市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

地域再生に向けての一つのアイデア「地域助け合いダイアル」

 以下に述べるアイデアはすでに様々な形で実現化されているものであるようで、そういった事例を幾つか当たってから提案してみたかったのですが、なかなか情報が集まらない為に進んでいません。それよりも、このアイデアを生煮えのまま提示して、それぞれの方が公的セクタ、民間セクタで実現化の可能性を探られた方が良いだろうと考え、そのまま提案してみます。

対応する課題

 現在の大都市の地域社会における問題は「人口は増えるのに住民が減っている」問題であると解釈できます。

 大都市の発展にともなって住宅は増え、統計上の人口は増えています。特に、大規模宅地造成であるとか巨大集合住宅(高層住宅)などの開発によって市域の人口は増えていきます。そうした人口は社会的インフラの要求を加速させ、都市部における社会的負担は増大します。(物流、交通インフラの要求、上下水道や電気、ガスなどのライフラインへの要求)

 ところがこういった「住民」は流入人口であり、特に賃貸集合住宅に住む住民などにとって地域社会はライフシーンの背景にしか過ぎません。地域に根差す意識が薄弱なことなどから、地域との交流、情報交換の機会を失いつつあります。「ゴミの収集日を知らなかった」といって、部屋中をゴミで埋め尽くす一人暮らしの若者の事例もあるようですし、こういった収集日を知らないまま適当にゴミを放置する問題も各地で頻発しています。

 大都市の地域において起こっている問題は、社会的負担を求める<人口>は増加しつつあるのに比べて、地域社会を成り立たせる相互の関係、<住民>が減っているという問題であると看做せそうです。

 そもそも都市部で生活する現代人には相互の交流に関して否定的な態度を取る方々もいます。つまり、隣近所といった人間関係に煩わされずに生活したい。という態度です。
 これ自体は一概に否定できない事柄では有ります。都市部の社会的条件はそういった生活に過剰適応しているともいえます、ですのでその反面として、地域に関わりたくてもそのきっかけが掴めないという人も居るようです。

地域のコミュニティーセンターという場

 実は、こういった問題に地域のコミュニティーセンターが有機的に機能できれば良いのではないかと考えています。

 例えば、地方から名古屋に就職や就学で引っ越してきたとします。ゴミ出しや電気、水道のトラブルなどは大家さんや不動産屋さんが情報提供してくれますが、それ以外の情報については相談の窓口が分からない事が有ります。
 名古屋市においては市がパンフレットを作り、「ナゴヤ教えてダイアル」なども整備されています、また、区役所の窓口でも様々な生活相談を受入れる体制が整っていますが、そうした事自体を知らない人にとっては情報にアクセスする事ができないのです。

 つまり、「知らない事を知らない」という状態を乗り越えるきっかけが必要となります。

 こういった市単位の対応(パンフや電話相談窓口)や区単位の対応(相談窓口)に加えて、地域のコミュニティーセンターでも対応が出来ればより利便性が高いでしょう。実際に、各地のコミュニティーセンターにおいてもパンフレットなどは配備されていますが、そもそもコミュニティーセンター自体の出入りがなかなかできないケースも有ります。また、開いていてもこういった様々な相談に対応できない場合もあるようです。逆に、開いていれば大抵のコミュニティーセンターの運営管理は各地の自治会長、町内会長などから構成される区政協力委員が引き受けていることから、きめ細かな対応をしようとすればできるようです。

 そもそもコミュニティーセンターの存立意義とは地域住民の相互交流であるはずで、そのセンター機能を果たさないほうが施設維持の為にはなるわけです。

 つまり現在では、こういった管理者の目的は、コミュニティーセンター自体の維持管理であり、地域住民への対応を業務範囲とは定義されていません。制度の主眼はコミュニティーセンターというハードの維持にあるのであって、そこに出入りする住民というソフトに向かっていないともいえます。ハードの維持の為にはソフトの介在が少ないほうが効率が良いとも言えます。そのため効率よく維持しようとすれば、業務範囲外の住民に対して排除的な態度に終始するという本末転倒の事柄も起きると思われます。

 だからといって現在の制度のまま、運営管理をしている地域の区政協力委員などに柔軟な対応を求めるのも過剰な負担であると思われます。(そもそも、この一文の趣旨はこういった負担を軽減し、担い手を地域から掘り起こす事にあるのであって、制度改正が負担の増大に繋がるようでは意味が有りません)

