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名古屋市会「市会だより」2月号が発刊できなくなった経緯


名古屋市会「市会だより」2月号が発刊できなくなった経緯

(この記事は17,771文字あり 読むのに約45分ほどかかります)

 

(以下、特に断りが無い場合「委員長」とは「市会だより編集委員会委員長」を指し「委員」とは「同編集委員」を指す。
また、「名古屋市会議会運営委員会」とは、名古屋市会の議案、日程などを調整する名古屋市会内の交渉会派(会派所属議員が5人以上いれば交渉会派として認められ、議会運営に携わることができる)によって構成された議会運営のための会議体で、議事は公開され、傍聴も許されている。
http://www.city.nagoya.jp/shikai/category/333-5-0-0-0-0-0-0-0-0.html
「理事会」とは、この「議会運営委員会」の中で、委員長、副委員長、及び理事から構成される会議体で、議事は公開されていない。傍聴も許されていない。なお、理事会構成員は各会派の幹事長が就任する。各会派の幹事長は議会運営委員会の理事を構成するため、会派間の交渉を担うのは、各会派の幹事長ということになる)


12月21日(金曜日)「市会だより」編集委員会

市会だより編集委員会は各会派から各1名の参加で構成されている。

現在の編集委員

自民党:小出昭司(中村区)編集委員
民主 :森ともお(熱田区編集委員
公明党:沢田晃一(西区)編集委員
共産党:さはしあこ(緑区編集委員
減税日本佐藤あつし(中区)編集委員

の5会派5名

2月号を発刊するにあたって、11月議会における出来事として、
浅井康正元減税日本ゴヤ市議団団長の「ブロック塀」問題を掲載しなければならないという意見が出され、全委員から異議なしとして、浅井康正元団長の問題について掲載される事となった。

その際、特に浅井康正元団長が教育子ども委員会の副委員長を辞任した経緯と、副委員長を辞任するにあたって、委員会の再編成をする必要が生じた事、その為の調整に時間がかかった事、その間、当事者である筈の減税日本ゴヤの市議数名が、ヒトごとのように退庁してしまっていた事。こうした減税日本ゴヤの問題についても掲載すべき事や、「浅井」と同姓の議員がおり、新聞などで報道されて以来、混同される事によって風評被害が生まれている事から、浅井康正元団長の選出区(名東区)について特に明記すべき事などが提案され、同意された。

このように、掲載事項が重なったこともあり掲載紙面が足りなくなってしまった。そこで減税日本ゴヤの会派としての責任としても、通常慣例で全員掲載されている11月議会における個人質問については、減税日本ゴヤの市議の質問分を削除することによって紙面を確保し、浅井康正元団長の不祥事及び、それに付随する記事の掲載場所を確保する旨、全編集委員の同意がなされた。

この間、減税日本ゴヤ編集委員である佐藤あつし委員からは特に発言は無かった。

最後に、小出編集委員長より「掲載文書等、各会派でご確認いただき、意見などがあれば12月28日までに事務局に申しいでいただきたい」として、編集委員会は終了した。


この編集委員会の後、共産党山口市議が減税日本ゴヤ佐藤あつし委員に面談した。

ここから、話はへんてこな方向に転がっていく。

ここで特に強調しておきたい事は、12月21日の編集委員会において、佐藤あつし委員は、浅井康正元団長の記事掲載と、その為の紙面確保のために、減税日本ゴヤの市議が11月に行った個人質問の掲載を取りやめるという事について、編集委員会の席上で何も意見を述べていないという事だ。もちろん、反論も無かったわけだし、「会派に持ち帰って考えさせてくれ」というような保留の申し入れもされていない。

そして、12月22日、23日、24日には何も動きは無い。


12月25日(火曜日)になって、佐藤あつし委員より事務局に「減税日本の質問を掲載してくれ」という旨の申し入れがあった。「小出委員長にはこれから連絡する」との事で、委員長の了承もないこの申し入れに、事務局としてはどう対応すべきものか判断ができなかった。

午後になって、佐藤あつし委員と、減税日本ゴヤ鈴木団長より、小出委員長に電話が入る。「減税日本の質問を掲載してくれ」という申し入れで、小出委員長も、独断で対応するわけにもいかないので回答を保留とした。

更に、減税日本ゴヤ田山幹事長より事務局に電話が入り、「減税日本の質問を掲載してもらえるように議長に申し入れをしたいと考えている」と伝える。事務局として「編集委員会で協議いただいている事項であり、いかがか」と疑義を伝えた。

夕方になって共産党さはし委員から事務局に「減税日本の質問を掲載すべきである」との意見が申し入れられる。事務局としては「小出編集委員長へ直接説明いただきたい」と伝える。

ここで解説をしておくと。
どうしても共産党は市会内で孤立しがちだ。

国政マターなどで、自民+公明+民主+減税 VS 共産党 などという意見対立が起こる事もままある。
こうした対立においては、共産党は圧倒的に不利で、例えば「市会だより」に共産党が意見を掲載したいとしても、他党に反対されればそれは叶わない。ここで慣例として全員掲載の原則が守られている個人質問について、その原則を崩す事例が発生すれば(前例を作ってしまえば)、今後、共産党だけ同様の扱いをされることも起こるのではないかと懸念される。そうした事から共産党は動いたと推測される。(これは私の推測だ)

