市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

ピケティ「21世紀の資本」からみた財政均衡論の正誤

 本日はピケティの「21世紀の資本」からみた「財政均衡論の正誤」について述べてみたいと思います。

 財政均衡論については、私も均衡論者でした。このブログの過去ログを見ていただけばわかりますが、所々で均衡論的発言をしています。「子どもにツケをまわさない」「行政の無駄を省く」一見耳触りの良い言葉ですが、市政について詳しく見ていくうちに、これらの財政均衡論が如何に間違っているのかが判りました。

 もう少し詳しく言うと、財政均衡論自体には正解も誤解も無いのでしょう。
 現在の日本の社会、この経済状況の中で財政均衡論は正解であるのか、誤っているのか、それを評価した場合に明確に「誤っている」と言えます。

 財政均衡論の反対は財政出動でしょう。

 財政出動は行政機構が借金をする事によって通貨流通を増やし、社会をインフレに誘導する政策です。財政均衡論はその逆に行政機構の歳出を削減し、過剰流動性を抑制して社会に起きたインフレを抑えます。小泉ー竹中改革から民主党政権までの間、日本社会は明らかなデフレ経済下にありました。物価が下がる事は結構な事のように映ったかもしれませんが、それによって企業業績も下落し、リストラや雇用環境の変化が起きました。つまり、縮小した企業収益をやり過ごす為に、労働分配率を下げ、雇用形態も正規雇用から非正規雇用に移行させ、社会保障や様々な手当ても削減されました。結果として国民の可処分所得は減少し、物価が下がる以上に消費が冷え込んだのです。
 さらにこの悪循環は深刻な社会破壊を行いました。
 企業は正規雇用を控え非正規雇用を拡大させましたが、それによって若者は安定的な雇用環境を手に入れることができなくなりました。若者が長期的な人生設計ができない状況に追い込まれる中で、多くの若者が従前の家庭を構成できなくなっています。
 つまり、将来的な見通しの立たない非正規雇用のままでは高額な消費ができません。車が買えません。また結婚をして家庭を持つこと、子どもを産むことにも抵抗があります。

 結婚する若者が減れば住宅需要も減ります。
 家庭や家族も無く、安定的な収入も無いのであれば各種の保険も加入しないままです。

 平均的なサラリーマンの行う人生最大の買い物と言われる3つ。
 自家用車、住宅、保険。

 は現代の非正規雇用の若者にとって非常に距離感のある商品となりました。

 そして、これらの商材を扱っている企業は、売り上げの減少に苦しみ、また正規雇用を解雇し、非正規雇用を雇い入れるという悪循環を拡大させます。

 この悪循環の中で、若者の婚姻は減少し、子どもの出生数も減少していきます。

 つまり、少子高齢化も解消されるどころか、悪化していくわけです。

 縮小均衡のデフレ経済は経済ばかりでなく日本社会そのものも縮小させようとしています。これがデフレ経済が日本社会に残した傷跡です。

追記:
縮小均衡論の罪 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 日本社会はやっと過ちに気が付き、通貨流通を増やすために金融緩和を行い、財政出動を拡大させるという政策を選択しました。これが「アベノミクス」の1本目と2本目の矢です。
 ここまでは正しかった。

 しかし、自民党政権、安倍首相は本当のところを理解していないようです。
 本当であれば3本目の矢でこの過剰流動性を国民の消費につなげなければならない、そうであるなら例えば生活保護費は上げて、公務員給与も引き上げ、民間の労働分配率も引き上げるべきだった。その為には企業に対する法人税は「引き上げ」なくてはいけない。*1
 その他にも、介護や保育関連の助成金や人件費も引き上げ、国民の可処分所得を増やし消費喚起するべきだった。

