市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

二転三転猿回し

一般的に、様々な事柄で「知る」ことは重要だ。

知ることによって興味がわき、興味がわくことで次の知識を得ることができる。

私の家で飼っている猫は、家に持ち込まれた物品の匂いを必ず嗅ぐが、猫ですら、こうした未知のものに対する好奇心は失わないのであり、すべての生物は、好奇心を満足させるために生きているとも思える。ましてや、知的活動に多大な荷重を置く人間に於いて、知的好奇心に駆動されない人生には意味があるのかとさえ思える。私には、労働や、その社会的意義ですら二次的なものであり、私のすべての行動の起点は、この知的好奇心であると思える。

知的好奇心というのは、知的好奇心によって蓄積された知識を前提とする。蓄積された知識が偏っていれば、そこから構築される知識はまた偏ってしまい、偏った知識の持ち主が理解する社会の形は、ひどく歪んで見えるだろう。

ここで大慌てで指摘しておくが、たぶん、誰もこの社会を万全に見渡せているものなど居ない。
誰しも社会を、多かれ少なかれ歪んで見ているし、見えない部分も当然ある。

ミシェル・フーコーは、見えない部分を見えているかのように思い込んでしまう人間の特性を批判したが、人間の知的怠慢とは、このように解らないことを解らないとして保留しておくことではなくて、その解らないことを解ったように思い込み、そこで思考停止をしてしまうことだ。

知識を得、それに対して謙虚な姿勢で臨めば、知識というものを得れば得るほど、その先の不明な部分の巨大さ、深遠さに心が奪われる。知識を得るほど、解らないことが多く、広くなっていく。しかし、その深淵は同時に、ヒトに恐怖を与える。そのために、解らないことを解らないまま保留する知的態度を維持するには努力がいる。

まあしかし、こうした知的活動に背を向けて、絶対的確信を持ち、自分は正しく認識し、正しく考えていると思えている人々の、なんとも言えないアホ面、というか、確信に満ちた表情には、清々しささえ感じるのだ。(高須某が愛知県議会に知事解任を請願してはねつけられ、自分はソクラテスの弁明を行ったのかとツイッターでつぶやいていたが、全く逆だ。ソクラテスは自身の無知を知っていると言っているのに対し、この高須某は小学生程度でも知っていることを知らず、自身が正しいとソクラテスに自身を模しているのだ、こんな傲慢はあるまい、こんな蒙昧はあるまい)

心にわだかまりがなく、彼/彼女にとっては、この社会は理解しやすいものなのだろう。ご愁傷さま。

さて、何を言いたいのかといえば、またまた減税日本河村たかしのバカさ加減を批判するわけなのだが。

これは全くの戯曲、よしもと新喜劇よりも面白い、喜劇だ。文明国日本の、230万政令指定都市の市長が、根っからの馬鹿であるという事実。こんな面白いコンテンツを、なぜ名古屋市内のテレビ局も、新聞社も放置しておくのか。

市議会の中で起こっていることについて、それを理解し、楽しむためには前提となる知識が必要であって、そうした前提が無ければ、楽しめないからだろうか。しかし、前提となる知識が無いから、楽しめない、楽しめないから見ない、聞かない、読まない、見たり聞いたり、読んだりしないから、知識がつかなくなり、知識がないから楽しめない。残念なことだ。

不思議なことがある、少なくない人々は政治を語るのが大好きだ。

たとえば、先日の日曜日にも、大須の街では多くの市民が、大村知事のリコールを求めるために集まったのではないのか?
彼らは、愛知県政について知っているから、「大村知事は日本人の心を踏みにじる」と騒いでいたのではないのか?

話は全く違うのだろう。あの場で大村知事のリコールを求めていた者たちは、政治や愛知県政、ましてや民主主義などの知識を持たない者たちだ。そうした知識を持たないがために、扇動者が「大村知事は独裁者だ」といえば、それを「信じて」しまう。その言葉の正当性について、自分の頭で判断する、そうした知的能力も、知識も、誠実さもないのだ。(自分の不明によって赤の他人を誹謗する行為は、誠実さに欠けるだろう)

国を正しく導くには、有権者の多くに正しい政治的知識を持って貰う必要がある。そのためには、多くの有権者に政治の本当の場面を見て貰う必要がある。その現場は議会であり、議事録の中にある。そうしたものに、触れて、自らの頭で考えるために、一つの導きを示したいのだ。(何も、私の考えが、「正しい政治である」といっているのではない。しかし、政治の現実の場面に、こうした戯画のような場面が有るのであれば、それを市民、有権者に示し、何が行われ、何が正しいか、考えてもらう機会ぐらいは示せるだろう)

減税日本は、今名古屋市会に、「議員報酬半減条例」を議員提案している。彼らの公約である「名古屋市会議員、報酬800万円」を実現するための条例案だ。

こうした議員報酬や公務員給与を引き下げる考え方はまったく経済学的に間違っている。

公務員や議員、国会議員が報酬を得れば、民間や国民の財が奪われる。なんて発想は、完全に間違っており、「狂っている」と言っても良い。公務員や地方議員、国会議員の報酬は、間違いなく国家の総報酬の一部であり、総消費額の一部である。これを削減すれば、国家の消費総額も削減されるのであり、具体的に見れば国会議員の訪れる料亭の売上が下がり、地方議員の買う車が安いものとなり、公務員の家庭の家計も縮小する。つまり、そうした消費を当て込んだ、民間企業の売上も落ち込むのであり、そこで働く雇用者の所得も減る。国内で、誰かの報酬を引き下げようとすれば、すべての者の報酬が減る。正規雇用で働いていた者を、非正規に切り替えて、企業は人件費を削減したつもりかもしれないが、そうした動きは雇用者の総収入を減少させ、国内消費を引き下げる、その結果、企業業績が落ち込み、利益の減った企業はまた、人件費を抑制しようとする。こうしたデフレスパイラルと、合成の誤謬が、この30年間この国を苦しめ続けてきた縮小均衡論であり、財政再建論だ。この誤りにまだ気がついていないのが、無能市長河村たかしである。

今般の東京都知事選挙に於いて、ロストジェネレーションを3000人雇用するという話も出ている。積極的に、公務員を雇い入れ、公務員給与をあつくすることが、現下のデフレ経済には効果的な「流動性の上昇」を生み出すのだ。民間は、個々の企業業績に縛られる。それでも昭和の頃のような緩やかな企業グループが有った頃には、個々の企業や、産業分野の景気低迷を長期的、全体的な視野でカバーするという方策も取れたが、現在のような単年度会計(や、半期、四半期)の会計を重視する、(私から見れば誤った)米国型企業会計の結果、長期的視野に立った雇用促進はできない。

民間でできないのであれば、公的セクタが行えば良いのだ。

まあ、そうした全体的な論点はともかく、減税日本が議員報酬の半減を条例案として出してきた。

問題は、その提案理由だ。

彼らの言うように、議員報酬半減が「正しい」のであれば、そうした立論を堂々と打ち出せばいいだろうに、今回、条例案を提出した理由というのが「コロナ禍に伴う財調基金」の減額ときた。つまり、彼らの日頃振り回す「市民並み給与」だとかの理由に説得力がないことを、彼ら自身自覚していると言っているに等しい。本当に正しい政策なら、新たな理論など要らないだろう。

通常、災害発生に備えて、名古屋市は100億円程度の財政調整基金を準備している、それがこの「コロナ禍」対策で消費され、残額が5,200万円あまりになったとは、中日新聞でも報じられた。(6月24日)この問題はすでに本会議でも取り上げられ、議員からの質問に、名古屋市の財政当局は、国からの「新型コロナウイルス感染症対応地方創生臨時交付金(第2次)」が123億円あまり交付されることが回答されている。つまり、中日新聞を読んでいる程度の市民は、名古屋市の防災資金が底をついたと思っているが、市議会を詳しくフォローしてる者にとっては、「コロナ禍に伴う財調基金の払底」は単なる危惧と解っているわけだ。

ところが、減税日本の議員は、これを理由に議員報酬を削減しろと言ってきたのだ。

これはとんでもない誤りだ。理由は2つある。

1.上に述べたように「財調基金の払底」は単なる危惧であり、事実ではない。
2.「財調基金」として必要なのは100億円程度であり、議員報酬の削減で賄える金額はせいぜい年間、600万円×68人=約4億円程度のことでしか無い。

まったく足りないのだ。

「気は心」というのなら、減税日本の議員が総辞職でもすれば、1400万円×14人で年間約2億円が浮く。それに減税日本が議会から消えてくれれば、深夜議会など無駄な時間が減るので議会運営費も安くて済むだろう(といっている、本日(7月2日)もこの問題で深夜議会になりそうなのだ!)

