本日、3月4日の名古屋市会・総務環境委員会は一昨日とはまた違う意味で興味深かった。河村名古屋市長が人事院総裁宛に出した「要望書」( 参照 )について、作成にかかわったとされる名古屋市長特別秘書・北角秘書を委員会に呼んで、経緯についての確認が行われた。
この3月4日の名古屋市会・総務環境委員会の模様は、公務員を目指す学生などが居る各種学校などで、学習教材にすれば良いのではないかと思えるほど興味深く、それでいて非常に「基本的」な議論が行われた。*1
社会の中で人は2つに分かれる。「自分で考えるヒト」と「自分で考えないヒト」だ。
この北角という人物は典型的な「自分で考えないヒト」のようだ。
更に、言葉の定義が非常にあやふやだ。言葉をあやふやに使う事で結論もあやふやにしようとする癖もあるように見受けられる。
委員会審議の中でも「勧告」と「意見」という言葉を混同してみたり、「公務」と「政務」のケジメも不確かなようだった。実は河村名古屋市長自体が、こういった言葉の定義について非常にあやふやである。
名古屋市:平成26年2月3日 市長定例記者会見(市長の部屋)
平成26年2月3日の市長記者会見。特別秘書の「政務」と「公務」のケジメを記者から質されたのに対して次のように回答している。
「政治的なことはやらないじゃないですか。公務の政務ですけれど」
読めば読むほど、何が「公務」で何が「政務」か判らなくなってくる。
こういった言葉、用語を曖昧に使っていると、人間は概念も曖昧にしか構築できなくなる。人間というのは高次の抽象概念も母国語で構築するといわれるように、概念、物事の在り方に対する理解も言語を使って行っている。この言語の定義が曖昧であれば、物事に対する理解も曖昧で漠然としてみたり、まったく矛盾したままでも平気で居たりするものだ。(そして、それを指摘なんぞすると、怒る怒る)
この北角という人物、平成5年に第1回政務担当秘書試験に合格したのは良かったのでしょうが、その時に衆議院議員だった河村たかしについたのが運のつきですね。
こうやってわざと言葉を曖昧にして、自分に降りかかる責任を回避する癖を付けてしまったのでしょうけど、ちゃんとした上司であればこんな癖は矯正するものです。こんな「ズルい言い逃れ」ばかりしていては仕事など進みませんし、本人の為にならない。
しかし、河村市長では、本人も同じように「ズルい言い逃れ」をするので叱れませんね。というよりも、北角さんのその癖は河村代議士譲りなのでしょうか。
北角秘書の発言がまるで「ウナギ」のようにニョロニョロと掴みどころ無く逃げ回るので、委員会審議は中々論点に行き着きませんが。
まず、問題の発端となった、人事院への要望書という文章は、河村市長が文章を起こして、北角秘書がワープロに入力したようです。*2そして、「名古屋市長 河村たかし」という名前で人事院に対して要望書を出すということが「名古屋市の市長としての要望である」と受け取られかねない事については、北角秘書も最終的に問題を認識して、この文章の撤回を河村市長に申し入れてみると約束していた。
この要望書は、河村氏の「私印」が押されており、名古屋市の公文書として発行されたものではない。つまり、差出人も「名古屋市長 河村たかし」と書くべきではなく、「名古屋市東区・・・ 河村たかし」とでもすべきだっただろう。(そういえば、昨年末に中日新聞に差し出した抗議書も私印でしたね)
文書の権威として「名古屋市長」を使いつつ、その責任は「私印」による私的文書という事で回避する。非常に「ズルい言い逃れ」が形になったような文章であるというわけだ。*3
一つ面白い指摘もあった。
北角秘書はあくまで「公的」な「市長の秘書」であって、河村氏の私的な活動、政務には使わないと議会に約束した。それでやっと河村市長3年越しの宿願であった特別秘書設置が認められた。
では、この要望書。名古屋市在住の河村たかしさんの私的な要望書であるということだが、それをワープロで清書した北角秘書の行為は、河村たかしの私的活動に、公設秘書を流用した公私混同ではないのか?
