市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

名古屋は本当にデマの多い街

 もうすぐ名古屋祭りだ。大勢の市民が楽しみにしている名古屋祭りだが、まだ正常化されているとは言えない。相変わらず河村市長の「南京発言問題」で南京市との友好関係が正常化されない。
 なのでこの「南京発言問題」を取り上げようと思ったが、表題のように「名古屋は本当にデマの多い街」とまで言われてしまったのでそれを取り上げざるを得ない。

再掲載しているようだ
>> http://www.tudou.com/programs/view/YT0F8AtqXZ8/
 番組は関西テレビ製作のバラエティー有吉弘行 ダレトク」という番組で、10月15日放映だったそうだ。

 テーマは「河村たかし名古屋市長は名古屋弁しか話さないというのはデマ」というものだそうで、河村氏の昔の広報ビデオなどを引っ張り出してきて流暢な(というか、少々猫なで声気味で気持ちワルイ)標準語を話す河村市長を「暴いて」いる。

 まあ、バラエティーのお遊びなので、本気で怒ることも無い話で、河村市長の名古屋弁が無茶苦茶なのはネイティブな名古屋弁使いから見れば当たり前。古くから河村市長を知っている人なら、普通に標準語で話している姿もあたりまえに眼にしている。

 この引用(?)動画には扱われていないが、この放送では有吉氏から「宮崎県の東国原知事が『どげんかせんといかん』というお邦訛りで人気を博したので、それを見て真似したのではないか」と鋭い指摘を受ける場面もあった。

 ちょっと面白かったのは「あの人は河村画廊のおぼっちゃん」という名古屋市民がインタビューに応えていた事だ。

 河村市長といえば、言わずと知れた古紙回収業の「河村商店」の「おぼっちゃん」で、画廊ではない。様々なプロフィールや経歴にも「画廊」をやっていた事は出てこない。
 けれども、時に自分の口から「わしは画商をやっておったで、絵には詳しいんだわ」と絵画の薀蓄を並べ始める事もある。

 実際には、河村商事で父親との事業の衝突(河村氏は廉売を仕掛けて扱い量の拡大を狙ったが、父親は業界の秩序を重視し廉売を禁止した)から、内勤を命じられ(リフトの運転をやっていたというのはこの頃の話のようだ)やがて関係の無い絵画の販売を始めたようだ。
 それも上手くいかず、先輩後輩が近くに弁護士事務所を開設したのを見て「俺も弁護士か検事になろう」と近所の中京法律学校に通い始めたのが「司法試験9年連続失敗」の話の元となる。

 このような一連の動きは、お金に不自由の無い「おぼっちゃまのモラトリアム」と理解するのが間違いの無いところのように思われる。

 また、この「画商」の頃に「絵も利益率は高いけれども買わなければいけない、けれど、書ならちょこちょこっと書いて偉そうに表装でもすればとんでもない値が付く」と思ったのか思わなかったのか。一時期「書道家」「書家」を自称していた事もあったようです。


 この影響で、あのタレントの矢野きよ実さん(彼女は玄玄書作院の理事でもある)とコラボで書をしたためたりしていますね。

 実は、ちょっと面白いことに気が付きました。
 いわゆる新自由主義的なポピュリズム地域政党の党首、首長は「字が汚い」
 というか、わがまま勝手な「字」を書きますね。

 これが日本維新の会橋下徹大阪市長の「揮毫」だそうです。
 サービス終了のお知らせ - NAVER まとめ

 j-town.net

 非常に「かわいい字」で、こんなものが石碑として後世にまで残ると思うと、歴代の大阪船奉行の方々も草葉の陰で赤面されるのではと思えちゃいます。
 しかし、こうまで見事に「センターが出ない」ものですかね。

 次は石原慎太郎衆議院議員
 東京自由人日記の画像|エキサイトブログ (blog)

 各文字の解釈が非常に「独りよがり」それでいてどこを突けば出てくるんだろうというような「自信」というか「過信」を感じます。
 なので、私がこうやって批判しても「判りもしない馬鹿が好き勝手言っている」と取り合わないことでしょう。別にそれで結構ですが。