さてさて、減税日本が議員報酬半減の条例案を提出してきた。

これを受けて、まず総務環境委員会で、減税日本の市議が「受け取らない」としている800万オーバー分についての議論が起こった。その際、減税日本の市議は、「納税の為に、オーバー分を使った」というのである。

彼らの公約は「報酬800万円」である。それならば当然、公租公課は、この800万円から賄われるべきであり、納税のためにオーバー分を使ったのであれば、公約違反だ。減税日本市議団の初代団長、則竹元市議は、公約で使わないとしていた費用弁償のお金を使ったことで議員辞職した。その例に倣えば、この減税日本の市議は議員辞職すべきだろう。なんといういい加減でインチキな認識だろうか。

またまた、財政福祉委員会でも議論が起こった。

条例案提出の際の提案理由で、上記のように「財調基金の払底」を理由としたのだが、財政局としてはそのような事実がないこと、国より交付金が送られてくることなどが回答され、減税日本のいう提案理由は成立しないこととなった。

ここで、減税日本の市議が、「それでは提案理由を撤回させていただきます」と発言したらしい。(これは、委員会ではなく、議会理事会での発言のようで、発言の主は大村幹事長であるらしい)

減税日本お得意の「二転三転」のまず一転目ですね。

しかし、条例を定めるという時に、その条例の提案理由を撤回するというのであれば、条例案自体が必要なくなる。理由が間違っていたなら、当然、そのための条例も必要ないのは明白だ。

提案理由を撤回するというのであれば、条例案自体も撤回するのが当然であり、条例案を引っ込めるのかと問われると。引っ込めないと来た。「二転三転」のニ転目だ。理由はない、しかし引っ込めないんだと。アホか。

さてさて、そんなわけで名古屋市会は、またもや減税日本の市議たちのおかげでにぎやかな夜を迎えそうです。

その後、条令案自体を撤回するということになったようだ。

なんだろう、彼らの思惑どおりってことか?
つまり、どうせ議員報酬半減条例なんか通りはしない、成立しないが自分たちは提案しました、他会派の妨害によって、自分たちの正しい行動は妨害されました。という「アリバイ」でも作りたかったのだろうか。戯画でもよしもと新喜劇でもない、これはサル芝居だ。


名古屋城住民訴訟について

次回、第八回公判は

令和2年8月6日(木)午後2時
名古屋地方裁判所 1号法廷です。

住民訴訟についての動向は、順次お知らせいたします)


また、感染症対策で停止していた月例会、7月に再開する予定です。

現在のところ、

7月11日(土)
午後1時より、
北区黒川の「生涯学習センター」
第一集会室で、

開催予定です。

(7月7日提出予定の原告側「最終弁論」をご覧いただけるかもしれません)

peraichi.com


名古屋城天守閣木造化事業、基本設計代金違法支払い訴訟第七回公判

名古屋城天守有形文化財登録を求める会」のご報告

名古屋城天守閣木造化事業、基本設計代金違法支払い訴訟
第7回公判は令和2年6月23日開かれ、

名古屋市側より「準備書面(5)」が提示されました。
(乙24,25号証(職員証言)を含み公開します)

drive.google.com

会のホームページも更新しました。

peraichi.com


ここまでに至る議論を追うには、以下の資料を御覧ください。

令和元年12月5日の第5回公判は、途中判事退席による合議を挟むなど、一時間を超える公判となりました。
そうした経緯を含め、原告(市民側)と被告(名古屋市側)に裁判所より以下の2点が示されました。

・「第5回口頭弁論期日までの原告の主張の要旨」(令和元年12月18日 地裁)
連絡事務20191218.pdf - Google ドライブ


・2月12日までの被告に対する宿題(地裁)
連絡事務20191205.pdf - Google ドライブ


・被告準備書面(4)
上記「宿題」に対する回答
準備書面(4).pdf - Google ドライブ

この準備書面4にはそれ以前に原告より示された「名古屋市の違法性」に対する否定は特に盛り込まれていない。反論がなかったため、特に原告より「それでいいの?」という意味も込めて「求釈明」を求めた。

・原告求釈明(1)
390_原告市民:求釈明(1) 2020年3月4日 - Google ドライブ

・それに対する被告の答弁が「準備書面(5)」となる。
400_被告名古屋市:準備書面(5)2020年4月23日 - Google ドライブ

特に注目したいのは、

 「文化庁基本計画書」なるものの定義

 要件水準書が「必要最小限の業務の概要」であるとか設計に係る条件、水準を一般的・抽象的に示したものに過ぎない」という解釈の根拠

を求めたのでありますが、被告名古屋市において、自身の発言を根拠にする以外、法律、法令等の根拠がない、名古屋市独自の解釈、判断であるとした点です。

「そんな事だから、すでに出来上がっているはずの2020年7月においても、完成を見ないどころか、着工すらできない」と言うことでしょうか。

また、本日の公判において、裁判長より、結審の方針が示されました。
早期に結論が出るかも知れません。


名古屋城住民訴訟について

次回、第八回公判は

令和2年8月6日(木)午後2時
名古屋地方裁判所 1号法廷です。

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大村幹事長不信任決議における減税日本の問題点(6)

6月12日には議会運営委員会も開かれたようだ。公開質問状の回答に対する公開質問状も提出されるらしい。

至極当たり前のことから説き起こしていきますが、議会というのは、立場も考え方(政治指向)も異なる人々が集って、お互いの主張、利害を調整する場である。(前回は、ここでクラウゼウィッツが出てきたのが、間違いの元で恐ろしく長くなってしまった)

自民党共産党公明党民主党。仲良しクラブではなく時には厳しく利害が対立する。それぞれに受け入れられない部分があるのは、当たり前で、だから様々な政党が成立する。

こうした様々な政党が、それでも共通の目的は持っている。つまり、名古屋市の行政を効率よく実行させ、議会をスムーズに進行し、法に定められた議会の審査や議決を行うことだ。議会がスムーズに進行すれば、それだけ行政も効率を上げることが可能となる。逆に、議会がもたつけば、議決待ちの案件などが発生し、市民生活に影響を与えるかも知れない。

スムーズな議会運営のために、協議機関として議会運営委員会があり、その準備会として各党(構成員が5人以上の「交渉会派」)の幹事長が集まって協議する理事会が有る。

実は、減税日本ゴヤは構成員が13人なので当然「交渉会派」の要件を満たしているが、以前「議運離脱宣言」を出しているために、それを持ち出せば議運の議事に減税日本ゴヤを排除しようとすればできる。しかし、それを行えば減税日本ゴヤに投票した有権者は失望する*1だろうし、市長は「対立軸(=騒ぎ立てるネタ)」ができて喜ぶだけだろうから、敢えて行使していないようだ。


こうした協議の場で、各会派(自民党から共産党まで)の理事が減税日本ゴヤの大村幹事長の発言を不信としているのであれば、減税日本ゴヤや大村幹事長としてはできることは2つしかない。1つは理事会に出席する議員を代えることであり、もう1つは大村幹事長が行いを改めることだ。

減税日本ゴヤの副幹事長は今、中川議員であり、他会派の理事からは、大村幹事長の代わりに中川副幹事長を出してください。というような提案が出されているようだ。

ここで私が疑問に思うことは、大村幹事長に他会派から不信任を突き付けられたのであるから、会派内で善後策を議論するべきだろうが、それが為されていないことだ。減税日本ゴヤにはこうした議決機関は議員総会*2しか無いので、それを開くべきだろうが。それが開かれていないようだ。

それより何より、大村幹事長に不信任が出された経緯について、わざわざ「公開質問状」で議会側に訪ねなければならないほど「(大村幹事長本人に)聞いてもわからない」(佐藤夕子団長の言葉)ということは、当然の事に会派としての善後策も確定していないということになる筈だ。

つまり、大村幹事長の行いを改めるという手段は取れないということになるだろう(なにせ、何が悪いのか自覚がないのだから)

ならば、中川副幹事長を代わりに出せばいい。減税日本ゴヤが理事の交代を拒むのであれば、理事会としては減税日本ゴヤ抜きで進めれば良いのではないだろうか。大村幹事長と、理事会が議論しても水掛け論になるだけではないのか?

前回、河村代表や減税日本における民主主義の無理解を披瀝した。河村代表は、自身や仲間内の権利意識は高いが、他者の権利については無理解である。いまも、減税日本ゴヤの議会運営委員会、理事会に対する対処方針について、一部の議員が協議するだけで、所属議員にも説明がないまま、勝手に決定事項が理事会に提出されているようだ。そもそも前回の公開質問状においても、党も会派も有権者に対する説明は一切無い。

有権者/市民に対する情報公開もなく、意見聴取もない。

所属議員にも事情の説明をしないということは、その所属議員を無視するだけではなく、これら議員を付託した支持者をも無視する行為であって、公の政治政党としては有り得ない。

佐藤団長、大村幹事長、余語幹事は、こうした権利侵害を自覚しなければならない。

減税日本に民主主義はなく、河村たかしも民主主義を心得ていない。

そもそも民主主義とは何か。理解しているのだろうか?

