今朝の中日新聞に興味深い記事が載っていた。この統一地方選挙における「NHKから国民を守る党」の「躍進」に注目した分析記事だ。
「反NHKの党」なぜ躍進 地方選で議席3倍、参院選も視野 不満の受け皿に
統一地方選で与野党とも勝ち負けがはっきりしない中、劇的に躍進した団体がある。「NHKから国民を守る党」(立花孝志代表)だ。全国で二十六人が当選し、地方議会の党勢を一気に三倍に拡大した。彼らの訴えは、地方が抱えるさまざまな問題はさておき、NHK受信料の徴収への反感を中心とした「反NHK」のワンイシュー(一つの問題)。それにもかかわらず、なぜこれほどの票を集めたのか。「守る党」飛躍の背後にある有権者の意識を探った。
東京新聞:「反NHKの党」なぜ躍進 地方選で議席3倍、参院選も視野 不満の受け皿に:特報(TOKYO Web)
つまり、各地方における地方自治の課題はさておいて、「NHK受信料の矛盾」というワンイッシューに絞って有権者に訴え、議席を獲得したという事だ。これは大問題だ。
追記補足:地方議会で「N国」の議員が増えても彼等の主張するように受信料聴衆徴取の停止(NHKの廃止)には至らないだろう。逆に現在の趨勢のように法的な根拠を盤石にしていくだろう。その間、地方議会の「N国」の議員たちは何をしているのだろうか?
追記:
地方議員は「そりゃあもう、おいしい仕事」
聞けば腰を抜かす 当選果たした公認候補たちのヘイト発言|日刊ゲンダイDIGITAL
その地方における課題や、そもそも地方自治とは何かという理解すらしていない者でも、こうした有権者の漠然とした不満をすくい上げれば議席を獲得できてしまう。そして、それによって本来その地方における課題にコミットしようとしていた議員が議席を失う*2
また、この党では選挙後さっそく「内紛」が発生し、多量の離脱者が出ているらしい。
なんでも、党代表が当選者に百万円を超す党費を要求したとか。また、そもそも候補者の中に「カルト」というレベルにも達していないような人たちが紛れ込んでいたり。
まあ、無茶苦茶だ。
【正理会速報】先ほどNHKから国民を守る党から除籍になった正理会というカルト右翼の杉並区議会議員の佐々木ちなつの住所がラーメン花月のグロービートジャパン所有のビルになっている。グロービートは過去にカルト右翼とは無関係だとスラップ訴訟まで起こしているのだが。 | moe.awe.jp
中杉 弘のブログ:人間の探究 1250 講習会が行われました! - livedoor Blog(ブログ)
東京新聞もここまでは踏み込めないだろう。一般メディアではそりゃ無理だ。
しかし、まさか今更「平和神軍」の名を聞こうとは思わなかった。
実は、私はこうした文脈でもう一つ注目していた事柄がある。
これも件の東京新聞の記事に盛り込まれても不思議ではなかっただろうが、やはり一般メディアではなかなか踏み込めない問題だ。つまり「幸福実現党」の「躍進」だ。
【統一地方選2019】幸福実現党 特設サイト | 幸福実現党 - The Happiness Realization Party
なんでしょう。このサイトの情報を信じると、この統一地方選挙に全国で103人の候補者を擁立して、22議席を獲得したという事なんでしょうか。103打席で22安打なら、打率2.13で今の堂上よりもちょっと悪い程度ですね。
「幸福実現党」の母体である「幸福の科学」ではお家騒動が巻き起こって、組織内の様々な情報が流れ出してきていますが、そんな事もお構いなく「躍進」されたことは慶賀の極みです。
さて、こうした事が問題であるのは、上にも述べたように地方自治の問題にコミットしようとしている議員*3の議席を、そうした事にはまったく興味もない者によって阻まれるという議会の劣化を生みだすという事にある。
まるで上記の2党が地方自治を破壊するかのような書きようだと思われるかもしれないが、「まるで」ではなくその通りに思っているし、その破壊は2党だけのものではない。
この名古屋市における「減税日本ナゴヤ」の「躍進」も同じ問題の上にある。*4
つまり、「NHKから国民を守る党」「平和神軍」「幸福実現党」「減税日本」の議席獲得は、この日本の社会の混迷を現している。
一言で言うならば「健全な野党の不在」であり「政治的言説の失速」だ。
つまり与党である「安倍・自公政権」に対する国民の支持が圧倒的で、そこに対して正当で力強い批判を加えられる「野党」が存在しないという事だ。野党の批判と与党の提案、この両者が作用と反作用の関係をもってバランスしていれば政治は力を得るが、野党の存在が無くなれば言論空間そのものが成立しない。
