市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

あるべき非自民の軸とは

 
 もうすぐ東京都知事選挙の結果が出る。
 現在のところ舛添候補が一歩リードしているところに、宇都宮氏と細川氏が後を追っていると言われている。選挙の直前には耳目を集めた細川+小泉連合だが、舛添を破るどころか宇都宮陣営の後塵を拝する形になっているようだ。

 この細川陣営は様々な人々をひきつけた。菅、野田の元首相、民主党に小沢氏も勝手連として支援を表明した。更に維新の会や結いの党も支援を表明している。
 つまりは維新の会の凋落やみんな&結いの党の分裂、さらに再起の糸口が見えない民主党などのいわゆる「非自民」の新たな「軸」が「細川新東京都知事+小泉元首相」によって定義づけられるのではないかと期待されたように見える。

 民主党などが「勝手連」として支援を表明した背景には、その裏で整理しきれない各党の事情も垣間見える。その為、細川陣営は応援演説として街宣車に載る弁士は細川候補と小泉元首相だけに絞ったように見える。それでも解禁されたインターネットコンテンツなどを使い、広範な支持者のメッセージを公開している。

 tokyo-tonosama.com

 ああ、やっぱりどこぞの市長さんは入れられていない。


 しかし結果として宇都宮氏が次点という事になれば、細川+小泉連合の「軸」、言い換えれば「非自民の新たな軸」が誤りであるという事になる。

 つまり「脱原発」だけでは「非自民」の軸になりえないという事だ。

 そもそも「脱原発」は政治課題だろうか。

 私は東京において「脱原発」をテーマに都知事選挙を行う事自体が不健全な事ではないかという気がして仕方がない。日本全国で「脱原発」よりも優先して政治テーマに掲げるべきは東北の復興であり、被災者の一日も早い生活の正常化ではないだろうか?
 今、東京の原発によって生活を奪われている人々がいる、その人々の生活を取り戻してから、幾らでも「脱原発」だろうと「再生可能エネルギー」だろうと考えれば良いだろう。そして、それらは政治的な課題ではなく、本来は科学や技術の解決すべき問題であると思える。

 そもそも加害者であるだろう東京の人々が、被害地である福島に対して「ノーモア・フクシマ」などというセリフを口にできる神経が私には判らない。(なので私はこのブログでも、「東電原発問題」という表現は使うが「福島原発問題」という言葉は使わない)(福島の人々こそ「ノーモア・トウキョウ」「ノーモア・東電」と言いたいだろう)


 原発やオリンピック、対中国や対韓国などの外交問題は真っ当な政治課題とはならない。


 民主党政権の蹉跌を見れば、「非自民の新たな軸」とはなんであるかが見えてくる。

 民主党政権の不幸は「反自民党の立場とは、反官僚である」と考えてしまった事ではないかと思われる。この反官僚のドグマは財政再建政策を選択させ、結果として「小さな政府」を選択してしまった。(そして周回遅れの「第三極」は未だにこの「小さな政府」「新自由主義」に絡め取られている)
 そこでは「新しい公共」という概念も提示されたわけだが、豊かな公共圏を形成するかに見えたこの概念も、結局、公共圏に市場原理主義を導入し、あちこちに歪を作るだけであり、行政の撤退を後押しする働きしかしていない。

 自助と共助を拡大させて、公助を縮退させるという事は、つまり地域住民に税に代わる使役の提供を求めているにすぎないだろう。それは形を変えた増税でしかない。

 結果として民主党政権脱官僚などできなかった。逆に財務省主導ともいえる財政再建路線を取らせることとなった。

 財政政策というのは拡大でも縮小でも一党の基本政策とはなりえない。財政政策は市況の状況、社会における経済環境に応じて、冷却させるべき時もあれば加熱させるべき時もあるのが当たり前で、同じ政権であっても積極財政に打って出る時もあれば、状況に応じて財政を絞り込むときがあっても良い筈だ。(つまり、常に政府支出を削減しようとする「減税政策」など党是とする事ができるわけがないのだ/いったい<どこまで>減税すれば良いのだ?無税国家でも作れば良いのか?それは政府の解体を意味する。政治の不要を言うに等しい。この自己否定という矛盾に気が付かない者はバカという以外にない)

