天白区と千種区の「名古屋市次期総合計画タウンミーティング」に参加してきました。その感想と千種区の会場で「次期総合計画がまやかしである」と述べた理由までを書こうと思います。しかし、その他にもいろいろな事が起きていますのでそれらを加えると、次期総の話題は続き物になるかもしれません。
まず、17日の文章で減税日本ナゴヤの中村孝道市議が、裁判が和解になったことを受けて市議団に戻してほしいという趣旨の要望を、減税日本ナゴヤに出した事はお伝えしました。
そもそもこの裁判は、中村孝道市議の政務調査費の請求について、不正がない事を明らかにするための裁判である筈で、この元スタッフとの間の債権債務が確かに不存在であるという証を中村孝道市議側が示すことができれば、潔白の証明にはなった。また、提訴の際には「潔白を証明して見せる(=債権債務の不存在を証明して見せる)」と語っていたものであって、それを「和解」にしたこと自体、この証明ができない証ともいえます。
論理的には、潔白を証明していなければ、不正をしたという証明にもなってはいないという結論は立ちますが、それはこの訴訟にまつわる論理的解釈にすぎません。
つまり、当時の状況から、この訴訟は訴訟を起こすことによって批判をかわすという「濫訴」でしかなかったと容易に推測できます。
更に「和解」に際し元スタッフ側は「訴訟で求められた内容を認めたわけではない」と訴えの内容に関しては主張を変えていません。
つまりこの「和解」によって中村孝道市議は「身の潔白を証明できた」のではなく、「一つの身の潔白を証明する機会を失った」に過ぎないわけです。
そんな状況であるにも関わらず市議団に復帰する事を求める事も異常でしたが、その後この時の状況が詳しく判ってくるにつれ、いよいよ中村孝道市議の異常性が際立ってきます。
なんと、中村孝道市議は団に戻るだけではなく、団の幹事長に戻すことを要請したというのです。
もうこれは私の理解のはるか上を行っています。私の常識では計りえません。
こうなってくるといっそ私は、減税日本ナゴヤは中村孝道市議を団に戻し、さらに幹事長に据えればいいんじゃないかと思えてきます。(なにせ、中村孝道市議に対しては減税日本は党として、今まで一切処分をしていませんからね)そして、問題になっている幹事長人事について、この中村孝道市議が自ら引き受けるというのであれば引き受けさせれば良いんじゃないでしょうかね。
さすがに、減税日本ナゴヤとしてもこの申し出は受けられないようですが、落ち着いて考えると、否定する理由もないんじゃないんですか?
さて、話題をタウンミーティングに移しましょう。
19日(日曜日)の天白区では、やはり「弥富相生山線建設問題」が話題を集めました。
この問題は工事再開にせよ、工事中断=建設取り止めにせよ、河村氏が初期の頃から言っていた「住民投票」を行うのであれば、さっさと行えば良かったのではないかと思えてなりません。すでに工事再開賛成の住民も、反対の住民も、四年間何もせずに放置し続けた河村市長に対する不信感でいっぱいでしょう。
会場で一人の人が「河村市長の本音を聞きたい」と仰っていましたから、私が*1大川隆なんとか法という人の生霊から教えてもらった、生霊の降霊術で、河村市長の生霊から「本音」を聞き出してみましょう。
「ぅん、わしだがね、河村たかしだがね、まあよぉ、この件はドツボ*2に嵌るでいかんわ、なんとか工事中断を継続して、わしが市長の間だけ待っとってもらえんかね。わしが市長を辞めて次の人になったらすぐに再開してもらえばええで。な、まあ、わしもやけくそですわ、んんんん」
まあ「生霊降霊術」は冗談にしてもこう考えていた傍証は幾つもある。
1.弥富相生山線を見直すとした場合の代替案の策定をしていない。
2.既存工事部分については多大な維持経費を費やして残してある。
今までも名古屋市拘置所問題であるとか、旭ヶ丘高校の立て替え問題など、問題がいよいよ難しくなるとさっと身を引いてきた。
お祭りのようにワーワー騒ぐことは出来ても、本物の政治家のように解決に向けて各関係者の間を調整するなどという芸当は出来ないのが、政治家風テレビ芸人である河村たかしの限界なのである。
次の千種区は20日(月曜日)だった。私は自分の居住区以外のタウンミーィングでは発言は控えようと思っていたが、この日の市長定例記者会見を見ていてとても黙っていられなくなって会場に足を運んだ。
名古屋市:記者会見(市長の部屋)
http://www.asahi.com/articles/CMTW1401202400004.html
問題は「敬老パス」であるが、結局、河村市長は敬老パスの自己負担金増額については据え置きとした。自己負担金も交付対象年齢も据え置きとしてこの制度が維持できるのか、との問いかけに「交通局の経営努力を求める」というような発言をしている。
これは論点の誤魔化しである。
今回、市営交通は消費税の引き上げに伴って料金を値上げする。
交通局が経営努力して低コストでサービスを継続するのだとしたら、その成果は直接的にはこういった利用料金に反映されるべきだろう。または路線拡大などの利用機会の充実に向かうべきだ。
実は、次期総合計画には「24.公共交通を中心とした歩いて暮らせるまちづくりをすすめます」という文言がある。これは公共交通を拡大する事を述べている事は明白だろう。
しかし、河村市長の発言は逆だ。
そもそも河村市長の言う「プライスキャップ」もまやかしだ。彼自身理解していない。
その為に私は会場で「X値(生産性向上見込率)」を幾つに見積もっているか問いかけたが、そもそもこの「 X値」という言葉自体知らない体たらくだ。