また後ほどの調査で明らかになるが、共産党山口市議が21日に佐藤あつし委員に面会したのは、減税日本ゴヤの市議の個人質問が掲載されないという決定について、「本当にそんなことで良いのか?」という個人的な疑問をもって佐藤あつし委員の意見や減税日本ゴヤの判断を、確認したかったまでで、共産党市議団としての行動ではないとの事だった。さはし委員も一委員の個人的な意見として事務局に申し入れたようだ。


さて、ここで大問題の12月26日(水曜日)に至る。

この日、昼前頃、減税日本ゴヤの田山幹事長から坂野議長(自民党、港区)に電話が入る。
電話の主旨は「市会だよりに減税日本の質問を掲載すべきである」との申し入れだ。

坂野議長からは「まずは、編集委員会で協議をしていただくべき内容である」と指摘した。

この時に田山幹事長は「議長選挙において、減税日本ゴヤは坂野議長に投票したのであるから、よろしく取り計っていただきたい」という趣旨の申し入れをしている。

引き続いて、田山幹事長は議会運営委員会の成田たかゆき委員長(自民党、天白区)の事務所にも電話している。しかし成田委員長が不在であったので会話は成立していない。

さらに、共産党のさはし委員から小出編集委員長に電話がかかり「減税日本の質問を掲載すべきである」との意見が申し入れられる。

この日(26日)の注目点は2つある。
一つは、この経緯の中で最も問題と思われる、田山幹事長と坂野議長とのやり取り。

二つ目は共産党のさはし委員が事務局に続いて小出編集委員長に継続的に申し入れをしているにも関わらず、肝心の減税日本ゴヤ佐藤あつし委員の動きが見えないという事だ。


デッドラインも近付く12月27日(木曜日)

減税日本ゴヤ田山幹事長が成田たかゆき議会運営委員会委員長の事務所に電話し「市会だよりについて、年内に相談したい」との伝言を依頼する。

ここで、成田議運委員長は返信をしていない。これは至極当然の事だ。
田山幹事長の申し入れは筋違いだ。市会だよりについては、坂野議長も指摘したように、市会だより編集委員会において協議すべき話であって、議運の委員長がその内容について何を言われてもどうする事も出来ないし、すべきではない。
本来、減税日本ゴヤにおいて12月21日の決定について異議があるのであれば、編集委員である佐藤あつし委員が、小出編集委員長に申し入れるべきで、その際には他の会派の編集委員にも「根回し」をすべき事柄だろう。聞いても仕方のない事について返信の電話をかけなかった成田議運委員長の判断は至極もっともな事と思われる。

田山幹事長は引き続いて事務局に電話したようだ。「成田議運委員長と話ができない」と伝えたらしい。
事務局としてはどうしようもない。そんな事を言われても、事務局から成田議運委員長に「田山幹事長に電話してあげてください」と要請できるわけでもない。
中学校か高校生がクラスの中で仲たがいして、その仲裁をするという話ではないのだ。
市会だよりの編集事務局が、議運委員長に特定会派の幹事長へ電話をしてくれ。などという事を要請するのは幾重にも筋が通らないし論理的に有り得ない。

事務局としては「編集委員会の期限は明日(12月28日)であるにも関わらず、編集委員佐藤あつし委員が動いていないのは問題なのでは」と逆に指摘をしたそうだ。

この指摘を受けてか田山幹事長が成田議運委員長の事務所に再度電話をかけ「佐藤あつし委員が小出編集委員長に再度相談する」と伝言を残したそうだ。

この後、事務局に佐藤あつし編集委員から電話が入る。「12月25日に小出委員長に対して自分から電話で申し入れた。また、鈴木団長からも電話で申し入れたが『議運で減税の責任の在り方が問題になっている』等と指摘された」との事だった。

更にこの後、田山幹事長が事務局に電話をいれている。「佐藤あつし委員より小出委員長に再度申し入れる。場合によっては文書による申し入れを考えている」「坂野議長も『まずは編集委員会の問題』と言っていた」「江上幹事長(共産党)も理事会が開催されれば、現状では減税日本の個人質問を削除する事には反対と言っており、山口議員も同趣旨の発言をしている」