 民主党政権が成立した時期は、本来、積極財政策を打って経済を加熱させるべきデフレ期に当たっていた事は明白だ。ところがこの方向付けができないまま有効な経済政策が打てず、結果として「アベノミクス」という積極経済政策に敗北したのが一昨年の衆議院選挙であっただろう。

 ちょっと脇道に逸れるが、歴史的に官僚と政治のバランスがあるとして、政治主導の時期には積極財政論が優位になりやすい。経済は過熱しインフレが起きやすい。逆に、官僚優位の場合はこの逆の傾向がある。民主党政権時の姿を見ていると、脱官僚を標榜しながらも、結果として民主党政権霞ヶ関の戦略家に「良いように操られた」ように見える。

 某F代議士などは「吾唯足るを知る」なんて言って縮小均衡論を訴えている場合ではなかったのだ。(まあ、元々大蔵官僚なので仕方がないと言えば言えるけれども)

 確かにバブル経済のようにただ浮かれていたような経済状況も行き過ぎれば異常だが、この縮小均衡の社会というのも長期化、定着化するのは異常だ。

 デフレ社会の中で一番深刻なのは人件費のデフレだろう。
 人間が徐々に「安く見積もられていく」世界というのは、人間からプライドまでも奪う。

 笹子トンネルの崩落事故も、社会が掛けるべきところにお金をかけなかった結果生まれた問題だろう。また、昨年続発した外食産業に従事するアルバイトによる悪戯(一部店舗の閉鎖)と冷凍食品工場における農薬混入事件も、その根がつながっているように見える。また、先日東京の青山で起きた新築マンションの建築ミスも日本における「生産性の向上」がすでに臨界点を超えている事を表しているのではないかと思えてならない。

 ではこの人間の尊厳まで毀損しようとするデフレ退治を、積極財政策で行おうとする自民党、安倍政権に死角はないのか。
 ある。それは「再配分」だ。

 「非自民の新たな軸」とはズバリ「再配分」であるべきだ。

 そもそも政治のテーマとは「配分」だ。(「減税」ではない。配分の取り合い、奪い合いが「政治」を生み出したのだ。) 

 安倍政権、アベノミクスの三本の矢は2本目までは積極財政論だ。大胆な金融政策、機動的な財政政策とやらで早期に株価を上げ、企業投資も活発化させている。更に現在は消費税率引き上げ前の駆け込み需要も加わって、建設需要などを中心に市況は活性を取り戻している。実に、私の部屋からもビル建設が幾つも見える。そのうちの幾つかはあれよあれよという間に完成した。

 こういった市況の状況を見越して安倍首相から経済界へ給与の引き上げを要請するという場面もあった。

 しかし、アベノミクス三本目の矢は全く見当違いの方向を指しているように見える。
 「民間投資を喚起する成長戦略」と打ち出された政策で今模索されているのが「法人税率の引き下げ」である。

 これは馬鹿げている。
 法人税率を引き下げたら、民間投資は冷え込む。労働分配率は更に引き下げられる。

 なぜなら、法人税率を引き下げるという事は、企業が安心して利益を計上できるという事に他ならない。そうであるなら、課税利益を減らす要因である経費を削減しようとする。つまり投資を手控えて、労働生産性を上げようとする。つまり人件費を切り詰めようとするのだ。

 小泉構造改革以前の日本において法人税率は凡そ6割程度だった。
 企業はウカウカと利益を計上してしまえば、その半分以上を税金で持って行かれたのだ。
 その為に企業は、利益が出そうになれば年度中に買えるものは買っておき、支払えるものは支払う事にし、それでも利益が出るようなら社員に一時金でも配ったものだ。そうやって課税対象額を圧縮して納税に備えた。

