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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

デフレ下における経済政策について

 左の図はTPP議論で一躍時の人になった中野剛志氏の番組"「日本のデフレは必ず解決できる」(2011/03/14)超人大陸」"よりキャプチャーした物である。
 このリンク先の動画を見ていただけば「デフレ下における経済政策について」はご理解いただけると思うので、以上で本日のブログは終了。皆さん良いお年を!


 てな事ができる性分であれば良かったのですが、色々と要らない口を差し挟みたい性格ですからツラツラと書いてみます。

 経済状況に「インフレ」と「デフレ」という物があることは、減税日本ゴヤの市議の皆さんでもご存知だろうと思います。

 需要が多くて供給が少ない状態が。インフレーション。(需要>供給)
 需要が少なくて、供給が多い状態が。デフレーション。(需要<供給)
 つまり、買い手が少なくて、売り手があぶれている状態がデフレーションです。

 買い手が少ない=欲しがっている人が少ない=市場にお客が少ない状態で、それでも売りたいお店が多いのですから売り手側の競争が激化します。つまり、物の値段を下げて売ろうという意思が働きますから物価が下がります。これがデフレーションです。
 デフレーションの社会では物の値段が下がって行きます。つまり「今、買うよりも少々待った方が安くなる」から買い手はより一層買い控えを起します、この買い控えがますます売り手の焦りをかきたて、価格の下落が激しくなります。
 ここに貨幣を加えると、デフレにおいては段々と物の値段が下がってくるのですから、逆に貨幣自体の価値は上がっていく事になります。(同じ貨幣で今日買える物よりも、明日買える物の方が多くなるということは、同じ貨幣でも今日の価値よりも明日の価値の方が大きいとう事がいえます)

 デフレの社会においてはこうやって「お金を抱えていよう」という意識が強くなります。
 物や生産施設を持っている供給者よりも、それらを購入する立場の方が優位になります。
 また、どんどんとお金の価値が上がっていくわけですから、収入が安定している年金生活者や公務員などが有利となります。(※1)

 デフレの社会においては「お金を抱えていよう」という意識が働くと言いましたが、つまりお金(資本)があっても、今日生産設備を買うよりは、明日生産設備を買った方が得だ。または、今日お店を開店させるよりも、来月までお店を借りる契約を待った方が得だ。というような意識が働いてしまいます。

 デフレ経済下ではこのような意識が働くために経済がどんどん停滞していきます。

 私は中学の公民で「デフレは資本主義社会の悪夢です」と習いました。そして先生は「けれど、君たちが生きている間はデフレ経済なんて有り得ないさ」とも言っていましたね。それほど恐ろしく、警戒されていた筈の経済状況が「デフレ」であったはずです。

 さて、ではデフレ経済下においてはどのような経済政策が取られるべきでしょうか。
 まず、「積極財政」を行うべきです。バンバン公共投資を行い、投資減税によって民間部門の投資も引き出すような政策を行うべきです。ここで中野氏は「(ただし法人税減税は無意味)」とわざわざ書いていますが、デフレ局面で法人税を漠然と減税しても、お金自身は持っているほうが有利なのですからそのお金は内部留保、つまり法人内の貯蓄に回ってしまいますので意味がないと言っているのです。
 これに対してインフレ下で行うべき政策は「財政の健全化」つまり、公的債務の縮小です。更に政府支出をカットして「小さな政府」を指向すべきと指摘しています。行政改革、民営化。つまりは新自由主義的政策がこれに当たります。
 ここに「増税」がありますが、ここが河村流とは異なるところでしょうか。このように増税と歳出カットをセットで行えば、市中から資金を回収してインフレ圧力(資金の過剰)を抑制することができます。

 歳出カットと減税を同時に行う河村流減税政策では、歳出カットで資金を止めて、減税で資金を回すという政策ですから一般的には一貫性がありません。この両者を同時に行う事は奇異な経済政策です。

 そして、行政改革であるとか、民営化といった「小さな政府」という政策は、インフレ経済下においては「正しい経済政策」でしょうが、今のような明白なデフレ経済下においては、より深刻化させるだけです。

 もうちょっと見ていきましょう。
 中野氏はデフレ経済下においては、公的雇用を拡大して、つまり「大きな政府」を作りなさいと言っています。
 「金融緩和」を行い、市中に回るお金を増やし、雇用を確保する必要があるからです。この場合、雇用は民間であろうと公的セクタであろうと関係はありません。