この田山幹事長の発言は重い。
1.「文書による申し入れ」とは、どこに対する申し入れだろうか?ここまでの経緯で見てきたように、市会だより編集委員会は何も拒否していない。逆に、減税日本は文書によるもの以前に、申し入れを行っているように思えない。21日に発言機会が与えれなかった、保留を申し入れた、または反対を表明していたものを強圧的に決定された。のなら、「申し入れ」に当たるだろうが、そのような事実は無い。それ以降佐藤あつし委員において、一旦了承してしまった事柄について、会派として決定を覆すのであるとすれば、それは佐藤あつし委員から各編集委員編集委員長に対して謝罪とともに協議のやり直しを求めるべき事柄だろう。つまりここでは減税日本の意思決定自体が覆っているのであって、問題の所在は明白だ。
にもかかわらず、減税日本の田山幹事長が編集委員会、または事務局に「文書による申し入れ」を行うとすれば、高圧的なのはどちらかという事になろう。
2.坂野議長の名前を出した事も高圧的だ。坂野議長の「編集委員会の問題」とは、編集委員会で協議すべき問題という事で、「編集委員会に反省すべき問題がある」というような意味ではない。21日の会合から、週末をはさんでいるとは言っても、25日まで4日もある。それにそもそも市会議員に週末などない。年末の予定に追われて活動しているのが市会議員だろう。根回しをしようと思えばいくらでもできたはずだ。(小出委員長の事務所や自宅、年末であれば会合や訪問先を訪ねるぐらいの誠意を見せなければ、このような「申し出」がいれられるとはとても思えない)
3.田山幹事長の本領発揮。ここで共産党の江上幹事長や、山口議員の名前を出す幼稚さ。いったい田山さんはここで、江上さんや山口さんの名前を、事務局に出して、どんな効果があると思ったんだろうか?「多くの人も問題だと言っている」とでも言いたかったのだろうか?
坂野議長の名前、江上さんやら山口さんやらの名前を出す、それにすがる。まったく腰ぬけ、臆病者、小心者の極みだ。自ら責任をもって、自らの言葉で語る事が出来ないから、議長や他の議員の名前を出す事になる。しばらく前、ある街頭で「私たち」に逢って河村代表の陰に隠れて挙動不審におびえていた姿を思い出す。こんな人物が、・・・・是非とも、末永く減税日本の幹部を続けて頂きたいものだ。(代表は、こういった人物がお好きなんだろう、なにせ怯者として自分に似ているのだから、田山さんを見ていれば、自分はまだ、あれほどの臆病者ではないと思えるのかもしれない)


ともかく、こうした動きを受けて、小出編集委員長は事務局に電話をかける。「編集委員会として予定していた1月10日より前に、編集委員会を開きたい、日程調整願いたい」事務局より1月8日ならば可能であるとして、各委員に事務局よりこの予定変更を伝える事となる。

この日の夕方、小出編集委員長より佐藤あつし編集委員に「修正案を減税日本で考えるよう」と連絡。

この後、田山幹事長より事務局に電話が入る。「編集委員会が1月8日に開催されることになった、議長が動いたのかな?」「編集委員会が動き始めたのでこれ以上自分(田山幹事長)は動かない」・・・おめでたい世界観だ事。

 

12月28日(金曜日/仕事納め)
お昼に佐藤あつし委員から事務局に電話が入る。「修正案を事務局で作ってほしい。質問のスペースは減税も他会派と同じスペースで掲載してほしい。過去には小さな文字で掲載された事もあった。全体を圧縮して調整してほしい」

更に一時間ほど経って「代案は年明けに小出委員長と事務局に報告する。減税も他会派と同じスペースを確保し、他の議員には影響が出ないように考えてみる」

そして、年末年始の休暇に入る。
年が明けて1月7日(月曜日)

佐藤あつし委員より小出委員長に電話が入る「修正案を作成したので小出委員長に事前に見ていただきたい」
小出委員長は「編集委員会を明日に構えているのだから、明日提出してほしい」と応える。

念の為に、申し上げると、今年の年始は1月4日(金曜日)だった筈だ。臨時に市会だより編集委員会を開催させるほどの緊急事態、重大用件であれば、1月4日から動いても良かったのではないだろうか?いや、動くべきだろう。

そもそも市会議員にとっては、年末年始も休みなどではない。減税日本も元旦に街宣を行う事を恒例としているのではないのだろうか(まあ、もっとも減税日本は昼に熱田神宮で街宣を行った後、参拝してそのまま酒盛りになるようだが)

そして、仄聞するにこの修正案もたった一案しか準備していなかったようだ。

さて、こうした動きを受けた1月8日の臨時編集委員会
佐藤あつし委員とさはし委員(共産党)から「減税日本の質問部分も他会派同様掲載すべき」との意見が出される。
佐藤あつし委員からは、修正案も提示される。

これに対して沢田委員から、「12月21日の編集委員会減税日本から異論が出なかった」と指摘がある。

これに対して佐藤あつし委員から次のような発言があった「12月21日の編集委員会終了後、私がお願いしたわけではなく、共産党の山口議員が控室を尋ねてきて『減税はこれでいいのか』と言われた」と。これは重要で、呆れるような発言だ。

上記の田山幹事長同様、佐藤あつし委員も、共産党の山口議員の陰に隠れようとしている。そして、そんな発言にどのような意味があるというのだろうか?