 つまり、法人税率は高い方が企業の先行投資と労働分配率向上にインセンティブが働くのだ。(極端な話、株主配当など必要のない企業においては、取引銀行の手前、連続赤字を出す事はできないが、大幅な黒字計上も歓迎されなかったものだ)

 そもそも企業というのは資本を回してお金を発生させる装置に他ならない。その装置自身が「内部留保」という滞留資本を持つこと自体が不健全だ。

 現在、日本国内ではこの(不健全な)企業の内部留保が280兆円からあると言われている。

 これは滞留しているお金、資本だ。

 なぜ、内部留保が増えるか。それは企業が税引き後利益の拡大を模索するからだ。
 なぜ、税引き後の利益を拡大しようとするか、それはこの利益こそが株の配当金となり、金融市場の言う「企業価値」がこれを指標*1とするからだ。


 アベノミクス三本目の矢はこの内部留保と株の配当金(オーナー企業であればオーナーの得る利益、または役員報酬)を拡大させる政策である「法人税率の引き下げ」を模索している。これは国内の企業家、資本家だけではなく、海外の(主に米国の)資本家をも喜ばせる政策に他ならないだろう。

 結局自民党政権というのは「持てる者の味方」になる。

 これに対して「非自民の新たな軸」は「再配分」を訴えるべきだ。
 自民とは異なる「持たざる者の味方」となる事が「非自民の新たな軸」として相応しい。


 法人税率を引き上げ、労働分配率を引き上げ、この不安定な雇用状況を正常化する*2

 ― それでは企業活動に制限が加わる?
 
 それぐらいの制限で活動できなくなるような企業であれば、社会のニーズを掴んでいなかっただけだ。

 ― それでは企業が国外に流出する?
 
 もしも、法人税率の最適化だけで企業が所在地(国)を選択するのであれば、幾らでも税逃れをする方法はある。各国が法人の誘致だけを考えて法人税率を優遇するというのは本末転倒の議論だろう。

 そもそも国民から広く支持されたアベノミクスの考え方は積極財政論にあった筈だ。大胆な金融政策、機動的な財政政策は問題ない。そして三本目の矢である「民間投資を喚起する成長戦略」を具体化するのだとしたらそれには「法人税率の引き上げ」こそが正しい経済理論である筈だ。

 こうして自民党政権「持てる者の党」に対して「持たざる者の党」非自民の党ができれば、国民の支持は何もしなくてもここに集まる。

 細川候補と宇都宮候補の得票差は、この争点に東京都民がどれほど気が付いたか。
 そのメルクマールになるだろう。

 そして、ワンイッシュ、または民意に阿る判りやすいポピュリズムに振り回される政治から、事実に立脚した国民の為の実効性のある政治が取り戻されるかもしれない。

 耳障り良く、実態の無い「第三極」の華やかな、それでいて実の無い空中戦の政治は、時間の経過とともに人々に失望を与えてきた。

 そして、そうした失望の積み重ねによって、投票率が引き下がるに連れて、良く考慮もされない投票行動が繰り返されて、それが石原再選、猪瀬知事誕生に繋がったのだ。その石原慎太郎の驕りの傑出したものが今回の候補の体たらくだ。

 そこに国民や都民の生活や幸せがあるだろうか?


 失望してはいけない。選挙によって選ばれるのは、間違いなく明日の我が身の生活の方向なのである。事実を精査し、地味であろうと地に足の着いた政治を求め続けるべきだ。

 政治状況を作るのは、間違いなく民意なのであって、一人一人の一票なのだから。


 若者に希望をもって明日を考えさせ。
    高齢者に安心をもって明日を思い煩わせることのない社会を。


*1:の一つ

*2:正規雇用の段階的解消、パート労働の正規労働者との格差是正