 ところが安倍政権のやったことは全く逆で、結果として金融政策や財政出動で生み出された過剰流動性は企業の内部留保にたまってしまい、国内経済の中を循環していない。

 これが昨年、GDP速報値がマイナスになった理由だろう。

 国内経済が冷え込む中、さらに消費を減速させる「法人税減税」を行い、非正規雇用を拡大しようという現在の自民党・安倍政権の経済政策は全くの逆コースだ。


 さて、話はかわって。

 この2月10日に名古屋市の2015年度予算案について中日新聞が市民版で詳細に伝えている。その中で特に「借金減少 健全性を維持」と名古屋市の市債残高の減少と公債依存度の低下を肯定的に報じている。

 ・・・これが誤りなんだろうね。

 日本は戦後、定常的にインフレ経済下にあった。池田首相の「所得倍増論」というのも典型的なインフレ政策とも言える。そして時には「狂乱物価」と言われるような急激なインフレも経験してきた。そうした中で債務を縮小することは「健全なこと」であるという固定観念に蝕まれてしまった。

 デフレ経済下にあっては債務が減少する事は「健全なこと」とは言えない。*2

 実は河村名古屋市長もこう述べている。

 経済学的にも、デフレ不況下においては増税財政再建ではなく、減税や財政出動などの景気刺激策が必要です。

政策Q&A | 減税日本

 また、減税日本ゴヤの山田まなさん*3が平成23年12月7日の議会で次のように述べている。

 減税によって企業を誘致し、雇用を創出し、経済の底上げをし、民間に資金を回す。このように、この不景気だからこそ民間活力向上のために行政が財政出動を行って民間経済を回さなければなりません。
 (平成23年12月7日 名古屋市会)


 不思議なことがあるものです。
 河村市長/代表も、山田さんも「財政出動が必要」と言っているのに、その結果として名古屋市の公債が減少する?

 言っている事と真逆な結果になったわけですね。


 一般的に強力な政治家が現れると経済を活性化させようと財政出動や公共事業の拡大を行おうとします。田中角栄など典型的な例ですね。後に田中派を継承した竹下登なども同様。今思うと全く信じられないような話ですが、バブル経済(インフレ経済)の中で歳入が過剰になり、過剰な歳入は将来の為に債務を償還させるべし(そして、過剰流動性を抑制するべし)という意見が沸き起こる中、時の首相竹下登はその資金を各市町村にばら撒いてしまったのです。ヒト呼んで「ふるさと創生一億円事業」
 究極のばら撒き政策、バカ査定と呼ばれたものだ。

 こうした政治家の暴走を止めるのが財務省(旧大蔵省)などの財政当局であって、一般的に大蔵省や日銀においては「インフレを誘発した次官(総裁)は無能」という文化があるようだ。逆に言えば、財務官僚としては政治家の圧力をはねのけて財政的暴走を抑制し、インフレを起こさせない、過剰流動性を許さない者が優秀となる。

 これを名古屋に引き写してみると。

 実は、河村市長は典型的なポピュリスト政治家である事は疑いを容れない。口を開けばSLだの名古屋城の木造化だの1000mタワーだのと。金のかかる事ばかりを口に出して市民の歓心を得ようとしている。こんなポピュリスト政治家が、市民の圧倒的支持を得て市長の座に付けば、アレもやります、コレもやりますと。通常は市の財政がボロボロになるのが通例。

 ここで素晴らしいのが名古屋市の財政幹部だった。

 つまり、経済学的には無理筋/無意味な「河村流減税」に目を付けた。

 いやしくも名古屋市の財政を預かろうという職員が、河村流減税の無効さを知らないわけはない、それでも減税政策の実現に動いた。そして財政当局は河村市長に次のような条件を突きつけたようだ。減税を実現したいのであれば、新たな市債の発行は認められない事、その為減税以外の政策についてはアレもコレもやりますと言わない事と釘を刺した。その為、河村市長が就任して以来、次々と施策は終了させられ、逆に新たな施策も打たれなくなっている。