17世紀、ヨーロッパにおいて、キリスト教のあり方(大雑把に言って、カソリックプロテスタントの相違)を巡って対立が深刻化し、長い戦乱と成った。三十年戦争と呼ばれる戦乱だ。この凄惨な戦いの末、ヨーロッパはウェストファリア条約という合意の下に戦いを収めた。

ヨーロッパの人々は、お互いが信じる、カソリックプロテスタントという宗教的確信に殉じて戦い続けたのであるが、こうした主観的確信(好き嫌いと言っても良い)を主張して(押し付けて)合意を求めても、それが不毛である事を知る。

つまり「私が信じることについて、他者からとやかく言われる事は不当である。こうした私の確信について、私の自由な決定権は、当然に認められるべきである」とするのであれば、同時に「他者の信じていることについて、その言葉や表現が、私にとって<虫酸が走るほど>受け入れがたいことであったとしても、その他者の自由は認めなければならない」*3

近代的な自由の思想はここからはじまる。

自分の思想信条の自由を守るのであれば、
他者の思想信条の自由についても尊重し、守らねばならない。

これが「リベラリズム」の姿だ*4

そして、それまでの王や宗教的指導者といった権威を持つものの独占的主権政(王政)から貴族や王族などの集団による集団政へと移行していく。

これは王政よりも(限定的)民主政の方が「優れている」から移行したわけではない。激化する国家間競争において、一人の人間が決定するような政治よりも、複数の人間による協議によって決定を行ったほうが、広い知見、優れたプランが生まれやすく、優位に立て、結果として王政が駆逐されたとみても良い。

ここにおいて限定的ながらも、集団の合議を行う「議会」が生まれる。(ローマ帝政下におけるユダヤ自治組織サンヘドリンや、古代ギリシャにおけるエクレシアなどの例はある)

こうした協議で意見の対立が起こると、それまでは決闘だの戦争だのといった実力行使か、王や宗教的権威による裁定を仰いできたが、議会においてはお互いの主張を構成員に聞いてもらい、どちらがよりもっともな主張であるかを決定するという、様々な方法が開発された。(単純な多数決はその1つであり、重要な決定については全会一致でなければならない、や3分の2を求めるもの、また時には全会一致の議決は無効とする*5という規則を持つ会議も会った)*6


開かれた議論、公平で公正な判断が、民主主義の基本であり、減税日本にはそんなものは無い。*7


ここでもう一つ重要な考え方がある。それは「設計主義」と呼ばれるものだ。

例えば、王政を打倒し、四民が平等に会議を開けば良い国となる。という思想の下にフランス革命は起こされた。ロシア革命共産主義思想の有効性を信じて、王政を打倒し、共産党一党支配を求めた結果だ。すべての「革命」と呼ばれるものは、こうした政治思想を信じて為される。

これは、「人間は理想社会を設計可能で、それが実現されれば、理想社会は訪れる」という考え方が根底にある。*8

それ以降、このサブセットは様々に提案される。

ユダヤ人を排斥し、共産党を退ければ、ドイツは輝ける栄光を取り戻す。と訴えたのはアドルフ・ヒットラーであり、大阪府市が統合し、大阪都となれば二重行政が解消され、大阪は復活できる。としたのが「維新(=革命)」の橋下だ。また、現在の自民党(というか、清和会)が主張する「憲法改正して美しい国へ」という主張も、こうした設計主義の匂いが立ち込めている。

そして、名古屋においても「減税が実現すればどえらいことが起きる」と煽っているのが、河村代表だ。(「名古屋発 どえりゃあ革命!」が出版されたのは平成23年(2011年)だ)

言っておくが、河村流減税は「歳出削減=行政の削減」によって、事業規模を縮小することによって、納税者の負担を軽減する(=再分配を縮小する)という主張である。維新の府市統合も「行政の削減」の文脈だ。今般のコロナ禍において、イタリアよりも少ないICU病床率や、満足にPCR検査も行えない保健所の人員体制など、現代日本において、異常なほど削った行政の問題点が顕在化している。それなのにこれ以上「公務員を減らせ」と言っている者は、こうした現実が見えていないのだろうか。それは真っ当な議論ではなく、何か別の意図があるように思えてならない。

公務員は多いのか少ないのか、その実情を国際比較でさぐる(2019年時点最新版)(不破雷蔵) - 個人 - Yahoo!ニュース


それはさておき。

こうした「ナニナニが達成されれば理想社会が訪れる」というような考え方を「設計主義」「人間は理想社会を設計可能」とする考え方だ。

こうした事例の嚆矢である「フランス革命」において、そうした考え方に疑問を持った一人にエドマンド・バークがいる。「保守思想の父」と呼ばれている。

保守思想という概念は、こうした「革命」に対する考え方として生まれている。

バークは人間は不完全なものであり、完全な社会など構想できないし、いつまで経っても理想社会など成立しない。人間にできることは、いま目の前にある様々な問題を少しづつ改善していく漸進的手法しかないと主張する。

そのバークも、議会制民主主義に真を置き、自身議員として立っている。

設計主義に付くも良いし、こうした漸進的保守主義に立つのも良い。

しかし、民主主義は守られねばならない。それは取りも直さず、自身の自由を守ることだからだ。

いまの減税日本には民主主義はなく、河村たかしには他者の思想信条の自由を尊重するという「たしなみ」はない。権力を持つものが、他者の人権を踏みつけにする姿ほど、この社会において醜悪な姿はない。

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日本民主主義発祥の地 ナゴヤ

<一言余計な事を>
以前、名古屋城の木造問題で、街のアチラコチラで「辻説法」を行っていた。そうしたところ老婦人が「名古屋城はどうなってしまうの」と聞かれた事がある。私が「大丈夫ですよ、いまの天守は易々とは壊せませんから」とお伝えすると、ひどく安堵されていた。現在のコンクリート天守再建の際には家族で寄付を行い、すでに亡くなったご主人は再建された天守が大好きであったそうだ。
そうした家族の思い出のある名古屋城天守を、河村市長が壊すとか、コンクリートの邪魔物などとなじるのを聞くと、心が痛んだそうだ。

こうした人々の心を、「70歳児」はなんと思っているのだろうか。

ここにも見られる河村たかしの錯誤と傲慢が、あいちトリエンナーレにおける行動にも繋がっているのである。


名古屋城住民訴訟について

次回、第七回公判、場所が変わりました。
1階の 1号法廷 です。

第七回公判:
令和2年6月23日(火)午後2時
名古屋地方裁判所 1号法廷です。

名古屋地裁で一番大きな部屋だそうです!

住民訴訟についての動向は、順次お知らせいたします)

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*1:責任は、離脱宣言で責任回避した減税日本に有る

*2:市民に開かれた党であるとして、規則では公開のはずだが、ここ数年公開での議員総会は開かれていない、いっそ規則を変えたほうが良いんじゃないのかと思うが、まあ、誰も規則など気にしていないので良いんだろう

*3:少し時代が下がるヴォルテールの言葉もこの考え方を受け継いでいる「私はあなたの意見には反対だ、だがあなたがそれを主張する権利は命をかけて守る」

*4:語源であるラテン語の liber は社会的、政治的に制限されないという意味である

*5:全会一致というのは、全員が極端に偏ったと判断し、社会が極端に偏った場合の決定は、やはり偏っている。という判断だ

*6:民主主義、democracy の語義は、ラテン語の demos (民衆・大衆) の kratos(権力・支配)である

*7:権力の自覚のない権力者ほど、幼稚で愚かな者はない

*8:ああ、もっと恐ろしいことに考えが行き着いた。こうした「優れた政治思想」だけが人を引きつけるのではない。カリスマが人をひきつけ、その人に任せれば理想社会が築かれるというような考え方が支配していないだろうか。これはとんでもない退行だ。小泉純一郎安倍晋三橋下徹、それに山本太郎。人に仮託して理想を求めるというのは、20世紀というか、昭和で終わったのではなかったのだろうか

大村幹事長不信任決議における減税日本の問題点(5)

名古屋市会議会運営委員会理事会(以下、理事会)における減税日本ゴヤ幹事長大村光子議員に対する不信任決議にまつわるお話である。「まだ続けるのか」という声が聞こえそうだが、それは私のセリフでも有る。

