まず、本日のエントリーはお詫びと訂正から行います。
ここ数回のエントリーで「減税日本は政務調査費/活動費の平成25年度分の公開を怠っている」と述べましたが、事実誤認でした。
市議団のサイトで公開していましたね。
平成25年度 減税日本ナゴヤ市議団 政務活動費報告書
これについては、内容に対する評論もやっていまして、完全に24年度と25年度を混同しておりました。当ブログをご覧いただいている皆さんと、関係者の皆さんにお詫び申し上げます。
当該エントリーにも順次訂正の追記を添えるようにします。
さて、その減税日本ですが、人事を発表したそうです。
わざわざ記者会見まで設定してね。
団長に大村議員、副団長に田山議員。
幹事長に鎌倉議員、副幹事長に新人の手塚議員。
政審会長に鈴木議員、幹事に浅井議員というような布陣だそうで。
なんとなく、どんな事になるか容易に想像がつくような気がします。
土曜日の中日新聞の報道では大村団長が「政務調査費の公開を続ける」とか、鎌倉幹事長が「市長公約だけでなく、地域課題を議会に吸い上げる」と言っていたようにきれいにまとまっていますが、実はちょっとした「騒動」が起きていたようです。
そもそも市議団の人事なんて、一々「記者会見」を開いたりしません。
普通は、決定した人事を書面に起こして記者クラブに投げ込む程度でしょう。コメントが必要なら記者が電話ででも取材するでしょうしね。
それを時間を設定して「記者会見」を開くと言うので、各社の記者はスケジュールを調整して駆けつけてみたら、単なる人事発表で脱力したそうです。前回、28人の新会派という事で注目を浴びていた際には、記者会見も意味が有ったのでしょうけど、今回はそんな立ち位置ではない。
逆に、幹事長に鎌倉議員が座るという方針はたいていの記者なら読めていた話で、そんな意味でも新味に欠けます。敢えて言うと、ここで予想された「佐藤夕子副代表」が市議団の役員に付かなかったという事で、記者会見よりも、参加しないだろう佐藤副代表の感想を聞きたかったのではないでしょうかね。
と、言う意味で、少々記者たちもピリピリしていたようなんですが。
そんな席で鎌倉幹事長が「議員定数の削減」を発言しだしたそうです。「議員定数を削減して、削減した議員の分だけ、議員報酬を上げるという考え方もある」というような発言をしたようなんですよね。
鎌倉幹事長は選挙前の中日新聞のアンケート「名古屋市議の年額報酬はいくらが適当と考えますか」に対して「800万円(現状維持)<理由>現に800万円で活動できているから」と回答しています。
ところが、選挙前、河村市長と鎌倉候補予定者が支援者を集めて開催した守山区内の会合で、河村市長が「まあ、市議の報酬も800万円というのは厳しいですから、1200万円ぐらいにはしなけりゃなりませんかね」と発言していたそうなんですよね。
衣の下の鎧と言いますか、ついつい本音が出てしまったのでしょうかね。
減税日本の中からも議員報酬800万円に対する異論が出るのかと、会見場は色めき立ったようですが、即座に大村団長に否定されて、発言も無かったことになったようです。
鎌倉幹事長、今後も期待できそうです。
賃金という話題でいうと4月15日にはこのような動きが有った。
行動はキャッチ―なように「ファストフードの従事者に対して、時給¥1500を実現させよ」というものだ。
これは最低賃金そのものを底上げさせる動きでもあり、実は「アベノミクス」が整合的に国民経済を加速させるのを目的としているのであれば、安倍政権は「法人税減税」よりも、真っ先に「最低賃金の引き上げを(できれば即座に¥1500まで)」実現させるべきなのだ。そうすれば、過剰流動性の高い日本において、即座にGDPは膨れ上がる事だろう。
ところで、こうした動きにこんな反論もあった。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150416-00010000-scafe-bus_all&p=1
まったくくだらない論考だ。
誰かさんも議員報酬を下げ、公務員給与の引き上げを止め。縮小均衡の経済に囚われているようだが、同等のオツムの方々はいるようだ。
