市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

減税解党

 枕もとの携帯電話が鳴った。寝ぼけたまま電話を取ると着信ボタンを押した。目はまだ瞑ったまま。窓の外はまだ暗い。電話がつながると第一声が。
「どういうことだ」切迫した声だった。
サッパリ要領を得ない。新聞を見ろというので冷えた玄関まで出て新聞を拾い上げた。
一面のタイトルが目に飛び込んできて一気に目が覚めた「減税解党・連携 維新に提案」

 今朝の中日新聞一面で伝えられた「減税日本の解党」これについて読み解く前に、この報道に少々クレームを付けたいと思う。

 こちらに同記事のインターネット版が掲載されている。
 http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014010990085535.html

 問題は次の部分だ。

 減税日本は、河村氏が市長選に初当選した1年後の2010年4月に発足。11年3月の名古屋市議会解散請求(リコール)に伴う市議選では最大会派となる28人が当選した。これまでに河村代表が掲げた市民税減税、議員報酬半減、市民が税金の使途の一部を決める「地域委員会」の創設の三大公約は大筋で実現してきた。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014010990085535.html

 この記述は本当だろうか?

 地域委員会は現在第二次試行が行われている。本来、全区に拡大する筈だった二次試行では、一次試行よりも少ない実施数となっている。更に、河村氏が必須としている「選挙による地域委員の選任」は二次試行において全地区で否定され実施されていない。
 つまり、地域委員会については「大筋で実現した」などとは言えるものではなく、まったくの失政だったと言う以外にない。学区連協、区政協力委員制度、地域自治の担い手問題において、各地で深刻な事態も起きている中、この4年以上にわたる政策の足踏み、寄り道はまったくの無駄だったと結論付けるべきではないのか。

 そして、看板政策の「減税」についても、実施されているのは「市民税の5%」だけであって、大村知事との共通公約としての「市民税、県民税の10%減税」とは程遠い。
市民税の減税実施率として半分、50%。更に市民税、県民税としてみると、25%の進捗という事ではないのか。
 それよりなにより。
 そもそも減税政策は本当に正しかったのか?
 河村市長が言うように「正しい経済政策」という経済学的根拠がない。
 逆に、数理的に算出してみると、歳出を削減しての減税というのは、その経済圏域にプラスに働く道理がない。(市の行ったシミュレーションは人口の自然増を前提としている)
 そして何より、名古屋市において5%減税が実現化したのちに、公約である10%減税実施に向けて、河村市長が主導して何か行政改革が行われたのだろうか?
 名古屋市において行政事務、予算削減が行われたという話を聞いていない。
 そもそも名古屋市当局内にあった「市民税10%減税検討プロジェクトチーム」自体がすでに解散している。

 つまり、とおの昔に河村市長自身は「市民税減税10%」など実施する意思すら無くしているのが実情だ。

 このような現状を踏まえて「三大公約は大筋で実現してきた」というのは大甘の評価というよりも、もう「嘘」「誤報」の類なのではないのか?

 そして、近々当ブログで取り上げる予定でいるが、名古屋市会における議員報酬半減についても、河村市長や減税日本が実現化したとは言い難い。敢えて言うなら、減税日本ゴヤをいち早く見限った「新政会」のメンバーによって実現化したものであって、河村市長や減税日本ゴヤ自体は議員報酬半減を潰そうとしていた。実現に抵抗したのが河村市長だった。

 さて、河村市長にとって三大公約など露ほどの未練も思い入れもない事でしょう。
 もちろん、名古屋市民の福祉の向上や、名古屋市政の発展も頭の片隅にもない。

 減税日本という政党についても、河村氏自身のプラスになるのであれば意味もあるのでしょうが、すでに重荷以外の何物でもない。

 河村市長という人物はこういう人だ。

 つい最近も、自分に長い間秘書として仕え、その後後継の国会議員秘書として働いてきた人物が、その後継議員の落選によって職を失っても、助けてやることすらできなかった。

 東京事務所の職員から訴えられたという件においても。

 当時の減税日本所属の国会議員がこの職員を秘書として雇い、減税日本東京事務所の業務をさせようかという提案を河村氏自身が蹴って、減税日本が党として雇い入れるという話だったはずが。それ以降「面倒をみない」状態が続いて今日の事態になったようだ。

 つまり、この職員の生活や身の振り方を考えるなら、提案を蹴った責任があるだろう。
 人の上に立ち、指図をしようという人物であれば、その自分についてきた人間の身の振り方を、自分の身の振り方よりも優先して考える責任があるだろう。それが人の上に立つ者の矜持だろうに、そんな文化は河村たかしには一切ない。

 まことに新自由主義的、弱肉強食、自由競争、市場原理主義ということなのだろうか。*1

 こういった部下たちについても「自己責任」だとでもヌカスのだろうか。
 反吐が出る。

 結局のところ、選挙の。それも自分の選挙の事しか考えていない。

 「総理になる男」

 古臭い「立身出世」を妄想のように抱いているだけではないか。

 総理になるのは結構だ、では、総理になって何がしたいのか?

 千メートルタワーでも建てるのか?
 それとも、総理なら、東海道本線にSL を走らせるのだろうか。

 今の状態を逆算して考えるに、河村たかしという人物は、その行動のすべてが、自分の「猟官運動」であったと理解できる。「猟官運動」として選挙を行い、「猟官運動」として様々な問題にコミットし、騒ぎ立てていただけではないか。(そして、解決に導いたという話は聞かない)

 河村たかしを市長にして、名古屋の街に何か一つでもプラスになるものがあったか?
 名古屋の市民にプラスになることがあっただろうか?