 地域のコミュニティーセンターが広く開放され、周辺地域の住民がいつでも訪れる事ができて、市や区からのフォーマルな行政情報から、地域のアンフォーマルな情報まで様々な交流が出来るような場であれば、地域における孤立を解消する一助になるのではと思われます。

 この夏当ブログが求めた「地域避暑」も、直接的な節電や、高齢者や子どもの熱中症対策という目的とは別に、地域のコミュニティーセンターに出入りする人々を増やす事によって、地域内の交流機会を増やす事ができるのではと考えたからです。

 勿論、人的交流が密になれば、そこで発生しうるトラブルも密になるというのは充分理解できます。「地域避暑」についてはその部分の対応は時間的余裕も無かった事などから触れることができませんでした。
 しかし、こういった交流の機会というのは、このようなトラブル以上にメリットも生み出すと思われます。

 公助が縮小を余儀なくされ、自助に負担がかかっています。共助の場はどんどん小さくなっています。孤立した地域住民に共助の場を、機会を設けるためにも、こういった交流の場が重要であると考えます。

 こういった交流の場のイメージで思い出されるのは、名古屋市民であればおなじみの「吉本新喜劇」の舞台となるような、出入りが自由な「うどん屋さん」であるとか周辺飲食店の職員が休憩する裏路地のベンチや公園です。または、レイ・ブラッドベリなどの小説に出てくる「床屋」もそういった風景だろうと思われます。

 そのような場に現在のコミュニティーセンターを開放するのには、管理維持する人的パワーが足りません。それを補う必要があります。

「地域助け合いダイアル」制度の提案

 そこで、提案するプランは「地域助け合いダイアル」という制度です。

 この「地域助け合いダイアル」に利用者が電話をすれば、一回、または一時間で千円程度(この料金設定などは不明です)で人手を借りられるという事にします。
 お年寄りでは出来ない切れてしまった電球の交換であるとか、ゴミ出しの手伝い。通院の付き添いや料理の作成、お母さんがしばらく出かける間の子守りも可能かもしれません。

 これらの雑用を引き受ける「便利屋」を市か、市の認定するNPOに運営委託するのです。

概要

 この要員は地域から掘り起こします。

 出来れば地域の未就労、未就学の若者、失業中の人々に研修を受けてもらい、認定して仕事についてもらいます。

 地域のコミュニティーセンターなどで電話を受ける担当者(作業者の中から輪番制にする?)は時間で給与が出ます。(この人件費は公的な扶助の方が良いように思われます)電話を受けると、その内容、地域によって登録してある認定の作業員に電話で問い合わせを行います。作業員は待機しているのではなく自由です。他の仕事や用件があれば作業を行わなくても問題は無いとします。

 つまり、地域から自主的に認定登録する人を募って、公的な研修を受けてもらう事で作業の仕方、その法的問題や社会的課題を勉強してもらいます。(電話で依頼を受ければ基本的に何でも受入れるべきでしょうが法的な問題がある事柄(法的な代理人となるような事例は受けられません)また、他人の家に公的な認定を受けて上がりこむのですから社会的な常識と責任は学習してもらう必要があります(この辺りの問題は後ほどもう一度触れます))


 利用者、市民は一回、または一時間千円ほどで利用できる。

 そして出来れば、作業者にはこの千円と公的なプラスアルファーが付与できないかと考えます。作業者になると、認定の為の研修、及び、月次なり年次の再講習という形で時給が支払われます。また、電話受けと他の組織運営作業にも自給が発生します。

 最初は認定・登録作業者も少ない事でしょうから区役所に一つの受令所が出来れば良いでしょうが、作業員の増加や利用者の増加によってはコミュニティーセンターに受令者が常駐するようになれれば、その受令者が同時にコミュニティーセンターへのアンフォーマルな来所者への対応をする要員となるのではないでしょうか。
 また、作業者も作業終了後には報告を行う必要がありますから。(作業費に公的扶助が発生した場合、この報告は必須となります(この辺りも後ほど詳しく))今以上にコミュニティーセンターに人が出入りし、その人々が上記のような研修で行政などの説明を受けていれば、そのようなアンフォーマルな来訪者にも良い対応ができるのではと考えます。

 未就労、未就学の若者や、失業した人々と社会との紐帯が途切れてしまう事は、これらの人々にとってだけでなく、社会にとっても問題であろうと考えます。これらの人々を掬い上げる共助の仕組みとしてもこういった制度を柔軟に利用できないものでしょうか。