なんだか、こんな質問に答えを窮していましたね。
こんな追求、即座に逃れられなければダメですよ。(って、ここでは答えを書かずにおきます。答えが知りたい方は、下のコメント欄に要望していただくか、メールで問い合わせてください。要望が多いようでしたら答えを記載します)
まあ、(敢えて言うと)そんな事なら(言い逃れしやすい)公私混同でしょうが、この文章の持つ本質的で構造的な問題は深刻です。
ご存知のように、河村名古屋市長は名古屋市の人事委員会の勧告を無視すると宣言しました。実際にこの定例会に上程されている給与改定案は人事委員会の勧告とは異なるもので、上程に際して本会議場で人事委員会が特別に発言を求めて問題を指摘したものだ。
そもそも人事委員会の任命権者は市長本人にあるのであって、河村市長は自分で依頼した勧告を自分で無視するという非常に統合されるべき認識が失調したかのような行動を取っていることになる。
これは稚拙に過ぎる。
昨今の流行で、公務員給与を削減すると拍手をする バカ がいる。
公務員給与など下げても公債は減らないし、税金も軽減されない。デフレ不況下では公務員給与など下げればデフレがより深刻化する。かのトマ・ピケティも日本でデフレを退治するには公務員給与を5%程度引き上げるべきだと指摘している。
失われた平等を求めて:トマ・ピケティ カツラの葉っぱ 大好き!/ウェブリブログ
公務員の給与というのは民間企業/商店の売り上げの原資となるし、公務員の給与水準が上がれば民間企業のベースアップにも参考とされる。
公務員給与の引き下げを求める者は経済を理解していない。
その他に公務員の労働者としての権利をも否定する暴挙だといえる。
それでもこうした「引下げデモクラシー」に阿って、公務員給与を引き下げたいのであれば、人事院勧告人事委員会勧告は受け入れ、条例改正はしつつ特別措置で減額すればよい。そんな事例はいくらでもある。
そうした「手間」をネグレクトして、勧告自体を無視するという態度は論理的一貫性に欠けるうえに「ズルい」やり方だ。
さらに、この措置について議論もしないまま条例を上程しておいて、1月29日にこの要望書を作り、2月2日の「市長」定例記者会見でそれを読み上げるというのは、単なるパフォーマンでしかないのではないだろうか。
名古屋市:平成27年2月2日 市長定例記者会見(市長の部屋)
この記者会見、この文書については「質疑応答 なし」というマスコミの反応が、なんとも物悲しい。もうそろそろ公務員給与の引き下げで喜ぶ経済音痴はマスコミも相手にしなくなっている事に気が付くべきだ。
それでも、私的な文書を人事院に持っていきましたよという私的な活動を、公式な市長記者会見で発表するというのは公私混同なんじゃないのでしょうか?
質疑の最後には北角秘書は「名古屋市の人事委員会の勧告を受け入れて給与改定を行うよう、市長に進言してみる」と言っていました。
それを受けて「それは議案の撤回を意味するのでしょうか」と副局長(だそうですが)が驚いて確認していましたが、議案撤回までは踏み込まないようでした。
こうやって北角秘書の問題を追及していくと、逆に河村名古屋市長の問題も浮かび上がってきますね。
言葉を曖昧に使う事によるズルい言い逃れ。
用語の曖昧さによる概念の混乱。不正確な施策の推進。(プランの失敗)
そして、公私混同。ケジメの無さ。
最後に、こういったいい加減な河村文化、ケジメの無い河村市長の一例を指摘しましょう。
愛知県のホームページに政治資金収支報告書が上がっている。
http://www.pref.aichi.jp/0000078017.html
ここに「河村たかし政策研究会」がある。
http://www.pref.aichi.jp/senkyo/261126/y/a25y0618.pdf
https://web.archive.org/web/20160804135514/http://www.pref.aichi.jp/senkyo/261126/y/a25y0618.pdf
ここにあるのは「北角嘉幸」ではないのですか?
平成25年4月17日に1万円。住所は埼玉県春日部市、職業は無職。
特別秘書に就任したのが平成26年5月1日。約一年後。
例の「口利き疑惑」を思い出す話ですね。
金額の多寡よりも、こういったケジメの無さは良くないのではないでしょうか?
職員から懲戒免職まで出した「口利き疑惑」では、通常の募集に口利きが有ったとされていますが、この特別秘書は、わざわざポストを作っているんですからね。
職務権限の行使と現金の授受、ダイレクトに贈収賄が構成されるじゃないですか。
会計責任者も根性座っている。
おまわりさ〜ん、こんなの良いの?
特別職の秘書の職の指定等に関する条例
北角よしゆきの「人生万事塞翁が馬」
北角 嘉幸 | Facebook
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