 何も無い!*2

 新自由主義、弱肉強食、自由競争、市場原理主義。そして自己責任論。

 ヒトを使い勝手だけで利用し、使い捨てにする事に今の日本は鈍感になりすぎている。

 良いだろう、捨て石になることもあるだろう。家族のため、会社や仲間のため、社会のため、或は国のため。ヒトは捨て石になる事もある。しかし、そういった人間の心を利用し、私利私欲を追及する者も常にいる。いい加減に目を覚ませ。


 ヒトを助くるものが、また自分も助かる。
 ヒトを使い捨てにするものは、自分も使い捨てにされる。


 この報道に戻り、維新の松井氏の発言に注目したい。
 報道ではこう語ったとされる。

 松井知事らは、維新への合流を視野に河村氏に党副代表就任を打診。

http://www.chunichi.co.jp/s/article/2014010990085535.html

 「共同代表」ではなく「副代表」だ。完全に減税日本の維新の会への吸収合併だろう。

 維新の会のような新自由主義的な政策は都市部でしか受けない。
 東京においては石原慎太郎という後ろ盾を得たつもりが、猪瀬元知事の金銭授受問題で先行きが不透明となった。
 名古屋においては減税日本などとの第三極の乱立でなかなか議席を得られずにいる。

 ここで河村氏を「副代表」という「窓際」に押し込めることができれば、維新の会は河村氏の得票を得つつ、自派の基盤を作ることができる。

 こう考えたのだろうか。


 私は3:7ぐらいでこの提案は成立しないと考えている。
 3割程度は提案が成立するとしたのは、それほど河村氏の基盤が弱体化し、「副代表」としてでも維新の会に縋り付いて、国政復帰するという可能性にかけるかも知れないからだ。

 もしこの提案が成立するなら、民主党を抜け、一人会派「名古屋維新の会」である山本久樹市議と減税日本ゴヤは合併することになるのだろう。(山本保父のジョークが本当になる)

 さて、そうなった場合。現在の減税日本ゴヤの市議の内、何人が「名古屋維新の会」から公認が得られるだろうか。

 東区の近藤
 北区の田山
 西区の鹿島
 守山区の松山
 昭和区の大村
 天白区の鈴木
 中川区の林
 (掲載されていない区は別の候補が公認を得る可能性がある。
  南区、名東区、中村区は維新の候補がいるようだ。
  また、新代表である余語市議は緑区だ。このままでは山本代表とバッティングする)

 ちなみに、維新の会で公認を得ようとすれば、公認料(広報費用)が必要とされるかもしれない。衆議院議員選挙においてはその額は100万円だったそうだ。

 名古屋市会の場合は、市議報酬が半額になっているので少しは考慮されるのだろうか。


 もう一度言う。

 ヒトを助くるものが、また自分も助かる。
 ヒトを使い捨てにするものは、自分も使い捨てにされる。

 政治とは本来、ヒトを助くるモノであった筈だ。
 万民の為にあるのが政治家であったはずだ。

 それが故に尊敬を集め、権威もあったのだろう。

 しかし、今はその形骸化した権威と、少々の碌の為に「人生に行き詰った者たちの一発逆転」の場に利用されてしまっている。それが、河村流「政治」の(利己主義的)利用法である。

 そして、このように有権者を利用し、市民を利用し、支援者を利用し、スタッフを利用して使い捨てにしてきた人物が、いよいよ自分も使い捨てにされる時が来た。

 維新の会にとっては、その知名度、得票数だけが欲しいのだ。
 減税政策も、地域委員会も、名古屋市民の福祉の向上や、待機児童を抱えた家族の困難。被虐待児童の悲鳴、孤立するお年寄りの落胆。

 そんなものはな〜んにも関係がないのだ!

 こんなゴリゴリの利己主義者どもに、いったいいつまで騙され続けなければならないのか。



追記:
 本文中に記載できなかったが。
 河村市長は6日の年頭記者会見で次のように述べている。

 市長と議会両方選ぶなら、議会はやっぱり無党派なんですよ。制度上の未整備なんですよ。私は議会人で長いことやってきたから、議会が強いのはいいんですよ、市民代表だから。非常にええことなんです。
 だけど、ある時会派組んで、がーっと、3分の2、4分の3あったら、(地方自治体の首長は)何とも出来ない。解散権もない。今後の日本の課題ですよ、地方自治における。

http://www.asahi.com/articles/CMTW1401062400002.html

 ちなみに地方自治体の首長には「専権事項」がある。何もできないわけではない。
 河村市長の場合は「やらない」だけ、「やってない」だけだ。

 そして、6日の記者会見でこうやって「無党派」と述べている、その舌の根も乾かぬうちに、「維新の会との連携を模索する」という「党派活動」をしている。

 あまりにも子どもじみている。あまりにも歴然とした嘘、堂々とした嘘で呆れ返る以外にない。

 そして、そもそも政治哲学がない。

 ねえ、地方議会は無党派であるべきなのか?
 それとも、党派工作をして連携すべきなのか?

 いったい何が地方自治における日本の課題なのだろうか?

こういう言葉を
「口からので・ま・か・せ」という。


*1:あの「半沢直樹」で言うところの「部下の手柄は上司のもの!上司の失敗は部下の責任!」という事でしょうね

*2:河村たかしも無責任なら、この実態の無い「テレビ芸人」を市長に担ぎ上げた支援者も無責任だ。歴史的な名古屋の恥である市長を生み出したのは、この「テレビ芸人」河村たかしを市長に推した無責任な市民だ。