市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

ポスト真実の時代に

宗教と科学の相違はご理解いただいているだろうか。

宗教とは「信じる」ことから始まる。
神だろうと仏だろうと、あるいはイワシの頭だろうと、それを信じることができれば宗教は始まる。逆に、こうした確信のないものは宗教とはいえない。

科学とは何かというと、何も信じないことと言っていい。勿論、様々な事実は利用する。りんごは木から下に落ちるのだろうし、月は満ち欠けを繰り返す。そうした傾向は再現性が高いと承知しているが、別に何も信じているわけではない。

科学的な態度から見れば、何かを信じるということは「思い込み」につながる。

有名な話ではこの世界は決定論的に定められている(世界は数学的に記述できる)と確信していたアインシュタインは、ソルヴェイ会議で「神はサイコロをふらない」と量子力学を受け入れられなかった。

アインシュタイン量子力学に理解を示していれば、物理学の発展はどうなっていたのだろう。思い込みが大切な可能性を潰してしまったのかもしれない。

さて、政治とは宗教と科学、どちらの態度で接するべきなのでしょうか。

本来は科学的に懐疑の姿勢で接するべきではないかと思います。
もう一声、贅沢を言えば、よく言われるように「信なくば立たず」
政治を「提供する側」は「信頼」を尊重し、信頼がなくなったなら政治という場から退場しなければならないという緊張感を持って、そして政治を「提供される側」つまり、有権者は科学的に懐疑の目を持って提供者に接するべきでしょう。

しかし、現実は全くこの逆で、政治の提供者である政治家は有権者を全く信用していない。そのために表面を整える事、表面を糊塗することに汲々として、本質的な政治活動、社会を改善する運動に労力を割けない。
また、有権者は頭から信じてしまうか、その逆に不信感を持つばかり(つまりは、信じられないと信じてしまう)で、生産的な政治との関係を築けないでいる。

そして、この相互の関係は相互に関係を強化していく。

土曜日の中日新聞に「POSTーTRUTH 心地よい政治のウソ妄言」という特集が組まれていた。

紙面で紹介されていた事例とは少々異なるかもしれないが、トランプ大統領の誕生に「嘘ニュースサイト」が果たした役割というのが注目されている。

今回の大統領選挙に合わせて、様々なニュースサイトが生まれたが、その中には「テロリストがクリントン候補の選挙資金を援助の証拠」だとか「オバマが不法移民に投票を呼びかけ」などのでまかせが多数紛れ込んでいた。なかには「クリントン候補はレズだった」などのくだらない話題まで取り上げられていたそうだ。

こうしたニュースサイトは広告収入を目当てとして開設されており、ガセであろうと出任せであろうと、PV(ページビュー/来訪者)が増えれば広告収入が得られる。そのためによりエキセントリックで人々の目を引きつける「とくダネ」がインターネットを飛び交うこととなった。

また、こうした「嘘ニュースサイト」はトランプ候補をネガティブに取り扱うよりも、ヒラリー候補をネガティブに取り扱ったほうがPVが稼げる傾向にあったそうだ。

トランプ候補を好意的に捉えていた人々に「信じやすい人々」が多い傾向があったのかもしれない。*1


特集では「真実を報道し続けよ」と述べられている。
「事実に基づいた議論や思考、社会の運用が重要だと説得し続けること。加えてウソを暴き続ける。そうした愚直な作業が、ポスト真実の時代には大切」であるとしている。


中日新聞の紙面でこんな話が聞けるとはなんともおもはゆい思いがする。

来年には名古屋市長の改選がある。

当ブログでは「河村市長が尾張藩書物奉行の末裔である」といわれていることには疑問があると指摘している。そして、この風聞が名古屋市民に広く知れ渡っているのは中日新聞の記事の構成があまりに「見事」だったからと指摘した。

2014-04-02 河村たかし名古屋市長は尾張藩書物奉行の末裔か?


どうだろうか、何ら根拠のない話が風聞として定着してしまっている。
この話について、「事実に基づいた議論」を「愚直な作業」を続けてはいただけないだろうか。是非、河村家にあると言われる「家系図」を検証していただきたい。

中日新聞にはそれぐらいの義務はあるだろう。


さらに、減税政策について。

今でも覚えているが、減税政策について、中日新聞神野直彦先生と竹中平蔵を並べて、肯定、否定の両論併記を行った。竹中平蔵の肯定論なんぞ「やってみれば良いんじゃない」程度のいい加減な話だったが、それでもこうして両論併記することで「河村流減税政策」が経済学的に議論するに値する話題であるかのように、名古屋市民に誤認させるには十分だっただろう。

このブログを頭から読み返していただければお分かりいただけると思うが、私も最初から「河村流減税政策」に否定的だったわけではない。「愚直な作業」を続けた結果、それが経済学的に成立しないどころか、全く真逆の政策であるという証明ができた。


2011-12-19 「正しい経済学」が導く減税の意味(前編)

2011-12-19 「正しい経済学」が導く減税の意味(後編)



さらに、河村市長が「リチャード・クーさんの本でも読んでみてちょう」と言われるので、同氏の書籍を読んで、クー氏自身が「河村流減税政策」に対して否定的な考えを持っていることを知った。

2011-10-30 リチャード・クーさんの本を読んでみた(前編)

2011-10-31 リチャード・クーさんの本を読んでみた(中編)

2011-11-01 リチャード・クーさんの本を読んでみた(後編)


ぜひ、中日新聞には「河村流減税政策」に対して、事実に基づいた論理的な肯定論を唱える経済学者を探してほしいものです。
(河村流減税政策の根幹は、歳出削減によって歳出規模を縮小し、歳入を縮小し、減税を行うということにある。これを流動性の低い、デフレ期に行えばどういうことになるか、是非経済学者に伺ってほしいものです)



そして、この「河村流減税政策」を名古屋市が進めている上で、今に至るもまったく納得できない「シミュレーション」というものがある。

2015-02-16 減税検証シミュレーションに対する疑惑


簡単に言うと、「10年間、毎年毎年、市内総生産の対前年伸び率が同じとなるようなシミュレーションを信じられるわけがない」ということだ。

こんなものは、10年後の数字を適当に付けて、それを乱暴に10で割っただけだろう。
捏造するにも知恵のないやり方だ。

そして恐ろしいことに、こんな「ウソ」がまかり通ってしまっている。

こんなイワシの頭を信じていては、政治が社会科学になることなどない。
名古屋市当局は、こちらの要求した追加資料を提示できないのであれば、このシミュレーションの正当性など主張できない。

中日新聞には、愚直に事実に向き合う勇気はあるのか?
それとも身内の事には目をつぶるのか?

自身を検証できないものが、他者を検証できるのだろうか。


*1:最近、日本でも虚偽の健康情報サイトの問題が取り上げられてるが、インターネットという仕組みには制度設計として様々な矛盾が含まれている。しっかりとした再設計とそのための議論がなければこの仕組は社会を大きく歪めるだろう。というか、すでに歪めている。自由競争とか市場原理にだけ任せれば良い問題ではない。と言うような議論が喚起されたレッシグの「CODE」が日本語に翻訳されてすでに15年経っているが、議論は起こっているのだろうか?