市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

変容する地方自治体選挙

 各所で統一地方選の前哨戦のような選挙が実施されている。
 この名古屋でも愛知県知事選挙が行われ、現職の大村知事が再選を果たした。

 マスコミの総評を見るまでもなく、与野党相乗り、総乗っかりの鉄壁選挙で、革新系候補に付け入るスキを与えなかった。

追記:大村知事を推薦したのは「自民県連」「公明」「民主」「維新」「生活」「次世代」「減税」である事を明示すべきだと意見をもらいました。確かにすべて列挙しておくべきでしょう。
 却って、この総乗っかりに有権者はしらけ投票率は全体で34.93%(史上最低2位とのこと)名古屋市内においては27.95%(中区で見ると23.71%)という投票率となった。

 大村知事は減税政策や中京都などの非現実的な政策を引っ込め、自民、公明などの政権与党や民主党などとも連携できる現実的な「リニアや国産ジェットの推進」「東京一極集中のストップ」など、あまりに当たり前の事を訴えていた。
 それでいて、そこに(前回のエントリーにコメントを頂いた通り)相乗り批判をしていた減税日本の河村名古屋市長まで乗っかってきたのだから、まったく論点や争点の無い選挙になってしまったのだろう。

 河村市長は相変わらずいい加減な事ばかり述べているが、実は大村知事の変節の方が現実的な解であると言える。本当に首長の仕事をしようとすれば、議会と融和して首長自身は党派性から抜け出さないと施策は進められない。
 地方自治体において首長は絶大な権限を持っており、決定権は首長にある。
 首長が党派性にこだわり偏った施策を進めれば議会と対立するだけで何も進まない。逆に首長が党派性から離れて各会派の調整役を買って出るならば利害関係を整理して問題を前に進めることもできるだろう。
 つまり、大村知事はなにがしかの施策を前に進めようとしたと言えるのかもしれない。

 実は、名古屋市においてもそういった機運はあった。前回の市長改選の後、尾張名古屋共和国構想(元は自民党が打ち出した300万都市構想)を軸に各党が河村名古屋市長と停戦を求めたような形跡もある。
 しかし、河村市長は、名古屋市長として議会と融和し現実的な施策を進めることは選択せず、相も変わらず「敵」を作ろうと四苦八苦している。

 2日に行われた市長会見でも次のような発言がある。

 市民というお客さんにうちのラーメンうみゃあよ、安いよという政策メニューを出さないといけない。そこに責任があるんですけど。大変に難しいねぇ。良い政策を訴えかけて、争点を作る。やるのは議員、市長になる人の責任だと思いますけど。いやーベリー苦しいですね。正直言いまして。

http://www.asahi.com/articles/CMTW1502022400001.html

 正直な話だ。
 問題があり、その問題を解決できる方策があるから政治家というのは居ると思っていたが、彼、河村市長の考え方は違う。「争点を作る」のが責任なんだそうだ。それはラーメン屋が「うみゃあよ、安いよ」というようなものなんだそうだ。

 なんじゃそりゃ?

 そもそも、本当にこのバカ市長はよくラーメン屋さんを小ばかにしたような表現を使うが、ラーメン屋さんはそんな簡単な商売などしていないだろう。どこに「うみゃあよ、安いよ」なんてラーメン屋があるか。そういう味を作るまで、どれほどの研究が要るか。

 凡百のラーメン屋が日に日に生まれては消えていくが、この御仁がいうようなラーメン屋があったとして、それがどうなるかは明らかだろう。そしてその姿がご自身の党の姿とも重なる。

 脱サラでもして、素人考えで適当に出汁を仕入れて、適当に麺を仕入れて、適当にレシピを作って、「うみゃあよ、安いよ」とラーメン屋を始めたのが河村党、減税日本の姿なんだろう。


 世間では来日したトマ・ピケティを迎え、我も我もとその政策にすり寄っている。民主党なども、もともと民主党が主張していた事と同じだ。などという始末だ。本気でピケティの訴える格差拡大を問題とするのであればいいが、民主党の中にある新自由主義市場原理主義と均衡財政論に凝り固まった一群が、果たして自説を修正するかどうか。

 もし、河村名古屋市長がピケティの政策にすり寄るのであれば、真っ先に人事委員会の勧告を受け入れるという方針転換をしなければならないだろう。なにせ、ピケティは日本におけるデフレ対策に対して「公務員の給与を5%程度引き上げれば」というアイデアを提示しているのだから。

 後にも述べるように、有権者が全て政治的に高い見識を持っている訳ではない。そして少なくない層に「引下げデモクラシー」の思い込みが蔓延っている。公務員の給与を引き下げたり、生活保護費を引き下げれば税金が安くなる、民間の可処分所得が増えるという誤った考え方だ。

