市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

後教授への疑問点

10月6日の夕方から、金山の労働会館2Fで「激変する日本政治、後房雄はどうみるか」という緊急講演が開催された。いうまでもなく自民党安部政権の突然の解散と、それを受けた野党の再編、希望の党への民進党議員の合流を受けた、この衆議院議員選挙の展望を軸に話が進んだ。

後教授の展望はおおよそ次のようだった。

(私の理解が浅い可能性は否定できない。後教授の見解が誤っているのではなく、私の解釈が浅いゆえの誤りであるのかもしれない事を前提としてご了解いただきたい)

1.小選挙区制では政権選択選挙となり、比例代表制では政党選択選挙となる。
2.長期にわたる政権は腐敗する。
3.政権政党に緊張感を持って政策を行わせるためにも、政権交代の可能性を国民は持つべきである。そういう意味で、政権交代可能な小選挙区制度に、後教授は肯定的である。
4.小選挙区制度下では、各政党は自身が政権を獲得した場合の政権公約マニフェスト)を有権者に明示すべきである。
5.政権公約マニフェストは4年程度で実現可能となる具体的な政策でなければならない。
6.長期的な政策を訴えるにしても、当面4年程度における、到達目標を具体的に示すべきだ。
7.このように各党が政権公約を明示する中で、有権者の投票行動は、どの政党を選択するか、どの政権公約の実現を望むかという具体的なものとなる。
8.政権を獲得した政党は、自身の掲げた政権公約を実現しなければならない。
9.次の選挙までに政権政党が、政権公約を実現できなかった場合、その理由を有権者に説明できなければならない。
10.有権者は政権獲得政党の、こうした政権公約の実現度合い、または未達のばあいの説明に対し、選挙のたびに評価を下す。有権者の理解が得られなかった政権政党は、政権を維持することはできない。
11.このように、有権者の意思が、明確に政権政党に示されるようになれば、政治は有権者の意思を敏感に反映したものとなり、民主主義の実現が成立する。

後教授は小選挙区制と、二大政党による政権交代の可能性が、民主主義を実現する上で有効であるという見解であり、その作用機序は上記であるとの見解のようだ。

こうした上で、現在の安部政権による突然の解散と、民進党の分解、および希望の党への合流騒ぎを見て、具体的には次のように感じているとのことだ(あくまで、私の浅い理解の上であることを念押ししておく)

A.希望の党という形で国民に政権の選択肢を示していることは評価する
B.ここで小池東京都知事が立候補、出馬しなければ、小池知事の政治生命は終わる。
C.維新の会は終わっている。
D.現代の政治家は、政策を語る事は好きで、法案を作るような事には興味を示すが、それを実現する戦略的な視点がない。
E.小池東京都知事は戦略的に有権者の心を掴んでいる。現在、唯一、「爆発力」のある軸は、小池新党、戦略的にこれしかない。小池が選挙に出、首相候補にならなければ政権選択選挙にならない。国政で政権を奪える「爆発力」があるのは、今、このタイミングしかない。そういった意味で、前原の決断は支持する。

(予断ですが、グラムシ研究の第一人者たる後教授が、なぜ第三極(含:河村)に興味を示すのかのキーポイントの一つにこの「戦略性」という観点があるような気がしていますが、話が脇にそれるのでこの程度で)

F.希望の党の獲得議席数にも拠るが、石破首班指名というオプションも十分考えられる。
(これは、私の、「石破首班という可能性はあるか」という質問に対する回答)

さて、では私の疑問は何かというと。

後教授は、政党が政権公約を提示してそれを具体化させていく、その実現度合いを具体的に評価して「国民が政党をしつけて」いかなければならない。ちゃんと公約を実現し、仕事をなしえたのなら評価するが、公約を実現せず、その未達の理由説明もいい加減で信憑性がないのであれば、有権者はその政党に対して厳しい審判を下し「しつけ」なければならない。と語られた。

有権者マニフェストの到達度や公約の実現度で政党を評価しているようには見えない。
政党や政治家が支持を失うのは、スキャンダルであり、そうした意味では優秀な政治家であっても、スキャンダルで信頼を失い、政治から退場させられる事も有る。

こうした中で、政治家はスキャンダル(金と女(最近では男も))だけを気にして、マニフェストの達成には心を砕かない。公約など果たされなくても、果たしたそぶりか、果たせなかった言い訳が成立すれば、支持を失わない。

有権者が現在のような投票行動を続けていく限り、政治家に公約実現のモチベーションは生まれず、政権政党にも緊張感は生まれない。


また、こうした政権公約マニフェスト)とそれへの評価という関係性。― 政治家から有権者へ、政権公約マニフェスト)が示され、有権者からは政治家へ、その評価が投票行動言う形で示される。という関係― は、民意をより敏感に政治へと反映させるものなのだろうけれども、それが社会に良い結果をもたらすとは限らないように思われる。まず、有権者には政権公約の実現性や論理的整合性を評価する事が出来ない。今回、希望の党が「花粉症ゼロ」なる公約を掲げていたが、これについて実現の為のコストは示されておらず、実現可能性も疑問視されている。