編集委員会に「他会派の議員にも反対する者も居る」といったとしても、自説の補強などにはならないし、もし編集委員会に各会派が意見を言わなければならないのであれば、それはそれぞれの会派が意見を表明するだろう。(ここで、佐藤あつし委員は、さはし委員の名前ではなく、山口議員の名前を出している事にも注目してみたい)自説に説得力が無い、または自身の立論が脆弱だから、こうした余計な発言を行うとしか思えない。佐藤あつし委員が自身の言葉に力が無いことを、編集委員会を動かす事が出来ない事を自覚するのであれば、その理由をもっと深く掘るべきだ。

なぜ、ここで編集委員会佐藤あつし委員は、減税日本は動かす事が出来ないか。それは、佐藤あつし委員の発言に「理」が無いからである。誰かの陰謀でも、編集委員会の怠慢でも無い。では、無い「理」を作るにはどうするか。他会派の議員の名前や、議長、代表の名前を出し、他力にすがっても意味は無い。自身の中で「理」を構築するしかない筈だ。その為には「内省」を行うか、会派内でキッチリとした議論を行うべきなのだろう。

このような他者によりかかったような発言は、中学生か高校生でも、少し自分の言動に自覚的な者であれば行わないような発言だ。

この佐藤あつし委員の発言に対して、共産党のさはし委員が補足の発言を行う「山口議員の行動は、共産党の団としての判断ではなく、個人的な判断で行った」

沢田委員からは「本来は市会だより編集委員会で話し合う案件であって、減税の幹事長が動き回っているのはおかしい、共産党は幹事長が動き回っているわけでもない」

小出編集委員長より「さはし委員は、編集委員として同会派の山口議員に抗議すべきだ。編集委員会としては、越権、冒とくしたとして、憤慨していることを山口議員に伝えてほしい」

次回の編集委員会で経緯についてさはし委員から報告を求める。

さらに小出編集委員長より「本件に関して、減税日本の田山幹事長が議長に対して問題があるような発言をしたのではないか」との問いかけに、佐藤あつし委員は「把握していない」と回答した。

民主の森委員より「田山幹事長から、小出編集委員長には連絡はあったのか」と確認があり、これにたして小出編集委員長は「田山幹事長からは連絡は無かった。減税日本の鈴木団長からは電話があったが、途中で政務活動費の報告をしなければならないとか言われて電話が切られ、その後連絡は無い」

次回の編集委員会佐藤あつし委員から、この経緯について報告をする事となる。

佐藤あつし委員が発言「会派内では、浅井康正議員のブロック塀の記事があるから減税の質問を掲載しないのはおかしいなどの様々な意見があった」「浅井康正議員のブロック塀に関する記事を大きく取り上げる事は、より議会の品位を下げないか心配である」

これに対して小出編集委員長から「(一般紙によって報道もされており)すでにこの問題で議会の品位は下がっており、きちんと経緯を市民にお知らせしないといけない」「減税の修正案では写真やイラストが無くなり文字ばかりになってしまう」

森委員より「詰め込むのは物理的に無理がある」と指摘。

沢田委員より「浅井康正議員のブロック塀に関する問題では、日々真面目に活動している議員は悔しい思いをしている。減税日本は会派の一つのけじめとして、今回だけは掲載を辞退されてはいかがか」

これに対して佐藤あつし委員は「会派としての責任の取り方は、理事会や議運で田山幹事長がしっかりと説明する。私は掲載をお願いするだけである」

共産党減税日本編集委員会での指摘等を会派内で検討し、次回(1月10日)の編集委員会で報告。

また、2月号の発行ためには、最終の締め切り(印刷、配布手続きは予算とともに決められている)が次回1月10日の編集委員会である事を確認し、終了。

「市会だより」は議員活動を市の公費を使って市民に知らせる物であることから、全会一致でなければ発刊はされない。
12月21日の編集委員会では、浅井康正元団長のブロック塀の記事を掲載する事、その掲載場所を確保するために慣例となっていた個人質問全員掲載の原則を取りやめて、減税日本の議員が行った個人質問については掲載を控える。という合意について、共産党減税日本の反対が表明されたわけであるから、このまま共産党減税日本が21日合意に反対するのであれば、発刊自体ができなくなる。


こうしていよいよデッドラインである1月10日の編集委員会を迎えるわけなのだが、その直前、減税日本において団会議が開かれて、その席上で佐藤あつし議員から「全員の質問を掲載するように申し入れを行った」と報告があった。特に、この措置で個人質問が掲載されないとされた新人議員である高木議員には「掲載しろって言ってやったから、安心しろ」という発言があったそうだ。


1月10日 午後2時 市会だより編集委員会開催

佐藤あつし委員より報告「田山幹事長が議長に申し入れた件というのは、議長に市会だよりを公平・公正にお願いしたいという内容であった」と報告

小出編集委員長から「昨夜田山幹事長から直接電話があり、お詫びとともに『議長に投票した会派である』という言葉がいけなかったと言っていた」

沢田委員「その田山幹事長の発言は、議長に投票したのだから便宜を図るようにということになるのでは?」

佐藤あつし委員「そのような事ではないと思うが、確認させてほしい。また、今日の理事会で田山幹事長から謝罪と説明がある」

沢田委員「田山幹事長の行動は、個人的な行動か?」

佐藤あつし委員「幹事長としての立場での行動であり、会派として行ったものである」「田山幹事長からは本日の理事会でこの件について謝罪と説明をすると聞いているので、修正案の協議をお願いしたい。また、田山幹事長から、減税の質問を掲載するように指示を受けている」

