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一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

大村幹事長不信任決議における減税日本の問題点(5)

名古屋市会議会運営委員会理事会(以下、理事会)における減税日本ゴヤ幹事長大村光子議員に対する不信任決議にまつわるお話である。「まだ続けるのか」という声が聞こえそうだが、それは私のセリフでも有る。

なんと、理事会が昨日も開かれて、午後9時頃まで続けられたそうなのである。

至極当たり前のことから説き起こしていきますが、議会というのは、利害も考え方(政治哲学政治志向)も異なる人々が集って、お互いの主張、利害を調整する場である。かのプロイセンの将軍、クラウゼウィッツは「戦争は政治の延長である」と説いたように、戦争と政治は方法が異なるだけで、実態は同じものである。そこにおける目的は社会的リソース(お金、土地や資源など)の再配分であり、時にそれの奪い合いである。そして、戦争が実行力と物理条件によって意志を鐵槌するのであれば、政治においては法と論理によって目的を達成する。

市議会という限られた場においても、その原則は変わらない。

市に許されたお金や土地などの社会的リソースは限られているのだから、その社会的リソースで学校を建てるのか、老人介護に回すのか、はたまた産業振興を行うべきか。様々に議論を行わなければならない。その時に有効なのは法と論理だ。

言葉がなければ政治は成立しない。

戦争とは違って、法の下にある社会人は、目的を達成するために、力づくは通用しない。自分が求めるものが、法的にどのような根拠をもって得られるのか、示せなければならない。こういうと難しいようだが、実は誰しもこうした事は日常的に行っている。つまり、働く上で、勤務表を示して(場合によっては同時に請求書も示して)労賃を得ている。これは、その勤務表や請求書に、雇用契約や、その雇用契約自体を有効化する民法の規定があって、その法的根拠の下に請求を行うことで、雇用者はお金(社会的リソース)を支払う。

議会では、時にこうした法的効力の行使の以前の行動。つまり、法律そのもの(地方議会では条例)も作られる。

減税日本は「市民税減税10%」を党の公約として掲げているのだから、それを実現しなければならないが、現在は(私人に対する)3.75%の減税に留まっている。

こうした事を受けて*1、以前減税日本ゴヤの議員提出条例案として「7%減税条例」を提出した。しかし、その提案において、県(愛知県)との事前協議が必要であり、それが為されていなかった。そればかりか、財政委員会において「県との事前協議は為されているのですか」との他会派からの問いかけに「為されている」と回答し「愛知県は是としている」という根拠のない説明(嘘)を言ってしまい、否決されてしまった。

会議録表示
名古屋市 平成23年  財政福祉委員会 12月06日-01号」

議会は「仲良しクラブ」でも「社交サロン」でもない。議員は「趣味の政治クラブ」に参加しているのではなく、公費からお金(歳費)を得て、市民の代わりに議会を構成し、市内の様々な利害調整を行わなければならないのである。


映画「千と千尋の物語 千と千尋の神隠し」において、千尋の両親は、「神様の食べ物」をそうとは知らずに食べてしまい、豚にされ、やがて「神様の食べ物」にされる運命に落とされる。本来、自分のものではないモノを食べるという貪欲が、人間を豚に変え、やがて自身食い物にされてしまうとは、示唆に富む隠喩だ。

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「人間、行き詰まったら選挙に出ろ、もし受かったら税金で食って極楽だ」というセリフは、この「千と千尋の物語 千と千尋の神隠し」で示された教訓の対極にある台詞と心得るべきだ。

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我が身に合わない報酬を貪れば、その貪欲は、やがて我が身を滅ぼす。

公職者、政治家が一定程度プライバシーが制限され、厳しい有権者の目に晒されるのは、こうした戒めのためであるのかも知れない。

そもそも議員の椅子というものは、議員個人のモノではない。

有権者からの預かりもの、借り物である。議員に特権が認められているのは、有権者の権利を代理で果たすために、その権利が貸し出されているに過ぎない。

減税日本にはこうした意識が希薄である。
いや、法的解釈を明白に誤っている。


名古屋市議会解散請求を求めるリコールがあり、この際集められたリコール署名簿、及びリコール署名収集の為の受任者名簿について、市民から名古屋市議会に「これらの名簿の選挙利用をさせないで欲しい」という請願が出された。