 こういった卑しい姿についてはこちらで批判をしている。
 2014-11-02 Allegory of the long spoons


 大向こうの「受け」を狙って名古屋市における人事委員会の勧告に従わなかったのだろうが、明白な愚策であり、失政であり、違法な行為だ。

 そして風の噂では、それにも飽き足らず、文字通り「恥の上塗り」をするらしい。
 これについては真偽が不明なのでもう少々周辺情報が固まった段階でお伝えしましょう。


 これに加えて、名古屋城の木造化に1000mタワーにSL走行が河村党、減税日本の「争点」なのだろうか?こりゃ結構な「政策メニュー」だ。


 話を戻すと。

 この知事選挙における総投票率34.93%という結果に対して、私は批判的ではない。そもそも有権者というものはそういうものだ。私はこのブログの一番最初の記事で「鼓腹撃壌」という故事を引いた。
 名古屋市地域委員会への疑問について | 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!
 名古屋市地域委員会への疑問について。 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0


 「日出而作 日入而息。鑿井而飲 耕田食。帝力何有於我哉」

 (日が出りゃ働いて、日が沈めば休む、水が欲しけりゃ井戸を掘り、田を耕して食を得る。帝の存在など関係ない)

 と65.07%の人々は思っているのだろう。
 減税政策を止めて、中京都構想も棚上げにして、議会と融和を進めた大村県政には不満を持つ人が少なかったということだ。(確かに、ガレキ受入れであるとか、無理な暴走もあったが、結果として大きな問題とならなかった)

 町内会や各種の任意の会合などで、「白紙委任状」がある。だいたい、現執行者に問題が無ければ、大部分、少なくとも過半数は「白紙委任状」が集まって、そういった会合は「シャンシャン」と終るものだ。「白紙委任状」が集まらないとすれば、よほど何か問題があるという事だろう。65.07%の棄権はこういった「白紙委任状」とも言えるだろう。

 しかし、今の日本の社会に本当に問題がないだろうか。
 ありますね、大有りです。それが目に入らず「 いやーベリー苦しいですね」と愚痴をこぼしている無能政治家や、一般の有権者ならそれが目に入らなくても問題ないが、政治を志して「一票」を有権者からもらおうとしているのであれば、この問題と、解決策が見えないのであれば、政治の舞台に上っても意味がないでしょうね。

 それについてはまだ明言したくない。

 ちょっと変わった観点をお示ししたい。

 平成25年の犯罪情勢@警察庁

 「平成25年の犯罪情勢」という資料が警察庁から公表されている。この p.57-58 に平成22年と25年の参議院議員選挙の違反取り締まり件数が示されている。

 これを見ると様々な違反が減少している様子が見て取れる。*1

 昨年末の衆議院議員選挙においても派手な選挙違反は聞かれなかった。
 変な話だが、警察内部でも選挙違反の検挙数が減少傾向にあり「ちょっと焦っている」という話も聞く。これは警察が弱体化したわけでも、政治家や選挙に関わる人々が「上手」になったわけでもない。選挙自体に「熱」が無くなったからではないだろうか。

 こんな声も聴く「前世代の議員は、予算や施策の分捕りあいを演じていた。予算や新しい施策を獲得してくれば地元や支援者、業者などから票や支援金が舞い込んできた。ところが今では予算や施策はほとんど固定化している。逆に予算が削られたり施策が廃止されたり、その説明に地元を回らされる有様だ、こんな事では支援者を確保するのも難しい」

 建設や土木、地方選挙であればこれに造園だの、いまなら医療や介護関係の支援者が駆動したのでしょうが、そういった動きがトンと見られない。パタリと風がやんでしまった。(とはいっても、名古屋市内ではリニアを当て込んで不動産関係で怪しい動きがあちらこちらにありますが)

 つまり、政治に対する(期待する)圧力が弱まっているのだろう。
 それは同時に行政の力が強化されるという事でもある。

 実際に、今回の改選以降目につく国会周辺の傾向はいわゆる「官僚支配」に近いもののようにも見える。それが悪い訳ではない。自民党の党の在り方として、官僚支配の上に神輿として乗っかるという戦略が無かったわけではないし、それが国民に常に悪い結果をもたらしたという事も無い。

 問題は、健全な野党が再構成されて、この盤石な「官僚支配」の構図に対して異議をとなえ、オルタネートを提示できなければ、日本は浮遊したままとんでもないところに連れて行かれかねないということだ。80年ほど前にはこのおかげで、国は亡び東京も名古屋も一面の焼け野原となったのだから。

 一つ、楽観的になれるのは、こういった状況の中で、トマ・ピケティのような人物が出てきて、さらに彼の声がこうやって全世界に広がりつつあることだ。願わくば、彼の真意を汲み取って、彼の言う「50%」の(OWS運動でいう99%の)「利益代表」を自認する人々が野党として立ってくれることだろう。真の反自民の軸はここにあるのだろうし、もたもたしていればこのムーヴメントも自民党に吸収されるだろう。戦後、自民党が一党支配を続けてこれたのはピケティの訴えるこのような政策を自民党自体が進めてきたからだ。






*1:p.112 の知能犯も参考になる