なんと、理事会が昨日も開かれて、午後9時頃まで続けられたそうなのである。

至極当たり前のことから説き起こしていきますが、議会というのは、利害も考え方(政治哲学政治志向)も異なる人々が集って、お互いの主張、利害を調整する場である。かのプロイセンの将軍、クラウゼウィッツは「戦争は政治の延長である」と説いたように、戦争と政治は方法が異なるだけで、実態は同じものである。そこにおける目的は社会的リソース(お金、土地や資源など)の再配分であり、時にそれの奪い合いである。そして、戦争が実行力と物理条件によって意志を鐵槌するのであれば、政治においては法と論理によって目的を達成する。

市議会という限られた場においても、その原則は変わらない。

市に許されたお金や土地などの社会的リソースは限られているのだから、その社会的リソースで学校を建てるのか、老人介護に回すのか、はたまた産業振興を行うべきか。様々に議論を行わなければならない。その時に有効なのは法と論理だ。

言葉がなければ政治は成立しない。

戦争とは違って、法の下にある社会人は、目的を達成するために、力づくは通用しない。自分が求めるものが、法的にどのような根拠をもって得られるのか、示せなければならない。こういうと難しいようだが、実は誰しもこうした事は日常的に行っている。つまり、働く上で、勤務表を示して(場合によっては同時に請求書も示して)労賃を得ている。これは、その勤務表や請求書に、雇用契約や、その雇用契約自体を有効化する民法の規定があって、その法的根拠の下に請求を行うことで、雇用者はお金(社会的リソース)を支払う。

議会では、時にこうした法的効力の行使の以前の行動。つまり、法律そのもの(地方議会では条例)も作られる。

減税日本は「市民税減税10%」を党の公約として掲げているのだから、それを実現しなければならないが、現在は(私人に対する)3.75%の減税に留まっている。

こうした事を受けて*1、以前減税日本ゴヤの議員提出条例案として「7%減税条例」を提出した。しかし、その提案において、県(愛知県)との事前協議が必要であり、それが為されていなかった。そればかりか、財政委員会において「県との事前協議は為されているのですか」との他会派からの問いかけに「為されている」と回答し「愛知県は是としている」という根拠のない説明(嘘)を言ってしまい、否決されてしまった。

会議録表示
名古屋市 平成23年  財政福祉委員会 12月06日-01号」

議会は「仲良しクラブ」でも「社交サロン」でもない。議員は「趣味の政治クラブ」に参加しているのではなく、公費からお金(歳費)を得て、市民の代わりに議会を構成し、市内の様々な利害調整を行わなければならないのである。


映画「千と千尋の物語 千と千尋の神隠し」において、千尋の両親は、「神様の食べ物」をそうとは知らずに食べてしまい、豚にされ、やがて「神様の食べ物」にされる運命に落とされる。本来、自分のものではないモノを食べるという貪欲が、人間を豚に変え、やがて自身食い物にされてしまうとは、示唆に富む隠喩だ。

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「人間、行き詰まったら選挙に出ろ、もし受かったら税金で食って極楽だ」というセリフは、この「千と千尋の物語 千と千尋の神隠し」で示された教訓の対極にある台詞と心得るべきだ。

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我が身に合わない報酬を貪れば、その貪欲は、やがて我が身を滅ぼす。

公職者、政治家が一定程度プライバシーが制限され、厳しい有権者の目に晒されるのは、こうした戒めのためであるのかも知れない。

そもそも議員の椅子というものは、議員個人のモノではない。

有権者からの預かりもの、借り物である。議員に特権が認められているのは、有権者の権利を代理で果たすために、その権利が貸し出されているに過ぎない。

減税日本にはこうした意識が希薄である。
いや、法的解釈を明白に誤っている。


名古屋市議会解散請求を求めるリコールがあり、この際集められたリコール署名簿、及びリコール署名収集の為の受任者名簿について、市民から名古屋市議会に「これらの名簿の選挙利用をさせないで欲しい」という請願が出された。

その際、名簿を管理する市民団体の担当者(平野一夫)が出席し、「何に使うかはこちらが決めること。活動の侵害だ」と主張したが、こうした個人情報の収集においては、その目的を明白にして、その目的外に使うことは、個人情報保護法に反する。この法律の規定から政治団体が除外されているのは、違反の際の罰則対象とされていないだけで、そもそもそのような目的外使用を行って、政党の支持者を裏切るようなことを、政治団体が行うとは想定されていないだけであって、使ってよいという意味ではない。ましてや「何に使うかはこちらが決める」などという台詞は支持者の人権を蔑ろにする発言だ。

また、河村代表も「選挙で使っても法的に問題はない。議会側に何の権限があるのか」などと発言しているが、法的な問題は上に書いた通りだ。法的に罰則がないから、河村代表を信じて、受任者やリコール署名に応じた市民の期待を裏切っても良いというのだろうか。

また、議会に権限があるのか。ということだが、何も権限はない。この請願の採択にしても、名古屋市民が請願したことを、議会が「ごもっとも」と採択し、「こうやって使ってほしくないという市民が居るのであるから、聞き入れてやって下さい」と「請願」しているにすぎない。この議会の請願を無視して、河村代表が選挙利用を行っても、議会には対抗する法的措置、罰則などありはしないのだ。

問題は、議会の権限ではない。問題となるのは、河村代表の権限だ。いったい河村代表は何の権限があって、こうした名簿の目的外使用を行おうとしていたのだろうか。もう一度言うが、個人情報保護法の原則とは「個人情報とはその当人のものであり、収集者はその当人の意志を尊重する」という至極わかりやすく、当たり前のものである。

「自分たちが集めたのだから、何に使っても良い」つまり、自分たちが集めた名簿は、自分たちのものだという考え方は、完全に間違っている。

あの場合、リコール署名簿は、リコール署名をした有権者のものであって、収集者はその「意志」を預かっただけなのだ。こうした他人からの預かり物という意識がないので、流出事故だの、事務所に放置事案などが続発する。

もう一つだけ、この「ポスト戦後民主主義」の社会において、決定的に見直さなければならない誤謬について触れておく。

この社会は、今を生きる者だけの物ではない。

私は何も資源を無駄に使うなとか、開発は持続可能にしなければならない。という「難しい問題」を言っているのではない。*2

この社会は、今を生きる者だけの物ではない。私たちに引き渡した先人の物であり、私たちが引き渡すべき、次代の人たちの物なのである。

議員であれば、公人であれば、こうした視野を持たなければならない。

そして、そうした先人に対して、ちゃんと説明できるような社会リソースの利用を行わなければならないのであり、次代の人々からの批判に耐えうるだけの仕事を続けなければならないはずだ。

数年、数十年地元において議論されてきた相生山の道路事業、これを今のような形で放置することが正しいことだろうか。または、碌な議論もないまま、公園に改造するような議論が本当に正しいことだろうか。

60年前に市民の意思によって建てられた名古屋城天守を取り壊すことが、そうした先人たちにも共感をもって迎えられる決定と言えるだろうか。そして、取り壊したあとに、果たして木造の天守など建てられるだろうか。*3そして、多大な維持費のかかる木造天守について、次代の市民に説明可能だろうか。

名古屋市会の議席に座るということは、100年後の名古屋市民からの批判にも晒されるということなのだ。その時、あなたは「歴史を作った市会議員」として称賛されるか、「神の肉を食った貪欲な豚」と評されるか。

その重さを知らなければならない。

まだ、続く(本論に入れなかった)

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名古屋城住民訴訟について

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*1:これは、時系列が誤っていましたね。以下に描かれる否決を受けて、市提出の5%減税案に収束した

*2:資源を無駄に使わない、開発は持続可能に行わなければならない。と軽々しく言うが、こうした言葉を軽々しく使う者には、この言葉の重みや、その突きつける課題の複雑さは判っていない。少なくとも私には、誤りは幾つか見えるが、正解など見えていない

*3:技術的には問題はないが、法的条件をクリアするために何年の期間がかかり、その為にいったい幾らの費用がかかるのだろう。また、建てたあと、毎年かかるだろう改修費と数年毎の大改修にかかる費用は、まだ、市民に説明されていない。この問題について市民に理解が得られるのだろうか

無能市長のコロナ対策

おっと、前回「次回はあいトリの話題」って書いたけど、予定変更です。

ある方が、民放ニュースの内容を伝えられていた。

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コロナ対策の目玉政策である定額給付金の給付率について、地域格差が発生しているそうだ。岐阜市の給付率は23.4%(約9万5千人)、津市は90.52%(約25万人)に給付が進んだのに対して、名古屋市は1.7%(約4万人)に留まっているようだ。

この名古屋市の遅さは、全国的にも突出しているようだ。

番組で紹介された名古屋市の担当者のコメントは、
1.担当者が11人しかいない
2.台帳と照合作業に時間がかかっている
3.申請書の記載ミス修正に時間がかかっている

