市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

河村氏から人が離れていく理由

 ある職員が最近、記者から「しかし、なぜ名古屋市の職員の方はそこまで直接河村市長の批判ができるんですかね?」と聞かれたそうだ。
 その職員は思わず市長批判が過ぎたのだろうかと心配になったが、その記者は他の職員と話をしていても市長に対する信頼感や求心力を感じないと思っていたらしく、機会が有ったら聞こうとしていたようだ。

 職員から市長になったのであればまだしも、一般の政治家が市長となれば一年や二年は「他人行儀」な扱いをされる。しかし一期四年も勤めれば庁舎内の人脈も掌中に入れ、二期六年目ともなれば絶大な力を持っていてもおかしくない。

 ところが名古屋市の職員はそのほとんどが河村市長にそっぽを向いている。
 「そっぽを向いていない職員は二つに分かれるでしょうね、市長と全く関わっていないか、慇懃に対応して完全に嘗めているんですよ」

 河村氏に経営能力が無い事は彼の個人政党「減税日本」の体たらくを見てみれば一目瞭然だ。減税日本の政策実現能力だとか、政策発信力を言っているのではない。そんなものはどこを探したって出てこない。その逆の不祥事の続発などという話をしている訳でもない。減税日本の経営のいい加減さは、HPや運営を見ていれば判る。今年になってやっと「党の総会」を開催したが、それは河村代表自身の任期が既に切れていたからで、それも最初は資金集めパーティーの前に形式だけやろうとしていたらしい。

 それでもまだ漏れている。本来毎年行われるべき会計報告はろくに行われていない。

 公約である政務調査費の公開もやっと行われているけれども、果たして更新されるのだろうか?


 こうした「コツコツとした地道な努力」といった言葉は河村氏からはいちばん遠い言葉といってよいだろう。



 こうした中で部下が実績を上げれば、河村氏はすべて「自分の手柄」として吸い上げてしまう。

 最初の例が「水道料金の値下げ」だろうか。

 2009年、第一期の市長就任直後に水道局が黒字と知るやすぐに値下げに踏み切った。これはそれまで議会から長年要請されていた事で、名古屋市上下水道局が真面目に業務に取り組んできた成果に他ならない。

 するとどうだ。河村市長はさも自分の手柄のように喧伝し始めた。

 この件で「河村たかし」という人物がおおよそ判った職員は多い。

 最近でも口利き疑惑に関連した職員に対する扱いや敬老パスの負担金問題について、あたかも職員の責任で問題が起こったように説明する河村市長の姿を見て、今更ながら宮仕えの難しさを感じている職員は多いだろう。

 かのドラマ「半沢直樹」で有名になった「部下の手柄は上司のもの、上司の失敗は部下の責任」という言葉を、恥ずかしげもなく如実に見せつけられると、恐ろしいとか悲しいを通り越して「呆れる」以外ない。そして「近づかないのが一番」という事になるのは当然だ。

 こうして名古屋市長としての河村市長からも、減税日本の党首としての河村代表からもヒトは離れていく。


 当ブログでは河村氏のようなタレント政治家は基礎自治体の首長をやったら「バレる」と指摘した。それは大阪の橋下市長を見ていても良く判る。県や府、都などの知事という中間自治体の長と、基礎自治体である市、それも政令指定都市の市長とでは職務の幅が違いすぎる。今までタレント政治家が中間自治体の長をやって、曲がりなりにも成立したのはこの相違が大きかったのだろう。

 河村氏も橋下氏も、呆れた事にこの相違すら判っていなかったという事になるだろう。

 そんな(政治に疎い)人物が首長をやってまともに自治体経営ができるわけがない。


 例えば東京都知事を続けた石原慎太郎。彼も単なるタレント議員でしかない。

 銀行に対する外形標準課税やら新銀行東京の経営、都立大学の改変等様々な問題を巻き起こしたが、結果として「神輿に乗り続ける」事が出来た。それは失敗した部下を庇い続けたからだとも言われている。更に、政権に対して隠然たる力、パイプを持っていたからかもしれない。

 それに比較すると、河村氏が誰かを庇ったという事を聞いたことが無い。

 河村氏の下でトラブルを起こせば即座に「切られる」。これは減税日本ゴヤの団長を務めていた則竹元市議が一番の例だろう。それ以降、ちょっとした不祥事でも自分に類が及ばないように「切る」事はしても庇ったなどという事例はない。(逆に、「切る」ことすら自分でできないために「切ろう」とした人間に「居座られた」という事例はある。これは「庇った」とは言えないだろう)


 河村氏には突破力が無い。

 タレント政治家の強みは「人気」英語で言えば「ポピュラリティ」だ。

 これがあるからタレント首長は少々強引な政策でも実現にこぎつける事ができる。
 東京における都立大学の改革など、確かに石原でなければ成立しなかっただろう。(しかし、それが正しかったかは全く疑問だが)

 この突破力の源泉はもう一つある。やはり「中央」「政権」とのパイプだ。

 元々民主党政権の時代に、名古屋市の首長になって、この時にはソコソコ職員も期待したのだろうと思う。民主党政権に太いコネクションがある首長が名古屋市に居れば、名古屋から中央に様々な政策提案が可能かもしれなかった。

 しかし、実態は・・・・。


 減税政策については総務省と共同歩調を取れた。野党となった自民党からの追求もかわせた。しかしここまで。それ以降、数々の中央官庁との要折衝案件があるものも、何も進んでいない(例えば、金シャチ横丁、国際戦略港湾の選定)


 河村市長は民主党を飛び出して減税日本を作り上げた、民主党とのパイプはろくに残っていない。自民党とのパイプも甚だ怪しい。

 つまりポピュリスト政治家としても「利用価値ゼロ」が現在の河村市長だ。


 トップマネジメントを取ろうとするのであれば、その目指す先を指し示す事が出来なければならないだろう。その目指す先が魅力的で、皆で協働して作り上げていこうという「希望」を職員に与えることができれば職員は前を向こうという気持ちにもなる。

 そして、トップが率先垂範して働き、決定し、責任を取ろうとするならば、手を貸そうという気持ちにもなるかもしれない。(この先は教えてあげない)


 古典にはこういった組織運営に利する様々な教えがあるのだけれど、受験秀才でしかない河村氏には理解できないのだろうね。それで結構ですが。


 部下に責任を押し付けて「切る」
 そのくせ部下の成果を奪い、己のものとして喧伝する

 他人の言う事に耳を貸さない
 排除の論理に立ち、意を異とする者を受け入れることができない

 働かない
 言い訳を口にする・・・(責任を受け入れる自己確信が無い)
 思い付きで動く・・・(これも自己確信の不足だ)
 都合の悪い事は忘れる
 酒に逃げる

 敗北を認めない
 敗北の原因を追究しない
 同じ敗北を繰り返す

 行動の軸、プリンシプルを持っていない
 行動に、人生に軸が無いので人間としての魅力に欠ける
 (タレント、有名人としての魅力があるだけ、10分もすれば化けの皮は剥がれる
 そして人間としての深みが無いので二度と会おうとも思わない)

 自己の反省が無いので同じ言葉を繰り返す
  ここでも人間としての魅力が無い。

 名古屋市、2万5千人のトップに、こんな人物が就いていれば、そりゃ職員から否定されても仕方がないのでは?

 更に近々、河村氏の元から人が流れ出すらしいけれども。
 仕方がないよね。身から出た錆だから。



河村市政の裏表

河村市政の裏表