訳有ってブログの更新が滞っております。
選挙結果を受けて色々な動きが起ころうとしています。
こういった動きについてはおいおいご報告の機会があるかもしれません。
今週の月曜日、選挙結果を受けて、各マスコミが選挙の総括を掲げておりましたが、その中でも4月13日の朝日新聞の朝刊は迫るものが有りました。
記事は河村代表の地元、東区の選挙情勢の報告から、有権者の声を拾い、それを受けて次のように解説を行っています。
政治手法市民に響かず
「河村市政の継続と発展」を訴えた減税日本に追い風は吹かなかった。代表の河村たかし名古屋市長の政治手法は、市民に響かなくなってきている。
4年前、民意は確かに動いた。既成政党中心の市議会を河村氏はなれ合い体質だと批判して「敵役」にした。リコール署名を主導し解散に追い込み、出直し市議選で減税日本は第1党に。勢いで市民税減税や市議報酬半減を次々と果たした。
しかし、市民の目が対立から「主役」に向くと、「庶民革命」を掲げたはずの党内で、お金をめぐる不祥事や内輪もめが目についた。看板公約は形になったが、日々の暮らしに大きな変化を感じられない。
それでも、減税日本の公約は実現した政策の継続が大半だった。選挙戦でも「(市議会で)報酬を戻されていいのか」「役人天国の時代に戻していいのか」と敵役を引き合いに、味方になってとばかりに「河村市長を助ける男・女性」のスローガンまで作った。
大都市・名古屋でも高齢化が進み、2017年にも人口減少に転じる。27年のリニア開通を見据えた街づくりの議論も本格化する。だが、河村氏は昨年、人事委員会が勧告した職員給与引き上げを「税金で食っとる方が楽をしてはいかん」と拒むなど、敵役を探す手法を続けている。
今回、選挙前の勢力は保ったが、各選挙区で薄氷の勝利が続いた。パフォーマンスでなく市政のかじ取り役に徹してほしい。それが有権者の答えではないか。
今回の選挙結果は、減税日本に絞って見た場合、26万票の前回得票を8万票に減らした大敗北だ。
ここまで得票を減らしていても、議席数で改選前議席を確保できたというのは、そもそも改選前に議席を半減以下に失っていたという組織維持の力が無かったことと、選挙というものは相対的な評価であるという事実に依存している。
つまり、減税日本が敗北した以上に、民主党が失敗をしており、その民主党以上に維新の党が大失敗をやらかしていただけだ。
今回の名古屋市会議員選挙に向かって、議会ではある独特な「空気」が支配していた。それは「市長と対立するな」という「空気」だった。職員給与の問題や減税のシミュレーション結果を見ても、議論の対象は幾らでもあった。しかし、それらの議論は「敢えて回避されていた」ように見えた。それは議会が市長と対立すれば、市長に発言の機会を与え、市民の支持を掘り起こしてしまうのではないかという危惧だったように思う。
組織がしっかりしている党や候補者にとってはこの戦略は正解だ。市長と議会の対立軸がなければ、争点がなければ、ほとんど無風の選挙戦、静かな選挙戦となって、いわゆる組織票、固定票を持っている議員に有利となる。
この目論見は見事に当たった。その結果が史上最低の投票率36.57%であり、公明党、共産党、自民党の議席増だ。
今思えば、民主党と減税日本から離脱した現職は「騒ぎ」を起こすべきだった。
民主党は有権者に向かって、自民党や共産党との差を訴えかけなければ、この両党に埋没してしまう。
離脱組も、どうせ減税日本、河村市長と対立しなければならないのであれば、この河村市政の支離滅裂さを市民に訴えかけなければ、支持は得られない。減税日本は「刺客」を送り込んでくるのは見えているのだから、この刺客と真剣で切りあう、または棍棒で殴り合うぐらいの気迫が無ければ生き残りの道は見えなかったのだろう。
ところが、離脱組は維新の党や生活、または民主党という既存政党に依存してしまい、それらの政党の戦略の失敗に巻き込まれる形で全滅してしまった。