などと説明したようだ。

他方、給付の進んでいる津市においては、
1.5月の連休を返上して準備をすすめた
2.10日から15日までに申請書を発送完了
3.5月11日に、開封整理、内容点検、データ入力、支払い処理など、各工程の現場責任者として15人を増員して現場を指揮させた
4.最大時で130名を配置、157名体制をとり13日には送金開始
オンライン処理では11日に863件に送金

津市の対象者は約12万世帯、それに引き換え名古屋市は約112万世帯が対象となる。

この方は、「人口10倍の市の担当者数が、人口10分の1の市の10分の1以下だったって!」と驚いておられました。

こうした人員配置こそ組織運営能力の見せ所でしょう。

いかに名古屋市長、河村たかしが無能であるか判りそうなものである。

こうした事は、市の職員の責任ではない。特に、このような局横断的な人員配置、または予算措置まで必要な緊急対応においては、トップマネージメントの本気度、危機意識、そして能力が現れる。

少しでも早く、市民に給付金を届けたいという意志の力が試される。

このような遅延は、一切の責任転嫁や言い訳を許さない。

名古屋市河村たかしの無能を表すものである。

こんな発言を見ていると、胸が悪くなる。

このツイートに対しては、反論しているが。

「バカじゃないの? 市長なら 予算措置でも 人事でも何でもできるのに 口で言うだけ?」
当事者性がないし、その前の責任感が無い。

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3月15日にはすでに市内で発生した感染クラスター内で死者が出ていたのだ。


明石市独自のコロナ対策について、神戸新聞が伝えている。

www.kobe-np.co.jp

川崎市緊急経済対策について

川崎市:「川崎市緊急経済対策」の実施について~2,200億円規模の取組~

こちらは2,200億円規模。名古屋市は5,000億円規模と言っているが、名古屋市自体の支出は38億円弱であり、実効性には疑問がある。


いったい無能市長河村たかしは何をしていたのだろうか。
いまでも、コロナ対策など脇にやって、あいちトリエンナーレに係る大村知事へのリコールにはしゃぎ回っているようだ。

あいちトリエンナーレ名古屋市負担金についての名古屋市と愛知県の間での争いについて、河村市長は「コロナで大変なときに、愛知県は何を考えている」というような発言をしているが、コロナで大変な時に、何を考えているのかわからないのは河村市長の方だ。

愛知県の提訴方針が示されたのは、4月22日(知事ツイッター発言)だが、それは名古屋市の未払い決定が3月27日になされたからで、時と場合を弁えていないのは、どちらか。

そして、3月に自分がやった事を忘れて、知事からの行動だけ非難するというのは、いくら河村たかしが恥ずかしい歴史修正主義者であるにしても、3ヶ月前の出来事まで自分に都合よく修正してしまうものだろうか。というか、記憶力無いのかも知れない。


無能市長河村たかしが、この2月から4月、どのように過ごしてきたか、市長の動きを集計して見た。また、比較対象として大村愛知県知事の行動も集計してみた。

データは、朝一の出来事、時間(時間1)と、その日最後の出来事、時間(時間2)を収集して、途中の出来事については割愛した。会合や場所の詳細についても必要ないので割愛した。

大村知事の行動については、各局対応など県庁内の動きと、来客対応等については割愛した。

大村知事に特徴的ですが、夜遅くの日程については、テレビのニュース番組出演などがあるので、その場合はその旨を記載した。

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集計 1of5

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集計 2of5

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集計 3of5

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集計 4of5

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集計 Eof5

このスケジュールを見て真っ先に思うことは。
河村名古屋市長は「一日公務なし」というスケジュールが有るにも関わらず、大村愛知県知事にはそれが見られないということだ。特に、大村知事は2月には「公務なし」が一日だけ見られるが、コロナ対策が本格的になった3月以降は見られない。大村知事は3月、4月と休みを取らずに動いていることが判る。

それに対して、河村市長の「公務なし」は2月よりも3月4月の方が多い。これは感染症対策としてイベント等が中止になった影響でスケジュールが無くなったものと思われる。

こうして集計してみて気がつくことは、大村知事が東京を訪れ、各官庁との対応等を繰り返しているのに対して、河村市長にはそれが見られないということだ。この期間中、河村市長は名古屋から出ていない。

やはり、こうしたデータを見ても、上の「酒盛り画像」は、プロパガンダとは思えない。
無能市長、河村たかし名古屋市長の、特徴的な姿であり、実態を正確に描き出している姿であると断じる。


追記1:
あいちトリエンナーレの知事リコールに絡んで、河村市長の感染症対策を称賛し、大村知事の感染症対策を批判する者がいるが、それらはおおよそデマであると断じられる。

昨今のバカ右翼は、本当に、芯からバカなので、思い込みや勝手な解釈で、歪んだ世界観を築いている。
こうした事実の集積にしても彼らは否定するだろう。

そうした者には、歪んだまま死ぬまで歪んで社会を見ていれば良いのではと思う。

追記2:
河村たかし天皇に対する忠誠心が有る者と思っているバカが居るが、
上皇陛下は「おもしろいもの」を持っておいでだ。
衆議院議員 河村たかし」の名刺だ。

なんと、河村たかしは、衆議院議員の頃、当時の皇太子殿下、現上皇に対して「名刺」を渡したそうなんだ。
上皇も河村が差し出す紙を受け取った際に、なにかわからなかったが、(たぶん)生まれてはじめて受け取る「名刺」を珍しがられてお持ちになっていたそうだ。(伊勢御巡幸の際、名古屋に立ち寄られて、名古屋市長となった河村にそれを見せられたそうだ)

天皇陛下に直接何かを手渡すと言うと、最近では山本太郎の行動が思い出されるが、あれはまだ意見の上奏書で気持ちは判らないでもない。しかし、名刺を渡すって、いったいどんな頭の構造をしているのか、私には理解できない。

お友達にでもなりたかったのだろうか。


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大村幹事長不信任決議における減税日本の問題点(4)

名古屋市会議運理事会が大村光子減税日本ゴヤ幹事長に対して、不信任決議を突きつけたことから読み取れる「減税日本」の問題点は。

(1)
1B:すでにできることが判っている基金について、その設立を求める要望書を提出するという出来レースを仕掛ける欺瞞

2B:自分たちが要望した基金設立について、本会議で質問にのせ、設立したという形を取るためには、質問以降に設立発表すればいいのにそれを待ちきれずに口にしてしまうという幼児性

3B:担当者である大村幹事長に重要な情報を伝えていなかった情報の欠落を生み出す組織運営上の問題

4B:目の前の問題を早く、火種の内に始末せず、放置しておく怠慢

(2)
5B:本会議など公的行事を自己宣伝の場として捉えるさもしい了見

6B:ヒトの成果を我が物にする癖

7B:議員の職を「自分のもの」と思っている公私混同

(3)
8B:なぜ、質問者である佐藤市議が直接交渉しなかったのだろうという責任回避

9B:頭越しの交渉を行う/肩書きに弱いという卑しい心

10B:責任意識の薄弱さ。自派内に責任の有ることを、他会派や当局の責任であるかのように主張して責任を回避しようとする自己正当化

つまり、市議や市長などと言ってはいるが、そうした政治家どころか、一般的な社会人のレベルにも至っていない集団が引き起こした騒動ということになるだろう。

佐藤夕子市議の立場に立って見ると、こんな風に思っていたのではないかと思う。(あ、大川隆法みたく、生霊が降りてきたので、私には「見える」)

「自分たち減税日本が提案して、河村市長が作った基金設立について、自分たちが本会議で宣伝して何が悪いというのだろう。自民党民主党も悔しかったらやればいいだけじゃないか。他の会派は、私たち減税日本や河村市長に対する攻撃から、こうした宣伝を邪魔するために、言いがかりを付けて攻撃しているだけ。こうした言いがかりには大村幹事長が、会派の交渉役として動いてくれただけで、そのやり取りの中でまた、言いがかりをつけて不信任とかを出してきた。ただただ、政治的な攻撃をするだけだ。
基金設立について、早い段階から要望を出してきたと言っても、口頭で言っていただけで、自分たちはちゃんと要望書を出している。自分たちのほうが早く言っていた、なんていうのは、言いがかりに過ぎない」

と、こんな風に考えているとしたら、他会派の議員が早い段階から動いていたことを重要に思っていなかったために、大村幹事長に伝えず、大村さんが渡辺さんに話したときにも、行き違いがあったとして、そんなに大切な事とは思わなかったのかも知れない。なぜなら「自分たちは書面で出していて、他会派は口頭で言っていただけ」だから。

