市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

私の危惧は異常な事なのだろうか?

 今日の話はまだ自分でも整理がついていない。
 一部、思い違いがあるかもしれない問題ですが、それも含めて文章にして残そうかと思います。正直言って自分の中で結論には至っていない。

 その前に昨日の文章について電話を貰った。「相当怒っているな」と。それから在特会やら歴史修正主義者などの話になって「ネトウヨ」というものの話になった。

 「ネトウヨ」・・・つまり、現在、インターネット上に蔓延る右翼的言辞を吐くもの。が、なぜ批判されるのか。それはインターネット上のデータをそのまま鵜呑みにして裏取りもろくにせず、現実社会での「常識」やら「法」に照らして評価せず、そうした基準に外れたような「陰謀論」でも易々と信じてしまうから。であるとか、そういったあやふやな話でも個人のブログに載せて、それなりの体裁を整えればあたかも信憑性があるように見えてしまうから。であるとか、さらにそれが余りに多数にわたるから。でるとかといったような話に至った。
 しかし、そういった在り様は「サヨク」であってもあったわけで、例えば現在、インターネット上に広がる玉石混交の「反原発論」とどう違うのか。

 踏み込んで考えてみると、やはり「バカな右翼的言辞」が「ネトウヨ」であって、「ネトウヨ」は「バカな言辞」を広げるからバカにされるのだ。というトートロジーのような結論に至った。
 トートロジーであるならたぶん正しかろう。

 右翼であろうと左翼であろうと、バカな言辞はバカであり、聞くに値する話は聞くに値する。

 サヨクにもウヨクにも「反知性主義」というモノは有る。

 「まあ、難しい話は置いておいて酒でも飲め。国を思う心は同じなんだから」と
 「まあ、難しい話は分からないけど酒でも飲もう。社会を良くしようという意識は変わらないのだから」とは、前者が「国」という言葉を使っているので「国粋主義的」で右翼っぽく、後者が「社会」という言葉を使っているから「社会民主主義的」で左翼っぽいというだけで、思考停止の言葉である事には代わりは無い。

 共通するのは「酒」というアイテムを使って共通認識(または、そのようなモノ)を構築したいと思っているように受け取れるというだけだ。

 実はこうして議論を打ち切る事で本来明確になる両者の「差異」を不明確なままに放置して、あたかも共通認識、共通基盤の上に立っているのだという幻想を共有するのが「一緒に酒を飲む」という行為のひとつの在り方なのだろう。


 ここで急に話は変わる。昨今のテレビ番組というのは「トーク番組」が多い。テレビ番組は様々な意匠で色々な立場の人間を組み合わせて「トーク」を成立させて番組として視聴者に提供している。

 話題としてはファッションやら音楽といった娯楽から、生活情報や政治などを扱ったものもある。

 しかし、こうした「トーク番組」は全て共通の「目的」を持っている事に気が付かされる。それは「視聴者に対して肯定の印象を常に送り続けている」ということである。

 これは「演説」や「文書」などでも同様なのだが、話者は視聴者に対して「肯定の印象」を送り続けなくては「番組」や「演説」は成立しない。話者が視聴者を侮れば、演説の場から聴衆は立ち去って行くし、番組であればチャンネルを替えられてしまう。

 テレビにおけるトーク番組(ラジオでも同じだろう)は、結局のところ一定の視聴者を繋ぎとめておきたいために作られるパッケージだ。それはNHKでも民放でも替わらない。民放であればその視聴者数/視聴率が直接番組の価値に繋がるのだろうし、NHKにおいても一定の視聴者数というものは確保しなければ批判を浴びる。

 すべてのコンテンツ(テレビにおけるトーク番組、ラジオ、演説、それにこのブログなどを含む文章も)は、それを受け止める者に「肯定の印象」を送り続けなければ受け取ってもらえない。(こういった文章などにおいては「誤字脱字」を頻発させるという行為は、読者を侮る行為と受け止められるのだろう)

 そして、恐ろしい事に。トーク番組はパッケージとして「視聴者に肯定の印象」を与えるのであって、出演者自信が視聴者を肯定しているかどうかは保証されない。

 タレント「河村たかし」が番組「TVタックル」でバカな発言をしようが、亡くなった三宅久之さんが適切な「ツッコミ」を行ってコマーシャルにでも切り替われば、それで番組としては成立するのであるし。ある場合には「河村さんの言う事は、公人としての国会議員が衆人監視のテレビの上でいう事じゃないかもしれんが、一つの正論かもしれんな」などと受け止められるかもしれない。(正論が常に実現可能であるか、本当に正しいかはおくにしても)

 つまり、議論を深めない事によって、一定の「深度」で三宅さんなどに切ってもらうことで「タレント河村たかし」は成立していたのだろう。

 大阪の橋下市長も同じだ。

 そういえば、今日もこんな発言があったようだ。

ノルマンディー上陸:連合国軍も仏女性暴行…橋下市長演説

 大阪市橋下徹市長(日本維新の会共同代表)は15日、大阪市内の街頭演説で、第二次世界大戦で米国などの連合国軍がナチス・ドイツ占領下のフランス北西部の海岸で展開したノルマンディー上陸作戦について、「ノルマンディーに上陸して、連合国軍兵はフランス人女性を犯した。これはたまったもんじゃないと慰安施設を造った。これは歴史の事実だ。不幸な過去だし、二度とやってはならない」と述べた。
(略)
毎日新聞 2014年06月15日 21時30分)

http://mainichi.jp/select/news/20140616k0000m040052000c.html

 自身の「慰安婦発言」の迷走を誤魔化そうとして、どんどん踏み込んで行ってもどうしようもないような場所に論点をずらしているように思う。こんな迷走は好きにすればいいが、単なる弁護士が居酒屋で仲間に言うのなら全然問題は無い。タレントがテレビ番組の中で発言するのでも、適切な「ツッコミ」や発言の「温度」が保たれていれば問題は無いだろう。

