市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

寄附金文化の熟成

 本日(9月9日)、名古屋市会9月定例会が開催された。河村市長が減税条例を引っさげて「ファイナル」と表現した市会の開幕である。
 本日は「市長提案説明」があり、それについてあれこれ述べたいと思うが、その前に、以前書いたことの解答を出しておこう。
 そのエントリーで私は9月定例会に向けた減税日本ゴヤ市議団の準備が不十分で「通例で言うと大きな課題がある筈で、それがすっぽり抜け落ちている」と表現した。それは何かと言うと、9月定例会というのは予算議会で、来年度に向けて各会派からの要望する重点政策についての予算要求を市当局に対してぶつけて行くものの筈なのである。
 つまり、各市議が地元からの要望事項、支援者からの指摘事項を予算と言う形で市当局に要求して実現化させていくのが9月定例会の大きなテーマの筈なんだけれども、その調整が大きく抜け落ちているのではないかと思ったしだいである。こういうスケジュールを「サマーレビュー」などと言っているが、実は河村市長もこういった市の行政スケジュールについてはご理解されていないように思われる。(このサマーレビューが昨年は行われなかった)また、則竹元市議も予算などについてはあまり関わって見えなかったようで、減税日本ゴヤ市議団の中にはこういった市当局との年間スケジュールを調整する人が居なくなっているように思われる。

 まあ、もっとも「市長の与党会派」という二元代表制では「有り得ない概念」の政党であるから、市民からの予算要求を市当局に上げていくという事は放棄しているのかもしれない。そして、市長の提案(=市当局の提案)を100%承認していくのだろう。−そんな事なら、議会がある必要が無いんだけど。
 米国の大統領が教書演説をするとか(そして、議会が予算編成を行うのが米国議会)議院内閣制の日本の国会において首相の所信表明演説に対して与党議員が拍手するのはわかるが、本来、行政の執行責任者としての市長に対して、その全てを審査すべき市議会が拍手を持って「提案説明」を受け入れるのは異常な事態である。二元代表制において、そのような態度で居るならば議会は不要だし、すぐに白紙委任状でも置いて退出したほうがいい。そのほうが審議の経費が省ける。(28人の議員が報酬800万円を返上すれば、2億24百万円の経費が浮く)


 と、前提で紙幅を食いましたが。

 市長の提案説明は、相も変わらず「減税」一本で。これに関しては結局アレコレ議論するほうが損と言う気がします。確かに歳入としては大きなインパクトがあるのですが、そこは「市債は借金ではない」と仰るのですから、減税で市債を増やさなければならないようになったら、その市債は「河村商事」に全額ご負担いただいて、その後に名古屋に寄附でもしていただけばよろしい。これこそ、仁徳天皇の「民のかまど」の故事を現代に引き写した、すばらしい政策なんじゃないんでしょうかね?河村市長は歴史に名が残りますよ。

 と、冗談もさておいて。

 実は、本日の提案説明にもありましたが、河村市長は住民の「寄附」については非常に重い期待をいだいています。最近言い始めた言葉に「市民市役所」という言葉がありますが、これもその収入を「寄附」に求めるかのような事を言っています。(市民が「中京都構想」と言う言葉に反応が鈍いと見ると、こうやってまたぞろ「新しい言葉」を打ち出して、何かしらの期待を持たせると言うのが、ポピュリズムの手法です。覚えておきましょう)


 平成22年9月6日に河村市長は次のように発言しています。


 「今回の減税を契機として、寄附文化の醸成を図り、市民の皆さんが、公益寄附ですけれどね、世の中のためになる寄附ということを通じて市政や地域に貢献できる社会をつくっていきたいと考えております。このたびその第一歩として、市の公式ウェブサイトの中に寄附のページをつくりました。これは寄附を検討されている方々に参考にしていただけるよう、ウェブサイト上で公益的な活動を行う団体等を紹介するものです。市の公式ウェブサイトのトップページからご覧いただけますので、ぜひご確認をいただきたいと思います。

 今後は、こうしたウェブサイト上の対応にとどまらず、寄附文化を醸成する方策や、寄附を公益な活動に誘導していく方策につきまして、議論を深めていきたいと思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。