 ここで「ワークライフバランス」という言葉が出てきています。上でもデフレ下では「生産設備がどんどん安くなる」という様子を描いてみましたが、これは雇用にも当てはまるのです。デフレ経済下では賃金も下方圧力が発生します。経済原理としてはデフレによって人件費が下がるという事なんでしょうが、人間にとって、職業について日々業務向上を目指しているとすれば、それでも賃金が下がっていくという事はどうなのでしょうか。自身の業務能力は上がっている筈なのに、逆に賃金が下げられるというのは、自身の努力を認めてもらえないといわれているに等しくはありませんか。こんな不条理に耐えられるでしょうか。インフレ時の対策を見てみると対応するのは「競争促進」ですね。インフレ時は「生産設備としての人件費、賃金」も上昇局面を迎えますので自由競争に任せれば良いのですが、これをデフレという局面では公的にコントロールすべきです。社会的規制を強化して労働者保護をしなければなりません。過度な賃金の低下は、これら労働者による消費の縮小という経済的影響だけでなく、労働という行為に対するヒトの意識そのものを毀損します。
 そして、社会の安定を重視して「貿易管理」をすべきだと主張します。つまりこの文脈でTPPにも反対であると主張しているわけです。(「保護主義も可」とまで主張するわけです)

TPP亡国論 (集英社新書)

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グローバル恐慌の真相 (集英社新書)

グローバル恐慌の真相 (集英社新書)

 今、世界的に発生しているのはこのデフレ状況の問題と金融市場の暴走でしょう。
 製造業や個人にとっては、安定が安心を生みます。
 ところが金融セクタにとっては安定は死を意味します。(※2)

 健全な「資本主義」とは、資本を投下してその成果を得るのが本来の姿であって、今のような金融市場主義では経営者は精々一年、または四半期(三ヶ月)での成果を求められます。このような乱暴な市場原理が資本の投下(生産設備、生産環境)を次々と破壊していています。
 フリードリッヒ・リストはこういった生産のためのインフラや人的な環境、文化的な土壌を「ナショナル・キャピタル」と捉えたそうだ。つまり、国・国家に備わった生産性といえるかもしれない。これは「ソーシャル・キャピタル」という概念を導き出すが、それってつまり「地域コミュニティ」と言い換えても良いのではないだろうか。
 こう展開してみると、米国で起きた「ウォルマート・シンドローム」(日本の「シャッター通り商店街」)というのは金融市場主義とデフレ経済が引き起こした結果とみなすことができる。

 デフレ経済というのはこのように地域を毀損していく。

 変化を促すのが、無条件に良いことなのか?
 今のままを維持できるようにすべきなのではないか?
 
 つまり、場合によっては「既得権」は必要な物なのではないのか?
(「既得権」が一方的に良いとか悪いとか言うことではない。経済状況によってそれが良いか悪いか見るべきで、今の様に地域の商店街がどんどん「競争原理」によって衰退し、そのコミュニティが破壊されていくのであれば、その「競争原理」は行き過ぎており、そこで否定された「既得権」が、その地域コミュニティを存続させてきたとみなすべきなのではないか)

 ここで、中野氏の「グローバル恐慌の真相」において展開されているハイエクの解釈が興味深い。
 ハイエクの言う個人と自由という概念は、中野氏が見るところ曲解されている。ハイエクは人間を、歴史的に作られてきた「ルール」という物に強く拘束されており、この「ルール」というものは、道徳や文化的な慣習を指すとみなしている。

 「共同体から切り離された孤独でさみしい個人。この個人というのは非常に弱い存在なので、全体主義的なリーダーのところにわっと集まって、国家のいいなりになっちゃう(略)共同体とか文化とかを破壊したり強引に作り替えようとすると、必ず全体主義に行き着くんだ」(同書 p.54)

 以前にも引用した河村の発言「ほかの議員に嫌われ、無視された議員時代のむなしさに比べたら考えてきたことが話せるんだからうれしいね」(2009年6月24日 中日新聞市民版「河村ウォッチ」)で、なぜ河村がほかの議員に嫌われたり無視されて孤独に陥ったか。その理由が判るような気がする。哀れなもんだ。
 このハイエクの解釈によると、河村が無視されたり嫌われた理由は、自身を成り立たせてくれた道徳や文化的慣習を軽視し、または判りもしないまま否定して係っていたので、賛同者を得られなかったのだ。(※3)

