心無くば政治家たり得ない」と語っていた。常に弱者との連帯を求めたのが春日一幸だった筈だ。

 つい最近、雨が降る寒い夕方だった。とある市営住宅を訪れる機会があった。その時たまたまその市営住宅に住んでいる老女が帰ってきていた。その方は元々は熱田区に住んでみえて、区画整理とかでこの千種区市営住宅に引っ越してこられたという。既に80歳に近く、まだかくしゃくとはされているが、年金だけでは生活はできないために、毎日、敬老パスを使って熱田区係累を頼って新聞を配達させてもらっているという。
 千種区の今のこの自宅の近くでは使ってもらえないだろう。古くからの馴染みがあるから、熱田区新聞販売店では特別に夕刊を配ってもらい、その分の手間賃を出してもらっているらしい。

 もしも、敬老パスが無くなれば、彼女のこの働き口は無くなってしまうだろう。まともに通勤費を払っていては、とても残らないような金額なのだから。

 制度はこの老女に合わせて設計されるべきだ。
 金持ちのための「減税」など、語るだにナンセンスだ。
 自助できるものはすればいい。

 ロールズは「公正としての正義」として、「正義の二原理」を訴えている。
 1.各人が基本的自由に対する平等の権利を持つべきである。 ―自由権の保障
 2.社会でもっとも不遇な人の最大の便益となるように資源配分の是正が行われるべきである ―格差原理、マクシミン原理(※4)

 この段階で減税を持ち出す者は、もはや政治家たりえない。



 例の10月24日の財政福祉委員会において、横井委員が「減税日本の中にも減税政策に疑問を持っている人が居るんじゃないかと聞いたのだけれど、居ないのですか?」という問いかけに山田委員は「居ない」と明言した。それが「単なる噂で、このような場(委員会)で語られるような事ではない」と断じた。横井委員は「直接聞いているんだ」と言っていましたが。私も直接聞いています。それも複数。多分、山田市議の想像するような人ではない人も含めて。
 ご存じないのなら(まあ、会派内討議は有名無実になっているので)仕方がないでしょうが。ご存知であったなら、それこそ委員会という場で「嘘」をついたことになる。

 まあ、私としては山田市議は嘘をついても平気な方と断じているのでこれ以上追求はしませんが、まだ、こうやって一市民に対して嘘をつくぐらいなら時間が押し流してくれますが、委員会での発言は議事録として残りますからね。
 既に、「持続可能な定常型福祉社会を目指す時代だからこそ減税が必要である」という台詞は相当に逝っちゃってますけど。



※1 リコール署名収集の記録等を見ると、完全に「言いがかり」で議会の「悪」を言い立て、「民主主義の崩壊だ!」と民主主義的手続きをぶち壊す、リコール署名簿収集者の姿は完全に野獣そのものです。

※2 更に言ってやろう。私はそりゃあ煩いでしょう。また私は、衆を頼んで自己を失うようなしみったれではないので、一人っきりで無茶苦茶なことでしょう。筋の通らないことは大っ嫌いですし、嘘は毛虫より嫌いです。また、もともと下町なので声も大きい。しかし、事実誤認で市会本会議場で大声で不規則発言をして追い出されるようなケジメの無い真似は致しません。

※3 東県議に対する追求について、違法行為だとか、道義的に問題があるといわれていますが、では、ここでうえのような「交換」を考えてみましょうか。自分が薬事法に準じたラベルを貼らないような化粧品を販売したと。そして、それを咎められて県から注意を受けたと。・・・謝るんじゃないんですか?自分の不明を。

※4 彼の「定常型福祉社会」を提唱されている広井良典氏もこれらの議論を踏まえ、これらが「人称的束縛の中にある」と、この束縛を超えることを提唱されている。船橋の文章のように「定常型福祉社会」という言葉を振り回して減税を求めても、単なる勘違い(または、●違い)と断ずる以外にない。



追記(2012年1月6日):はてなキーワードでは「無知のベール」と言う表記になっているので、敢えてここに書き込んでおきます。