市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

政権交代選挙の背景

あおなみ線SL走行

 この土日にあおなみ線をSLが走った。
 どの程度の効果があったものか、定かには判らないが、思った以上に冷静に受け止められたようで、騒動や事故が起きなくて何よりだった。

 河村市長は鉄道員の帽子らしきものをかぶり、車窓から手を出して喜んでいたが、正直私には、惚けた老人が幼児退行しておもちゃで遊んでいるようにしか見えなかった。

 周辺の環境等を勘案すれば、これが本格的に運営されるとはとても思えないし、この運行が歴史的にどのような意味があるかも判らない。

 また今回の報道で、ささしまライブエリアに作ろうとしている「河村式鉄道館」がJR東海のリニア・鉄道館とは連携していないことを知った。正直、わざわざ金城埠頭JR東海が同館を設置した訳は、あおなみ線の終着駅に名所を作って、同路線の利用者を少しでも嵩上げさせる為だっただろうに、それを、始発駅から歩いて行けるささしまライブに同趣旨のものを作ってしまっては台無しではないか。

 いったい何がしたいのかわからない。

 結局、名古屋市内にSLを走らせてみたかったというだけのことだろうか?そうとしか思えないし、そうであればやはり惚けているとしか考えられない。

 ちなみにこの両日の試験走行の為の経費が4000万円だそうだ。

 高いおもちゃだこと。

新大久保「反韓デモ」

 「在特会」と呼ばれる集団がいる。「在日特権を許さない市民の会」とかいうそうで、まあなんとも頭蓋骨の裏が痒くなるような人たちのようだ。

 http://www.zaitokukai.info/

 その人たちが、新大久保で「反韓デモ」なるものを繰広げている。

 YouTube
 ※社会的通念上、不快な思いをされる可能性もあるので視聴にはご注意を。

 これに対して様々な反応が起こっているようだが、結果として次のような対応を取るグループが現れた。

 2月17日予定の新大久保「反韓デモ」に対し、差別反対の意思表示をしませんか。

 日本の民主主義もまんざら捨てたものではありませんし、この社会の成熟が見てとれます。

政権政党の逆転

 映画評論家の町山智浩さんが昨年の11月に、米国大統領選挙の予備知識として、米国における共和党民主党の歴史的「ネジレ」をツイッター上で語っていた。
 【2012米大統領選】町山智浩氏による共和党と民主党の歴史 - Togetter

 映画「リンカーン」も公開されたし、「ウォール街を占拠せよ」運動などにもコミットしていたようで、様々な発言をしている。

99%対1% アメリカ格差ウォーズ

99%対1% アメリカ格差ウォーズ

 現在では、米国流保守反動の党と思われている共和党は、そもそも連邦制を主張する北部エスタブリッシュメントの主導する政党であって、リンカーン共和党の大統領である。
 当時は民主党の支持基盤は南部諸州だった。

 それが逆転している。
 現在では共和党が「機会の均等」「自由主義」を基本に据え。支持基盤は南西部の地方都市。そして伝統的な生活をする人々。民主党が「結果の平等」「貧困の根絶」を基本に据え、東部や西部沿岸の工業地帯の労働者、または知識層という図式に見える。
 しかし、支持層の相違から、民主党が人工中絶や同姓婚に許容的で開明的、自由にみえ、共和党が伝統主義的、保守的と見える。

 ここにも二重のネジレがみえる。
 
 斉藤環さんが「自民党は右傾化しているというよりヤンキー化した」という文章を書かれた事を参考に、昨年末の政権交代劇をまとめてみようかと思いましたが、ちょっと論点がまとまりそうもありません。


 つらつらと考えてみるに、昨年末の政権交代劇は、自民党が勝ったというよりは民主党が負けたといった方がより正確であろうと思えてきました。

 この15日に民主党衆議院選惨敗を総括する党改革創生案なるものを出しましたが、政権運営の稚拙さや、消費税増税に至る党内対立から分裂してしまった経緯などが触れられているようです。

 前者については「政治主導」「官僚排除」の掛け声が空回りしたということだったのでしょう。日本では三権の内、司法や立法には行政に比して力が備わっていません。結局、人と金を押さえている行政に力が集中しています。「官僚排除」とは、この行政を排除するということなのですから、そんな事をして政権が立ち行かないのは理の当然です。

 逆に、東日本大震災、そしてその後の東電原発事故対応を見てみると、無意味、教条的な政治主導が、行政/官僚の対応すら妨害してしまったように見えます。

 立法(議会)に充分な人的リソースとスキル(と情報)の積上げが無い以上、議会が官僚機構と調整をして政策を進めていくという自民党型部会政治は、制度的帰結であったとも思えます。

