市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

3+1の課題の整理

 河村市長には現在、市政関連で3つ。そして別に1つ課題がある。
 それらについて整理していく。

 前者の名古屋市政関連の課題は、名古屋市当局の巻き起こした問題ではない、あくまで河村市長自身の「身から出た錆」であり「広げた風呂敷をたためるか」という問題でしかない。
 これらの問題から見えてくるのは河村市長の実像だ。

1.市政関連の課題3つ
    1−1.弥富相生山
    1−2.市民税減税
    1−3.敬老パス

2.その他の課題1つ
    2−1.(Concealment)

1−1.弥富相生山

 前回のエントリーで述べたように3月18日の土木交通委員会に名古屋市として最終的な回答を寄せるとしている。

 中日新聞が3月15日の朝刊で乗せた記事が左のイメージとなる。

 河村市長は「住民投票」によって、住民の選択で工事中止か再開かを決定してほしいという意向であったようだが、住民の中にはその「住民投票」そのものに反対する人々もいる。また、そもそも工事中止か再開かは名古屋市の所管すべき事柄であって、名古屋市の最終的な意思決定は市長である河村市長にしかできない。

 その市長の判断を住民投票に求めるという事は、決定にまつわる責任までも住民に求めるという事でありそれはあまりにも市長として無責任だ。

 また、今議会で判ったように、工事中止の際にも多額の費用が発生する。こういった情報についてはまだ地域住民には知らされていない。情報が知らされないまま「高度な責任ある判断を」求める姿勢はあまりにアンバランスではないだろうか。

 結果として住民の意思を聞く事は良い、意向を確認する事は良いが最終的な判断は市長の責任で決定する事となった。(それにしても「市長の責任」という言葉には異常なまでに反発を見せていたが)

 中日新聞の記事による要約を利用させてもらうと。
 「住民の意思を確認する手法は誰の責任で選択するのか」という委員からの質問に対して「市長、副市長、区長、所管の緑政土木局長ぐらいで責任をもって決めるべきだ」と河村市長が述べた事になっている。

 これはこの4者が工事の中止、再開について「責任を持って決める」という事ではなく、(言葉の通り)「住民の意思を確認する手法の選択」について「責任を持って決める」主体は誰かという事である。

 くどいようだが最終的に、工事中止、再開、どちらに決まるにせよ決定権者は市長である河村市長でありその責任者も河村市長一人である。
地方自治法の仕組みとはこれであり、副市長、区長、局長といえどもあくまで市長の補助機関でしかない。法的には決定権者にも責任者にもなれないのだ。法153)

1−2.市民税減税

 こちらはマスコミなどにも取り上げられてはいない。
 ただ、河村市長、減税日本の「一丁目一番地」の政策なのだろうから、本来は最優先事項の筈だが、その減税日本から声が上がらない事が不思議だ。

 左にお示しした表をご覧いただきたい。(イメージ上でクリックすると拡大して見られます)

 「市民税減税検討プロジェクトチームの開催状況と今後の予定」とされた表だが。本来は「市民税10%減税検討プロジェクトチーム」であったはずだ。いつのまにか「10%」という数字が消えている。そしてプロジェクトチーム自体も消えたようだ。

 平成23年8月の開催以降開かれていない。

 そして驚くことに「5%」から「10%」への減税率引き上げ、つまり「河村市長の公約実現の為の取組み」といったものが全く伺えない。という事だ。

 次期総合計画タウンミーティングなどでも指摘しておいたが、名古屋市の「市民税10%減税検討プロジェクトチーム」はすでに解散している。(この表に示された今後開催されるプロジェクトチームは「10%減税」はテーマにしていないようだ、もし税率を替えるのであればその前提となる「行財政改革の取組と課題の検討」が必要となるだろう。そしてそれは平成21年の6月以来行われていない)


 これほど明白な「嘘の露呈」は無いのではないだろうか。(開かれた名古屋市会バンザイ)

 河村(隆男)たかしは、市民税10%減税について、その実現を考えてなどいない。

 少なくともこの2年ほどは、何もやっていない。

 市民に約束した公約などどうでも良いと考えている。

 これが河村たかし名古屋市長の実像に他ならない。

 減税によるプライスキャップで行革?
 市民に可処分所得を?
 税金をたくさん納めてくれた人に感謝を?