もし、本当に佐藤夕子市議や大村光子市議がこんな風に考えているのだとしたら、完全に視点が主観と癒着している。視点を自分から離して俯瞰で状況を捉えてみるという事ができないのだろう。(あくまで仮定、あくまで霊言の分析ですからね)


こうした観察が「一方的な見方」という批判はあるだろう。佐藤夕子市議や大村光子市議にも事情があるのだろうと。それは理解する。しかし、そうした「事情」なるものが許されるものであるのかには疑問がある。特に、佐藤夕子市議の行動は、本来仲間であるべき大村幹事長を裏切る行動ではなかったのか。

当ブログが、一方の見方しか摘出できていない力不足は認めよう。しかし、例えば新聞紙面には市長の「議会ハラスメント」という言葉が書かれて、こうした一方的な見方、一人前の社会人としては通用しないような、甘えた、得手勝手な見方が一般に広められる。そうした出来事の一片を切り取る行為が、今のこの社会を歪め、30年以上に渡る経済的困難を続けさせ、日本社会そのものを敗北に落とし込んでいる原因であるように思えてならない。

ある人物が、ツイッター上で「左の旦那様はラブドールに文句を言い、右の旦那様は昭和天皇の写真を燃やすことに文句を言う。どっちも「俺様が不快」以上の根拠が無いことに無自覚なのよね」とつぶやかれた。

目の前の出来事に「脊髄反射」しているだけで、深く考えない、そしてその「目の前の出来事」のそのまた周りの出来事からは目をそむける、それを確認する手間すらかけない  ーー そうした手間をかけないのであれば、発言も控えればいいのに「俺様の不快」についてはうるさく騒ぐ ーー

本来、こうした手間を、旦那様方の代わりにかけるのが報道の仕事だろうが、その報道が読者や視聴者に阿って、却って視野を狭める効果をもたらす。

さきの言葉にある「昭和天皇の写真を燃やす」という言葉は、あいちトリエンナーレにおける批判であることは明白だが、事実として「昭和天皇の写真を燃や」したのは富山県であり、「天皇コラージュ」の存在を問題視した天皇賛美派の富山県会議員の指摘や富山県美術館を取り囲んだ右翼街宣車に怖気づいた美術館側である。自身の作品の図録を焼却処分にされた作者が、それらも含めて作品を作ったのであり、そのほんの一部が展示されたにすぎず、そのまた一部を殊更に取り上げて、こうした事実からの切り取りを幾重にも重ね、その脆弱な根拠の上に立てられた批判が、この言葉だ。

近々、「あいトリ知事ー市長意見交換」の(問5)に関しては、資料が揃ったので、追加記述を行う。この河村たかしの記述した「問5」などは、そうした事実の切り取り、歪みの強化が、更に重ねられたものと言えるだろう。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

判ってやっているのであれば、酷いデマゴギー、嘘であるし、判っていないとするならば、もはや何事にも発言をすべきではない。その知性が欠如している。

それをその「問5」に引用された阪口正ニ郎氏と、その先行研究である奥平康弘氏の著書から示す。そこにはあいトリを批判する河村たかしと、まるでそっくりな行為に対する明確な否定が書かれている。つまり、河村たかしは自身の行為を否定するヒトの主張を自分の主張の根拠としているトンマなわけだ。


それは、こちらでも

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

指摘しているが、河村が引用元としている阪口さんの「芸術に対する国家の財政援助と表現の自由」を読んでみるともっとはっきりとする。


それでいて、そうしたトンマの言葉を、そのまま紙面に載せる同様のトンマな報道が続き、さらにそれを真に受けて信じ込む思考能力に乏しい、老人が資産をすべて無駄な知事リコールにつぎ込もうというのだから、トンマの三乗である。もう、怒る気にもなれない、飴あげるよ、飴ちゃんあげる、体は大事にしてください。

まあ、ともかく。

こうしてみると、名古屋市は市長にも足らず、市議にも足らず、政治家とも言えず、社会人としても足らない人物を、この10年がところ、安くもない給料を払って担ぎ上げていることになる。

ところで、先週、6月1日(月)に、理事会が開かれて、この問題が議論に成ったそうだ。
その際、大村幹事長は「市長、財政局、斉藤市議の理事会への参考人招致を求める」と訴えたそうだ。これは基金の設立の経緯について、「自分たちは文書で要望を出しているが、斉藤市議は口頭で要請しただけだろう」というような「事実」を立証したいのだろう。

しかし、大村幹事長に対して、各会派の理事が「不信任」を突き付けたのは、基金設立について、減税日本ゴヤの関与が有るとか、無いとかという問題を論点にしているのではない。事は簡単で、減税日本ゴヤが理事会に対して、質問通告の提出が遅れた。その理由を聞いているのに、説明が二転三転するから、不信としたのだ。なぜ、減税日本ゴヤの説明、釈明が二転三転したのか、それを釈明すれば済むわけで、それを今更になってまだ質問が成立したか否か。などという論点を持ち込むのは無駄だろう。なにせ、減税日本ゴヤはその質問を行わなかったのだし、通告を提出していないのであれば、他の会派の理事にとっては預かり知らぬたぐいの話だからだ。判りますかね。まったく無駄な論点であり、無駄な参考人招致であることが。

今、何を求められ、何を行わなければならないのか。それが判っていないのであれば、社会人として仕事などできやしないし、政治家などできるわけがない。

さて、残りは公開質問状の回答次第ということで。

最後に1つ、笑っていただきましょう。こういったところが、本当に幼稚で考えが足りない。政治ごっこにもなっていないところだ。(ちょっと気が利いた中学生ならこんなミスはしない)

不信任決議がなされた5月19日の議会運営委員会の議事録、その最後だ。減税日本ゴヤの余語市議(幹事)が最後に発言を求めている。

○小出委員長 
 起立多数であります。
 よって、本動議は可決されました。
 本件については、今後、議運でも御相談をさせていただきたいと思っておりますので、よろしくお願いをいたします。
 それでは、本会議を午後11時25分に再開することにいたしまして、以上で、本日の議……(「すみません」と呼ぶ者あり)時間がないですので端的にお願いします。

◆余語委員 
 今の不信任の理由に関しまして、大村、うちの幹事長の発言が二転三転したことで議会を混乱させたというような御説明だったかと思うんですけれども、その点は、どの点が二転三転をしたということですか。

◆さわだ理事 
 理事会の参考人として、前増田幹事長、手塚団長が出席されておられますので、ぜひそちらからお聞きください。

◆余語委員 
 そのときにそういう話になったということですか。

◆さわだ理事 
 そう理解していただいて結構です。

◆余語委員 
 だとすると、この前の、高齢者サロンでの件ということでよろしいでしょうか。

◆さわだ理事 
 私は、今回の件も含めと申し上げたんです。先ほど弁明でおっしゃった話を含め、不信任というふうに言わざるを得ない、そういう決断です。ということで動議を出させていただいた。

○小出委員長 
 よろしいですか。--はい。
 それでは本会議を11時25分に再開することにいたしまして、以上で本日の議会運営委員会を終了いたします。
     (午後11時17分 散会)

会議録表示


ここで余語委員が「この前の、高齢者サロンでの件」という言葉を出している。・・・本気で意味が分からない。いったいここで余語市議はわざわざ議事録に残るタイミングで何がやりたかったのだろう。まったく分からない。決議が覆るわけがなく、増田、手塚の減税日本における立場を悪くすために名前を持ち出したのだろうか?


なんにせよ。この問題に大村市議の「高齢者サロン」の問題を蒸し返しただけではないのだろうか。

ご存じない方(たぶん、大部分の)にご説明申し上げると、大村市議は、地元(選挙区)の昭和区で開かれた高齢者サロン(市が公費で行う)において、後援会のチラシを配布、説明を行ったそうで、それは高齢者サロンにおける、選挙、政治活動の禁止に触れる行為であり、問題とされた。しかし、大村市議本人は、その事実に対して謝罪を拒み、結果として当時、減税日本ゴヤの団長であった手塚市議と幹事長であった増田市議が名古屋市健康福祉局に対して、「詫び状」を入れる事態となった。


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減税日本詫び状_20200314

・・・ここで15分ほど筆が止まる。

・・・本当に、余語さん、いったいなぜここで議事録に残るようなタイミングで、こんな話を蒸し返したの?