また、当ブログでも繰り返し説明してきているが、「法人税率を軽減すれば民間にお金が回る」という言葉は、嘘ではないが、法人税率の軽減によって「回された民間のお金」は、現在のように「企業内における内部留保の異常な蓄積」として現れる。この内部留保の蓄積が異様である事は、同じように希望の党が「内部留保課税」を公約に掲げたことで、そこそこ広く同意されている問題であると考える。私は希望の党のような「内部留保課税」には反対だが(希望の党も引っ込めたようだが)フローを抑圧し、ストックを積み上げている現在の日本社会は異常であると思える。

こういった意見がある。

「所得の不平等が経済の衰退を引き起こすことによって、貧しい者は消費に余裕が無く、豊かな者は所得の一部のみを消費に当てるだけの状態になり、市場は供給過剰に陥る。その結果、商品需要の不足が発生するため豊かな者は貯蓄に励み生産に再投資しない。この貯蓄の増加が経済的均衡を崩す結果を生み、生産縮小のサイクルが始まる」

これは何かというと、トマス・ロバート・マルサス(1766−1834)の唱えた「過少消費説」である。200年前の経済学者が現代の日本を見事に言い当てていると思える。

つまり、日本においては200年前にすでに指摘されていた経済学上の問題に気が付かず、その同じ過ちを繰り返してしまった(というよりも、なお、今に至るも継続中!)ということになる。(呆れたことに、希望の党の某有力候補は、この期に及んでま〜だ「財政均衡論」を振り回している!大蔵省というところは、優秀な東大卒の人物を洗脳してしまうのだろうか)

大幅に、論点がずれてしまったが、はずれついでに。

私には、某候補が語ったといわれている。
市場原理主義で勝てる人は、それで良い。しかし、勝てない人がいる。そうした人々の為にこそ、政治がある」という言葉に大いに頷く。もう、「財政均衡論」やら「新自由主義」「サプライサイド経済学」早い話が「竹中平蔵がほめるような経済政策」を推す政治家は、十把ひとからげにして「経済音痴」の烙印を押しても構わないのではないかと思える。

論点を戻すと。
正しく評価ができない状態では、試験項目をいくら厳密にしても意味がない。試験結果報告書が立派で遵法なものであっても、その評価自体に正当性がなければ某企業の「身から出た錆」のようなものだ。または、目を瞑って車を運転するようなものだ。(実際に、この20年以上、日本は目を閉じたまま経済政策を進めてきたように思えてならない)

日本の経済が壊滅的になったのは、日本の政治が民意を忠実に反映した結果なのではないのだろうか。

また、後教授は1院政を推奨しているとの事。
これも、2院政では政権交代が成立しても、参議院の存在が政権交代後の政策実現を阻むから、1院政にして、政権交代を実現させるべきとの意見だった。

また後教授は「自衛隊の存在も、憲法の条文とは適合していない、自衛隊を合憲とするよう条文を改正すべきである」「自国防衛の為の戦力の保持が憲法によって違憲として否定されるような事は、国民の大部分が違和感を持つのではないか」という意見であった。

この2つにも私は違和感がある。憲法論議やら、1院政/2院政をめぐる日本社会の在り方、たぶんこれは、政治学というよりは社会学や文化論に近い論点なんだろうと思ったので、敢えて意見を途中で止めたのですが。

上に述べたように、私は日本社会における「民意」なるものにそんなに信頼を寄せる事が出来ない。付和雷同に走りやすい日本社会においては、時としてファナティックな運動が起こりがちだ。そうした一時の熱狂で議会が構成されてしまえば、非常に偏った政権が生まれかねない。6年の任期を定め、改選を半分に留め、解散の無い参議院の姿は、私は日本に合っていると思う。参議院の改選の姿がこのようなものであれば、両院ともに多数を占め、政権政党になる、政権奪還には3年が必要という事になる。3年間、国民/有権者の支持を得続けなければならない。

憲法もそうだ。「硬性憲法」として、改正に大きなハードルが設けられている日本国憲法は、やはり、この国の姿にあっていると思う。

一時の熱狂と「民意」で憲法を改正されてしまう事に危惧を覚える。

戦後の日本の社会、いわゆる55年体制というものは、優れた間接民主主義であったのではないかと思える。事実上、現実的な政治議論は自民党党内によって行われており、派閥間の緊張感がその品質を保持させてきた。
自民党総務会、政調会、特に税制については「インナー」と呼ばれるメンバーがあるいは霞ヶ関を屈服させる政治主導を実現してきたように思う。

あの55年体制であったのなら、このように長期にわたってデフレ不況が続くことはなかったのではとも思えるし、今に至るもまだ「改革」だの「身を切る改革」だのといった世迷言も通用しないだろう。