名古屋市会6月定例会に提出された「市長提案理由説明」(以下:「市長提案」と表記)は誠に酷い代物だった。最近、消費税増税を進める野田政権に対して河村市長は「残虐な政治」という表現を使ったそうだが、私から見ると、「不安におびえる市民を無視し、子どもや老人の悲鳴にすら耳を貸さない残虐な暴君」こそが河村市長であると思える。
以下では、当ブログの6月19日エントリー (資料)平成24年6月定例会 市長提案理由説明(6月19日) - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0 を資料として、この「市長提案」を細かく批判していきます。
アウトライン
この市長提案を市会本会議場で読み上げた時に、本会議場で失笑が漏れた。
全文、約6600文字。400字詰め原稿用紙にして17枚ほどになるこの文章は、しかし前段と後段が繋がっていない。つまり本来、この6月定例議会に提出された、補正予算であるとか、条例案、条例改正案の「提案理由説明」がこの文章である筈なのに、後段に控える補正予算や条例改正案の理由説明が全くなく、5400文字に及ぶ前段(<1>〜<25>までのセンテンス)の「提案理由説明」は減税や脱原発、市民市役所と言った「河村政策」のオンパレードであり、自民党の横井市議がブログで指摘しているように、名古屋を話題にしている文章でもなく、主語が「国」となっている。
横井利明オフィシャルブログ:市長提案理由説明は国政進出に向けた強烈なメッセージ
誰が聞いても「河村たかし国政復帰演説」であって、名古屋市長の市政提案にはなっていない。
逆に、「(条例:4)」と示した「名古屋市揚輝荘条例の制定について」など、比較的河村市政に親和性が高い具体的な政策であるはずだろうに、この前段(<1>〜<25>)に一言も含まれていない。
そもそもこの6月定例会に提出された条例案は5件。その大部分が国の施策変更による整合性を取るための改正で本質的な議論になりにくい。
また、補正予算の規模も一般会計で1億8千万円であり。以前から進められている「津波避難ビルの指定に向けた整備予算」で、結局、この3〜4ヶ月、いったい河村市長は市長として何をやっていたのか?
ほとんど仕事らしい仕事をしていなかったから、何も「提案」するものがないのではないかと思える。
というか、この推測は多分、正しい。
投資顧問会社の看板を掲げていた某社が、実態的に集めたお金を運用していなかったと言って詐欺罪を問われている。市長という看板を掲げた人物は、実態的に何もしていなくても詐欺には問われない。
まったく、税金で食って、尚且つ選挙で選ばれた者は極楽の世の中だね。
こんな人物を生んだのは「中日新聞」や「NHK名古屋」だろうと思うと、その無責任ぶりに反吐が出そうになる。
リクエスト「老人会」
市民もかんづいている。
「最近、河村さんは何をしているんだね?」「何もしていないね。選挙に出て国政に戻るんだろうね」「河村さんに市長をやってもらって、何か変わったかね?」などの声を聞いた。
最高に面白い発言もあった。
「河村さん、早く減税をやってくれないかね」
新聞紙面では「10%減税」と派手な活字が躍っていたのだから、それが5%に縮減されて、更にそもそも6%しか課税比率が無い市民税についての10%減税なので、フルでも「0.6%減税」。今回実施された、半分では「0.3%減税」であって、市民が減税の実感を感じられるのは事実上不可能でしょう。(余程のお金持ちは除く)
そういった街の声で、この市長提案を聞いた人が、特に怒ったのがセンテンス<21>の「老人会青年部」の部分だ。是非、ブログに書いてくれと言われたので、忘れないうちにこの部分を批判しておく。
このセンテンスでは現役を引退したシルバー世代が地域活動に係るように即しているのだが、しかし、実際にはそうはなっていない。
各地域の区政や学区連協では「担い手不足」「担い手の高齢化」を河村市政の初期の頃から訴えている筈である。その当時河村市長の回答は「地域委員会制度」ができれば解決するというものだった。
ところがこの度、その地域委員会制度を全市拡大実施するに当たって、試験実施する地域に求められたのが「準備委員会の30人」である。
「地域委員会を地域で実施しよう!」といって、準備委員会にヒョイヒョイ30人集まるようなら、各地の区政も学区連協の役員も悩んだりしない。
その30人になる「担い手」をどうにか都合する智恵(や制度)を考えて欲しいと願っていたのに。
まるで「屏風に書かれたトラを捕まえてみせます」というから、市長に選んでお願いしたのに「では、トラを屏風から追い出してください」と言われたような気分だ。
との事だった。
そしてこの方が怒る理由が。
そういう意味では、各地の「老人会」も困っている。担い手不足や高齢化が深刻で、市はそのような地域の苦境には何も対応ができない。(実際に、区役所に出かけていっても、せいぜいグチを聞いてもらうだけで政策も予算も何もない。職員が介入するという制度すらない)
