市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

増田市議、離団への経緯(1)

 名古屋市会では6月定例会が始まっている。

 市長選挙直後の6月定例会というものは、通常であれば新市長による新たなビジョンに沿った政策が提示され、それに準じた予算が上程されるものだが、この議会にそのような新たな提案はあげられていない。名古屋市始まって以来初となる四期という ➖➖自身多選批判を繰り返しながら➖➖ 多選を果たした超長期政権・河村市長の影響で、この名古屋市に新たな街づくりのビジョンなどは示されていない。

 名古屋市民の内、どの程度の方が気がついているのかは不明だが、通常市長選挙の後の中日新聞紙面には、市長と中日新聞の社主やら論説委員が対談を交え、新たな名古屋市のビジョンというような特集記事が組まれるものだが、今回に限ってそれすらない。市長と中日新聞の社主のインタビューは行われたようだが、それは市民版に形だけ掲載された。

 呆れたことに、科学館のB6機関車が富山で分解放置されていると指摘された問題に顕著なように、河村がこの12年食い散らかした問題に対する後始末の施策すら上程されていない。また、自らの会派、減税日本から指摘された「電子マネー決済における30%キャッシュバック」に明らかなように、河村が今回の市長選挙で約束したマニフェストすら守られていない。もちろん、電子マネーキャッシュバックについては、市当局の抵抗が強いために「議会でも問題とされた」という言い訳を作るために、質問として自派からあげたのだろうと推測される。そもそも「市当局」というのは、法的執行機関は「市長」そのものであって、市職員はその補助員でしか無い。こんな質問をさせなければ施策を進められないとすれば、市長自身に当事者性がなく、市政をまったくグリップできていない事を表している。

 その際たる場面が先に述べたB6機関車の問題で、議場から「ほったらかし」とヤジられたのに対して、河村が気色ばんで「ほったらかしにしていたのは、議会や市当局だ」と不規則に言い返していた。小学生以下の対応だろう。議会にそうした提案権はないし、市当局というのは上に言ったように「市長」そのものを指すのであって、「市当局がほったらかしにしていた」というのであれば、その責任は自分にあるということが分かっていない。


 そうした市会*1の表舞台とは別に、裏舞台で問題が起きている。というよりも、減税日本ゴヤがいつものゴタゴタを起こしている。

 6月23日の中日新聞は次のように伝えている。

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6月23日中日新聞市民版

一方、議会運営委員会は二十二日、議運理事である減税日本ゴヤ佐藤夕子議員に対する不信任動議を可決した。拘束力はなく、佐藤議員は議運にとどまる意向を示している。
 議運では今月中旬に減税を離団した増田成美議員が出席し、離団理由として前団長の佐藤議員の言動や会派運営に対する不満を挙げた。自民市議が「離団理由について議会運営上の説明責任を果たしていない」などとして佐藤議員の不信任動議を提案、減税の三議員を除く議員の賛成で可決された。
 佐藤議員は動議について「党や団内部の事情を議運の場で説明する必要はない」とし、増田議員の指摘に対し「事実無根であり、残念だ」と反論している。

 判りにくい記事だ。役所に情報開示を求めた際、黒塗りされた文書が提示される。そうした黒塗り文書を読んでいるような、繋がりが掴みにくい文章になっている。記事では増田市議は「不満を挙げた」だけと断じているけれども、自民党市議は「議会運営上の説明責任」に係る事柄であると判断したようで、それに対し佐藤市議側は「事実無根」と否定しているにも関わらず、減税日本ゴヤ以外の全会派は、佐藤市議の主張を退けた形になっている。記事は増田市議の主張を「不満」とし、佐藤市議は「事実無根」と否定しているにも関わらず、多数の者は増田市議側の主張を容れ、更に佐藤市議に対して「不信任動議を可決」する事態にまで至っている。では、増田市議の「不満」はなんであるのか、名古屋市会の議会運営委員会は、「事実無根」の主張によって、佐藤夕子市議に対して「不信任動議を可決」してしまったのか。中日新聞がこの記事で「黒塗り」した部分を暴き出さなければ、この事態は掴めない。