 しかし、大阪市長という公人が、街頭演説で語る言葉ではないし、別の話題だって幾らでもあった筈だ。こんな問題が街頭演説で扱わなければならないほど、大阪市にとって重大な課題であるとはとても思えない。(歴史修正主義者にとっては重大なんだろうが)


 インターネット上の情報を、そのまま鵜呑みにして信じ込むウヨクを「ネトウヨ」としてバカであると断じた。

 テレビ上の「政治的な言葉」「政治っぽい言葉」を、「政治」と思う人をどう表現すればいいのだろうか。


 テレビの言葉だから信憑性がある。テレビに出ている人の言葉だから本当の話だ。


 そろそろこの「テレビ神話」から離れても良いんじゃない?
 なんだか、カメラで撮影されると魂が抜かれるって話にも似ている。


 さて、ここまでが「前提」

 先日、守山区のスポーツセンターの職員が、あるタレントの家族(子ども)の写真をツイッター上に載せるという事案が発生した。このタレントが写真に気が付き、警察などに知らせた事で、この写真は削除されたようだ。

 タレントの子どもの顔写真をインターネット上に載せるという行為は非常に危険な犯罪を誘発する恐れもあるため、こうした行為は厳に慎まなければならない。特に、公的施設に勤める人々にはこういった利用者のプライバシーに対する配慮が必要な事は当然な話だ。

 この事案を受けて守山スポーツセンターは館長名で「お詫び」を表明した。

 当施設の職員によるツイッターへの不適切な書き込みについてのお詫び | 最新情報・お知らせ | 守山スポーツセンター

 各メディアの扱い
 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014060390193352.html
 http://www.asahi.com/articles/ASG6456R5G64OIPE019.html
 http://xn―n8j3a4dxap8m.gaasuu.com/entry/114431


 さて、そのタレントさんのツイッターを、私はフォローしているのだけれども、その方が本日流されたツイッターがこれだ。(一部画像修正してあります)

 彼女の子どもの写真は削除された、謝罪も受けたようだ。なら、それで問題は終わりなのだろうか?

 彼女(とその家族)が受けた問題は確かに問題だが、その問題が起こる背景というのは問題無いのだろうか?私には名古屋市営バスの不祥事と同根の問題があるのではと思えてしまう。

 更に言うと。河村市長には、自身の管理すべきリコール署名簿の流出、流用という問題が放置されたままになっている。

 政治目的だから「個人情報保護法の義務が適応されない」と、流用し、流失させ、さらに調査して「減税日本の市議、県議は持っていない」と明言したのちに、中村孝道市議の事務所からリコール署名簿と、受任者ハガキが出てきた。調査は正当にされたのか?事実はまったく管理されていなかったのだ。

 河村市長の個人情報に対する認識の低さ、プライバシーに対する配慮の甘さが、こういった職員の行動に影響を与えたとは言えないのだろうか?

 自身の問題が解決したという事で由とするのだろうか?

 リコール署名簿の流出被害を受けた市民が居る(現に私の手元にも、この流出騒ぎの時に手に入れた4万人以上の名簿がある)

 これに対して減税日本、河村代表は何もしていない。
 もう一度言う、何もしていない。(つまり、回収要請も私自身、受けていない)

 "リコール署名簿流出について"

 この減税日本が提示した文書には被害者に対するケア、謝罪すら一切ない。
 「道義的問題は生じると考える」が、自分たちは何もしていない。

 河村代表は「自分たちも被害者だ」とまで言っていた。

 人間として疑う - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
 誰かが嘘を言っている。または全員が。 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

 もう一度確認したい。

 このタレントさんにとって、ご自分やご家族に降りかかった問題は確かに問題だった。けれど、その最終的な責任者はいったい誰であったのか。そして、その人物のこうした問題に対する認識に問題は無いのか。社会的に許容される範囲なのか。それは質されなければならないのではないのか?

 そして、その人物が唱導して行われた行為によって、4万人以上の人々の個人情報が流出、流用されたという事実をどう受け止めるのだろうか?

 それをこうやって放置したままの人物と、こうして「仲良く」写真に納まる事ができる。
 この神経が私には判らない。

 この方にとってお子さんのプライバシーが侵されたことが深刻な問題であるように、私にとっては同じ名古屋市の住民4万人以上の(あるいは不明ながら46万5千人すべての)個人情報が流出した事実は、とても放置する事が出来ない深刻な事態であると考える。

 この私の危惧は異常な事なのだろうか?

追記:かといって、このタレントさんを責める事はできないと思っている。
彼女はタレントなのであって、公人でも無い訳だから。

つまり、彼女に過剰に期待するという事は、上記で私が述べた「テレビに出ているヒト」に対する誤った信頼を、私自身がしてしまうという事なのだろうから。



河村市政の裏表

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