その際、名簿を管理する市民団体の担当者(平野一夫)が出席し、「何に使うかはこちらが決めること。活動の侵害だ」と主張したが、こうした個人情報の収集においては、その目的を明白にして、その目的外に使うことは、個人情報保護法に反する。この法律の規定から政治団体が除外されているのは、違反の際の罰則対象とされていないだけで、そもそもそのような目的外使用を行って、政党の支持者を裏切るようなことを、政治団体が行うとは想定されていないだけであって、使ってよいという意味ではない。ましてや「何に使うかはこちらが決める」などという台詞は支持者の人権を蔑ろにする発言だ。

また、河村代表も「選挙で使っても法的に問題はない。議会側に何の権限があるのか」などと発言しているが、法的な問題は上に書いた通りだ。法的に罰則がないから、河村代表を信じて、受任者やリコール署名に応じた市民の期待を裏切っても良いというのだろうか。

また、議会に権限があるのか。ということだが、何も権限はない。この請願の採択にしても、名古屋市民が請願したことを、議会が「ごもっとも」と採択し、「こうやって使ってほしくないという市民が居るのであるから、聞き入れてやって下さい」と「請願」しているにすぎない。この議会の請願を無視して、河村代表が選挙利用を行っても、議会には対抗する法的措置、罰則などありはしないのだ。

問題は、議会の権限ではない。問題となるのは、河村代表の権限だ。いったい河村代表は何の権限があって、こうした名簿の目的外使用を行おうとしていたのだろうか。もう一度言うが、個人情報保護法の原則とは「個人情報とはその当人のものであり、収集者はその当人の意志を尊重する」という至極わかりやすく、当たり前のものである。

「自分たちが集めたのだから、何に使っても良い」つまり、自分たちが集めた名簿は、自分たちのものだという考え方は、完全に間違っている。

あの場合、リコール署名簿は、リコール署名をした有権者のものであって、収集者はその「意志」を預かっただけなのだ。こうした他人からの預かり物という意識がないので、流出事故だの、事務所に放置事案などが続発する。

もう一つだけ、この「ポスト戦後民主主義」の社会において、決定的に見直さなければならない誤謬について触れておく。

この社会は、今を生きる者だけの物ではない。

私は何も資源を無駄に使うなとか、開発は持続可能にしなければならない。という「難しい問題」を言っているのではない。*2

この社会は、今を生きる者だけの物ではない。私たちに引き渡した先人の物であり、私たちが引き渡すべき、次代の人たちの物なのである。

議員であれば、公人であれば、こうした視野を持たなければならない。

そして、そうした先人に対して、ちゃんと説明できるような社会リソースの利用を行わなければならないのであり、次代の人々からの批判に耐えうるだけの仕事を続けなければならないはずだ。

数年、数十年地元において議論されてきた相生山の道路事業、これを今のような形で放置することが正しいことだろうか。または、碌な議論もないまま、公園に改造するような議論が本当に正しいことだろうか。

60年前に市民の意思によって建てられた名古屋城天守を取り壊すことが、そうした先人たちにも共感をもって迎えられる決定と言えるだろうか。そして、取り壊したあとに、果たして木造の天守など建てられるだろうか。*3そして、多大な維持費のかかる木造天守について、次代の市民に説明可能だろうか。

名古屋市会の議席に座るということは、100年後の名古屋市民からの批判にも晒されるということなのだ。その時、あなたは「歴史を作った市会議員」として称賛されるか、「神の肉を食った貪欲な豚」と評されるか。

その重さを知らなければならない。

まだ、続く(本論に入れなかった)

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名古屋城住民訴訟について

次回、第七回公判、場所が変わりました。
1階の 1号法廷 です。

第七回公判:
令和2年6月23日(火)午後2時
名古屋地方裁判所 1号法廷です。

名古屋地裁で一番大きな部屋だそうです!

住民訴訟についての動向は、順次お知らせいたします)

peraichi.com


*1:これは、時系列が誤っていましたね。以下に描かれる否決を受けて、市提出の5%減税案に収束した

*2:資源を無駄に使わない、開発は持続可能に行わなければならない。と軽々しく言うが、こうした言葉を軽々しく使う者には、この言葉の重みや、その突きつける課題の複雑さは判っていない。少なくとも私には、誤りは幾つか見えるが、正解など見えていない

*3:技術的には問題はないが、法的条件をクリアするために何年の期間がかかり、その為にいったい幾らの費用がかかるのだろう。また、建てたあと、毎年かかるだろう改修費と数年毎の大改修にかかる費用は、まだ、市民に説明されていない。この問題について市民に理解が得られるのだろうか