本当に河村市長が「老人会青年部」と名乗るのであれば、そんなふざけた事を自称しているのではなく、名古屋の「老人会」に本当に加入して、その声を聞いてみてはどうだ。
そういう謙虚な姿勢が無い。河村市長という人物は自分を誉める人物には近づくが、少しでも苦言を言うと直ぐに疎まれる。更に、河村市長にモノを頼んでも前に進んだ試しが無い。聞くのは調子が良いが、実際には何もやらず、そして文句をいうとそれ以降話も聞かない。
と、大体このようなご意見を頂いて、ブログで書けといわれたので、忘れないうちに書いておきます。
防災について
全体の構成は5400文字、25センテンスに渡って、名古屋市政などそっちのけで、河村たかし国政進出への演説という事になっている。
<1>〜 <6> 東日本大震災から、防災について。
ここでの結論は「市独自で見直すことができるものについては果敢に見直し、できることは直ちに着手する、という姿勢で臨んでまいります。・・・(1)」という「決意」ですが、こんな決意が空念仏であることは、このブログを読んでいただいている方には明白だろう。
実際に、美浜原子力発電所の問題で、国にハザードマップを求めたとされるが、滋賀県が「県独自でできるものについては直ちに着手し実現化」したにも関わらず、名古屋市は放置したままで、今に至るもまだ「国に文句を言っている」という状態な訳だ。
無能市長河村たかし(2) - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
こんな恥ずかしい無能は知らない。
そして、資料のところにも書きましたが、この市長提案全文を読んでみるという方は、是非このセンテンス<3>に注目して欲しい。
そして、ご自分が名古屋市の南部などに広がる、海抜ゼロメートル地帯に住んでいると想像して読んでみて欲しい。東日本大震災とその後の津波の映像は、海抜の低い、臨海地域に住んでいる人々に恐怖を与えた。
東海地震や東南海地震の発生も予測される中「市民の皆様は大きな不安を感じておられると思います」と書いた人物がいったいどのような提案をするのか。よく読んで欲しい。
この文章には驚く事に、この不安を解消するような具体的な方策は書かれていない。
確かに、津波避難ビルの施設整備の予算は付けられているが、そもそも津波避難ビルの指定など、本質的な防災・減災の施策ではない。
直ぐにできる事として民間会社の協力などを仰いで実施した事で、行政が本来する事柄ではない。
先回りをして言ってしまうが。
本当に「市民の大きな不安」を理解しているのであれば、南部に広がる山崎川、庄内川、堀川、中川運河などの堤防の強化や拡張を直ぐにすべきなのではないだろうか。
減税はそのままでは単に経済を縮小するだけで、デフレ状況下では全く逆効果の経済政策であることは明白だが、この文章のセンテンス<18>に提示されている「名古屋城天守閣の木造化」は、ケインズ的に見れば有効需要を喚起する経済刺激策と言えなくもない。
つまり、減税政策と「名古屋城天守閣の木造化」は全く逆の経済政策のはずなんだけどね。 チッ勘付きやがった - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
しかし、百歩譲って「名古屋城天守閣の木造化」をケインズ的経済刺激策として行うにしても、ケインズは「他に有効需要が無いのであればピラミッドでも造れ」と言っているだけで、名古屋市内にも喫緊の課題として、各河川の堤防強化がある筈だろうに、それを無視して「名古屋城天守閣の木造化」を持ち出せるなんて、本当に頭の中にヒマワリかチューリップでも咲いているとしか思えない。
更に、東北で仮設住宅に暮らし、社会インフラも満足に復旧していないこの時期に、名古屋市が数百億に上る工費をかけて「名古屋城天守閣の木造化」を断行したならば。「市民の皆様が住んでいることを自慢できるようなまちづくり」どころか日本中から白い目で見られることでしょうね。(名古屋の人はこういった部分に弱い筈です)
「東北大震災の直後に莫大な冗費を費やして、地元のお城を木造化したナゴヤ」という烙印は「必ずや名古屋の子孫のためのかけがいのない財産になる」ことでしょう。ネガティブな意味でね。
原発について
<7>〜<9> は原発の話題となっている。
どうも、河村ツアーズの「ズワイガニ食べ放題ツアー」であった、「ズワイガニ」つまり、「減税政策」の破綻が明白になってきて、国民からの反応が良くないと思えてきた。
全盛期には「減税(ズワイガニ食べ放題)」で66万票も支持を得たのにね。*1
そこで、季節柄も含めて「お土産付きイチゴ狩りツアー」を企画した。
「イチゴ狩り」に当たるのがさしずめ「脱原発」という事になる。
上にも書いたように、美浜原発におけるハザードマップ一つ一年近くかかって作れないような人物が「脱原発」なんて百万年首相をやっても無理です。*2
