市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「人権」とはなんであるか

「人権」という言葉を嫌う人々

 最近、一部の人々の「人権」という言葉に対する受け止め方が変わってきているように思われる。X(旧ツイッター)には参加者が各々簡単なアピールや自己紹介を書き記しておける。ここにわざわざ「『人権』という言葉が嫌い」などと、人権を否定的に捉えていることを表明する人が居るのだ。
 私自身の感覚で言えば「人権」は大切な概念であり、否定するような要素もないほどに肯定的に捉えている。確かに「権利」ばかりを主張する人には鼻白むものを感じますが、そもそも「権利」と「人権」は異なる概念であり、「権利ばかり主張する人は嫌い」という主張は理解できるものの、「『人権』という言葉が嫌い」という言明には首を傾げてしまいます。

 そうしたところ、杉田水脈衆議院議員が「人権の定義に法的根拠がない」との立論を述べている書籍があるとのことで、どのようなものなんだろうと、図書館に向かった。

 当該文書は雑誌「正論」12月号に掲載されている、桜内文城氏の「法務省も答えられない『人権侵犯』とは」となる。

https://www.fujisan.co.jp/product/1482/new/

 特集として「人権を利用するな」とのことで、昨今喧しいLGBTにまつわる議論などを軸に「人権」を考える機会となっているようだ。

 その前になぜ、 杉田水脈衆議院議員が「人権」や「人権侵犯」について動画まで掲載してアピールしているのか、何が起こっているのか経緯を確認しておこう。

杉田水脈衆議院議員に対して行われた「人権侵犯」に対する「啓発」

 ◆2016年2月スイスで行われた国連女性差別撤廃委員会に杉田氏(2014年に日本維新の会から次世代の党に移り、12月の衆議院選挙で落選していた)は、会議の席上参加者の撮影を制止されるのも聞かず写真を撮影、写真をブログ等に掲載するとともに、それらの人々を揶揄するような表現を行った。

当時の様子を伝える坂本洋子氏の記事
web.archive.org

当該、杉田水脈氏のブログ(今回問題となった人権侵犯にあたる表現が含まれています)
web.archive.org

同記事を「BLOGOS」に掲載したもの(今回問題となった人権侵犯にあたる表現が含まれています)
web.archive.org


 ◆令和4年、総務大臣政務官として入閣し、これらの記事が問題となり、削除をし、謝罪を行った。

令和4年12月6日 衆議院総務委員会@国会会議録検索システム

国会会議録検索システム

◯杉田大臣政務官 過去の私の発言等に関する厳しい御指摘について、非常に重く受け止め、配慮を欠いた表現を反省しております。
 (略)このチマチョゴリアイヌの民族衣装をやゆしたもの、そしてLGBTには生産性がないという表現について、傷つかれた方々に謝罪をし、そうした表現を取り消すようにという指示がありまして、私も内閣の一員として、それに従い、傷つかれた方々に謝罪をし、そうした表現を取消しをさせていただきました。
 (略)
 そして、先ほどありました、アイヌの民族衣装、アイヌチマチョゴリなどをやゆしたような書き込みのブログにつきましては、これは私自身のブログでございましたので、すぐに削除をしております。

この模様を伝える共同電
nordot.app

 ◆札幌アイヌ協会の会員2人がこれらのブログやフェイスブック、X(旧ツイッター)などの投稿が中傷に当たるとして札幌法務局に人権救済の申立を行い、同局は「人権侵犯の事実があった」と認定、杉田氏に「アイヌ文化を学んで発言に注意するように」などと啓発をした。
www.yomiuri.co.jp