 まず、昨年の一年間で減税日本ゴヤは「幹事長」を6人も替えている。

 議会に詳しくない方に説明すると。


 議会では、様々な議論を行う必要があるが、その議論の進め方、議会の運営そのものも議論して決めていく必要がある。こうした調整を行う場が「議会運営委員会(議運)」である。

www.city.nagoya.jp

 「議運」は議会を構成する議員数に応じた委員構成(最大会派の自民党は5人、共産党は一人、5人以下の会派は交渉会派とされず、議運に参加できない)と、法律上議会設置主体である市長をはじめとした市当局を交えた会議体となっており、議事録も採録、公開されるが、セレモニーの色合いも強い。(ここでは、通常は決定事項が承認される場で、議事録を見ても数分で終わるのが通例であって、数時間に渡るような議論を行っているのは、減税日本ゴヤを抱えた名古屋市会だけかも知れない。さすが、民主主義発症の地)

議会運営委員会の議論が紛糾した例:
平成28年5月18日

ssp.kaigiroku.net

ここでは、副市長の解任が議論されている。河村市長を諌めた副市長を、河村が解任したのだ。更に恐ろしいことに、その副市長解任だけでは目立つ為に、もう一人の副市長も解任した。とんでもない事態が議論により暴かれている。

 こうしたセレモニー化した「議運」の「前さばき」として、「議会運営委員会理事会(議運理事会)」がある。「議運」の内の、委員長、副委員長、理事によって構成される。議運は各会派の議員数で按分されているが、 議運理事会を構成するのは、各会派一人となっている。この理事は、各会派の「幹事長」が就任する。

 政党や会派にとって「幹事長」という役目は、その政党や会派を代表して他党や他会派と交渉する役目を帯びており、議運理事会はそうした全会派の調整を行う場でも有る。

 元々議会などというところは、政治思想や価値観が異なる政党や会派が、それぞれの主張をぶつけ、社会的リソース(予算)を奪い合う場であり、選挙区が同じであれば、お互いの議席すら脅かし合う間柄である。仲良く話し合いを行うということ自体無理がある。もっというと、こうした議員相互の相互批判や緊張感が、議会における議論の精度を上げ、行政はそうした緊張感の有る中で審査され、より良いものに成っていくとも言える。議会に緊張がなく、もたれ合いや相互依存に陥ってしまったなら、そこには、腐敗がはびこる。


 ここで少々回り道をさせていただく。私は、平成23年における名古屋市会、議員報酬半減に至る経緯をつぶさに検討した。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 その時、感じたのは責任ある大人が行う議論の重さ。政治の重さだ。

 嘘をつき、人を騙そうと思えばいくらでも騙せる。消費者に、利益を約束して出資金を集め、何もしなければ詐欺罪で捕まる。しかし有権者に利益を約束し、何もしなくても、政治家は捕まらない。詐欺師以下の者がまかり通るのが政治の世界だ。

news.yahoo.co.jp

 そこでは騙す方よりも、騙される方が悪い。騙される者はどこかで甘えが有り、思考停止を起こしてしまったのだ。嘘を付く政治家は、嘘に甘い、甘えた者が生み出す。騙される、甘えた者がいなければ、政治の世界から騙すものは居なくなる、何故なら、それほど発言を厳しく評価するのであれば、嘘をつく者など政治の世界から即座に駆逐されるからだ。

 だからこそ、政治の世界では「信なくば立たず」という言葉が重視されるのであり、自らの発言を嘘にしないために、血みどろの努力を重ねる。血みどろの努力を重ね、約束を果たしたものは、約束を違えるものには、それ以上の血に塗れた贖罪を求める。当然の事だ。