小出編集委員長「減税の修正案について協議に入りたいが、その前段階で重大な問題となっている。田山幹事長の行動は、編集委員会の範疇を超えており、理事会での発言等を確認しないと協議が進められないのではないか」

佐藤あつし委員「理事会終了後に田山幹事長の発言を確認させてほしい」


さはし委員「8日の編集委員会で指摘された山口議員の行動について。12月21日の編集委員会終了後、その内容を共産党団会議の前に役員である山口議員に報告した。山口議員は通常の編集とは異なることから、団の態度を決めるために、該当会派の情報収集が必要と判断し、佐藤あつし編集委員へ状況を聞きに行った」と報告

佐藤あつし委員「山口議員から問い合わせがあったが、まだ(減税日本市議)団に報告していないのでと答えた」

沢田委員「8日の編集委員会では、佐藤あつし委員からは、山口議員から意見をもらったというような発言があった」

さはし委員「あくまで減税日本の自粛ということであれば、共産党として意見を言うことはおかしいことであり、山口議員は減税日本としての問題意識等を確認しに行ったものであると思う」


各会派で同時刻に行われている理事会の状況を確認するために、編集委員会は暫時休憩に入った。
名古屋市会の理事会は編集委員会に先立つ午後1時30分より開催されていたが、田山幹事長からは市会だよりについての発言は一切無かった。

編集委員会においても取り上げられたように、田山幹事長の議長への「働きかけ」は問題とされており、それでも編集委員会佐藤あつし委員から「田山幹事長が理事会において謝罪と説明がある」とされていた事を受けて、編集委員会を暫時休憩し、その謝罪と説明を待っていた。しかし、そうした内容が無いまま理事会が終わった。これはどうした事かと様々な協議が非公式に行われた。

その結果、午後5時30分頃、編集委員会がやっと再開された。

小出編集委員長「休憩前に、佐藤あつし委員は、理事会で田山幹事長が説明すると言っていたが、理事会において発言が無かった」

佐藤あつし委員「15時からの予算説明会などで、田山幹事長になかなか確認ができなかった。田山幹事長が議長に申し入れた件については、議長に市会だよりを公平・公正にお願いした上で、議長に投票させてもらった会派なのでと言っていた。予算の説明会終了後、減税日本の鈴木団長と田山幹事長が議長へお詫びに伺ったが、議長に会えなかったので、秘書にお詫びの伝言をしてきた」

小出編集委員長「そもそも先ほど佐藤あつし委員から『理事会で田山幹事長が説明する』との発言と『それを確認させてほしい』という申し出で休憩になったにもかかわらず、理事会で田山幹事長の発言が無かったという事は、佐藤あつし委員が編集委員会で虚偽の説明をしたことになる。また、昨日の田山幹事長からの直接の電話でも理事会で説明するからと言っていた」

沢田委員「これまでの経緯を確認して、編集の協議に入るということであったが、理事会で一切発言がなかったという事は、減税日本が編集の前段階で止めてしまったということであるとともに編集委員は全員騙されたということである」
「最終の締め切り時間は?」

事務局から、原稿からデザインをこれから行うとなると、20時ごろが限界であると説明。

佐藤あつし委員「田山幹事長が小出編集委員長に電話をし、今日の理事会で説明をすると言っていたことは聞いている」

森委員「理事会で田山幹事長が発言しなかったのは、12月21日の合意通り、減税日本の質問について辞退するからだと思っていた」

小出編集委員長「市会だより編集委員会は合議によって紙面を作り上げていくことが使命である。佐藤あつし委員の発言を尊重し、編集委員会を休憩し、待っていた。しかし、協議に入る前の段階でこのような状態では、議論に入れない。このような事態を招いたことに対して、佐藤あつし委員は田山幹事長とどうするのか、会派で相談して決めてきてほしい。20時までに決めてきていただきたい」

ここで、編集委員会、暫時休憩。

午後8時3分過ぎ。編集委員会、再開。

佐藤あつし委員「田山幹事長が理事会で発言しなかったのは、田山幹事長が理事会では発言すべきではないと判断をし、予算の説明会終了後に議長へお詫びに伺った。また、田山幹事長が先ほど成田幹事長(議運及び理事会議長・自民党)へお詫びに伺っており、田山幹事長から編集委員会をお願いするように指示があった」