 すべて口から出まかせの嘘でしかない。

 そして減税日本ゴヤの市議は、これに気が付いていないのであればよほどの愚鈍か無能だろう。市議の職を続けるような能力があるとは思えない。

 もし、これに気が付いていて、それでもまだ「減税日本」などという恥も外聞もない、そうズバリ「嘘」を党名に掲げているのであれば、こんな人間として誠意のない態度というものもないだろう。
【Seepa】冨田ひでとし事務所/市議会議員/社会福祉サービス
 下の方に小さく「市民税5%減税の恒久化! 」と書いているね。

 
 こうやって名古屋市当局の中で、「市民税10%減税」の実現など何処も模索していない。誰も考えていない。それでいて市民になお「市民税10%減税に向けて努力していきます」とか語るのだろうか?(死んだあと、地獄で閻魔様に舌を抜かれるがいい)

 そもそも「減税日本ゴヤ」が減税について何か効果的な活動をしたという試しはないのだけれどね。

偽善者は素晴らしい約束をする、
   約束を守る気がないからである。
 それには費用も掛からず、
   想像力以外の何の苦労も要らない。

   エドマンド・バーグ

1−3.敬老パス

 敬老パスについて整理しておこう。
 名古屋市は65歳以上の高齢者を対象に「敬老パス」を発行している。
 名古屋市:敬老パスの交付(暮らしの情報)

 行政の内部的に見るとこういった制度になっている。
 http://www.city.nagoya.jp/somu/cmsfiles/contents/0000028/28399/1-12keiropasunokoufu.pdf

 多年にわたり社会の進展に寄与してきた高齢者に対して敬老パスを交付することにより、高齢者の社会参加を支援し、もって高齢者の福祉の増進を図ります。

 市営交通機関等に無料で乗車できる敬老パスを交付することは、高齢者の社会参加を促進する有効なものであり、生きがいづくりや健康の維持につながることが期待できます。

 まことにごもっとも、全く異論はない。

 ところが課題が無いわけではない。

 交付枚数が制度を開始した昭和48年度の約12万枚から、平成22年度には、約30万枚にまで増加している。今後も団塊の世代が65歳以上となることにより、5年後には高齢者人口が約7万人増加すると推計されている。将来の財政負担の増大が見込まれることから、持続可能な制度となるよう、あり方を検討すべき。

 名古屋市の敬老パスは実績ベースの負担となっている。
 敬老パスの料金は交通局が目を瞑ったり、「おごって」いるわけではなく、利用実績に応じて健康福祉局(名古屋市本体)が交通局に負担金として支払っている。

 団塊の世代が65歳以上となり、敬老パスの対象年齢になれば利用実績も拡大することは容易に予想が立つ。その為に対象年齢になれば無条件で交付していた敬老パスを一定の自己負担金を出してもらう事で、利用意思の無い人を選別し利用対象者を減らしてきた。

 そして、今回、この自己負担金を増額(倍増)する事で選別の網を小さくするつもりでいたようだ(また、交付対象年齢も課題に上っているようだ。現在名古屋のように65歳から敬老パスを交付している自治体は、政令指定都市では堺市だけであり他は70歳としているところが多い。名古屋市においても70歳に交付対象年齢を引き上げるという議論もあったが今回は見送られた)

 ところがこの自己負担金の改正については議会に打診された段階で突然撤回された。

 河村市長が「聞いていない、自己負担金は据え置く」と突然言いだしたからだ。


 この「自己負担金」の問題も中々興味深いものがあるがここは一旦置いておく。

 しかしこの予算で河村市長はトンデモない事をやってきた。

 上でも述べたように敬老パスの料金は市バスや地下鉄、交通局が「目をつむって おごって」いるわけではない。敬老パスで乗車した利用者数をカウントして実績を健康福祉局に請求している。つまり、名古屋市の負担によって成立しているのが敬老パスだ。(当たり前と言えばあまりに当たり前だが)

 健康福祉局は敬老パス事業を行うに当たっては、この交通局への負担金を予算として計上しなければならない。これも行政のルールとして当たり前の事だ。

 現在行われている2月定例会。一般には予算議会とも言われているが、この予算の中で敬老パス事業に幾らの予算が必要となるかが図られている。これが「予算編成」とその審査というものなのだろうけど、当然、この「予算編成」は適当にやっていいわけがない。誰もが納得できる「合理的基準」が必要となる。また、法律でそう定められている。

(予算の編成)
第三条  地方公共団体は、法令の定めるところに従い、且つ、合理的な基準によりその経費を算定し、これを予算に計上しなければならない。

http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S23/S23HO109.html

 読んでいる方々は「何を当たり前の事を延々と書いているんだ」と思われるだろう。
 私も自分で書いていて、バカバカしくなる。

 河村市長は毎年行われているこの交通局に支払われる健康福祉局の負担金の算出について、利用実績から算出した概算要求額を据え置くとした。つまり、平成26年度概算要求額については、25年の概算額をそのまま据え置くべしと予算を組ませた。これがいわゆる「139億円の負担額を134億円に減額させた」と言われている問題で、その内容はここに示したイメージに詳しい。(開かれた名古屋市会バンザイ!イメージはクリックしてもらうと大きくなります)

 市バス、地下鉄について利用者増が見込まれている。65歳以上の人口が増えてくるのだから当然だ。それをまったく前年と同じ値のまま請求する事とした。

 また、これも問題とされているが。
 左の概算額では現行料金と、消費税変更後の改定料金とが(日割りで)分けて計算されている。ところが市長査定による右の据置額では料金改定が考慮されていない。この改定料金というのは消費税の増額分となる、つまり消費税として支払われるべき金額が丸々除外されたという事になる。(名古屋市は交通局に消費税増額分を払わないというのだろうか?)
 こんな無茶苦茶なことは無い。