「反安倍」と目される、共産、国民、立民、社民などの「野党」に有権者の支持が集まらない。それはこれらの党の提示するプランに魅力がないからだ。または、その実現性に懐疑的だからだ。その為に大きな政治的運動になって行かない。*5
逆に、雇用情勢を回復させ、治安も安定し、外交的な問題も起こしていない*6「安倍・自公政権」に有権者は満足してしまっている。さらに昨今社会を覆う「自己責任」「自由とは責任を伴う」という「新自由主義」のドグマが、個別的な有権者の不満を政治に向けないという効果も生んでいる。
改元によって安倍政権の支持率が上がったという調査があった。
あれほど記者会見でのツッケンどんな態度が批判されていた菅官房長官が「令和おじさん」と言われるほどだ。
米国では「石油価格を上げると大統領の首が飛ぶ」と言われる。有権者が政権、政治に求めるものはシンプルだ。
「政治家は有権者の財布に訴えかけなければならない」
バブルの崩壊でも自民党政権は飛ばなかった。総量規制という明らかな失政にも政権は崩壊したが、自民党支配は盤石だった。宮沢内閣を押しつぶして自民党から政権を奪い去ったのは、党内の「政治改革」の混乱かもしれないが、それも単独過半数を大きく割り込んだ政権基盤の脆弱さが原因であり、その原因は奇しくも大蔵官僚たる宮沢が提案した「金融機関への公的資金投入」構想の頓挫による景気回復の遅れだったのではないだろうか。
つまり、家計のふるわなさが国民の不満を駆り立て、政権への不信を高めた。そしてこの不信が自民党の議席減という姿になった。しかしこの議席減の原因を「政治改革」に繋げて「内輪で遊んでいる」自民党から国民の支持が離れたのではないかと思える。
今になってみると、宮沢内閣崩壊*7からの歴史は「政治の可能性」というテーマを軸にしてみると理解しやすいように思える。
結果として宮沢の「公的資金投入」構想*8は経済学的には正しかった。*9
自民党の「腐敗政治」さえ「政治改革」されればこうした困難は打破されると、国民は期待して、自民党政権に見切りを付け細川政権を生みだした。しかしそれでも困難は改善されなかった。こうした「改革」の行き着いた先が「自民党をぶっ壊す」といって出てきた小泉政権であり、小泉は確かに自民党をぶっ壊しはしたが、同時に日本(経済・雇用・人口動態)もぶっ壊してしまった。小泉・竹中改革によって郵政省は解体され民間に移行した、雇用もパソナ竹中の望むような流動化をした。これによって企業は経営コストを押し下げる事に成功したのかもしれないが、経営コストの引き下げというのは同時に国内消費の原資を引き下げることでしかない。つまり、経済を減速させたわけだ。*10
自民党政治、元大蔵官僚の宮沢であれば可能であると思われた日本経済の立て直し*11は実現されず、失望が政権を崩壊させた。
政治改革さえ叶えば、政治が力を取り戻し日本経済の立て直し*12ができると思われたが、細川政権、羽田政権でも実現されなかった。
小泉改革さえ実現すれば、日本経済の立て直し*13ができると思われたが、これは経済学的にまったく誤った政策だった。
しかし、小泉政権に続いた第1次安倍、福田、麻生政権はこうした経済収縮を改善しようとした。しかしこうした「財政出動」(=流動性の拡大)は国民からは「公共事業拡大=ゼネコン優遇」というように映ったのだろう。「コンクリートからヒトへ」と訴えた鳩山が政権の座に付く。
ここで「捻じれ」が生じる。
通常は与党と野党は異なる政策を取る。社会はこうした相反する操作によってゆり戻しを生じ、一定の正常値に収まる。ところが、鳩山政権に続く民主党政権が行ったのは「より一層の改革(小泉改革の継続)」であった。つまり、デフレ経済下に流動性を収縮させるという中学生でも判る失政が、小泉政権に続き、民主党政権では続けられる事となった。
現在第二次安倍政権が盤石の支持率を誇るのは、こうした「政治の可能性」が、初めて実現した事による支持だろうと思われる。*14
政治のかじ取りによって(曲がりなりにも)若者の雇用は上昇し、若い世代は生活を立てることができている。政治の可能性によって家計が(財布が)暖かくなれば、有権者はその政権を支持する。有権者の最関心事項(財布の中身)に適切に訴えかけている安倍現政権に対して、野党が掲げる批判が単なる「安倍嫌い」「護憲」であれば説得力を持たないのは当然のことであり、提示するプランが「沖縄問題」であったり「反原発」であれば野党支持が高まらないのは当然の事だ。
では安倍政権に死角はないのかといえば、上でも述べたような企業の持つ内部留保*15という問題を抱えている。これはバブル崩壊前、インフレを否定しつつも実は資産インフレ、土地価格の過熱を見落としていた状況によく似ている。途中を端折るが、企業における内部留保の過剰な積み残しは企業間の競争を阻害し、企業の寡占、独占を生む。さらに、イノベーションの可能性を消し去り活力を削ぐ。
