石原慎太郎を見ていると、日本の政治家が底なしの劣化をしている事を感じずには居られない。また、これが芥川賞を受賞したからといって、作家というものはその「品質」を維持できるものではない事も証明しているようで悲しくもなる。
つまりは「麒麟も老いては駑馬に劣る」と言うべきか。他人と真っ当な議論をしないまま、あたかも裸の王様のように長い時間を過ごすと、人間は内省の機会を失い、バカな事を平気で言うようになってしまうのだろうかと恐ろしくもなる。
石原慎太郎の行跡を見ていると、三島由紀夫との論争が最後の機会だったように思われる。文化論を戦わそうという三島に対して、石原は低劣な実態政治に即した*1、腰の引けた発言に終始し、結果として三島は石原に深い失望を投げている。それでも絶交を言ったのは石原だったのではなかっただろうか。その石原が今更になって三島との交友をひけらかす姿は醜悪ですらある。
あの「俺は、君のためにこそ死にいく」という異様な映画の「企画意図」における石原の文章は、すでに作家としてのレベルも維持していなければ、そもそも日本語 ――論理的な言葉や思考の連なりとしての日本語―― も成り立っているとは言い難いものだった。
"俺は、君のためにこそ死ににいく (web.archive.org)"
政治家として、作家として、頑迷で蒙昧な石原慎太郎の姿を見ていると、伊庭貞剛の「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈である」という金言の重さを知る。
まったく、石原の今の姿は老醜以外のなにものでもない。
また、こうした人物の「真贋」を見抜けずに付いて行こうとする人間が少なからずいる事がさもしく悲しい。いくら「利用価値」があろうとも、こういった人物の存在自体が、国家を危うくするという事が判らないのだろうか。
その石原慎太郎が今度は「日本維新の会」を割って、「真正保守」の新党を結成するという。
「新しい保守」と来た。
もう、この言葉を聞いただけで充分じゃないか。「新しい保守」
まったく、石原慎太郎という人物は「鳥肌実」などと大差ない、「笑える芸人」でしかない。
石原慎太郎の妄言を真に受けていると、日本の文化はどんどん低劣化していく。
「新しい保守」・・・・余りに面白い。
この新党結成の際の発言として石原は「孔子の言葉を引いた」とされている。
「江戸の武士たちが信奉した陽明学、孔子の説いた"志を実行しなくては「仁」は成就できない"」
孔子が「志を実行しなくては『仁』は成就できない 」等と言うだろうか?こんな言葉があるか調べてみた。
やはりなかった。
もう少し正確に石原の発言を引いてみると次のようであったらしい。
私もですね、平沼さんも、かつての吉田松陰や大塩平八郎の様にですね、熱烈な陽明学者、陽明学の信徒ではありませんけども、しかしあの陽明学の説いてるですね、自分の志を遂げるためには、ある場合ですね、自分のその身に降りかかってくる不利・不幸というものをですね、あえて享受しながらでも、行動を起こさない人間は、その人間として、孔子の言ったですね、人間の最後の徳である仁というものをですね、非常に体現できないということを言ってますけども。
http://okos.biz/politics/ishiharashintaro20140529/
まず前提として孔子は「述べて作らず」と言っている。孔子は古*4の事績を語る(述べる)のみで、自らの考えは「作らない」これが孔子の教えた儒教の考え方/態度で、言ってみれば「真正」な「保守」の在り方だ。(すでに石原はここから外れている事は明白だろう)
次に孔子が「仁の成就の方法」を述べるなど聞いたことが無い。
「仁」はそのように定義できるものでは無い筈で、孔子であれ陽明学であれ、その前段階の朱子学であれ、そのような「お手軽な方法」が書かれているとは思えない。
石原は余程浅学な「陽明学」を学んだとみえる。
次に「陽明学」では「知行合一」という考え方を持っている。
これは朱子学の説く「知先行後」に対する王陽明の考えであって、行は必ず知(良知)と不可分のものであって、これが分断されるとすればそこに「私欲」があるからだとする考え方だ。これを日本では「実践重視」と早とちりする人々が跡を絶たないのだが、それこそ陽明学の初等的な誤読といえる。
石原は見事にこの「誤読」に踏み込んでいる。
こういった誤り、ハッキリ言って「知ったかぶり」を振り回して、他人を煙にまくのは良い。老人が若者たちにからかい半分、いい加減な事を言うのはご隠居の暇つぶしだ。幾らでも許そう。しかし公人として、今、政党を一つでっち上げて、この国の行く末をどうこうしようというのだからちゃんと検証しなければならない。
(こんないい加減でアホらしい考え方で新党を作って、まともに機能すると思いか?)
そして、検証して、誤りであれば誤りと書かなければならない。
誤りを語る石原慎太郎もアホだが、それを囲んで一人前の面をしている面々も大概に バカ面を晒している事になる。是非、歴史に刻んでいただきたい。
そして、その誤りを誤りと報道できない、指摘できない日本の記者のレベルも知れたものだ。
日本の知的レベルというものは、いったいどこまで下がるのだろうか。
「行動を起こさない人間は、その人間として、孔子の言ったですね、人間の最後の徳である仁というものをですね、非常に体現できない」
石原慎太郎に必要な「行動」とは潔く身を引く事であって、伊庭貞剛の「事業の進歩発展に最も害するものは、青年の過失ではなく、老人の跋扈である」という金言を今一度噛みしめる事である。
- 作者: 月刊東海財界
- 出版社/メーカー: 東海財界出版
- 発売日: 2014/05/16
- メディア: 新書
- この商品を含むブログ (19件) を見る