市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

名古屋市市長選挙候補予定者公開討論会

・・・もはや哀れという以外ない。

 名古屋青年会議所の主催するリンカーン・フォーラム、名古屋市市長選挙候補予定者による公開討論会を見てきました。
 当日の模様は市民オンブズマンがまとめています。
 13/4/5 (金) 名古屋市長選公開討論会開催 : 市民オンブズマン 事務局日誌
 会場に参加していた人々のツイートもまとまっており、現場の様子が伝わってきます。
 名古屋市長選公開討論会(2013/4/5) - Togetter


追記:IWJがUSTREAMに動画を掲載した模様。
 20130405 名古屋市長選挙公開討論会(名古屋青年会議所主催)

 このリンカーン・フォーラムでは公職選挙法の枠組みもあるので候補予定者を公平に扱わなければならないし、選挙に繋がる、つまりは投票を促すような発言も禁じられている。その為、発言の中で将来ビジョンを語るような際に、それが「公約」と受取られる発言も法的には微妙な問題を孕むようだ。

 また、一般傍聴者の意見表明や質疑応答は認められていない。

 会の最初は各予定者が自己紹介を行った。
 ここでも河村氏は、自分は古紙屋のせがれで、威張っている政治家や役人を見返してやろうと思った。というような発言を繰り返していた。
 若い頃のルサンチマンが根深いのだろうが、こういった歪んだコンプレックスに付き合わされるとは市民には迷惑な話だ。

 最早、河村氏の口からどんな言葉が飛び出てきても驚きもしないが、この自己紹介に続く第一のテーマに掲げられた減税や財政運営についての発言で「減税を止めたら、そのお金は役人や議員の懐に入る」というなんとも子どもじみた単純な社会観には呆れた。( 参照:河村たかし「減税論」の誤り )

 以前、河村氏の著書を読んで、この人はひょとして税金というのは税務署の職員が自分の懐に入れているとでも思っているのかと疑ったが、シャレや冗談ではなく、この人は本気でそう理解しているのかもしれない。

 そして、そういった単純で幼稚な社会観、世界観が一般の人々には受け入れ易いのだろう。テレビ的というか、愚民化政策の成果というか。


 減税政策が誤っており、それが有権者にアピールしていないということは、河村氏自身が市長立候補にあたり、自ら減税日本の公認ではなく、推薦にとどめたという事をもっても明白だろう。ご本人もそろそろ弁解や言い逃れも限界に来ていることを感じて、減税の名前をフェードアウトさせようとしているのだろうか?

 そういえば、ここ最近のマスコミインタビューで減税の話題になった際に「誤解してはいけませんよ」と反論に対する反論という形で話し始める事が多い。インタビュアーは減税政策に批判的な発言をしてインタビューをしているわけでも無いのに、批判に対するような発言を繰り返すとは、あちこちで減税政策の誤りを指摘されたのだろうか。

 最近は「正しい経済理論」という言葉がすっかり陰を潜めたね。このリンカーン・フォーラムでも「「正しい〜」というフレーズは一回も使われなかった。

 続くテーマの議会改革についても、今回の市長選挙と同時に行われる南区、守山区の市議補選に減税日本から候補を擁立できないという一点を持って、河村理論が破綻していることは明白だ。

 河村氏が言うように「議員報酬を市民並みに引き下げれば、議員の家業化が防げて、市民の政治参加が活発になる」などという理屈は通らない。

 議員報酬を下げることが議会を改革することには繋がらないし、市民の政治参加はそんな形では活発にならない。議員報酬引下げの論理的起点は、こういった正当な議員改革、議会改革などではなく、先にも述べたような河村氏の個人的なルサンチマンの発露であって、既存議員に対して報酬半減という「いやがらせ」を行いたかったという以外に理解のしようがない。

 議員の資質を高めるには、議員報酬を下げて良いわけが無い。

 全ての事柄は、コストを下げれば品質も下がる。これはラーメンであろうと、工業製品であろうと、地方議会の議員であろうと変わることは無い。

 名古屋の議員報酬が800万ではなく、制度値の1600万円、またはそれ以上の2400万円などであれば、会計士や弁護士、企業経営者などでも参入を考えるだろう。つまり、参入希望者が増えて競争が発生するという事だ。

 そもそも報酬(給与ではなく)800万円では、政令指定都市の議員は務まらない。活動を維持するだけで報酬の800万円は消えてしまう。

 つまり、まともな政治の実態を知っている人は報酬800万円の名古屋の市議になどなろうとしない。できるわけが無いからだ。逆に、減税日本ゴヤの議員などのように、そういった実態も知らない人間、議会の傍聴に出かけたことも無いような人物が市議に立候補することになる。しかし、そんな事も知らない人間が市政について語れるわけが無い。

 河村たかしの無能。制度設計能力の低さはここでも露呈している。


 続くテーマは地方自治のあり方についてだが、河村市政のテーマとしては「中京都構想」や「地域委員会」を基点として話は展開した。

 この中で河村市長は「地域委員会の会合に出ていると感動する」と言っていたが、今の第二期の地域委員会の会合に参加した事は有っただろうか?
 逆に、某所の地域委員会準備会合に私は参加したが、参加者全員が河村市長の批判に傾いていた。特に、フォーラムで河村市長は「地域委員会は選挙で選ぶことに意義がある」という発言をしていたが、準備会ではその選挙にこそ疑問の声が上がっていた。