ただ、次の2点については覚えておきましょう。
「本市域で必要とされるエネルギー需要をどのような体制で、どうやって賄っていくのかについて幅広く議論してまいります。・・・(2)」
「原子力発電なしでも成長を続けることができる社会システムの構築についても検討を深めてまいりたいと考えています。・・・(3)」
単にどこぞの居酒屋で議論にもならない居酒屋政談を行ったり、「考えるだけ」に終わるのであれば、問題の投資顧問会社とどこが違うのだろうか。
減税政策
<10>〜<16>が減税政策についてということになるだろう。
センテンス<16>で「減税をすると、福祉が後退するという話もありますが」以降、あれもやった、これもやったというのは子どもじみた言い訳で。この言い訳じみたセンテンスが、河村市政の欺瞞性を露にしている。
そもそも「福祉」とは医療だけではない。先に挙げたような防災の取り組みも「福祉」であり、現に減税財源を各河川の堤防検査に回す事ができればすぐにでも対応が取れるわけで、何かに金を回せば、何かは諦めなければならない。
減税政策を行えば福祉が後退するのは理の当然。
減税も福祉も両方を取ろうとすれば、将来の予算から収奪する「市債の発行」を行うしかない。
「責任ある政治家」というのは何を諦めて、何を得たかを有権者に正直に話して理解を得る人を言うのだろう。こうやって「アレも得られる、コレも得られる」というのは政治家ではないし、そういう本来の政治の言葉から遠い者が「戦争とズワイガニ食べ放題ツアーの差が分からない人物」という事になる。
(名古屋のメディアでは、中日新聞と、NHK名古屋と言うことだろう。/そろそろクドイかな?)
面白いのはセンテンス<12>の「誤った認識」を持つ人々の例。
?大半の政治家、?多くの経済学者、?テレビキャスター、?コメンテーター。
この4種類なんですね。経済学者は様々なスタンスにまたがっているのは常識で、どのスタンスに立つかを明白にしなければ「誤った」も「正しい」も言えないだろう。
それにしても「テレビキャスター」や「コメンテーター」といった存在、つまり、娯楽の分野の存在が、政令市長の市長提案であるとか、その演説の論拠として出されるとは。
河村氏のコミットする「政治もどき」の言葉は、こういったキャスターやコメンテーターといった、ある意味無責任な「テレビ芸人」の発言を同レベルなのであり、責任ある政令指定都市の市長をさせてみればその破綻が露になるのは当たり前と言える。
センテンス<17>は減税だけではなく、「企業の投資マインドを盛り上げ」る政策をとれというものになっている。
ちょっと前に「子どもでもわかる減税政策の誤り」シリーズを書いていた。
その中で「預金超過額が多くなる社会を肯定できるのか - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0」というエントリーがあった。
つまり企業の投資マインドを刺激するには法人税率を上げれば良いのであって、すなわち、「増税こそ投資を促し、経済を活性化させる」のである。
河村氏の経済理論の過ちは、この絵に象徴されるように、「経済=お金の循環」を理解していない事だ。
国債が国内消費されるのはまだ良い。しかし、国債に<何故>預金のお金が流れるのか理解していないのが問題なのである。
追記(6月24日):書き漏らしました。
センテンス<16>で「名古屋市は減税を実施したからこそ、行財政改革が進んだのであり、人件費10%削減や」と騙っていますが。
名古屋市職員の人件費10%削減という事実はありません。
204億円の幻想 - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
「市民市役所」
<17>〜<25>までが、減税によって市民に可処分所得が増えたので、それを公益寄附に回してもらって、「市民市役所」を作るという話を展開している。
この「市民市役所」はまあ、「京都筍食べつくしツアー」みたいなもので、有権者の反応が鈍いので最近では余り言わなくなった言葉だろう。
この部分で特に注目してほしいのがセンテンス<23>である。
この文章は非常に酷い文章なんだけれども。「児童虐待」や「高齢者の孤立死」について問題意識を持っていることは分かる。では、その対策はどこにあるのだろうか?さあ、注意深く読んでみてください。
「身近な課題を地域ぐるみで助け合い、対応していく仕組みができれば、素晴らしいことだと考えております」という「身近な課題」には「防災」しか含まれていないように受取れるが、大きく譲ってここに先の2つの問題も含まれているとしよう。
しかし、卑しくも政治家である身が「 都会に埋もれがちな子どもやお年寄りの悲鳴」とまで言って問題意識を明示しながら、その対策が「地域ぐるみで助け合い、対応していく仕組みができれば、素晴らしいことだと考えております」という他人任せで、尚且つ願望を表明するだけで許されるのだろうか?