特に維新の党は「身を切る改革」という大阪で展開しているものと同じテーマをナゴヤで展開するという大失敗をしている。「維新の党は『身を切る改革』を進めます。議員報酬は3割カット」なんて言ったところで、すでに名古屋は市議報酬を半減、5割カット実現している訳で、こんな言葉が力を持つわけがない。
今になれば誰でも思いいたるこの当たり前の問題を、なかなか渦中に居ると気が付けないものだったのだろう。というよりも。名古屋における維新の党の組織自体がぜい弱で、内部討議が機能していなかったのかもしれない。健全な議論が行われる環境が有ったのなら、灰皿は飛ぶかもしれないが、こんなスローガンが通る事は無い。
民主党も今回の選挙では敗北組と見ていい。
そもそも擁立数が少なかった。
そして、その前に議会において争点を生み出す事を避けた。
その結果は先にも書いた通り、自民党と共産党の間に埋没するだけだ。
今の名古屋市会民主党に、自民党とのどんな差があるのだろうか?差が無いのであれば、第一会派、政権党として力を持った自民党に付いた方が良い。
自民党を嫌って、野党、反自民に票を入れたいのであれば、いっそ共産党に入れれば良い。市民はこうした投票行動を取ったのではないだろうか。
おっと、投票行動というのであれば、見逃せないのは。
自民党には入れたくない。しかし他の野党も、何も選択できないという結果、棄権をした有権者が、今回の選挙は圧倒的マジョリティ、「常識的選択」であり、その比率が全市平均で63.43%に達していた事実だ。
民主党は暴れなければいけなかった。
そうしないと存在意義はない。
争点は幾らでもある。
職員給与の人事委員会勧告無視は、民主党として、働く者の党として、看過できるのだろうか。
いっそ、減税政策自体に疑問を投げかけるべきではないのか?
もういい加減「冗談に付き合うのは」止めましょうよ。
まともな経済理論で言えば、河村流減税政策に効果が無い事は明白だ。
そして、昨年の11月に名古屋市が示した減税の効果シミュレーションにおいて、その効果が他の施策、例えば、敬老パスなどに比べても、経済効果が低い事が示された。
そして、そもそも。その減税シミュレーションにしてからが、少々怪しげな性質を持っている疑いがある。
仄聞するところによれば、河村家でもすでに「減税」の名前を引っ込めようという意見があるようだ。なんでも党名自体も「減税日本」という市民に響かない名前を止めて「河村市長を助ける会」のようなものにしてはどうかという意見があるそうだ。
すでに、峠を越えたのだ。
ここから転げ落ちる「河村流減税論」に切り込めば、手柄は切り取り放題というものだ。
退却する敵を追撃することほど脆いものは無い。
ここで一番槍を自民党や共産党に奪われているようでは、もはや民主党に存在価値など無い。
さて、民主党は置いておいて。
減税日本の話に戻りましょう。
選挙期間中に新聞折り込みにされた法定ビラ。それもご丁寧に二回も入れられたビラですが。
こうしてみると次のような記載があります。
河村市政の継続と発展
4.政務活動費、黒ぬり部分も減税日本ホームページ全面公開。
やってください。
所属名古屋市議の政務調査費使用状況について(10/26更新) | 減税日本
まずは、さぼっている分。平成25年度分の「全面公開」を早く実行してください。
上で引用した朝日新聞の記事によると、佐藤夕子副代表は次のように語ったとされています。
東区で勝ったということは減税日本にもう一度チャンスをいただき、期待に添うようがんばれということ。真の意味で庶民革命をしたい
さて、判らない。
「庶民革命」って何なのだろうか?
ある人がいうのは「利権を無くす事」だそうだ。
特定の人々、集団による「利権」を暴き、そうした「既得権」を打破する事。それが「庶民革命」やら「維新」ということなんだろうかね?
・・・これって典型的な「ワラ人形論法」なんですよね。
減税日本の、特に新人の市議の方々に聞きたい(判らなかったら、先輩議員に聞いてみてください)庶民革命というものが、こうした利権や既得権の打破であるというのであるなら、その「利権」や「既得権」の具体的な事例というものを示して見せてくれませんか?
そんなものが有るのですか?
