市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

報酬審議会の回答

本日(3月1日)の中日新聞名古屋市会議員の報酬について、報酬審議会の回答が取り上げられている。議会が報酬を正常化(増額)することに対して、河村市長が(3度目だったはずだ)諮問をしたことを受けての回答だ。内容は従来通り「諮問内容が審議になじまない」というものだった。

当たり前だ、民主的に公明正大に定められた条例を超えて、報酬を半額にするという事がそもそも異常なんだ。それを諮問されても、まともに取り合うことなどできるいわれが無い。

審議会の中には「年八百万円の根拠が分からない」という意見も出ているらしい。


くどいようだが現在の名古屋市会の議員報酬800万円はなんら根拠のない減額だ。

誰か半減の根拠を教えてくれ。「市民の税金だから、一円でも安い方が良い」とでもいうのであれば、いっそ議会も市当局も解散すればいい。そうすれば市民税5%減税などとケチくさいこと言っていないで、市民税ゼロでも実現可能なのではないのか?(5%減税は約100億円規模。市議報酬の減額効果は6億円だ)

こうやって極端に考えてみれば、いかに異常かが判る。市役所、行政も必要に違いない、市議会も必要だ。なら、応分の負担をするのが当然だろう。

いい加減名古屋市民はこのバカな催眠術から目を覚ますべきだ。

そして市民団体とやらが「市議報酬増額の理由説明を求めて要請書」を出したらしい。「どうして増額するのか説明が聞きたいだけ」との発言が報じられている。

増額ではない、条例に定められた金額に戻すだけだ。(それでも経済状況を鑑みて、一割程度減額してあるそうだ)

では、なぜ市議報酬は800万円ではなく、約1600万円なのか。
その理由が知りたいのであれば、当時の議事録でも報酬審の見解でも調べればいいじゃないか。ちゃんと回答があるだろうよ。

 名古屋市議会の議員の議員報酬及び費用弁償等に関する条例

昭和31年の話だけどね。

つまり、半世紀も続けられてきた制度なのであり、金額なんだ。
半減化した方が異常なのか、半世紀続けてきた方が異常なのか、明白だろう。

自分たちがいかに異常な事を言っているか判らなくなっているのだろう。
(なぜなら、マスコミがそう語っている(いた)からだ)

また「これまで市民には一切の説明がない」というのであれば、議会が市民に報告する場である議会報告会を開催していない河村市長を批判すべきではないのか?

この市長の怠慢を看過して、半世紀以上続いた制度の説明を今更議会に求める?まるで石が浮かんで木の葉が沈む様に似ている。


この議員報酬の異常な議論、中日新聞にも一端の責任はある。それに頬かむりして正常化を妨げるのなら、戦前、戦争を讃歌、称揚したマスコミを批判できないだろう。


いったい何が正であり、何が誤か。それが判らないようなら報道など辞めてしまえ。
(そういえば、アカデミー賞を「スポットライト」が取った。報道に携わる者は必ず見るべき映画でしょうね)


前回のエントリーで河村市長の主張は必ず破綻するという事を伝えた。

「1000mタワー」を名古屋に建てても、早晩東京なりどこかにそれ以上のタワーが建ってしまう事から、そんなモノは何の価値も無いと中学生程度ならすぐに気が付く。そんな事すら気が付かないのが今の名古屋市の市長だ。名古屋市民はこんな人物を市長に選んでいるんだ。

そうしたところ、河村市長の「放置物件」はそれだけではないとご意見をいただいた。

先のエントリーでも触れた「地域委員会」も3大公約だったはずだが、陰も形も無い。
市民税減税も公約は10%減税だった筈が、今では5%だ。そして街宣車にも5%の文字が載っている。市民との公約である市民税減税10%は実現されそうもない。

第二市役所というのもあった。矢田川の堤防道路の封鎖もマニフェストにはあったが実現はされそうにない。

SLはどうなったのだろうか?笹島に鉄道博物館を作るという話もあったはずだ。
港区に作るという10万平米規模の国際展示場計画は?
そして、議論を呼びかけたはずの南京問題は?
広小路の屋台村は?名古屋城の木造化の前に金シャチ横丁とやらはどうなった?
農林水産省や水資源はいつ移転するんだ?まるでシェルターを閉鎖しただけじゃないか。ここにも河村市長の弱者無視の姿勢がよく現れている。

よくもここまで食べ散らかしたものだ。

数年前、河村市長はマニフェストの進捗状況は70%だか90%だか言っていたはずだが、何が実現したのだろうか?名古屋の街は何か変わったのだろうか?

変わったとすれば、堀川の導水路事業が止まったままになっているぐらいだ。
今年もそろそろ暖かくなってくると、堀川の臭いが気になる季節がやってくる。



佐藤夕子市議からは何の資料も送られてこない。弁護士からも連絡はない。

佐藤夕子市議の釈明を求めます。(追記付き) - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0

この記事について、事実誤認であるというのであれば、それを指摘し釈明すべきだ。
記事の存在が家族に対してつらいと言われるのなら、記事を打ち消す事実を自ら示すべきなのではないのか?その責任を果たすべきではないのか?
示された事実を私は隠しはしない。事実、当ブログにおいては幾つかの記事で、提示された事実を元に訂正を入れている例もある。
公職者として、市民に開かれた場所で、堂々と釈明すべきだろう。



先ほどチラッと、米国の映画・アカデミー賞の話題を持ち出したが、作品賞の「スポットライト」には驚いた。「レヴェナント」や「マッド・マックス」の古典として歴史に残るだろう堂々とした構えに比べて、「スポットライト」は地味な作品だ。
両者が作品としての大胆な仕掛けを持つのに比べて、そうした意味ではオーソドックスすぎる作品だ。

題材となった事件が、米国社会において如何に大きなインパクトを持っていたのかという事なのだろうか。

ところで、「レヴェナント」は非常に特殊な作品だ。主人公の顔寸前にカメラを据えて、延々追いかけていく。

この同じ手法を使っているのが外国語映画賞を受賞した「サウルの息子」で。
こちらはこの手法がとんでもない効果を生み出している。

舞台はアウシュビッツ。主人公はここで「最終的解決」に携わる「ゾンダーコマンド」
まさに、人間が作り出した地獄に、見るものを突き落とす。

私は帰り道、本当に打ちひしがれて帰ってきました。


ヒトを灰にまでしてしまう。その存在を「最終的解決」する行為の、ヒトの尊厳への侵犯。
死骸そのものだけではなく、ノートやパスポートまで灰にしてしまうことで、そのヒトの存在を、尊厳をどこまでも毀損していく。

これはハンガリー映画であって、ハンガリーは当時、少なくない人々がナチスに協力し、ユダヤ人を差別的に扱っていたそうだ。ハンガリーからしてみれば、自国の恥を映し出す行為なのかもしれないが、しかし、こうした事実を掬いあげることが、ここで亡くなった人々の尊厳を、100分の一でも万分の一でも回復する事なのかもしれない。


過ちは取り返せない。過去に在ったことは、後に無かったことにはできない。
しかし、その過ちに正対し、そこから何かをくみ取ろうとする努力は、無駄ではないだろう。

こうした過去を無かったかのように語る行為は、死者をして更に灰にし、彼らを亡きものにする行為だ。判るか、南京事件否定論者の河村たかしよ。こうした発言が何を毀損しているか。いかに低劣なものか、認識できるだろうか。

いや、いっそするな。

今更その歳、その地位に就いて、
それでいてその程度の見識しか持てないのであれば、いっそそのまま死んで行くが良い。反省などする必要はない。己の恥は己で抱えていくしかないのだ。