名古屋工業大学が主催し名古屋市が共済する形で、インターネットを使った「合意形成システム」 COLLAGREE を用いて「名古屋の魅力って何だろう? 230万人によるインターネット大討論会」なるものが開かれている。
名古屋市:230万人によるインターネット大討論会(観光・イベント情報)
http://collagree.com/
以下の文章は、私が12月27日に投稿した文章だ。
そもそも都市の魅力などというものは「造るもの」なのか疑問がある。
人間でも「魅力ある人間になりたい」などという作為は魅力を半減させる。
その人がその人なりの存在感を示し、活躍すれば良いのであって、魅力などというものは副次的に備わるものだろう。
ましてやそうしたものを「議論で形成する」というのは理解ができない。
そういう意味でここの議論には乗れずにいた。
けれども終結を間近に、どうしてもご指摘させていただきたいことがあって投稿することにした。
名古屋の起点は城ではない。
名古屋の起点は木曽三川であり港町だ。水源地である長野や岐阜の方々のおかげで今の名古屋がある。
そもそも濃尾平野の肥沃な大地は、こうした山間地の土を、木曽三川が運んだ結果生まれたものだ。
濃尾平野が三英傑を生んだのだとすれば、その母胎はこうした山間地を含む木曽三川の流域があったればだ。
名古屋の水道水の品質が高く、豊かな水に恵まれているのも、
今に至るも山を豊かに維持している長野や岐阜の方々のおかげであることは忘れてはいけないことだと思う。
しかし、名古屋の海は汚い。
神戸港はすぐ近傍に須磨海水浴場があるほど高い水質を維持している。
東京湾や横浜港にしても、その水辺に公園が整備されているほど水質が高く、
そして、地価も高い。東京、横浜、神戸、これらの都市の魅力は水辺にあり、豊かで華やかな街並みが展開している。
しかし名古屋港はそうなっていない。
それどころか、その名古屋港とつながっている堀川、中川運河では、建物は水辺に背を向けて立っている。
韓国ソウル市では暗渠であった清渓川(チョンゲチョン)を復元させて都市魅力を向上させた。
名古屋港、堀川、中川運河の水質が悪い理由は、人為的なもので、
大きな原因と小さな原因がある。(今はそれを議論する気はない)
ただ気がついて頂きたいのだ。
名古屋は元々港町であって、伊勢神宮につながる渡し船の港であった。(そしてそれが原点だ)
それなのに、名古屋を港町と捉える人が如何に少ないか。
水に感謝し、その水をもたらしてくれる長野や岐阜の方々に感謝し、
港がきれいに復活してくれることを願ってやまない。
私はそもそも「属性を愛してはいけない」という考え方を持っている。
こうした考え方からは「魅力を議論する」という行為そのものが否定されるべき行為だ。
「属性を愛する」という姿が如何に危険な帰結を持つかは次の論考で検討したいと思う。
本年はあまり投稿することができなかった。来年もこのようなペースは続くと思う。更に言うならば、私にとって、このようなブログで何も投稿することがないことが最も願わしい。つまり、その時こそ名古屋の市政が市民に戻り、市民のための市政が実現したと言えるときだろう。
このブログの終結する日を願っておきたい。
来年も皆様に良い年が訪れますよう。