 価値観も政治信条も異なるもの同士、なんとなれば、相互に政治信条を否定しあっても居るもの同士が、交渉を行うのであるから、そこでの発言はより重くなる。嘘を付き、他人に責任をなすりつけるものの言葉など信用することはできず、信用できないものとの交渉は、毎度毎度、毎度毎度、騙され続け、非効率なやり直しが繰り返される。

 元々、政治とは交渉の技術だろう。政治家の集団である政党や会派と言ったグループから、その交渉を買って出る役目として「幹事長」が選ばれ、「議運理事会」を構成する。これこそが、政治家の政治家たる由縁のポジションであるともいえる。減税日本ゴヤは、この幹事長ポストを、1年間で7人もすげ替えている。何故か、減税日本ゴヤ、政党としての減税日本には幹事長に必要なスキルを持つものがおらず、誰も幹事長という職を全うできないからである。そして、それこそが政治家の政治家たる由縁であると言った、つまり、減税日本には、政治家などいないのだ。政治家のノウハウを伝承し、教えるものがいないのだ。なぜなら、その代表である河村たかし自身、交渉など一切できない、政治家としてはあるまじき存在であるからだ。そして、彼の存在が、市議会派減税日本ゴヤにおける幹事長ポストの存在を脅かしても居る。

 幹事長を務める(つまり、政治家を務める)には、2つの必須のスキルが必要になるが、河村たかしにはそれがない。それどころか、河村たかしはこの2つのスキルをまるきり無視している存在なのである。

この2つのスキルの説明とともに続きは少々横に置き、回り道はこの程度で、本題に戻る。

 現在の減税日本ゴヤの迷走が顕著に現れたのは、いわゆる「提案剽窃問題」とその後の「大村光子減税日本ゴヤ幹事長迷走問題」だろう。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 この問題も、結局の所、つぶさに検討すれば、大村光子幹事長に、説明すべき事情を説明せず、大村光子幹事長自身を苦境に陥れたのは、佐藤夕子団長(当時)だったのではないかと推測される。その後の渡辺義郎市議への「異常な行動」を検討しても、佐藤夕子市議には、物事の筋道を守るという意識や、他者の立場を尊重するという配慮が欠けていることがわかる。そして、この騒動の後、各会派は減税日本ゴヤ佐藤夕子市議に対して、「交渉拒否」の申し入れを行っている。つまり、名古屋市会における全会派は、佐藤夕子市議の発言に虚偽が続いたがために、今後、交渉をしないと申し渡しているのだ。

 これは未だに撤回されていない。全会派の議員*2佐藤夕子市議の発言は 1mm も信用していない。こんな人物が幹事長として、交渉の場に出てきても無駄だろう。例えば、幹事長の佐藤議員に「減税日本はコレコレについては、どういうご意見ですか」と聞いたとする、佐藤議員がなんらかの回答をして、理事会はその発言を元に議会運営の素案を作る。そうしたところ、実際にそれが実行される段になって、「すいません、あれは減税日本の意見ではなく、佐藤個人の感想でした、減税日本としてはソレソレとするように、要望します」というような申し入れが為されたなら、佐藤議員との交渉とは何だったのだろうか。こうした事が度々続き、挙句の果てが、採決終了後に、委員会を再度開くという事態まで行っている。

 そして、「痛い」のは、こうした事態を引き起こしても、佐藤夕子市議は「自分の責任であった」とか「謝罪する」という態度が全く無いことである。「誤解だ」とか「誰かに陥れられた」などと主張し、自らの責任を認めようとしない。「謝ったら死ぬ病気」というものがあるらしいが、これに罹患しているらしい。



 特に今回、増田市議が離団を決意するのには、次のような事情があったそうだ。
 
 と、いよいよ増田市議の主張を具体的に見ていこうと思いますが、長くなりすぎたので、次回に持ち越します。


*1:名古屋市の市議会は、歴史的経緯を踏まえて「市議会」と言わず、「市会」という。当ブログでもできるだけこの歴史的名称を尊重している

*2:下手をすると、減税日本ゴヤの市議を含めて