小出編集委員長「20時までに再開するということで待っており、田山幹事長の謝罪がないと開かないとは一切言っておらず、佐藤あつし委員の発言の意味がわからない」

佐藤あつし委員「休憩中に田山幹事長なりに動いており、また、田山幹事長からも、質問の掲載をお願いして来いと指示を受けており、協議をお願いしたい」

・・・まったく、議論がかみ合っていない。

沢田委員「理事会で謝罪と説明すると言ったのは誰か」

佐藤あつし委員「田山幹事長である」

沢田委員「なぜ発言しなかったのか」

佐藤あつし委員「田山幹事長が理事会で発言するべきでないと理事会中に判断した」

沢田委員「編集委員会で、理事会で謝罪と説明をすると言い、さらに田山幹事長が小出編集委員長にまで電話をかけ、理事会で発言するとまで言っておいて、なぜ急変したのか」

佐藤あつし委員「田山幹事長は、議長に謝罪するのが先と判断し、理事会終了後、議長へ謝罪に伺った」

沢田委員「議長に謝罪をすることを先にしなければならないと思ったのであれば、どうして理事会の前に議長に謝罪をしなかったのか」

佐藤あつし委員「理事会で説明しようと思っていたのではないか」


・・・ここでも、議論がかみ合っていない。

佐藤あつし委員「田山幹事長の行動で迷惑をかけたが、原稿の締め切りであるので、協議に入っていただきたい」

小出編集委員長「期日を迎えてしまった原因はどこにあるのか」

佐藤あつし委員「編集に入る前提ができておらず、それは田山幹事長の行動や発言が妨げになっている」

小出編集委員長「確認をするための休憩や臨時の編集委員会を開くなど、減税日本の提案に対して様々な配慮を行ってきた。それにもかかわらず、編集委員会を欺いておいて、自分たちの主張はお願いしたというのは通る話ではない」

森委員「休憩中に田山幹事長が成田幹事長(自民党)へお詫びに伺ったというが、成田幹事長は了としたのか」

佐藤あつし委員「確認が取れていない」

小出編集委員長「成田幹事長は憤慨していた。また、20時が限度であるなか、田山幹事長が自民党に来たのはその直前だった」

沢田委員「編集の協議に入る前に止まってしまったのは減税の責任ではないか」

小出編集委員長「市会だより2月号が発行できなくなれば、減税日本が引き起こした問題のためである」

佐藤あつし委員「編集の協議に入れなかった責任は認める。会派に持ち帰らせていただきたい」

暫時休憩
やっと、ここで佐藤あつし委員から「会派に持ち帰」るという言葉が出てきた。12月21日にこの言葉が出てきていれば、これほどの混乱は起きなかった。


午後8時55分、編集委員会、再開。

佐藤あつし委員「田山幹事長の不手際により、迷惑をかけたが、質問は全員掲載するように調整願いたい」

沢田委員「編集の協議に入れず、発行できなくなる事に対する責任の所在は」

佐藤あつし委員「現状減税の責任であると思うが、掲載を認めていただきたい」

ここでも余計なひと言が入っている。「現状」
「現状」の状況を作ったのは減税の責任であるが、減税日本自体は悪くない。または、自分自身には責任は無いという事だろうか。
というよりも、こうした「条件付け」を、無責任な人々はよく行う。橋下徹氏などもよく行う上に、彼は自身の著作でこうした条件付けをする事で、責任を認めた事柄の範囲を限定、縮小する事を勧めてもいる。
つまり、無責任、卑怯な人々の逃避の手法であって、こうしたこずるい文化がこの日本の社会をズタズタにしている。


沢田委員「公明党としては、発行可能な時間を経過しており、編集の協議に入れない状況では判断できない」

森委員「民主としてはこれ以上前に進めない」

さはし委員「共産党としては、質問は全員掲載するべきという立場であるが、今回は減税日本の自粛という形でやむをえない。今回の混乱は共産党にも一因があり、山口議員にも確認したが、今後は編集委員会を通すことを徹底させていただく。減税日本においては、今回の混乱の責任の取り方を考えたほうがよい」

小出編集委員長「編集の協議に入れない中、減税日本の修正案で発行する事は出来ないので、2月号は発行できない」

佐藤あつし委員「質問は全員掲載するよう指示されており、お願いするしかない」

小出編集委員長「減税日本の行動により編集委員会の時間が無くなり、発行できなくなったということはわかっているのか」

佐藤あつし委員「そのとおりである」


暫時休憩

午後9時21分、編集委員会、再開。

佐藤あつし委員「質問は全員掲載すべきであり、全員が掲載されていない市会だよりを発行することは認められない」

小出編集委員長「発行できなくなった原因は、田山幹事長の行動もあるが、佐藤あつし委員の責任も大きい」

佐藤あつし委員「自分と田山幹事長の不手際により協議に入れなかったことは事実であり、発行できなくなった事に対して申し訳ない」

ここでも、限定謝罪

沢田委員「発行できなくなったことに対して佐藤あつし委員は責任を認めるのか」

佐藤あつし委員「幹事長がどうこう言う前に、代表できているので私の責任であり、委員長をはじめ委員に迷惑をかけて申し訳ない」


事務局から、2月号の発行ができなくなったことへの対応について、今までに例がないことであり、契約その他事務的に確認し、どのようなことが可能か検討させていただきたい。また、これからの確認であるので、今年度市会だよりが発行できない可能性も場合によってはあることをご承知おきいただきたいとの説明があり、事務的な調整が整い次第、改めて協議をすることに。