または、有ったとして、それって打破すべきものでしょうか?
もう一度チャンスをいただき、がんばれといわれている目標なら、それを明確に、具体的にすべきですよね。
それは「真の庶民革命の実現」と言われても、具体的にはピンときませんよね。
その内容が「利権」や「既得権」の打破である。というのであれば、そりゃ打破までは大変な道のりでしょうから、すぐに実行しなさいとは、この偏屈なオジサンも言いませんよ。けれど、打破すべき「利権」やら「既得権」が有るのだと、例えば副代表もおっしゃっているのであれば、それは具体的にどのような事柄なのか。お示しいただくぐらいはできますよね。
実は、これと同じ「ワラ人形論法」を使っている集団が居るんですよ。
それがかの「在特会」です。
在特会は有りもしない「在日特権」なるものを「打破」しようと空しい努力をしている、狭量な排外主義者、差別主義者の集団です。「ヘイトスピーチ」の主で有名ですよね。
彼等も「敵」を勝手に作り上げて、それに対して「出ていけ」だの「死ね」だのと口汚い罵りを浴びせかけています。
「在日特権」「利権」「既得権」「役人天国」これらの言葉は根拠の無い、単なる「敵」を作り出す呪文のような言葉です。
最近こういった言葉を聞きました。
「反知性とは葛藤に耐えられない心である」
社会は充分に複雑です。ヒトは平等に扱われるべきでしょうが、なかなかその理想は実現できません。様々な不平等や不条理がヒトを襲います。そうした困難や阻害感を感じた時、その葛藤に耐え、現実的な解決策を模索する。あるいは、問題の本質を考察する。または、そうした不条理を受け入れる。こうした態度には強い心が必要です。しかし、弱い人間はこの葛藤に耐える事ができない。知性的な態度を維持できず、「反日的一派の特権によって、自分が割を食っているんだ」だとか「特定の集団が利権をむさぼっているので、自分はこのように恵まれないのだ」とか「役人は天国だ。税金で食っている奴らは極楽だ」という「ワラ人形」を示されると、それが「敵」であると思えてしまって、「これが敵だ、これを攻撃しろ!」と命ぜられるまま、事の善悪も判らないまま攻撃してしまうのでしょうね。
革命というものは、こうした劣情に訴えかける部分は確かにあります。
フランス革命でも、日本における維新でも。「階級闘争」には実態もあったのでしょうが、その行き過ぎもあったのも歴史的事実です。
「明日に向かっていない」という事ですね。
朝日新聞の解説でも「 減税日本の公約は実現した政策の継続が大半だった」と指摘されるように、「明日の名古屋の姿」を力強く打ち出しているものは有りません。まさか、名古屋城の木造化やら1000メートルタワーがそうとは言いませんよね。
在特会もそうです。彼等は在日特権なるものが無くなれば、どんな日本の社会が来ると思っているんでしょうね?それとも、純血日本人(そんな存在、定義不能ですけど)以外を排斥して、どんな日本を作りたいのでしょうか?
在特会も歴史修正主義に親和的です。河村市長もそうでしたね。南京大虐殺に対する否定発言もまだ解決を見ていません。そして、在特会の皆さんが、「河村市長の『南京事件は無かった』支持」とされているのもそうした共通点でしょう。
本当に、明日に向かって踏み出せる人は、こうした過去についても真摯に受け入れることができます。過去を受け入れる事ができない人が、明日を構想できないのは、実は当然の帰結なのでしょう。
[南京発言問題]
南京問題発言の検証(前編)
南京問題発言の検証(後編)
自由な議論で南京を語る会?
河村市長の南京発言についてのご報告と、今日的意味
南京事件に対する法的に認定された事実、客観的事実
「河村市長を助ける男・女」の皆さんは、この「在特会」の方々と並んで、「河村市長の『南京事件は無かった』支持」の横断幕を持たれるのでしょうね。
追記:
「反知性とは葛藤に耐えられない心である」
ラッスンゴレライのデマ拡散で考える、なぜ陰謀論で物事を単純化するのか - 社会 - ニュース|週プレNEWS[週刊プレイボーイのニュースサイト]