昨日に続いて昨日(1月8日)の中日新聞に掲載された減税日本、広沢一郎幹事長のインタビュー記事を題材に考えていこう。
おおよそは昨日書いたように、増大する社会保障費についての議論を無視して、あいも変わらない「非効率なお役所仕事」を引き合いに出しての「増税」に対する、没論理な反対でしかない。
確かに「増税」を言って選挙に勝った試しはないだろう。それだけに、その逆の「減税」を掲げて選挙を戦おうとする態度が、明白にポピュリズムであることは疑いを得ないが。この増税は単なる増税ではなく、このままでは破綻するだけの、保険であるとか年金といった社会保障の制度自体を救うための議論である筈だ。
実はこの辺りを真剣に議論するのであれば意味はある。河村が言うように「小さい政府」が正しく、国に任せれば非効率で高コストであるから、民間の知恵を利用して民間にできることは民間に任せ、更に競争原理によってコストを下げていく。
という指向であるのであれば、政治的指向として成立するだろう。
つまりこの主張では「弱者は切り捨てていこう」と言っているに等しい。
実際に、河村の主張は「弱者は切り捨てていこう」と言うに等しいのである。
例えば、地域の事は地域で決める。地域予算と、その地域に行き渡る減税のお金を寄附してもらって「市民市役所を作り、地域の人々が自分たちで自治をしていく」と言う姿は、すなわち「では、減税の恩恵に預かれない。高齢者や低所得者が多く居る地域では寄附も集まりませんね」ということになる。「地域の事は地域で決める」と言う言葉の裏には「他の地域の事は知らない、自分の地域の事だけ考えれば良い」という個人主義、利己主義に繋がる。
次の台詞も興味深い。
税が増えれば役人が自由にできるカネが増え、無駄や利権が生じる。減税で無駄を削るべきだ。
この方は卑しくも県議会議員なわけだろ?県議会議員の仕事とは何かというと、県の歳出における「無駄や利権」を監視する立場なんじゃないのか?自らの仕事を否定した発言だね。
こうやって、自らの仕事を否定するから、報酬も安くて良い?逆か、安い報酬なんだから、役人が無駄や利権で歳出を浪費させても監視できませんとでも言いたいのだろうか。
増税したい人たちが「日本国債は暴落する」という。おおかみ少年のようだ。国債のほとんどは国内で買われており、暴落はありえない。
内国債と、その暴落の話は別でしょうな。
国内の通貨供給量によっては、当然暴落はありえるでしょう。(※1)
更に、日本国内の貯蓄は確かに高いレベルにあるが、それとても無尽蔵であるわけがない。そして(特に地方銀行の場合)運用資金に占める公債の比率が高すぎるために、銀行自体のポートフォリオを毀損している。広沢氏は企業経営者ということだが、こういった市況についてはご存じない?
税収は好不況で増減する。不況時には必要な支出のために借金すればいい。好況時に借金を返し、次の不況に備えてためこんでおくほうがより。
だから、昨日 http://www.mof.go.jp/gallery/20110301.htm を引いて見せたよね。特にこのコンテンツの中の「税収の推移」で描いたように「税収が好不況で増減」しないようにするというのが消費税議論な訳だ。ただ、このように税収が市況によって増減しないというのは、政策的な景気のコントロールが効き難くなるという意味でもある。
つまり、そういうデメリットも認識しつつも、ここでは増税するしかないのであって、単に「増税反対」「減税を」と無責任な発言に終始している人間の言える言葉ではない。
確かに、不況時には支出のために借金するのも良いだろう。さて、お伺いしますが、名古屋は今、好況なんでしょうか?不況なんでしょうか?
私は不況であると認識している。であるならば「財政出動」すべきですよね。
河村市長は市債の発行には否定的です。積極的な財政出動も、それに伴う市中の経済に対する振興策もありませんね。
河村市長が、積極的に市債発行できない理由は「減税政策」にあるのは明白です。
完全に言っている事と、やっている事が破綻していると思うのですが如何か?
国民の税への関心が高まっている昨今はわれわれにチャンスだが、年内の解散はないのではないか。
これ以降の話は全て「政局議論」ですよね。それも何も根拠もなければ理念も感じられない。そもそも「国民のため、県民のため、市民のため」という視点はこれっぽっちも感じられない。
どうですか、これ以降の議論のどこに国民が出てきますか?
逆に、上でも述べたように「国民が税への関心が高まっている。この後ろに社会保障の再構築と言う大きな議論があるけれども、そこには目線を送らせてはいけない、議論を深める前に、気付かれる前に、増税対減税で自分たちに有利な戦いを進めれば『われわれにチャンス』だ」という、やはり個人主義的な、利己主義的な思惑を感じます。
いま、日本に必要なのは「増税対減税」などといったバカな議論ではありません。税の負担を何処に求め、どのような負担バランスが良いのかといった議論です。
または、一切の負担を廃止して、市場原理主義、自由競争に任せると言うのなら、そういう主張もされればいい。つまり「弱者は切り捨てる」と言えばいいのだ。
このような議論の中で、経済のイニシアチブを金融資本から奪いなおし、真の意味の「経世済民」としての経済に再構築する必要がある。それには、法人税の累進性を高め、金融取引に対する税の軽減措置も見直すべきです。
こうした負担のバランスを再構築して、2050年に訪れる人口ピラミッドの壁を、日本という国が、国民相互が手を携えて、混乱なく乗り切るように図るべきだ。
※1:金利が上がらないことが、日本の国債の健全性の証の様に言う人も居ますが、この話も転倒した議論だね。
国内金利が上昇すれば、ここまで積み上がった国債の金利増加分は恐ろしいインパクトで予算に襲い掛かる。
逆に、国内金利がここまで低いレベルであるにも関わらず、円が高いというこの為替の異常はどう認識しているのだろうか。