 後者については小沢氏と鳩山氏というキーマンの問題でしょうね。


 今回、訳有って、民主党の古川議員をつぶさに分析する事になったのですが。
 古川議員の選挙前の行動で2つばかり指摘しておくと。

 民主党や、第三極も含めて大きく選挙前に見誤ったことが有ります。それが「原発問題」です。

 平時には外交問題が大きな政治マターに思えることがありますが、実際の選挙で外交がテーマになる事はまずありません。同様に「原発問題」も選挙の争点とはなりえない。

 外交問題が票になるのは、それが家計に響くとき。生活に影響する時です。

 原発問題も「反原発」や「脱原発」は家計にネガティブに反映されます。それが仄見えてきて、「反原発」に対して懐疑的な人々が増えているのだと思います。


 古川氏はわざわざ「反原発」を明確に打ち出して、電力会社の労組の支援を断ったほどでしたが、その決断が大きなムーブメントを起すほどにはなりませんでした。

 実際に、選挙戦中盤以降の有権者調査では「原発問題」は選択課題の低位に落ち込み、経済問題、景気対策が重要課題となりました。

 そして2つめ。その経済対策に対して、古川氏は相も変わらない「縮小均衡論」を打ち出してきたわけですが、結果としてその縮小均衡論、財政再建優先主義が、経済の活性を落として、社会に閉塞感を生み出してきたわけです。

 これは、大蔵官僚として、財政健全化を金科玉条として生きてきた古川氏であれば致し方の無いことです。正直、大学の経済学や大蔵省には「インフレ」に対する対策やノウハウの積み上げは沢山あるのでしょうが、デフレに対する対策は考慮されていなかったのではないかと思います。
 私が学んだ先生は「デフレは資本主義社会の悪夢だ」「しかし、君たちが生きている間はデフレに遭遇するなんてことは考えられないけれどね」と言っていました。(30年以上前の事を今でも覚えている)

 結果、この二つが滑ったことは間違いが無いことでしょう。

 その他の民主党候補、第三極の候補も、この辺りが有権者の心を掴めなかったところだろうと思います。

 今となってみれば、積極財政論「アベノミクス」が持て囃されてきたわけで、実は選挙前に、野田政権も一瞬、こちらに舵を切ろうとしたかにみえましたが、大きな船すぎて旋回できなかったのでしょうね。


 民主党や第三極の誤りは「小さな政府論」「サプライサイド経済学」にあると思われます。財政を収縮させ、コンクリートからひとへと、歳出を削減してきました。

 公務員にまでリストラのなたをふるい、給与を削減してきたわけです。

 結果、財政は均衡したのかもしれませんが、経済自体は縮小し、社会は萎縮しています。

 この社会の萎縮が、更に消費の減退を呼んで、活力を亡くしているのが今の日本です。

 サプライサイド経済学もそうです。供給側の理論である「生産性の向上こそ正しい」と思ってしまい。生産コストを下げることだけに血道をあげてしまったことが誤りの始まりです。

 パソコンや一部工業製品であれば、年々技術革新によって価格が下がるという事にも理がありますが、技術革新もできないような衣料や食品、更には介護や保育といった人的サービスまでこの生産性の理屈を押し付けてしまえば、人件費を削るという方法しか道は残されていません。人件費こそ消費の原資であり、経済の基盤である筈なのに、その肝心の原資自体を縮小させているのが現在です。

 結局、ここでも生産性の向上は国民の消費力の減少と表裏一体となって、経済の収縮という悪循環が始まってしまったのです。

 民主党政権が掲げた「新しい公共」とは、結果、行政の撤退でしかありませんでした。

 しかし、「小さな政府」を求めた小泉・竹中改革が国民から絶大な声援を受けていました。これを見ていた、現在の民主党議員、第三極の候補は、より一層の「小さな政府」「サプライサイド経済学」「生産性の向上」さえすれば経済が活性化し、国民が幸せになると思い込んでしまったのです。

 ここに、ネジレが発生しています。

 官僚機構というのは、それぞれが権限の拡大を求めます。結果として「大きな政府」を指向します。小泉・竹中改革は実はサイズこそ変えていませんでしたが「小さな政府」を求める「モーション」をみせ、国民から喝采を受けました。

 やがてそれを引き継いだ民主党政権は「脱官僚」「政治主導」と霞ヶ関の縮小を迫りました。ここに、本来社民的「結果の平等」指向であるべき民主党が「小さな政府」を指向し、逆に、「市場原理主義」「自由主義的」であるべき自民党が「大きな政府」を指向するという逆転が起きてしまっているのです。

 実は、大きな政府が正しいか、小さな政府が正しいかという議論は乱雑な議論です。
 夜警国家も正しくは無いでしょうし、ソヴィエット型官僚機構も正しくは無いでしょう。

 つまり、新自由主義者も誤りですし、社会設計が可能であると考える共産主義も誤りです。

 政府、行政のサイズはその時々の経済情勢、社会情勢を勘案して適切に決めていくべきものであって、現在の日本は余りに「小さな政府」すぎます。

 選挙における民主党や古川氏の主張からは、ここへの配慮が感じられませんでした。

 (「吾唯足るを知る」は結構ですが、そんな主観的な感想を有権者に押し付けても説得力はありません。国民の大部分は「足るを知る」どころか、全然足らないと思っているのですから)

 国民は生活実感から民主党政権のバランス欠如を感じ取ったのではと思います。それが昨年の政権交代選挙の背景なのだろうと感じます。