 理解をいただく、納得をいただくというか、ぜひ皆さんの今回の減税分につきましては、いわゆる寄附ではなくて、税率が6%から5.4%に変わっております。0.6%という分につきましては、今までは税金という格好で、名古屋市の市民の皆さんが払っていた分ですので、本当はその税金の使い道を、この市民税0.6%分について、日本で名古屋の皆さんだけですけれど、選択できるようになったということです」


 河村市長はまた、「一年限りの減税では寄附文化の熟成はできない」とも言っています。まことにその通りで、こういった文化の熟成は長年の積み重ねが必要となります。(「長年の積み重ね」−河村市長の最も苦手とするところですね)


 さて、この「寄附のページ」ですが、「市の公式ウェブサイトのトップページからご覧いただけ」るようにはなっていません。こういった政策は長年の積み重ねが必要なので、一旦トップページで呼びかけたのなら、それを継続しなければ意味がありません。私はこの時の市長会見の台詞と、現状の食い違いを例の「アートピア」でも先日の守山における地域委員会意見交換会でも市長に指摘したかったのです。
 市長は、市民税減税で市民に帰るお金を、地域の自治の為に寄附してくれと言っています。それが住民自治の姿だと。日本ではこのような文化はありません。けれど、それを文化的に根付かせるのであれば長年の積み重ねが必要です。さっさとトップページから約束のリンクを消し去るようではそのような文化の熟成はできません。

 また、比較的上位にある「寄附」のページがこちらです。

 このページには比較的たどり着きやすいようにできています。しかし、実は上で河村市長が言っているのは「公益寄附」であり、「公益的な活動を行う団体等を紹介するもの」である筈です。それはこの「寄附」ではありません。実はそれはこちらになります。
「税額控除等」このページの一部、「寄付金税額控除」の項目がそれです。このページは勿論、トップページにリンクなどありませんし、非常に判り辛くなっています。
 ちなみに、同様のページが愛知県にもあります。「個人住民税の寄附金税制の拡充について」
 名古屋市と愛知県、この政策について前向きなのはどちらでしょうか?

 河村市長は、「寄附金文化の熟成」だとか、「民主主義発祥の地」とか言っていますが、そんな事を定着させようと言う地道な努力はお嫌いのようです。

 また、この「寄附」については「東海社会学会」においても仁平典宏氏が「寄付行動は期待できない。アメリカの寄付行動について調査すると、ミドルクラスはスポーツクラブや美術等、ミドルクラス自身が関わる場所にしか寄付しない」と指摘しています。
 この指摘は既に地域委員会の地域予算にも顕著で、社会的弱者に対する施策と言うのが殆どなく、既に自立した比較的豊かな住民に向けた施策が多い事にも現れていますでしょう。
 例えば、守山においては「健康で100歳まで生きる」という、それ自体は否定しようも無いテーマを打ち出されていますが、行政や公共が手を差し伸べるべきは「健康な人」よりも「健康を害した人」では無いかと思えるのです。

 そして、河村市長は地域委員会に地域住民が寄附をと言っていますが、法人住民税はどう扱うつもりなんでしょうか?例えば中部電力などは、3億ほども減税の恩恵を受けているようですが、それがどのように「市民市役所」に反映されるのでしょうか?
 また、こうやって自分たちの地域に、住民自体が寄附をするとした場合、豊かな地域は減税の還付も大きいことでしょうし、寄附も期待できるでしょう。しかし、社会保障であるとか行政の手助けが必要となる独居老人の多く住む地域では、そもそも年金生活の老人が多いのですから市民税減税の恩恵は殆ど期待できません。つまり、支援が必要な地域ほど予算が少ないと言う事になります。(河村市長は税を目の敵にして、税の所得再配分機能を無視しているのですからこの結果は当然の帰結です)
 こうやって、豊かな地域はより豊かになり、そうでない地域はより困窮すると言う、地域間格差が広がる事が、「地域の特色」と言う事なんでしょうか?なんとも粗野な新自由主義な事です。