市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

朝三暮四

 河村の減税政策がブレている。河村にとって市民税減税は最優先政策であり、この為にわざわざ議会解散を求めるリコールを行い、その結果結成された党の名前を「減税日本」と付けるほどの看板政策であった筈だ。
 その減税政策がブレている。
 初期から訴えてきた10%減税(0.6%減税)を譲歩し、減税率を7%(0.42%)まで圧縮するというのである。

河村名古屋市長、7%減税案を正式表明(2011年11月30日 21時29分)中日新聞Web

 河村たかし名古屋市長は30日、最重要公約の市民税10%減税条例案に関し、減税幅を7%とする修正案の協議に入る方針を正式表明した。自ら率いる政治団体減税日本」市議団の会合で「来年度の減税実現に向けた、市民のための政治的決断だ」と述べた。開会中の11月定例議会で、減税日本が修正案を提出する見通し。
 来年度実施を目指す河村氏にとって苦渋の譲歩だが、厳しい財政から自民などの反発は強く、なお成立は不透明だ。
 河村氏は30日午後、記者団に「7%は譲歩できるぎりぎりの線。減税が実現すれば市民も喜ぶ」と述べた。(共同)


 10%減税を固辞固持し、その財源も確保してあると常々言ってきた河村の突然の翻意に、誰もが腰を抜かすばかりの驚きをもってこの報道を受け止めた。(※1)

 ところが、本日(12月2日)もっと驚く事が起きたのである。

 この報道を受けて、「市民税10%減税条例案」を審議している名古屋市財政福祉委員会は、河村の臨席を求め、7%修正案の真意を正そうとした。ところがその席上、当の河村が「7%は思いであり、今でも10%減税案を可決いただきたい」「(減税日本ゴヤの市議団に7%修正案を提出せよと)指示した事はない」と、報道された7%圧縮案を否定したのである。

USTREAM 録画:「名古屋市会 財政福祉委員会 2011/12/2」(市長臨席以降)

討議の模様の書き起こし:(横井利明オフィシャルブログ 2011年12月02日)

 完全なる否定であり、いったい一連の報道は何だったのか?

 集団幻想?

 真冬の怪談?

 更に、この委員会質疑において、横井委員が自民党市議団団長として河村に呼ばれ、市長室で7%修正案について協力を要請されたとまで言っているにも関わらず、河村はその場で7%修正案の話はしていないと否定してしまったのである。

 こうなると、横井委員が嘘を言っているのか、河村が嘘を言っているのかという話にもなる。私も社会人として、様々な交渉事もしてきたが。世の中には「よくも平気で」と思えるような嘘や言い逃れをする人も居る事は良くわかっている。そういった人は、発言の責任が求められるような場面では、常に「言った/言わない」の話に逃げ込む。しかし、すぐに判るのである。「言った/言わない」の話に逃げ込んで、どちらが悪いのか判らないように誤魔化しても、そういった人は直ぐにまた別の人と「言った/言わない」のトラブルを繰り返す。複数の「言った/言わない」というトラブルを抱えている中心人物には注意すべきなのだ。

(こういった言葉の重みに注意しない減税日本ゴヤの人々の文化に毒されている山田市議に言ってあげますが、この委員会討議でなぜ、渡辺委員長が厳しい態度を取ったか判らないかね?
河村は横井委員の言葉を否定することで、言下に「横井さんの発言は嘘だ」と言ったに等しいんだよ。横井委員はその場で反論しても仕方がないと、そこには直接触れなかったが、あの一連の発言は、政治的にどちらかが「死んでしまう」ほどの重要な局面だったんだ。
 だから、わたしは「言葉が重要だ」と言っている)

市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を!-詰み 本来、「信なくば立たず」このような食言が行われれば、それ以降政治的プレゼンスは発揮できない。事の進展をつぶさに見てきた人物にとって、度重なる河村の食言、言い逃れ。牽強付会な強弁には慣れっこになってしまったけれども、こんな重要な政策について、ここまで明確に報道された発言を食言してしまっては、今度こそ市民の信頼も失う事だろう。
 一部には、この場面をもって「混乱と混迷の河村市政、終了の瞬間」とか「河村の政治家としての終わり」と評する人も居る。

 まだ、週明けにかけひと波乱起こる可能性もあるけれども、ここで「中日新聞さえ、この食言をちゃんと報道してくれたら」名古屋市民も目覚めることでしょう。
 なにせ、中日新聞すら「誤報」にされたんですよ。いい加減、支える意味を失いませんか?

 「10%」なんてものに根拠がないように、「7%」だって根拠がない。事ここまで至ってしまえば、「5%」減税(0.3%減税)なら、財源が確保されているといえるのでしょうが、7%では不足が発生するのは変わりない。

 しかし、政治的には「10%」と「7%」では大きな隔たりが起きている。

 それはあたかも木や柱には変わりないが、神社の鳥居に立小便をするものが居ないのと同じだ。神社の鳥居は同じ木でも神が関与する。または、そのように人が想うことで、それを尊重するように要請される。

 「10%」と言う言葉には、河村と減税日本の市議たちがリコール署名であるとか自らの市議選で訴え、公約として市民と約束してきたという重みがある。

 こういった「約束」であるとか「想い」
 それこそ、言葉の重さを河村は自覚できないし、減税日本ゴヤの市議たちは教えられていない。今頃、市民との約束など一顧だにせず、市長からの指示に諾々と従って7%修正案を準備しているのだろう。

 まさに、「朝令暮改」の絵に書いたような例が目の前にあるわけだけれど。ふと、「朝三暮四」という言葉も頭に浮かんだ。
 まさに、朝に7%と言い、昼に10%と言うのであるから「朝七暮十」とでもいうべきかと思ってみたのだけれど、「朝令暮改」と「朝三暮四」では意味が違っていたことに調べて気が付いた。
朝令暮改 ( ちょうれい‐ぼかい ) [ 大辞泉 / YAHOO! Japan 辞書 ]
朝に出した命令を夕方にはもう改めること。方針などが絶えず変わって定まらないこと。朝改暮変。

朝三暮四(ちょうさんぼし) [ 日本大百科全書小学館)/ YAHOO! Japan 百科事典 ]
詐術で人を愚弄すること。
 中国、宋に狙公(そこう)という人があり、自分の手飼いのサル(狙)の餌を節約しようとして、サルに「朝三つ、夕方に四つ与えよう」といったら、サルは不平をいって大いに怒ったが、「それでは朝四つ、夕方三つにしよう」というと、サルはみな大喜びをした、と伝える『列子』「黄帝篇」の故事による。このエピソードに続けて、「聖人の智を以って愚衆を籠絡するさまは、狙公の智を以って衆狙を籠するが如し」とある。転じて、目先の差別のみにこだわって、全体としての大きな詐術に気づかぬことをいう。


 この「目先の差別にのみこだわって」というのは良く判らない表現で、「目先の利益につられて、全体としての大きな詐術に気づかないことをいう」と言う意味にみえる。

 大阪においては、平松前大阪市長は市職員の定数削減、市の市債削減など、なかなかの善政を行ったそうだ。それに引き換え、橋下知事は全体として府の借金を増やしている。(まあ、名古屋においては、こういった公債は借金じゃないと強弁する狙公並みの人が居ますけど)

 今回の「7%修正案」騒ぎは、「 朝令暮改」の例だろうと思えるが、河村市政は「 朝三暮四」の愚かな政策ということなんだろう。


※1(12月3日 14:40):誤字の指摘をいただきましたので、修正しました。

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