さて、この話は一旦、おいておいて。次回はあいトリの話題に触れます。


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大村幹事長不信任決議における減税日本の問題点(3)

大村幹事長不信任決議における減税日本の問題点(3)

減税日本ゴヤ、大村幹事長への不信任決議について検討する中で、減税日本の問題点を考察している。

いままでの「ボタンの掛け違え」は

(1)
1B:すでにできることが判っている基金について、その設立を求める要望書を提出するという出来レース

2B:自分たちが要望した基金設立について、本会議で質問にのせ、設立したという形を取るためには、質問以降に設立発表すればいいのにそれを待ちきれずに口にしてしまうという幼児性

3B:担当者である大村幹事長に重要な情報を伝えていなかった情報の欠落を生み出す組織運営上の問題

4B:目の前の問題を早く、火種の内に始末せず、放置しておく怠慢

(2)
5B:本会議など公的行事を自己宣伝の場として捉えるさもしい了見

6B:ヒトの成果を我が物にする癖

7B:議員の職を「自分のもの」と思っている

ということになるだろう。
検討対象としては、5月13日の昼ごろまで進んだ。5月15日の本会議、個人質疑の質問内容の通告の刻限である昼は過ぎ、減税日本ゴヤから通告が提出されないことから理事会が開けずにいた。

その原因を理事長である自民党小出幹事長が名古屋市当局に聞き、当局から経過について説明があった。

ここで基本的な事柄を押さえておきたい。

名古屋市会は68名の議員で構成されている。自民党:21、民主党:17、減税日本:13、公明党:11、共産党:5、諸派(例の「伊勢湾台風のおかげで名古屋市の街はきれいになった」発言で、減税日本から離脱した前田有一元市議の配偶者)

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

所属議員が5人以上の会派を「交渉会派」として議会運営委員会(略称:議運)を設け、この席で議会運営(議題や日程等)が決められる。しかし議会運営委員会はセレモニー的な要素が強く、この場で突っ込んだ議論が行われることはあまりない。(あくまで「あまり」やはり減税日本ゴヤの行動に端を発した問題で紛糾し、厳しい議論が行われた事例は有る)

この議運における実質的な協議は、各会派の幹事長(幹事長とは、一般的に会派を代表して発言、交渉する役割を担う)が「理事」となって集まり議運理事会が置かれ、そこで行われる。理事会における理事長は最大会派の幹事長が担う習わしなので、自民党幹事長が自動的に議運理事会の理事長となる。現在の自民党市議団の小出幹事長は同時に小出議運理事長ということになる。

議員が本会議で質問を行うような場合は、質問時間の割り振りや順序なども理事会で協議される。

今回の5月臨時会においてはコロナ対策について、各会派から様々な要望が寄せられているので、本会議においても各会派にそれぞれ10分間の発言機会が設けられることとなった。

一般的にこうした質問については質問者が担当して調査し、質問を作り上げていくので、その中で他会派の議員と交渉するような事は普通に行われている。

市会の質問では地元の課題などが取り上げられる事が多いわけだから、選挙区を同じくする他会派の議員と課題が重なることになり、選挙で争う相手ではあるけれども、政策を進める上では相談、調整を行うことになる。政治家とは本来こうした利害関係が衝突する争いを平和的、民主的に解決に導くことが職能なのであるから、こうした交渉はできて当然だ。

今回の問題をもう一度整理してみよう。
減税日本ゴヤはコロナ基金の設立について質問がしたかった。その理由はこの基金が、自分たちが提出した要望書(4月30日)の実現であると思ったからだ。
しかし、財政局から減税日本ゴヤの要望書よりも前に自民党の斉藤議員や民主党の山田議員から要望を受けていると説明を受けた。更に、斉藤議員は市長にも直接電話をして要望を伝えている。当局としては斉藤議員、山田議員に基金設立について適宜経過説明もしており、今回同じ施策について、減税日本ゴヤが本会議で質問をするというのであれば、その意向を事前に斉藤議員、山田議員に伝えておくべきではないのかと情報提供した。(減税日本ゴヤが本会議で当議題を取り上げた後に他会派から先行要望を蔑ろにするのかと批難されたような場合に「そのような事情は市当局から聞いておらず、承知していなかった」などと責任回避されても困るために、情報提供した)
また、5月12日にはすでに基金は設立されたと、市長から発表がなされている。3日後の本会議で質問しても、記者発表で公表した以上の情報はないのだから本会議で質問する必要はないのではないかとも指摘した。

特に、この5月12日の市長による基金設立の発表のように、施策実現に尽力した斉藤市議や山田市議の存在を無視するような発言が、本会議における減税日本ゴヤからの質問に対する河村市長の答弁として出された場合。つまり、減税日本ゴヤが提案して、河村市長が設立した基金であるというような発言がなされた場合、その表現方法によっては、斉藤市議や山田市議を蔑ろにする行為として異論が出る場合もあるだろう。(議事精査の末、議事録抹消という事例も減税日本においては頻発している)

質問内容について、斉藤議員や山田議員の要望があった事などを言い訳程度でも加えて、質問を強行すれば良かったのではないかと思えるし、こうした交渉を質問者である佐藤市議が直接、斉藤市議や山田市議に打診すべきだったのだろう。

(8B:なぜ、質問者である佐藤市議が直接交渉しなかったのだろう)

5月13日の午後、本来であれば理事会が開かれて各会派の質問通告が出揃い、15日の議事について討議がなされる予定だったものが、減税日本ゴヤから、質問通告が出されなかった。

5月19日議会運営委員会における大村幹事長への不信任動議に対する弁明で
は、なぜ質問通告が出せなかったのか、その理由が判然としないが、5月28日の減税日本「公開質問状」にその間の事情が書かれている。

5月28日の減税日本「公開質問状」より

「令和2年5月13日、13時30分(略)開催が予定されていた理事会が約3時間遅れ、16時30分から開始されました。上記理事会が遅れた理由は、減税日本ゴヤ自由民主党名古屋市会議員団との間で、5月臨時会における個人質疑の内容について調整を行っていたため」

そして、この調整役が大村幹事長だったわけだ。これはすでに当ブログでは指摘しているが、なぜ当事者である佐藤市議が、直接斉藤、山田両市議に協議するのではなく、会派間の調整に持ち込んでしまったのか。

さらに、その時、大村幹事長は9時30分から行われた財政局からの報告を把握しておらず、両市議の要望のほうが、自分たちの要望書よりも前になされていることなどを知らずに居た可能性がある。

普通、こうした調整では断続的に相互の会派控室に戻り、善後策を協議するものだろう。そうした際に、大村幹事長は9時30分の報告に参加していた議員からそうした事情は聞かなかったのだろうか?

推測するに、こうした当初の情報の欠落が、大村幹事長と小出理事長との会話において「説明が二転三転する」とされた理由なのではないかと推測される。

しかし、13日の結論は、減税日本ゴヤから別の質問が提出されることで決着し、16時30分に理事会は開かれた。

ここでも他会派の理事は不信感を持つだろう。なぜなら、19日の大村幹事長の弁明においてさえ「我々としては、質疑を取り下げる必要は感じておらず」というように、客観的に納得のいく決着では無かったからだ。理由もなく「取り下げ」たというのであれば、質問しようとした理由もまた説明不能な理由であると推測する以外にない。私が推測するに、河村代表が議会で自慢したかっただけだ。そんな事で理事会を遅らせて、時間を浪費したのだとしたら、こんなに非生産的なことはない。「70歳児」が、おもちゃ売り場の前でダダを捏ねているのを、大村幹事長がなだめて諦めさせるまで全会派の理事が待っていたということになる。

後になって判明した事だが、どうも13日の15時頃まで、減税日本ゴヤの市議は河村市長と連絡を付けたがったが、河村市長が捕まらないために、回答を遅らせていたという観察もある。つまり、大村幹事長は河村市長から基金についての質問を行うように厳命されており、市長にそれを思い直すよう説得することができなかったために板挟みになっていたようだ。しかし15時過ぎに河村市長と連絡が取れて、16時30分に理事会が開かれているということは、河村市長に事情説明を行ったら比較的すぐに河村市長は質問を諦めたということになる。大村幹事長としてはそれまでの抵抗が無駄になったわけだ。更に言うと。13日の理事会が遅れた理由が、このように河村市長が捕まらないことによる会派内の調整の遅れだとすると、減税日本の公開質問状にある、大村幹事長不信任の原因は、河村市長本人にあることになる。

追記(6月12日):
5月における「市長の動き」が公開されている。
名古屋市:令和2年5月 市長の動き(市長の部屋)

13日(水曜日)の午後の動きは、午後1時30分の議会運営委員会(問題となっている理事会はこの後開かれる予定だった)に出席の後、午後3時45分の嘆願書受領(庁内)まで予定が入っていない。つまり「所在不明」ということになる。この間、自党の幹部との連絡も取れない?何処へ行っていたんだ?*1