許されるのか?中日新聞さんや、NHKさんは? え?
ここでも忘れられないのは次の一文
「新たな挑戦である地域委員会と公益寄附、すなわち「市民市役所」により、本物の住民自治がここ名古屋に生まれ、日本を牽引する力となります。・・・(6)」
さあ、地域委員会はどういった次第になるでしょうか。そして「公益寄附」は。
実はこの「公益寄附」こそが、このブログが単なる「地域委員会制度の研究」から大きく踏み込んで「反河村」を明確にしたきっかけになっている。
A.A.K.顛末記 その5(E) - 市長のための市会ではなく、市民のための名古屋市会を! Ver.2.0
アートピアホールでの会合が去年の6月20日 。あの時、私が指摘した「市民税の控除対象寄附」。河村市長が私という単なる「一名古屋市民の声」に真摯に対応していれば、今、問題となる「公益寄附」ももっと具体化していたのではないのか?
結局、不作為、怠業の結果は、「自業自得」河村氏自身がかぶるべきだろう。
つまり、全体として、市民の災害に対する不安を知り、児童虐待の子どもの悲鳴を知り、高齢者の孤立死や、お年寄りの不幸も知りつつ。それらについては単に「客寄せの口上」に使うだけで、何ら具体的な対策も提案も出すことはない。居酒屋の酔っ払いよろしく国政に対して批判ばかりを繰り返すが、その論拠は一人合点で根本的に説得力が無い。
「市独自で見直すことができるものについては果敢に見直し、できることは直ちに着手する、という姿勢」と言いつつ、(ハザードマップ一つ)滋賀県にはできて名古屋市の河村市長にはできない。
そして、そういった不幸、不安を尻目に「名古屋城の木造化」を夢見る。
単なる、無能というだけでなく、これが残虐な暴君でなくてなんなのか。
こんな姿は某投資顧問会社以上に酷い。そしてそんな無責任政治家に提灯をつけて、票を集めているのだとしたら、共犯であり、製造者責任が問われる。
ね、中日新聞さんと、NHK名古屋さん!(なぜ、結論がメディア批判に行くのかは不明)
と、今日(6月22日)は昼からもう一本、ブログを書かなければならないだろうから大変なんですよ。
追記(6月24日):これも書き漏らしていました。
センテンス<23>に最近良く使われる言葉が含まれています。
「過去の古文書などを皆で紐解き、今自分自身が現に住んでいる地域の歴史がどうであったかを知ることにより、地域の特性に応じたきめ細かい防災に取り組む」
このセンテンスでは、こうやってご自分に興味の有る過去の古文書の話に話題が移ってしまったので、児童虐待や高齢者の孤立死といった問題に対して、何も対策を打ち出していないという醜悪で残虐な文章になっているのですが。
東日本大震災を契機に、地域には百年、千年昔の防災の知識を神社や地名として残してあるという先人の智恵が注目された。
これ自体はその通りで、確かに見直す価値はあるのだろうが、しかし、名古屋はここでいうような状況にあるだろうか?
東部丘陵地帯は昔から災害には強い。しかし、そもそも人口が少なく、そういった意味では伝承も少ない。
西部の木曽三川流域は様々な防災の智恵が今にも残っている。
名古屋市内はこの流域の智恵をお借りする事はできるだろう。
しかし、名古屋市の各地域を考えた場合、このような範囲は約半分に狭まる。
なぜなら、三百年も遡れば名古屋の半分は海かせいぜい干潟だったのだから。
多分、ご自分の居住地域の例をもって、その狭い視野から繰り返し語っているのだろうが、こんな暢気な事を言っているうちに、とっとと市内河川の堤防強化でもすべきだ。
というのが、三百年前は海である、海抜ゼロメートル地帯に住んでいる方の意見であった。(最近、南区、港区から東部丘陵地帯に引っ越す人が多いそうです)