 特に、失業者に対しては、この作業によって給付を切るほどには収入は得られないでしょうから、一定程度は給付と平行して作業できるようには出来ないでしょうか。

 この辺りは、利用者の支払料金、作業者への支払、作業者が平均的に受取れる月額、公的扶助の総額、割合等、まだまだ考慮すべき課題は沢山有ります。

この制度の問題点

 この制度で今想定できる問題は2つあります。

 一つは上でも述べたように、他人の家に公的な認定を受けた人物が出入りするということです。また、こういった人間関係が密になればトラブルも発生するのは当然の事です。
 児童虐待の問題にとって「児童虐待と躾の線引き」が難しいように、孤立化する老人にとって「保護責任者の法的責任と家族の問題」はやはり非常に難しい問題で、多分、この制度にとっても様々な局面でこういった問題が突きつけられると思われます。ただ、こういった問題から離れるのではなく、社会化、顕在化させる必要もあるとおもいます。
 こういった問題に対して行政がコミットしてもしなくても、問題自体は潜在化しているのですから、積極的に共助の仕組みの中で顕在化させ、社会化させるべきでしょう。

 もう一つは不正の可能性です。

 上のような状況においても作業員が倫理観を保って作業をしなければこの制度自体が成り立ちません。作業員の倫理を保ち、モチベーションを維持させる事も重要な制度設計の課題です。
 
 その他にも、公的扶助が可能であった場合、例えば作業員と家族の間で不正な請求(空請求)をする事も可能となりかねません。
 そのような事例に対する管理、監督の問題もあります。

結語

 その昔は、人集約的企業を運営している地域の実力者という人が居ました。そして、未就労、未就学の若者や失業者を受け入れては社会との紐帯を維持する共助の役目を買って出ていたように思います。今、「人集約的企業」というのはそれだけで業績に疑問符が付けられてしまうでしょう。企業はギリギリまで人を排除するようになってしまいました。(困った事に、市役所などにも「指定管理業者」の導入など、私企業的発想を持ち込んで「人を排除する」近視眼的な人々が多い)

 例えば自由貿易を主張するリカードの理論には「完全雇用が成立している事」という前提条件が有ります。現在のような「荒っぽい新自由主義的経済」が大手を振っている社会では、未就労、未就学の若者や失業者という「割を食う人々」が出るのは当然です。そういった人々に共助の仕組みを駆動させて社会との紐帯を維持するためにも、こういった地域の制度を編み上げて、きめ細かに対応する必要があると考えます。

 是非、「地域助け合いダイアル」の実現化を模索してください。



 後記:すいません。やはり上手く書けませんね。まだ、生煮えで、料金や作業員の身分問題など考慮すべき部分が多すぎます。

 このような制度についての情報をお持ちの方は是非、コメントやメールでお知らせいただければ幸いです。
 また、この文章を読んで「こんな問題が発生するのでは」という指摘や「こういう制度設計にしてみては」というアイデアもどんどんご指摘いただければと思います。

 他地域の事例も無いわけではないようです。NPOなどで展開されている組織もあるようです。そういったNPOなどでは利用者への周知が課題のようです。名古屋が全市的に展開して周知できれば、他の地域のNPOなどにも良い影響が生まれると思います。

 つまり、利用者にとって制度自体なじみが無く、正体不明であれば利用をためらうでしょう。
 市という公的機関が展開する事が与信に大きく影響します。

 そして、一つの市で実現できれば、他地域においても展開が可能となるでしょう。



 一つだけ指摘しておきたいと思います。

 似たような制度がすでに名古屋市において無いかと調べていましたら、このような制度が有りました。
 http://www.city.nagoya.jp/kurashi/category/20-2-10-0-0-0-0-0-0-0.html

 この制度について、ある方から伺っていたと思います。
 その時には具体的な問題点を感じませんでしたが、今になって見てみると大変な問題を感じます。

 この制度は、災害時などの要援護者を、地域で予め調査しておきましょうというもので、学区や町内会で「名簿」を作成するというものです。
 制度自体は大変重要な筈ですが、このページを見ると全然進んでいないように見えます。

 ページ自体の更新も「2009年1月27日」で止まっています。

 つまり、河村市政になって停滞した事業の、これも一つの例なのでしょうか。

 是非、この制度も再起動させてください。