 私は地域委員会の選挙は、地域を分断、破壊するという意味で反対だが、準備会の参加者はもっとリアルだ。つまり、地域委員会の予算が300万円で、そのために150万円からの選挙予算をかけるなんてナンセンスだ。という非常に説得力のある現実的な批判が出ていたのだ。確かに河村市長の言うように感動する意見だ。

 河村氏よりもこういった市民の方がよほどコスト意識がある。

 更に、藤沢氏は「河村市長は地域委員会の会合で感動したと言ったが、今までにある区政委員や民生委員、地域の学区連協の方々の活動にも頭が下がる想いだ」と語られたし、柴田氏も「地域自治の形は上から(市長から)持って行っても駄目だったということが判った」と判断されていた。ご両人の意見はそれぞれ視点は異なるがもっともな意見だ。

 更に中京都構想に話が移ると河村氏の話はいよいよわけが判らなくなる。

 これは完全に駄々っ子か妄想、電波系の発言だ。自ら打ち出した政策の姿を公金までかけて審議会も作ったのに具体的に市民に説明できないというのは異常だろう。

 この会合の最後に司会の児玉教授が主催者やスタッフを紹介する中で、手話通訳の人々をねぎらう言葉として「普通に聞いていても判らない言葉を、手話に通訳するのは大変だったと思います」と語っていたのは、司会としてギリギリの心情吐露だったのだろう。

 周辺トピックを残り3点ほど。

 ある方が大学生の娘さんを連れてきていた。その娘さんに素直な気持ちを聞いてみたところ「河村さんが何か面白いこと話しているな、ぐらいですかね」と仰っていた。非常に素直な感想だろう。

 私も藤沢さんや柴田さんの発言には驚かされなかった。

 当たり前の事を当たり前に語っていれば、その言葉は退屈になるのは当たり前だ。内容が当たり前なのだから。しかし、その当たり前の事を当たり前に行うことは非常に難しく、精神的にも大変な事なのだろう。しかし、人々にアピールするのは嘘でも何でも、驚くような当たり前ではないことなんだろう。しかし、そんな事にかまけている間に現実はどんどん劣化していく。

 二つ目は、このリンカーン・フォーラムでは先に書いたように一般参加者からの意見表明や質問は認められていない。ところが、客席の真ん中にでんと構えたナゴヤ庶民連と思しき集団から、終了間際に挙手する人が現れていた。

 どこまでいっても法律や常識、つまりは第三者的、客観的に整合する社会のルールというものに無知で、わがまま勝手な人々なのだろうか。

 ご近所の困ったさんの集団という所以である。


 三つ目。

 会場で減税日本ゴヤの市議を何人か認めた。

 写真はその中の一人。北区選出の園田晴夫市議である。

 撮影した人からは「しっかりとコックリこっくり、船をこいでいました。終了30分ほど前に帰ってしまったようです」との報告をいただきました。

 まあ、春ですし、芸創センターの椅子は座り心地良いですからね。

 こういった会合に足を運ぶ、または足を運べる市民というのは一部の恵まれた市民であって、大多数の市民は生活に追われて市長選択のために時間を割くことはなかなかできない。また、そういった情報自体が入ってこない。
 そのように情報が得られない市民にとって、河村市長が「福井県原発で何かあったら、名古屋の人は水道水が飲めんようになる」と言えば、それがあたかも事実の様に受け止められてしまうし、まるで河村氏が市長としてその対策を取ってくれるようにも思ってしまう。河村マニフェストには、「福井の原発も廃止目指す。水源地(木曽川流域)守る。」と記載はあるが、それこそ具体的な策は何で、その予算はどうするのかうたわれて居ない。それどころかもっと簡単な水源の多重化、つまり揖斐川水系の利水拡大は視野の外らしい。*1

 また「減税を止めるとそのお金は役人や議員の報酬になる」というような(ショッカーかギャラクターでも出てきそうな)子どもじみた世界観でもそのまま受入れられかねない。

 そういった単純化され、「おもしろい話」だけで次の4年間の名古屋市政の舵取りを、河村市長に任せるのだとすれば、名古屋の社会がどうなるのか、それを選択する名古屋市民とは何であるのか。色々と考えさせられる。

 河村市長の設計し、生み出したソサエティである「減税日本」がボロボロでムチャクチャ、その参加者を幸せにしなかったように、河村市長に票を入れる名古屋市民も幸せにはなれそうもない。・・・もはや哀れという以外ない。


河村マニフェストにはいくつもの政策が連想ゲームの様に掲載されている。
 こちらには平成25年度予算要望の中から、河村減税の為に削減された施策のリストが掲載されている。
 名古屋市 市民税減税300億円で何ができたか : 市民オンブズマン 事務局日誌

 この市民オンブズマンが作成したリストと、河村マニフェストの間には矛盾もある。つまり、河村市長は減税の為に25年度予算で削減した施策を、自らのマニフェストに掲げているのだ。
 マニフェストが単なる絵に書いた餅、飴玉、毛バリであることは明白だ。

 こりゃあ、「詐欺」と呼ばれても仕方があるまい。


*1:福井県原発で一朝事があり、木曽川水系が汚染されるような事態であれば揖斐川水系もアウトだろうという話はその通りだが、ライフラインの多重化が可能であればはかるべきだろう。