この「市会だより」は昭和61年に制度ができてから市議会の度毎に、必ず発行され、その市議会での出来事を市民に伝えてきた。これまでも市議会内で会派が分裂したり、厳しい議論が戦わされてきた例も繰り返されてきてはいるものの、そうした議会の中での諍いや争いを超えて、全会派(交渉会派)一致の原則を守りつつ、各会派からの代表による編集委員会によって発刊が続けられてきた。

今回、この「市会だより」が発刊できなかったことは、重大だ。なにより、それは市民に対して、説明責任を放棄したということになる。そしてその経緯を見てくると、3回の大きな誤りがその原因であると考えられる。

1.12月21日、減税日本ゴヤ市議の個人質問を掲載しないという方針に対して、佐藤あつし委員が疑義も、保留の申し入れもせず、一言も発せず同意してしまった事。

2.12月26日、田山幹事長が坂野議長に申し入れを行った事。
例えば、21日に佐藤あつし委員が小出編集委員長に疑義や決定保留の申し入れを行っており、その後異議を申し入れていたとしよう。それでもそうした異議を無視して、強圧的に減税日本ゴヤ市議の個人質問掲載を拒否するような事があれば、それは編集委員会を離れてこうした申し入れが必要であったかもしれない。しかし現実にはそのような問題は無い。そのような問題があるのであれば、小出編集委員長は編集委員長を辞任しなければならないような問題であり、もし、それでも他の要因から、こうした「議長あっせん」が容れられなければ、逆に坂野議長が議長を辞任しなければならない。「あっせん」とはそれほど重い。
「議長」の「権威」とは、党派・会派を超えて全党、全会派が議長を尊重するという前提で成立している。「議長あっせん」が容れられなければ、議長はその前提を失うということであり、辞職する以外にない。
特に、田山幹事長は、自分たちの会派が「坂野議長に投票したのだから」と便宜を要求している。そしてその便宜の要求はまったく筋の通らない類のものだ。

田山幹事長が要請した申し入れが必要であるのであれば、小出編集委員長は編集委員長を辞任すべき事柄だ。
しかし、小出編集委員長において、そのような辞任に当たる事実が無いのであれば、あるいは「あっせん」を行った議長が辞職しなければ事は収まらないのである。その要請自体が筋違いの物であった場合、田山幹事長は、幹事長を辞職して当然だろう。・・・しかし、当ブログは、田山幹事長には幹事長を辞めていただきたくは無い。もっと楽しませていただきたい。

3.1月10日、理事会において田山幹事長が「説明」と「謝罪」を行わなかったこと。
この場で田山幹事長が「説明」と「謝罪」を行うという事は、田山幹事長本人より、佐藤あつし委員と、小出編集委員長が聞いている事になる。特に、田山幹事長と小出編集委員長の間で、事前に「説明」と「謝罪」の予告があるという事は、それによって事態を正常化するという「約束」だろう。
「約束」だ。これは何を差し置いても守られねばならない事であり、この「約束」すら守らない者を、これ以降どうやって信じればいいのだろうか。

ここで田山幹事長がすべきことは(自粛、消しました。)

さて、「市会だより」2月号は発刊できなくなった。そして議長に対して、田山幹事長があらぬ申し入れを行っており、議運委員長の成田委員長にも働きかけが行われかけた。そして、それらを1月10日の理事会で「説明と謝罪」するとしていたにも関わらず、田山幹事長より言葉が無かった。これらを受けて「議会運営委員会」で問題として、事実関係の確認と整理が行われる事になった。

1月17日(木曜日)、議会運営委員会

議会運営委員会が開かれたものの、大荒れに荒れたようだ。
そうした状況を聞いて、私は仕事が終わってから、議会に駆け付けた。(同時刻、熱田区名古屋城木造化計画の市民説明会があったが、そっちはパスした)

ちょうど、私が議会運営委員会の傍聴を始めた時には、議運委員ではない佐藤あつし市議が「参考人」として参加していた。議会運営委員会の傍聴者に配られる資料には「参考人の出席について(案)」として佐藤あつし市議の名前があり、「3 意見を求める案件」として「減税の交渉会派としての理事会・議会運営委員会等へのかかわり方について」とされていた。

なんでもこの席で佐藤あつし市議が「市会だよりが発刊できなかったのは、編集委員会にも問題がある」というような発言をしたらしい。そして、それは1月10日、編集委員会における佐藤あつし編集委員としての発言と食い違うことから、議論は紛糾していた。

そうしたことからほどなくして「暫時休憩」となってしまった。

ここで面白い事を耳にはさんだ。

この議運に参考人として佐藤あつし市議を呼んだのは、編集委員会の委員かと思っていたら、なんと!
田山幹事長自ら「佐藤あつし市議を参考人として参加させてほしい」と呼びこんだとのことである。

これ、私としては今回の出来事の中で 最も理解不能 なこと。

上でも述べたように、問題点は3点で、1月17日の段階で「説明と謝罪」が必要なのは田山幹事長だけなのではないかと思うからだ。すでに「市会だより」の発刊期限を守れなかったことに関して、佐藤あつし市議が何を言っても遅い。それに彼に釈明すべき事柄など残っていない。