 ◆大阪府在日コリアンの女性たちが同投稿は差別的なヘイトスピーチであると大阪法務局に申告を行い、同局は「人権侵犯があったと認定し、杉田氏に対して啓発を行った。

 ◆こうした法務省人権擁護委員の決定を受けて、今までの人権侵犯発言、差別発言に対して批判が強まり、X(旧ツイッター)や動画などで釈明をしていた。

www.youtube.com
www.youtube.com

 ◆そうした一環として、杉田氏はそもそも「人権の定義に法的根拠が無い 」「人権侵犯認定制度が制度としておかしい 」と、その「啓発」を受けたご自身よりも、法務局の制度の方に問題があるのではないかと、「次世代の党」で「同じ釜の飯を食った仲」の桜内文城氏の雑誌「正論」誌上の掲載文を紹介したということになるようだ。

 では、杉田氏の言うように「人権の定義に法的根拠が無い 」のだろうか。「人権侵犯認定制度が制度としておかしい 」のだろうか、杉田氏は差別(人権侵犯)をしていないのだろうか。

 この一文を検討することで、現在、日本社会で一部の人々が「人権」という言葉(概念)を忌避する理由の一端が判るかもしれない。

桜内文城氏とは

 桜内氏の概要は
www.sakurauchi.jp
桜内文城 - Wikipedia
www.biglife21.com
nrid.nii.ac.jp

 東大法学部から大蔵省(同期に古川元久代議士が)桜内義雄の孫娘と結婚し桜内姓となる。
 研究対象は法学というよりも公会計ということになるんだろうか。
 党派としては無所属からみんなの党日本維新の会、次世代の党、希望の党ときて現在の籍は自民党二階派ということのようだが、現在浪人中。人生はなかなか厳しい。

ちなみに選挙区のライバルはこちらの方らしい。
www.hasegawa-junji.com

 上記のような事情から、私は「人権」について否定的な主張について興味があり、即座に図書館に飛び込んでこの文章を読んでみた。即座に前提の誤りに気づいてX(旧ツイッター)上で次のように呟いた。

すると、ご本人から次のようなリプが返ってきた。


【魚拓】Xユーザーの桜内文城さん: 「@akira_mori0120 @miosugita 法解釈学に則った論理的な反論をお待ちしております。 一切理由を示さずに「詭弁...


「法解釈学」など私は門外漢なので、ご期待に添えるか判りませんが、せいぜい私なりに検討してみましょう。

桜内文城氏の文章検討1

 では、いよいよ雑誌「正論」12月号に載った桜内文城氏の文章「法務省も答えられない『人権侵犯』とは」(特集:人権を利用するな)を検討していきましょう。

 同誌における掲載頁は238頁から245頁
 書き起こしから16センテンスを経て
 「根拠法令なく関連法令で判断」17~25センテンス
 「国家との関係と私人間の混同」26~37
 「反論の機会も訴訟の権利もなし」38~43
 「ガラパゴス的『人権』概念」44~51
 「法に基づかない権力の暴走」52~54
 となっている。

 書き起こしの2センテンス目で桜内氏は

 皆、何気なく「人権」という日本語を使っている。しかし、そもそも「人権」とは何か。ここでは、フワッとした空気感で人権を語ることの危険性について考えてみたい。

 と述べられている。

 12センテンス目では

「人権」に関する何らかの法規範(根拠法令)が存在した上で、その解釈として「人権」の定義が導かれていなければならない。法規範(根拠法令)に基づく「人権」の定義が存在しなければ、「人権侵犯の事実の有無を認定」することは不可能だからである。

 と述べられている。

 しかし例えば「名誉毀損」について考えてみたとき、「名誉」とは何らかの法規範(根拠法令)に基づいて定義されているものだろうか。実態としては「人として社会から受ける評価」が刑法にいう「名誉毀損罪」における「名誉」の定義とされ、個人の名誉感情、プライドとはされない。そしてこの境目は法規範(根拠法令)に明記されているわけではない。また、「誹謗中傷」と見られるような表現であっても「批評」や「論評」、公共性、公益性などを勘案し、個別に判断される。