さらに何を思ったか河村市長は私の追求に「プライスキャップの中にもヤードスティックというのがあって」と説明を始めたが、これも頓珍漢な説明である。ヤードスティック方式とは市場に参入している事業者同士を比較する事で各事業者に経営効率に対するインセンティブを与える方式で、名古屋市の地下鉄や市バスには比較できる対象事業者が居ない。(ギリギリ、バスにおける名鉄の市内営業がそれにあたるかも)
プライスキャップというのは電話料金がそうであったように、技術革新などでコスト低減が期待できる産業分野においては成功をおさめる可能性もあるが、公共交通においてこのような劇的な技術革新は期待できない。
どうしてもサービスの質の低下、または投資誘因を阻害するだけで、結果として公共交通の縮減を生み出すことになる。
会場でも述べたが、公共交通に効率の追及を求めるのは間違っている。効率よく利益を見込めるのであれば私企業がいくらでも参入する。利益が見込めず、それでも都市機能として公共交通を維持する必要があるから、各自治体は公共交通に一定の補助を与えて支えているのであって、その現実を無視した河村市長の主張は事実を見ていない妄言でしかない、またそんな議論に敬老パスを絡めることは、誤っている主張で議論すべき敬老パス事業の在り方という論点をはぐらかす二重のまやかしでしかない。
ここでまた生霊が・・・・
「ふぅん、はぁ、んんん。わしだでよ、河村だで。まぁよ。もうすぐ選挙だっていうのに値上げはできんでしょ、勘弁してちょう。んんんん、こんなんでましたけど」
あ、大川さんじゃなくて泉あつのさん風になってしまった。
そもそも河村市長は平成23年の市民判定員による行政事業の外部評価に敬老パス事業を掲載している。また、社会福祉審議会にも答申を求めている。
市民判定員は「見直し」の判定をし、審議会における議論を受けて具体化したのが市当局の「負担金の倍増案」だったのではないのか。それを今更「政治判断だ」と据え置きとするのであれば、この外部評価と審議会の経費については河村氏の個人負担で払ってくれないか?「無駄足を踏ませましたね」と謝って。
河村氏はこの答申とは矛盾しないと言っているが、敬老パス問題を交通局の経営問題と混同して考えているので「矛盾が理解できない」だけだ。
つまり「バカ」なのだ。
「バカ」が小理屈を並べて自己正当化する姿ほど醜いものは無い。
そういえば、天白のミーティングで河村市長はたびたび「考えておきます」という言葉を使った。千種区の会場で「名古屋で商売をしている人間は、『考えておきます』とか 『かんこうしてみます』というのはお断りを意味する」と言ったところ、千種の会場では「考えておきます」という言葉を使わなかった。
つまり、やはり「考えておきます」というのは体裁よく誤魔化しているだけという事だ。
千種においてはこの他に、市立保育園の存続、図書館を指定管理業者に任せずに行政が直接運営するようにという意見も出たが、「生産性」を言う河村市長とは意見が平行線となった。ここで天白のように「考えておきます」と言いたかったのだろうが、答えに窮して「しょうがない」という発言まで飛び出して「切り捨てるのか」という指摘まで受けた。
結局、彼は切り捨てている。
会場から市民税の均等割りについて復興増税の500円が上乗せされて、実質増税ではないか。河村市長は減税の実現は大きな声で言うくせに、増税は市民に知らせもしていない。HPにちょろっと3行載せているだけではないか」という指摘があった。
http://www.city.nagoya.jp/zaisei/page/0000052869.html
このページの「市民税・県民税の均等割額の引き上げ」の部分。
これに対して、終了間際、河村市長から「さきほど均等割りの500円について、何も知らせていないとのご指摘でありましたが、名古屋市のホームページのトップページに載っています」という発言があった。
そんなものは載っていない。全くの「嘘」*4だ。
名古屋市公式ウェブサイト:トップページ - City of Nagoya
そもそもこういった議論もアンフェアだ。市民の側は持ち時間3分を守っているにも関わらず、河村市長は自由に発言している。さらに、論点と違う、質問項目と違うという指摘を受けても発言を止めない。また、こういった事実と異なる発言をして再反論を認めていない。
こんなアンフェアな態度は無い。
また、本来、このタウンミーティングは市民の多様な意見を聞く会合であって、よほど市民の側の発言に事実誤認があり、市長から釈明でもあるので有れば別だが、それがないのであれば反論などする必要もないのではないか?
特に、こういった形で「嘘」を言ってまで誤魔化そうとするのであれば時間の無駄ではないか。
またこういったやり取りもあった。
現在行われている地域委員会の二次試行について、事実上全部が区政協力委員や学区連協の手助けで行われており、選挙も行われていない。そうであるのなら、区政協力委員制度を見直した方が良いのではないのか。区政と地域委員会を二つ置くというのは、河村市長が中京都構想などで批判した「二重行政」そのものなのではないか。
これについて、河村市長は「効率ばかりを求めなくてもいい」と回答していたが、公共交通、保育、図書館については効率を求め、地域委員会には効率を求めない。自分に興味の無い事柄には効率を求め、自分に興味がある事柄には効率は求めない。
単なるわがままではないか。
整理しよう。
河村市長は市民の期待を裏切り、その支援を放置して、挙句の果てに切り捨て、バカで、嘘までついて自己正当化をはかり、議論においてはアンフェアで、自分の興味のあることについてだけ評価の甘いわがままな存在という事になる。
この両日のタウンミーティングは非常に興味深いものを見させていただいた。
さて、やはり当初の予想のように次期総合計画の根本的問題まで行き着かない。
これについては次回に委ねる。 (続く)