自公政権がこうした経済政策を取るのは、やはり自公政権の支持者が有資産階級、いわゆるお金持ちであるからだろう。*16
現在の日本では無資産階級の代弁者たる政党が居ない。ここは全くの空白地帯だ。
連合も組織された企業組合の利益代表であればそこにもすく上げられない非正規やフリーター、はたまたニートや年金生活者、生活保護受給者の声は届かない。
この空間は推測するに最も有権者数は多い。しかし見えない。
ニート、引きこもりの政治的集団は成立しない。という事なのだろうか。*17
ここで、話は戻ってくる。
一強他弱と呼ばれる今の日本の政治風土は不健全に過ぎる。
次の政権を、次の次の政権を担うような、健全で有権者の課題に向き合う政治家が誕生するような相互批判、政治的言論を成立させる必要がある。共産、国民、立民、社民などの「野党」がこうした地に足のついた前提を持たない限り、自公政権とその他大勢の「万年野党」「無責任政党」だけが跋扈し、「NHKから国民を守る党」「平和神軍」「幸福実現党」「減税日本」といったポピュリズム政党*18が跋扈する事となり、政治的言論空間はより力を失う。
明治維新は鎖国によって遅れた日本という国が、西洋列強をキャッチアップしようとした活力ある社会であると看做されている。これを司馬遼太郎が、坂の上の雲をつかもうと坂を登る人々として描いたのが「坂の上の雲」なのだろう。
今、日本はその坂の上に到達して向かう方角を見失っている。坂の上に至っても、雲には手は届かない。向かう方向を失ったかに思えるのだろう。
追記:
告知:
「名古屋城天守の有形文化財登録を求める会」が起こした名古屋城木造化事業における住民訴訟、
第一回公判の日程が決まりました。
5月16日(木)午後2時より
名古屋地方裁判所 第1102法廷 です。
傍聴席の整理券は午後1時45分頃、
1102法廷前 で配られます。
*1:4月27日掲載となっているので、連休前に東京新聞に掲載された記事を、このタイミングで中日新聞が紙面に掲載したという事なんでしょうか
*2:可能性がある
*3:「プロの地方議員」と言っても良い
*4:なんどもいうが地方議会の構成員になろうとする者が「市長を守る」つまり、行政に批判、監視の目を向けないというのは、自己の職責の否定であり、地方自治の否定だ。これって中学校の公民程度の常識だと思うのだが
*5:こうした党の中には、現状の主題を現状のように訴え続けるだけで、組織防衛はできると思っている人もいるかもしれない。しかしそれは「批判だけする万年野党」の姿そのものだろう
*6:対米追従していれば外交的には安心なんだから簡単なんだろうけど
*9:それなのに、「財政再建≒政治改革」として、歳出は削減され、流動性は収縮され、経済は冷え続けた
*11:「政治の可能性」
*12:「政治の可能性」
*13:「政治の可能性」
*14:最初のアベノミクス3本の矢の内、1と2は流動性を拡大させるもので、デフレ経済を終息させるには正しい政策であった。しかし、第三の矢やそれに伴う新自由主義的な政策が過剰流動性を企業における内部留保の拡大(ストックの過大)を引き起こし、国家全体としてみた場合の経済の姿はいびつであり不健全なままだ。この為に、流動性を増やしても(お金を刷って、バラ撒いても)GDPは拡大しない
*15:ストックの過剰
*16:公明党が「貧乏人の党」と言われたのは昔のことだ。今はどの街へ行っても立派な「邸宅」の壁に「公明新聞掲示板」が掲げられているのを見る事だろう。二世代三世代と宗教的に、または道徳的に規律ある生活を続ければ、資産形成に成功する例が増えて当然だろう
*17:ここで余計な事を言っておくと。ニート、引きこもりの人々は、内省性が高い。またはそれが内攻性にまでなって、それが過剰な自己批判に繋がり自分への不信から社会とのつながりを「諦める」という傾向があるように思われる。例えば「ロスジェネ」が無職やフリーターの期間が長く、満足な収入を得られない事は、十分政治的課題であり政治的に解決すべき問題でもある。けれどもそれを政治的に解決することを「よしとしない」と「自己責任」を自らに課す人もいるように思える。つまり、「諦め」という結論に至る。実は地域自治の担い手不足と、こうした内攻的な人々をつなげると解決の糸口があるようにも思えるし、それが地方自治の一つの仕事ではないだろうかとも思えるが、はたしてN国党や幸福実現党にそうした課題は届くものだろうか?
*18:票だけは入るが、政策は何もできない政党