 13センテンス目で桜内氏は法務省に「人権の定義の根拠条文をご教示いただけませんか?」と迫るが法務省LINE人権相談窓口では回答を拒否されたようだ。

 実は「人権」にはそれを定義する根拠条文は無い。

 芦部信喜博士の著作
芦部信喜 - Wikipedia

憲法 第三版」
www.iwanami.co.jp

では、基本的人権が次のように語られている。

 基本的人権とは、人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳性を維持するため、それに必要な一定の権利が当然に人間に固有するものであることを前提として認め、そのように憲法以前に成立していると考えられる権利を憲法が実定的な法的権利として確認したもの、と言うことができる。したがって、人権を承認する根拠に造物主や自然法を持ち出す必要はなく、国際人権規約社会権規約自由権規約前文)に述べられているように、「人間の固有の尊厳に由来する」と考えれば足りる。この人間尊厳の原理は「個人主義」とも言われ、日本国憲法は、この思想を「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)という原理によって宣明している。

 つまり「基本的人権」とは、憲法以前に成立しており、憲法はそれを「実定的な法的権利として確認した」にすぎない。なので「人権を承認する根拠に造物主や自然法を持ち出す必要は」ない。他に根拠を必要としない。「人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳性を維持するため」当然必要とされる概念であり、「人間が社会を構成する自律的な個人として自由と生存を確保し、その尊厳性を維持する」ことを妨げる行為は「人権侵犯」とされる。

 故に

「人権」に関する何らかの法規範(根拠法令)が存在した上で、その解釈として「人権」の定義が導かれていなければならない。法規範(根拠法令)に基づく「人権」の定義が存在しなければ、「人権侵犯の事実の有無を認定」することは不可能だからである。

 との主張は前提を間違えたものと言うことができる。
 桜内氏が言うように「フワッとした空気感で人権を語ることの危険性」は確かに存在する。

 芦部信喜博士の主張は現在の「『人権』という言葉を嫌う人々」の増加という状況に対しても重要な示唆を与える。

 (人権とは)「人間の固有の尊厳に由来する」と考えれば足りる。この人間尊厳の原理は「個人主義」とも言われ、日本国憲法は、この思想を「すべて国民は、個人として尊重される」(13条)という原理によって宣明している。

 つまり、現在の日本国憲法は13条を根拠として「個人主義」に根ざしており、「個人主義」においては人間は固有の尊厳を持ち、それは尊重されなければならない。

 こうした「個人主義」に対して懐疑的な人々が、その個人に対する対抗としての国家やら社会、民族、はたまた家族といった概念を持ち出して、「人権」やら「個人主義」を否定しにかかっているのではないかとも思える。

 桜内氏の文章は、この芦部信喜博士の主張と憲法十三条を挟んで対立するかのように展開されていて興味深い。「ガラパゴス的『人権』概念」とされる45、46センテンスにこうある。少々長くなるが「切文」による曲解と言われないように全体を引用する。

 一方、憲法十三条第二文は以下の通りである。「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」。憲法十一条、九十七条の「基本的人権」と十三条の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」が同一の概念か否かは解釈の余地があるものの、少なくとも憲法十三条においては、「立法その他の国政の上で」、すなわち国家との関係における「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」という重要な限定が付されている。
 その意味で言えば、法務省の「生命、自由、幸福追求権」という「人権」の定義は、憲法十三条第二文による「立法その他の国政の上で」の「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利」から国家との関係という重要な限定を意図的に排除した憲法違反の定義とも解釈できるのである。

 「国家との関係という重要な限定」が「人権」に付されているのではない。あくまでも「すべて国民は、個人として尊重される」のであり、「立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」のである。(但し、公共の福祉に反しない限り=国民相互の人権を侵さない限り)
 桜内氏の論理展開は明らかに失当である。

