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映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」


 やっと落ち着いて時間が取れるようになったので、久しぶりにレンタルビデオ店に入って幾つか見逃した映画を見ることができた。その中でも今日は映画「聯合艦隊司令長官 山本五十六」について若干述べてみたい。

 私は戦争は嫌いだが戦争映画は大好きだ。

 戦争映画は大好きだといったが、大好きなものもあるが大嫌いな戦争映画もある。特に東映のビックバジェット戦記物にはハズレが多い。

 これなんぞは、ハズレ中のハズレだ。君が代の歌いすぎで鼻の穴から脳髄でも垂れ流されてできたような代物に違いない。
 映画「二〇三高地」も酷かった。こういった映画が酷い理由は、「国家」と「国」または「邦」「故郷」を一緒くたに扱い、人間であれば当たり前に備わっている「くに(故郷/邦)」に対する情緒的愛着を「国家」の利害に接続させて無自覚なところにある。

 これが自覚的に行われているのであればプロパガンダでありまだ救いはある。しかし無自覚であるのだから、単なる「バカ映画」としか言えない。

 この映画もわざわざ「連合艦隊」というところを旧字体を使って「聯合艦隊」と表記してみたり、本当は「戦争の思い出」なんぞ無いはずのくせに戦争を語るオヤジどもに阿った匂いがしていたが、幾つかの感想を見聞きして少々興味をもった。

 後から気が付いたのだけれど、原作を半藤一利氏に求めているのだから、まあ、内容は見なくても判りそうなもので、やはりその通りとなった。

 戦争スペクタクルという映画ではなく、これは戦記映画?もっというと第二次世界大戦開戦から終了までの、歴史の一コマを判りやすくまとめた動画と言った趣が強い。なにぶん、ストーリーの中で起こる事は歴史的事実なので、あっと驚くような事柄は起きないし、最近であれば、お金さえかければ幾らでも表現可能になった戦場スペクタクルも、驚くほどに拍子抜けの感が否めない。というよりも、ハッキリと言ってこの監督さん、こういった部分を描くのが下手だね。

 それでも見ていて非常に興味深かった点がある。

 それは何かと言うと、実はこのブログでもくどいほど描いている事が、この映画でも描かれている。つまり「政治的決断をするには、事実に立脚する必要がある」という当たり前の事が重視されているという事だ。


 この映画で描かれる山本五十六は、日米開戦で日本が勝利できる根拠を厳しく求める。また、各戦略においても相手側(米軍)の動向について、勝手な憶測を述べるものを厳しくたしなめ、その根拠を求める。

 事実に立脚し、その根拠を求める。そこで得られた事実からだけ、政治的判断を行う。言ってみればこの単純なことの重要性を、この映画は山本五十六というモデルに仮託して描こうとしているように見える。この事が実に為されていないのが現実の社会だ。

 最近でも、アルカイダアフガニスタンの関係など、あやふやに過ぎたことでも易々と見限って米国は事実上の侵略戦争を起してしまっているし、日本においても尖閣諸島の問題で、数々の「嘘」が国内に流通している。( 中国漁船1000隻、18日にも尖閣海域に到着 :日本経済新聞http://www.jiji.com/jc/zc?k=201209/2012091800997&g=soc  頭悪すぎ。 )

 脱原発を訴える根拠にも事実から遊離したものも多いし、孫正義氏が昨年プレゼンテーションした「原発よりも太陽光発電の方が発電コストが安い」という資料は、ちょっと調べればすぐに底が割れるお粗末なデマだった。(このデマなど、同じ構図がこの映画で描かれている。映画では日独伊三国同盟の締結に賛成する若い海軍将校たちが、同盟締結に反対する山本に反論を行う。ここで山本は三国同盟を薦めようとするのであるから、ドイツのアドルフ・ヒットラーの「わが闘争」ぐらいは読んで、ドイツの、つまりはヒトラーの存念程度は理解した上で判断しているのだろうな、と念を押す。若い将校は当然読んでいると答えるが、ではとドイツ語原書の「マインカンプ(わが闘争)」を持ち出して一節(11章)を読上げる。そこには日本人を「劣悪人種」と蔑視した記述がある。しかし当時、日本語に翻訳された同書にはこの部分は外されているのだそうだ。つまり、言語の壁がヒトラー第三帝国アーリア人中心主義を、政治的判断材料から欠落させた事になる。孫正義氏のプレゼンテーションでも、この言葉の壁が使われて「嘘」が流通してしまっている)

 事実に立脚して地道に根拠を積み重ねる。根拠の得られないものについては保留として判断しない。こんな簡単なことができない人が多い。

 勝手な憶測、または楽観的な思い込みを信じてしまうことが本当に多い。

 面倒で複雑な事実よりは、自分の飲み込み易い世界観のまま憶測したほうが楽なんだろう。

 非常に興味深いのは、こういった世界観は、その人物の知的レベルもあらわす。

 例えば、「市議は年間80日しか働かずに、年収2700万円」であるとか「税金で食っているものは極楽」などという世界観や、既存議会や市の職員が既得権を持っていて、それを守る為に市政を歪め、市民に過重な負担を掛けている。というようなテレビドラマの「水戸黄門」のような善悪二元論的で単純な世界観は、その人物の知的レベルもテレビドラマ程度という事になるんだろう。(きっと45分目辺りに由美かおるの入浴シーンでも出てくるのだろうか?)


 生きている間しか「脳みそ」は使えないのだから、適当なところで思考を停止させるのではなく、徹底的に思考を深め、何が政治的判断の根拠となりうる事実か、評価すべきだ。

 ・日本国内で「脱原発」すれば、日本人は原発の脅威から逃れられるのか?中国や韓国に、計画も含めると100基からの原発があるが、これは日本人にとって脅威ではないのか?

 ・民間企業と公務員の間の給与の格差のデータは信頼できるものか?
 ・そのデータが信頼できるものであるとして、では公務員の給与を下げれば、民間の給与は上がるのか?公務員の人員を削減すれば、民間の負担は軽減されるのか?

 ・財政規律といいつつ、国債を償還するとして、デフレを放置して貨幣価値が上がり続けたら、償還した意味があるのか?

 ・「改革」をすれば良くなるという保証は?

 ・「競争原理」に曝されれば「良くなる」という保証は?実際に、最近の日本国内の様々な製品を見てみなさいよ。その昔は日本製品は過剰なほど品質が高かった。製品だけでなく、その取扱説明書であるとか、包装なども。ところがいまやそれらは国際標準とでもいうのか、非常に酷いものになっている。「競争」に曝されれば、品質を上げるという方向に進むのではなく、品質をギリギリまで下げるという方向に向かう事もあるのだ。

 勝手な思い込みが、先の大戦で国を危うくした(というよりも、「大日本帝国」という国家を破綻させた)のであって、その反省もなく、同じ事を繰り返せば、我々は単なる馬鹿者である。

 「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 ― O.V.ビスマルク