なぜ、田山幹事長が佐藤あつし市議を参考人に呼んだの?本当に、まったく、全然、意味がわからない。

そして、そこでマンマと佐藤あつし市議自身が言わなくてもいいような不用意な発言を口走って、紛糾させている。

佐藤あつし市議は、編集委員として、会派の意思を代議する責任を自覚していなかった。
しかし、田山幹事長も、同じだ。幹事長として議会運営委員会という席で、行うべきことは自会派の代議であり、自会派において「謝罪」すべき事柄があれば、幹事長が謝罪し、「釈明」すべきことがあれば、幹事長が釈明すべきなのだ。他の誰かに頼るのではなく、自身がその責任を引き受けるから、代議できるのであって、代議するというのは政治家の最も必要な要件。というか、政治家というのは代議するために居るんだろう?

田山さん、あんたは何者なんだ?

車の運転ができないドライバー、包丁が使えない料理人、代議ができない政治家。
お笑いでしかない。


さて、しばらくして議会運営委員会は再開された。

いや、正確に言うと、再開されていない。

全員が席に着く前に、議運の委員の一人が佐藤あつし市議に一言尋ねたようだ。
そうしたところ、「編集委員会にも問題がある」というような発言を繰り返していたようで、それを咎めた委員が開会を制止した。そこで、「責任の所在はどこにあるのか」という先ほどの議論にまた戻ったようなのだ。

佐藤あつし市議は、市会だよりが発行されなかったことについて、自身の責任を認めている。
ところがそれが「編集委員会にも問題がある」というような責任を転嫁する発言として翻っていては、今度は議会運営委員会としての議論に入れない。先の10日には、田山幹事長の発言が翻ったために、編集委員会に入れなかった、今回は佐藤あつし市議/編集委員の発言が翻ったために議会運営委員会の議事が進まないことになる。

聞き咎めた委員は「ハッキリ言ってみなさい」と促したが、別の議員からは「それを言ったら終わるぞ」と声がかかった。そりゃそうだ、ここで発言を翻して責任転嫁したら、ほぼ全員の委員が席を蹴って出ていくだろう。

しばらく紛糾した後、またまた暫時休憩と相成った。

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20190117



その休憩後、理事会が開かれて提出されたのがこの文書らしい。
キッチリと、発言を明記し、その場にいた全編集委員が確認し、署名した。
そして、議会運営委員会に傍聴に来た暇な名古屋市民にも配布された資料だ。


人間は、自分の行動、判断を自ら引き受けるべきである。

なぜなら、人間とは、人格とは、その人が行ってきた過去の行動と、それへ向き合う態度であるからだ。
過去の行動について、明確な責任を取ろうとせず、または見てきたように責任に限定を加えることで自己の判断について言い逃れの余地を残す。
そうしている間に「誤りを起こさない自分」「無謬な自分」「常勝の自分」という現実から遊離した自我が形成される。
この自我は「常勝」なのだからさぞや強いと思われるが、生まれてこのかた、一度もウィルスに触れたことのない体のように脆弱だ。
「謝ったら死んじゃう病」とはこうやって発症する。そして本当に「謝ったら死んじゃう」ほど脆弱だ。

こうした自身の過去に正直に向き合えない者。
過去の自分の過ちを受け入れるだけの強さの無い物が、同時にこの社会の過去の過ちを受け入れなくする。
それが歴史修正主義だ。

さらに、その変種として、自分の地域の都合のいい過去の出来事だけをつまみ食いして、さも自分の地域が素晴らしい地域であると自己満足に浸る(自分の生まれた町の素晴らしさと、自分自身の素晴らしさは混同するものではない筈だ)それが「歴史的町名を復活させる運動」であるらしい。(「町名」のなかには、そのまま歴史の中に埋めておくべきものもあることに思いが至らない視野狭窄である)

こうした出来事、思い出、歴史に対する偏ったものの見方が、名古屋城の歴史から、戦災による被災や、戦後の再興という歴史的事実を隠ぺいしようとする「木造化事業」に繋がる。

どれも、脆弱な自我を、自身が生まれた国や地域に依存して補強しようとする、心根の弱い者たちの「あがき」であって、それは精神医学的な社会学的な研究対象ではあっても、政治課題として議論する価値など無い話だ。

なぜ田山幹事長は、1月10日の理事会の席上、突然、説明と謝罪を取りやめたのだろう。
なぜ佐藤あつし市議は、一旦は認めた自己の責任を、回避するような発言を繰り返したのだろう。

それは、彼等の師である代表自体が、歴史修正主義という脆弱な自我を持っており、彼等はその文化の中で、責任を引き受けない、引き受けられない思考方法を身につけてしまったからに他ならない。

今のこの社会、政治家が責任を引き受けず、代議を放棄する。

「信なくば立たず」この使い古された言葉を、もう一度引き起こして、埃をはらって打ち立てなければならない。

二枚舌を弄し、民衆を愚弄する者に、公職者たる資格は無い。

 

なお、この騒動で減税日本ゴヤ佐藤あつし市会だより編集委員は辞任、後任には増田市議が就いた。