 桜内氏はこれに続く47センテンスで。

 では、なぜ法務省は、このように憲法の明文規定に違反しているとも解される「人権」概念を維持しているのだろう。

 と、その理由を2000年に成立した「人権教育及び人権啓発の推進に関する法律」にあるとしているが、正直理解不能である。なぜなら人権擁護委員の設置は昭和23年(1948年)に行われたもので、2000年成立の法律が原因で1948年の制度が設計されたかのような主張は理解不能だ。

桜内文城氏の文章検討2

 あと2点だけ。

 人権侵犯の啓発には「反論の機会も訴訟の権利もなし」と言われる。確かに人権擁護機関の一方的で恣意的な判断であるか判らないが、それは客観的判断ともいえ、啓発は「事件の関係者や地域に対し、人権尊重に対する理解を深めるための働きかけを」行うに過ぎない。当事者においてそれが失当であると判断すれば聞きおけば良いだけだろう。

 また、「差別主義者」とのレッテルが貼られるとしているが、人権擁護機関は「人権尊重に対する理解」が足らないと判断したまでで「差別主義者」などとは言っていない。ただ杉田氏本人が上に引いたように、すでに国会において「このチマチョゴリアイヌの民族衣装をやゆしたもの(略)傷つかれた方々に謝罪をし、そうした表現を取消しをさせていただきました」としているのであって、それでもなお人権救済の申立があったのであれば、それに真摯に対応する事こそ「差別主義者」とのレッテルを回避する行動ではないかと考える。


 最後の1点、法務省のホームページに有るという六つの事例のうち事例(4)に対する記述は筆が滑ったものではないのだろうか。当該箇所を引いておく。

事例(4)知的障害のある人に対する遊園地の利用拒否
 公立の遊園地の場合はともかく、民間事業者が経営する遊園地の場合、例えばジェットコースター等の遊具の運用について民間事業者側が安全配慮義務を負っている。行動の予測が困難な知的障害者の利用を拒否することはあくまでも安全配慮義務の遂行であって、これを行政機関が法規範(根拠法令)に基づかずに「人権侵犯事件」として扱うことは、むしろ「法律に基づく行政の原理」に反する恐れがある。

 と書かれているが、法務省の当該箇所では次のように書かれている。
 (私が間違った箇所を参照しているのであれば、ご指摘いただきたい)
https://www.moj.go.jp/JINKEN/index_chousa.html

事例(4) 知的障害のある人に対する遊園地の利用拒否

[相談内容]知的障害のある人が、遊園地において、障害を理由にアトラクションの利用を拒否された。

[措置内容] 調整
法務局が遊園地から事実関係について聴取を行い、併せて障害者差別解消法の趣旨等を説明の上、知的障害者の利用を一律に制限する規定の見直しを促したところ、相手方は利用者の症状を個別に判断し利用の可否を決定するように規定を改正し、後に被害者はアトラクションを利用することができた。

 人権擁護機関が民間事業者の安全配慮義務の遂行を捻じ曲げて、危険なジェットコースターに知的障害のある方を無理やり乗せたかのような表現はいかがなものだろうか。

 人権擁護委員とは、全国で約1万4千人もの方々がそれぞれの地域において、人権尊重の思想を広め、住民の人権が不当に侵害されないように「無給で」活動されている。この文章を読んだ方が人権擁護委員に対して「法に基づかない裁量的かつ恣意的判断」を行い、「日本社会を分断し、破壊する」「権力の暴走」機関(カッコ内はそれぞれ54センテンスにおける表現)であるかのように受け止めたとすれば、それこそ謂れのないレッテル貼りなのではないだろうか。

 尊大な国家の構成員になどなりたくはない。
 尊厳ある個人によって構成されている社会の一員でありたい。



桜内氏よりこのようなリプが来た

【魚拓】Xユーザーの桜内文城さん: 「それってあなたの感想ですよね、でしかない。 客観的なロジックで法解釈論として反論してほしい。 エビデンスもなく、全く説得力のかけら...

エビデンス」がないは無いでしょう。
もうちょっとまともな反論が来ると思ったんですけどね。