 全体のバランスの悪さと同時に、それでいて変に各文字の大きさだけが合っています。
 なんとなくここに小心者、姑息さを感じてしまいます。
 例えば、「蓮見茶」と右上に上がっていってますよね、ところが「屋」だけ唐突に下がってかかれています。全体のバランス云々よりも、ハット気が付いて誤魔化したような感じに受け取れるんですよね。

 さて、一時期名古屋市役所の正面玄関に一風変わった看板が掲げられていました。
 それがこの看板です。

 まず、センターが出ていません。
 バランスが悪い。というよりもバランスが無い。
 文字に力が無い。特に、「支援」という文字がもっともおざなりになっている気がします。この書を書いた人は、好意的に見て「被災地域」に力点を置いていると解釈すべきなのでしょうか?

 そして、後に詳しく述べますが、筆の運びが雑、というよりも無茶苦茶です。

 ところで、誰が書いたか?勿論、あの方です。
 http://www.city.nagoya.jp/mayor/page/0000024455.html

 こういった「書」も、最近では自由な形が許容される傾向にありますが、基本はもちろんあります。こういった基本を踏まえた上で「解釈」を加えていくところに「書」の面白さがあるのだろうと思います。(しかし本来、こういった看板は墨痕鮮やかな力強い楷書と決まっていそうなものなのでしょうが)

 そういう基本を現在ではインターネットで手軽に手に入れることができます。

 书法字典_书法_在线书法篆刻学习资料

 ここに字と書体を入力する事で過去の様々な書体を参照することができます。

 この看板から、例えば「被」という文字を取り出したものがこのイメージです。

 上記の「書法字典」に同様の書体はありません。似たような筆運びも見当たりません。
 この看板に書かれた「被」という文字のおかしなところ*1は衣編の一番下を筆を寝かせて止めている事でしょう。
 その為、四画目の点へ流れるような筆運びがなく、この点は独立したものとして右下に向かって入ってしまっています。そして横に向かって筆を運ぶ形になっています。

 更に、「皮」の部分の右上、ハネではなく一画垂れている様に見えます。
 実はこういった書体は無いわけではない。しかしその場合、次に続く最上部の縦線との繋がりを意図したもので、すべてこの送りが特徴的で魅力的な書体を形成していると思えます。ところがこの看板の場合、その連携は明確に失敗し、縦線は別に筆をここでも右下に向かって置き、下に向かって払う形になっています。
 この垂れがあるために、その下の「又」が異様に小さく、歪んでしまいます。
 結果として全体の画面の中で、垂れの部分があたかも大きな黒い点のように見えてしまっています。

 次に注目してみたのは「地」の文字です。

 この看板は木に書かれたのでしょうか?
 全体的に筆運びが無茶苦茶です。

 木に筆を取られたのでしょうか。墨の粘性が高すぎたか、筆の密集度が高く、書面との抵抗が高すぎた。または、そういった状況を無視して筆圧を加えすぎた。書面の抵抗が高い時に、筆圧を上げればより筆は動かなくなります。結果として「線」が歪み、書は崩壊します。

 こうやって一文字を取り出して、その各線を見れば、歪みは明白です。

 「下手な字」というのが私の個人的、主観的感想です。



追記:

そんなに言うのであれば、自分で書いて見せてみろというご要望があったので書いてみました。
左に歪んでいる上に、大きく誤魔化しがありますね。(ナイショ)

こうやって披露するから自分で上手いと思っているわけではありませんよ。



追記(2014年9月25日):
 筆跡鑑定士の芳田マサヒロという人が「筆跡教室」というものを開いているらしい。
404エラー ページが存在しません

講師の芳田さんは「筆跡には性格が表れる。筆跡を意図的に変えることで性格を変えることもできる」「人といさかいを起こしやすい人は文字と文字の間が狭い」などと独自の分析結果を示し(略)

だそうだ。



追記(2015年5月12日):
 「内閣人事局」の看板が酷い→検証→手本が悪いと判明 – 和様 書家/書道家 うどよし Japanese calligrapher Udoyoshi
 文化庁のたて看板のこと: サロン・ド「広島修道大学E.S.S同窓会」

*1:興味深い、という意味ですよ