 市民オンブズマン事務局がこの名古屋市当初予算案の中で「1円も計上されなかった施策一覧」という資料を掲示している。

 平成27年度名古屋市当初予算案で1円も予算計上されなかった一覧 : 市民オンブズマン 事務局日誌

 オンブスマンは「市民税減税で『何ができなかったか』が明らかになっています」と述べられているが、その通り。


 竹下首相の当時は、「ふるさと創生資金」などをばら撒かずに、財政の健全化を図るために、公債を償還しておくべきだったのだろう。インフレ経済であったのだから。しかし、現在のようなデフレ経済においては、積極的な財政運営を行い、こうした施策に対しても予算措置をするべきなのではないのだろうか。

 こうした予算は、市にとっては予算であるだけはなく、それぞれの事業を請け負う業者(名古屋市内の業者)にとっては売上なのであり、収益であり、域内総生産(GRP)を構成する値でもある。

 ピケティは「21世紀の資本」の中で公的債務の問題については1章を割いて検討を加えている。その中で次のように述べている。

 今日のヨーロッパほど巨大な公的債務を大幅に減らすにはどうすればいいだろう?手法は三つあり、それを各種の比率で組み合わせることもできる。資本税、インフレ、緊縮財政だ。民間資本に対する例外的な課税が、最も公正で効率的な解決策だ。それがだめなら、インフレが有効な役割を果たせる。歴史的には、ほとんどの巨大公的債務はインフレで解決されてきた。公正の面でも効率性の面でも最悪の解決策は、緊縮財政を長引かせることだ。(21世紀の資本 p.568)

 よく言われるような公的債務を国民一人一人で割って、「一人当たり幾らの債務」という計算は当たっていない。まったく無意味な計算であって国民の政治的判断を誤らせるプロパガンダ、典型的な詭弁と言っても良い。
 特に、ヨーロッパの現状以上に日本においては内国債でもある。この債務は同一の国内に債権も存在するのだ。
 付言するならば、単なる「富の偏重」であり、アンバランスを現しているに過ぎない。
 
 それは企業と行政という区分けを見た場合、本来行政にあるべき富が企業に偏在していると捉えることができる。

 何より驚かされるのが、ヨーロッパの国富が空前の高い水準にあるということだ。たしかに公的債務の大きさを見れば、純公共財産は実質ゼロなのだが、純民間財産があまりに高すぎて、両者の合計は1世紀前の高い水準になっている。だからこそ、私たちが恥ずかしい債務負担を子孫の代に遺そうとしているとか、ボロをまとい灰をかぶって許しを請うべきだ*4などという発想は、まるっきり筋が通らないのだ。ヨーロッパ諸国がこれほど豊かだったことはない。一方、恥ずべき真実は、この巨額の国富がきわめて不均等に分配されているということだ。民間の富は公的な貧困の上に成り立っているし、これがもたらす特に不幸な結果のひとつは、私たちが高等教育に行う投資よりも債務の利払いに費やすお金のほうが今でははるかに多いということだ。(同書 p.597)

 河村市長の6年間を見てみると、ご自分の発言とは裏腹に見事なまでの緊縮財政である事が分かる。ピケティ氏の判定は「公正の面でも効率性の面でも最悪の解決策」となるのだろう。

 さて、実は上記の山田さんの発言でちょっと気になる事がある。
 彼女はこう述べた「減税によって企業を誘致し、雇用を創出し、経済の底上げをし、民間に資金を回す」

 果たして河村流減税政策は民間に資金を回すことができたのだろうか?
 非常に厳しい疑惑が存在する。

 次回はこの疑惑についてご報告申し上げる。



#851213


*1:法人税引き上げを行えば、企業は課税対象額を縮小しようとするので、課税前に支払われる人件費を引き上げようとする

*2:つまりこの記事を書いた記者は、現下の経済状況を認識しないまま、惰性で記事を書いたということになる

*3:私は市議とは認めていないので、敢えて「さん」付けで呼びますが

*4:引用者注:旧約聖書ヨナ書などに見られるキリスト者的悔い改めの表現