上記の論考に対してこういった反論がある。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/inoueshin/20150417-00044916/
すでに最低賃金を1,500円に設定しているオーストラリアは30年これを続けているが、滅んでいないし産業も空洞化していない。
この中嶋という人は「賃金は付加価値に対して支払われる」と主張する。確かにそうだ。しかし、その「付加価値」は絶対的なものではない。現在のように最低賃金が900円弱程度であれば、そういった業種の「付加価値」は 900円弱であるという社会が成立するだろうし、それが1500円になれば1500円での社会が成立する。「付加価値」などと言うものは後付でしかない。問題はその水平的なバランス(同時期に、どのような地域、職種にバランスがされているか)と時系列的な変化(上がっていくのか下がっていくのか、どの程度の比率で変わっていくか)が問題となるだけだ。
最低賃金を引き上げていけば、国内経済はインフレ基調に傾く。そうなれば現在2年間のアベノミクスで行われた過剰流動性が国内経済の中で循環し始めるだけではないか。
そしてこの中嶋という人物が決定的に可哀想なのはこれだ。
「『健康で文化的な生活』を保障するのは企業ではない」
こういう人物にとっては企業とは単なる資本の集約。資本を有利な利回りで回していく道具でしかないのだろう。そして、彼の労働観とは「金だけ」なんだろう。
なんとも悲しく、可哀想な労働観じゃないか。
なぜ、人間は様々な仕事に就くのだろうか。
それは利回りだけを求めた結果だろうか。
そうじゃ無い筈だ。
企業が市場原理だけで利潤追求に走り、地域社会、雇用者の生活、国家的バランスという観点を失った結果が、様々な金融危機であり、社会破壊ではなかったのか。そしてそれは持続可能な社会であるとはいえない。
企業から社会の公器としての責務を除外し、責任のがれさせ、利潤追求だけをさせれば、その時企業は社会に対してとんでもなく危険な存在となる。
つまり、利益を私物化し、リスクを社会にばら撒く存在となる。米国における金融危機がコレだったではないか。日本においても銀行を潰せなかった理由は何だろうか。社会的影響が大きすぎるから、その損失を社会が被るのであれば、利益を得た時にも、その利益を社会に還元するのが企業の義務だ。
人間の為になくて企業は何の為に存在するのか!
金の為に企業が有るのであれば、金の為に金を回しているに過ぎない。そして、人間はいつまでたってもこの金を得るための歯車にすりつぶされる存在でしかないではないか。
企業は人間の為にある。
55年体制が。
安定した自由民主党政権が、実現した昭和日本型資本主義。中国やソヴィエトよりも社会主義的と言われた日本型資本主義においては、企業は社会の中間層を担っていた。社会人は企業に所属する事で、賃金と医療などの保障と、人間的紐帯を得ることができた。
その基本は高い法人税と、課税対象所得を圧縮しようとする企業努力(つまりは、設備投資や労働分配率の向上に向かう)が、それらを実現してきたのだろう。往時の自由民主党税制調査会「インナー」の議論は驚くほど高度だ。
なんとなく、日本の没落はこの「インナー」の地盤沈下と軌を一にしている気がしてならない。
日本経済を一刻も早く立て直すためには、バカ市長を辞めさせて、ピケティが言うように公務員給与を5%程度引き上げ、最低賃金を即座に1500円程度に引き上げ、そしてそういったインフレで割を食う年金受給者、年金生活者が困窮しないように、ケースワーカーなどを大量に雇用する事だろう。
経済を縮こまらせてはダメだ、縮小均衡の経済を脱却して拡大させなければならない。
・・・などというと、「人口減少社会で経済を拡大させるのは無理だ」とか「この期に及んでまだ、拡大経済を夢想しているのか」と思われるかもしれない。
している。
諦めてはダメだ。縮小均衡論など諦めでしかない。
なぜ、人口が減少すると、経済まで縮小均衡しなければならないのだ。それが固定観念というものだ。
拡大経済では自然がもたない?
まったく逆だ。
持続可能な、拡大経済政策はある。
逆に、人間は拡大経済下でなければ、持続可能とは言えない。
次回は、2つのブレークスルーの可能性について、お話しさせてもらう。