ともあれこの理事会の席上、大村幹事長は質問通告が遅れた事を謝罪したわけだが、その謝罪の途中から「一生懸命調整をしたが遅れた」などと説明にならない発言に他会派の理事は納得せず継続審議することと成った。次回理事会の開催予定は週明けの19日。形の上では質問通告も出揃い、翌日の議会は正常に運営されることになった。ならばこれ以上理事会で協議する事柄は無いように思える。それでも19日に日程が組まれたのは、それまでもあった大村幹事長への不信感が募っていたために、今回の問題について、なぜ遅れたのかハッキリと分かる形での説明を求めることで、今後の減税日本ゴヤ及び大村幹事長の対応を改善して欲しいとの意向であったようだ。

さて、そして15日に個人質問が行われる。ここでも各会派10分しか持ち時間がない中、減税日本ゴヤの質問は内容が無く、最後に河村代表の演説を促し、市長が好き勝手にしゃべる場となった。

本来、議員というものは、行政の問題を指摘し、改善を求めていくべき存在であり、行政という「テーゼ」に対して「アンチテーゼ」を提示して、行政そのものを「止揚/Aufheben」していくものではないのか。いささか古い弁証法的な捉え方かもしれないが、アンチテーゼを提示できない議員に議員たる資格はないし「市長を助ける市議」などという存在はこのように「無駄」であると言える。完全に「二元代表制」のなんたるかを理解していない。

さて、週が開け18日になってとんでもないことが起きる。私はこの話を聞いたときには我が耳を疑った。なんと、減税日本ゴヤの佐藤団長と大村幹事長が、自民党市議団団長の渡辺義郎市議の家を訪ね、事態の収拾を依頼したのだ。

真っ当な社会人であれば心得ておくべきことだが、企業間でもなんでも良い。自分と交渉、協議を行う立場の人がいたならば、そうした人は「カウンターパートナー」として尊重しなければならない。人間であれば、合う合わないも有るだろうし、交渉の過程でへそを曲げられて交渉を進められなくなることもあるかもしれない。しかし、間違ってもそうしたカウンターパートナーの上席者に泣きついてはならない。

これはしかし、有るんだよなぁ。なんとなく苦労なく育った「お坊ちゃん」に多い気がする。肩書が上の人のほうが「偉い」からそこに飛び込めば良いんだ、なんて現場を無視してすぐに上へ上へとコネクションを求めていき、そうした人脈ができると喜んでいるバカ。

こうやって、カウンターパートナーの上席者を使って、自分の交渉相手を抑え込んでみても、現場での交渉は進みにくくなるだけ。また賢い上司なら、自分の部下の立場を無視して頭越しに来た話に乗るものではない。この上司もまた、こうした頭越しをして来たヤツなんかだと、現場の気持ちも考えずに頭越しに指示を出したりする。

今回の場合、そもそも質問者である佐藤市議と(自民党会派だけ考えた場合)斉藤市議の間で調整できればいいだけの話だったろう。しかし、減税日本ゴヤは当初から交渉役を大村幹事長としてしまった。つまり、幹事長同士の会派間協議事項としてしまったわけだが、こんな形で話を持ち込まれても、小出幹事長は斉藤議員の意向を無視して了承などできるわけがない。また、斉藤議員にしてみれば、本来自分に来るべき話を先に幹事長に持っていかれて、その頭越しに了承を求められても、なかなか快く了承することなどできるわけもない。

(9B:頭越しの交渉を行う/肩書きに弱い)

そしてこれだ。
今度は、幹事長同士の協議である理事会における紛糾を、長老議員の威光を使おうと思ったのか、団長間で交渉して幹事長を抑え込もうとしたのか、佐藤団長、大村幹事長が揃って渡辺義郎自民党市議団団長の元を訪れる。

呆れてモノが言えない。「お嬢ちゃん方、一体何を教わってきたの」とでも言いたい。

こんな事をされて、渡辺団長が了承するもしないも結論など出せるわけがないのは、斉藤議員に対する小出幹事長と同じ構図だ。そして、こんな頭越しをされれば、小出幹事長としても快い交渉は進められない。

そしてこの3者会談の席上、大村幹事長は渡辺団長に、自分は減税日本ゴヤの要望書の前に、斉藤市議や山田市議からの要望があったという事は知らなかったと説明したようだ。「自分たちはこうした行き違えから質問を提出したが、結果として事情を理解し質問を取り下げた。そしてそうした事情確認のために質問通告が遅れ、理事会開催が遅れたことも謝罪した、それなのにこれ以上責任を求められている」というような主張をしたようだ。

渡辺団長は、事情が判らないために、佐藤、大村の発言を受けて小出幹事長に説明を求めたようだ。そこで小出幹事長から「大村幹事長が減税日本ゴヤの要望書の前に、斉藤市議や山田市議からの要望があった事を知らなかったという主張は納得がいかない。財政局はちゃんと減税日本ゴヤにそうした事情を伝えている」と告げられて激怒した。渡辺団長は大村幹事長に「あんた聞いとったんじゃないか!」と告げた。渡辺団長としては「窮鳥懐に入れば」と、佐藤、大村の発言を受けて、小出幹事長に事態の斡旋を図ろうとしたわけだが、そこに嘘を入れられれば、渡辺団長自身が虚偽を振りまくことにもなりかねない。当たり前の政治家なら、自身の言動に虚偽が紛れ込んでは「生きてはいけない」のだ。政治家は「信なくば立たず」とは、減税日本河村たかし周辺以外では生きている正しい文化なのだ。

ここでちょっとこの場を再現したいのだが。ここに佐藤夕子減税日本団長が同席していたんだよね。大村幹事長が迷走した理由を説明している間、佐藤夕子団長は隣で座っていた。要望書の前に他議員から要望を受けていた事を大村幹事長が把握していなかったというような説明をしたのだとしたら、佐藤夕子団長は、その言葉をどんな気持ちで聞いていたんだろう。その情報管理のミスは、この事実を財政局から聞いて、大村幹事長に伝えるべき佐藤夕子団長自身に有るのではないのか?

なぜ渡辺団長が大村幹事長に怒った際に、自分のミスを認めて取りなさなかったのだろうか。というよりも、そもそもそんな言い訳にもならない話を大村幹事長が持ち出したら、止めるべきだろう。

(10B:責任意識の薄弱さ。自派内に責任の有ることを、他会派や当局の責任であるかのように主張して責任を回避しようとする)

渡辺団長は、そもそも筋違いの斡旋を持ち込まれた上に、説明の中に嘘が紛れ込んでいたとあっては、それ以上話を聞く気にはなれず、二人を追い返したそうだ。

そして、ここで真打登場。頭越しの真犯人。19日の朝に河村市長が渡辺団長に電話をかけて執り成しを願い容れた。つまり、18日の佐藤、大村による渡辺団長宅への訪問は、河村市長も承知していたということになるのではないのか。というよりも、18日に渡辺団長の家を訪ねて斡旋を依頼すれば、渡辺団長の力で小出幹事長を黙らせられる。ぐらいの浅知恵を出したのは、河村市長本人ではないのだろうか。

渡辺団長は北区、佐藤団長は東区、河村代表も東区で愛知一区。お互いに知らぬ間柄ではない。私は18日の佐藤、大村による渡辺団長宅訪問は、河村たかしの指示によるものと睨んでいる。このあたり、私自身はこれ以上真相を追求する気にはなれないが、減税日本の周辺にいる人達は気をつけたほうがいい。河村たかしが交渉事を苦手とする背景は、こうした物事の筋目、けじめといったものの無理解や、他人の心を理解できない幼児性が背景にあるのではないだろうか。そうだとしたなら、こんな人物と絡んでいると損をするし、こうした行為を真似すると、とんでもない目に遭うことになる。けして見習ってはいけない。

渡辺団長はそうした申し入れを容れることはなく、19日に開かれた自民党市議団会議において小出幹事長に「キッチリけじめを着けてこい!」と厳命することになる。

5月19日議会運営委員会における大村幹事長への不信任動議に対する弁明より

(略)
 また、私は、自民党の渡辺団長に対し、説明不足な部分はあったかもしれませんが、誓って嘘は申し上げておりません。その点ははっきりと主張させていただきます。

 さらに、小出幹事長を差し置いて、渡辺団長に話をさせていただいたことに関しては、当時私だけではなく、団長(佐藤減税日本ゴヤ団長)もおりましたので、団長対団長の話し合いということで、差し障りがあるというふうには考えておりませんでした。小出幹事長が気分を害されたということですので、その点についてもお詫び申し上げます。

(以下略)


名古屋城住民訴訟について

次回、第七回公判、場所が変わりました。
1階の 1号法廷 です。

第七回公判:
令和2年6月23日(火)午後2時
名古屋地方裁判所 1号法廷です。

名古屋地裁で一番大きな部屋だそうです!

住民訴訟についての動向は、順次お知らせいたします)

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*1:多目的トイレとかだったら笑う