 いみじくも委員会審議においても高齢福祉部長が「我々は139億円と134億円の開きがあることについては若干問題だと思っております」と述べている。

 また健康福祉局長も「査定の中で5億円カットということにつきましては、私どもと異なる見解があったのかなということで、大変不本意ではありますが、この予算ですすめざるを得ないと理解しております」(ともに3月11日財政福祉委員会審議より)

 更に3月14日に同委員会に岩城副市長が呼ばれてこの問題について。
 「今回の予算は委員の先生方がおっしゃるとおり、決して、妥当なよくあることだ、とは理解していない、本当にきわめて問題のある提案だと認識しております」と語った。

 地方財政法違反の異常な予算が計上されているという事だ。


 ところで、ここで当ブログならではの踏み込んだ推測をしてみたい。
 それはそもそもなぜ、河村市長は今になって交通局に対するこの予算を5億円、削る気になったのか、だ。

 本人は交通局への予算を削る事で「プライスキャップを被せて、交通局の経営改善を図る」と言っているが、そんな事を本気で捉えている人間は減税日本ゴヤの市議以外誰も居ない。

 どうも、今回交通局に対して5億の予算削減が行われたのは先の「自己負担金増額問題」で冷汗をかいた意趣返しらしいのだ。

 この自己負担金問題の直後、市長会見でも「なぜ交通局は居ないのか」とえらくご立腹だったらしい。そもそも敬老パス事業というのは健康福祉局高齢福祉部高齢福祉課の所管であり、交通局は(実態はどうあれ)関係ないのにだ。

 何度も繰り返されたように、交通局の経営改善で敬老パス事業を存続させるというのは「筋違い」も甚だしい。

 例えば今回のように市から交通局に対する負担金を実績ベースではなく定額にするとする。実績ベースであれば交通局には敬老パス利用者にも利用拡大してもらおうと考えるインセンティブが存在することになる。しかし、この負担金が一定であれば敬老パス利用者が増えようと減ろうと交通局にとってはメリットは無い。そうなると敬老パス利用者はいっそ減った方が「効率的な経営」は高まる。(利用者ゼロでもインカム(負担金)は一定なのだから)
 つまり路線見直し時などに敬老パス利用者の利便性は考慮されなくなるのである。


 そんな議論以前に、外部評価に提出した折など、今まで課題になってきた際には交通局に特にプレッシャーはかからなかった、今回異様な(というよりも、すでに違法な)要求を突き付けてきている理由がどうにも理解し辛い。

 何を根に持っているのだろうか?

 予定を大幅にオーバーしている。
 大急ぎで結論じみたものを書くと。
 この3つの問題は結局、河村(隆男)たかしという人物の実像とは何かという問題であるように思える。そしてその実像とは「臆病で責任を取る事を嫌がる、屁理屈にもならない屁理屈を繰り返す9歳の子ども」だ。
 自分の興味のある事、自分を誉めてくれる人の言う事は喜んで聞くが、自分の興味のない事、自分に少しでも負担になる事、責任を求められる事、義務を押し付けられる事からは徹底して逃げる。そして自分の耳に痛い言葉については聞いていない、聞かない。聞いても理解しようとしない。

 つまり、こんな人物が公職たるにふさわしいわけがない。そもそも無理がある。その無理が現実にハッキリとした形で現れてきたのがこの3つの問題だ。

2−1.(Concealment)

 さてさて。

 このような河村(隆男)たかしという人物が組織の運営ができるものだろうか。
 できるわけがない。

 名古屋市民は一般的に「河村さんは減税の議員に足を引っ張られて可哀想」と思われているようだが、足を引っ張るような人物しか作れなかった、選択できなかったのも河村氏自身の力量の限界だ。というよりも、そもそも「類友」と言えるだろう。

 こんな人物にはあんな人物たちしか集まりはしないのだ。

 さて、その減税日本は来る統一地方選挙に向けて候補予定者を募集するらしい。
 それが減税日本になるのか、ゼロの会になるのかは判らない。

 とにかく「河村党」の候補募集が週明けにも始まるらしい。

 この件については何が課題かは今は敢えて言わない。おおよその感覚として6月ぐらいになったら公表できるだろう。

 この課題について考えると。今の段階で、減税日本であろうとゼロの会という名であろうと、河村党の候補になろうとするものは「組織運営を語る資格がない」と言えるだろう。
 つまり、今の段階で候補募集に応募する者は、そもそも「政治家たる資格がない」と自ら「自白」するに等しい。

 なんでも5月には河村(隆男)たかしの政治資金パーティーが開かれるらしい。
 そんな事をする前に、河村党の皆さんにはやらなければならない事が残っているのだ。