 哀れな河村はおいておいて。この議論でもう一つ大切なポイントがある。
 中野氏は「低成長論者」に対して、需要を否定すれば、需要の中には将来への投資も含まれているので、単純な経済の収縮は「未来を失わせることになる」と指摘している。
 広井良典氏などの「定常型福祉社会」などのドグマはこの「消費」について抑制的であって、投資についてはそうではないと思える。歳出抑制論自身がまず、デフレを深刻化させるものだが。その歳出先としても、今の消費は抑制すべきであるが、将来の投資(社会的インフラの整備)は進めるべきであろう。(※4)

おまけ。こちらで「グローバル恐慌の真相」の著者の二人が対談をしていて、ほとんどネタバレ状態で語っている。
"「グロ​ーバル恐慌の真相」中野剛志×​柴山桂太"



※1:中野氏も著書の中で述べているが、デフレ経済下では民間企業に勤めている者よりも公務員の方が待遇が良いと思われる。ところがインフレ経済下ではこれが逆になる。実際にバブルの頃には公務員になろうなんて奴はいなかった。学生の就職先希望でも金融であるとかマスコミ、電気メーカー等の人気が高かった。これは将来性だけでなく、当時は民間の方が待遇が良かったからだ。
 なので、今の段階で公務員の待遇を云々する五十代以上の人物については、その言葉は眉に唾を付けて聞くべきだ。彼等は有利と判断して民間を選んで、その賭けに「負けただけ」である可能性が高いからだ。
 更に、この文章で述べるように、公務員の給与を下げろという議論は、結局デフレを加速するだけである。これは、公務員の給与のおこぼれに預かるという「トリクルダウン」を言っているのではなく、全体的な経済の縮小を食い止めるには政策的に縮小を止められるところから止めなければ仕方がないと思えるからだ。
 公務員の給与を下げるのではなく、逆に待遇を上げてワーキング・シェアなどの待遇分散を行う方が経済的には有効であると思われる。

※2:ちょっと前に「PKO」という政策が取られました。麻生政権の時ですかね。あまりに過激な株価や為替の動きに対して、政治的に介入して価格変動を止めてしまおうという方針で、自衛隊の参加した「PKO(国際連合平和維持活動) Peacekeeping Operations」にカケて。「Price Keeping Operations(価格安定化政策)」といわれた方針ですが。これは兜町の不評を買いましたね(後半には、これも見越して相場を動かす兵も居たそうですが)
 当時の株屋の言葉で「私たちにとっては株は上がろうと下がろうとどっちでもいいんです。動いてナンボなんでね。今の様に政府が介入して価格を止めてしまっては商売にならない」

※3:この文化の軽視というのは、先人の言葉の軽視でもある。
河村が知的怠惰に陥っているのは、最近の演説が同じことの低レベルな繰り返しに終始していることでも判るように、ろくな対話や読書を行っていないために、情報の停滞に陥っているからだろうと思われる。
 私はその傍証にも気が付いた。普通、新書であっても100ページ程度の(それも政治的な書籍であれば)引用の一つや二つは発生し、参考文献の幾つかは掲載されるだろう。
 ご存知の様に、論考において参考文献は非常に重要だ。さて、河村の近著にはこの「参考文献」がない。
 本文中にも他の著書からの引用や理論の展開がない。
 ・・・・単なる、エッセーか、まあ、居酒屋でおっさんが話しているのを書き留めただけなんでしょうね。

※4:ここでも河村流減税論は無茶苦茶な経済政策であるといえる。
上に述べたように、歳出の削減という資金供給へのブレーキをかけ、減税というアクセルを踏んでいる。その上に、減税によって行われることは主に「消費」であって「投資」ではない。ばら撒き政策につきものの問題であって、これに対比されるのが「米百俵の教え」であろう。
 つまり、必要である将来への「投資」を押さえて、今の「消費」を喚起するのが河村流減税政策と言える。

 もう一つ面白いのが。河村は市長になった途端、棚ボタのように黒字であった上下水道事業から水道料金を下げてみせた。減税政策に伴う「低所得者軽視」の批判をかわす役目もあったのだろう。
 そしてそれをあたかも自身の政策の成果のように喧伝しているが、勿論、市長になって一年にも満たない状態で、上下水道事業で黒字を生み出せるわけがない。この黒字も値下げも、それまで営々と築いてきた事業の成果である。つまり前任の市長や水道局職員の成果である。しかし河村はその成果を料金の値下げでばら撒いてしまっている。
 現在も上下水道においては耐震化埋め替え作業が続いているが、こういった「将来への投資」といった観点はない。
 また、周辺自治体との上下水道事業の統合といった事業にも無関心なようだ。