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記事「名古屋城『エレベーター問題』に抜けている視点」に抜けている視点

 ヤフーに「デイリー新潮」からの転載として「名古屋城『エレベーター問題』に抜けている視点/なぜ“木造復元”するのか原点に返るべき」との記事が載っている。
news.yahoo.co.jp

どちらの主張が誤解にもとづいているか

 この記事は明らかな事実誤認(記事の筆者に全ての責任を押し付けるのには忍びない事実誤認)と、「抜けている視点」が2つある。

記事中筆者は

 市民討論会で車いすの男性は、「いままであったものをなくしてしまうというのは、われわれ障害者が排除されているとしか思えない」と発言したのである。


 障害者に最大限の配慮をし、彼らの便宜に供する最善の方法をギリギリまで模索するのは当然で、きわめて重要なことである。ただし、この車いすの男性の発言は、あきらかに誤解にもとづいている。

 と主張される。しかし私には車いすの男性の主張が正しく、記事の筆者こそ「あきらかに誤解にもとづいている」と判断する。

抜けている視点 その1

 記事に「抜けている視点」の1つ目とは、この木造化名古屋城天守が公共建築物であり、建て替えであるという事実を踏まえた視点だ。

 残念ながら記事にはこの視点が見事に欠けている。

 その視点は、日本弁護士連合会の「要望書」(日弁連総第40号 2022年(令和4年)10月24日 )に詳しい。

www.nichibenren.or.jp

 名古屋城天守建物は、現存するのであって、今般の木造化はその建て替えであること。建て替えに伴って現存天守建物で実現されているアクセシビリティを後退させることは、憲法、障害者権利条約、障害者基本法、障害者差別解消法及びバリアフリー新法等によって保護されている障がいのある人の権利利益を侵害する。

 つまり、「いままであったものをなくしてしまうというのは、われわれ障害者が排除されているとしか思えない」との発言は、この日弁連の主張と同等のものであって、法的に正しい。


 記事では車いすの男性の発言が誤解であると断ずる理由を2つ上げる。

 ひとつは史実に忠実に復元する必要があるため。もうひとつは、大型のエレベーターは在来工法による木造建築に適合せず、無理に設置すれば危険をともなうからである。

 この内後者に関して

 エレベーターは揺れてはいけない構造だが、在来工法による木造建築は、地震の際は揺れることで振動エネルギーを吸収する構造になっている。このため、早い段階で名古屋市はエレベーターを設置するという選択肢を見送っていた。

 と述べるが、例えば高層建築における長周期地震動による揺れへの対応など、現代建築は揺れることを前提にしており、そこに使われるエレベーターが「揺れてはいけない構造」とは言えない。またそもそも名古屋市がエレベーターを設置しないとした背景にこうした「揺れ」の問題が大きく取り上げられては居ない。

 名古屋城は各階層が逓減していく四角錐の構造をしているため、各階層を貫く構造物(エレベーター)を設置すれば、柱や梁を抜かなければならない。それは史実に対する再現性を低減させ、構造として脆弱性を増す、故にエレベーターを設置しないとしているはずだ。

 また前者「史実に忠実に復元する必要がある」に対しては、既に名古屋市は構造を強化するため柱や梁を金具で補強することや、耐震性を与えるためのダンパーなどを加えることを明示している。更に、火災検知器やスプリンクラー、防煙設備などを設置する方針でもあるので、すでに史実のままとは言い難い。結果としてどこまで史実通りを実現し、どこから来場者の安全やアクセシビリティの為の設備を設置するのかという恣意的なバランスの問題でしかなく、完全に史実に忠実な再現で建造すれば、それは公共建築ではなく、1/1スケールの木造模型であって、観光客など不特定多数の人々を入場させることはできない。

 名古屋市民が「それでも良い、それでも979億円(最近の公式パンフレットに掲載された再建費用)をかけて再現したい」と言うのであればそうしてもいいだろうが、そういった民意はまだはかられていない。


 記事の筆者には上記日弁連の「要望書」を読まれることをお勧めする。その他にも「掛川城大洲城の再建でエレベータは設置されていないとしても前者は1994年、後者は2004年の設置であり、障害者権利条約の批准も障害者差別解消法の制定もされていなかった時期での再建である。(大意)」とか「姫路城は、国宝に指定されている現存する文化財であるため、改変等に制限があり、エレベーター等の設置が困難であるが、今般の木造化名古屋城にはこの制限はない。(大意)」などの指摘もある。

事実誤認、記事の筆者に全ての責任を押し付けるのには忍びない事実誤認

 記事中次のような記述がある

 幸いなことに、名古屋城天守はその細部にいたるまでが記録にとどめられている(略)名古屋城昭和5年(1939)、名古屋市に下賜され(略)国宝に指定されると、名古屋市土木部建築課はこれらの調査に着手し、文部省の指導のもと、細部にいたるまで計測された。
(略)
 実測図と写真がこれだけそろい、細部にいたるまで史実に忠実に復元できる天守は、名古屋城をおいてほかにない。

 「実測図」と呼ばれていたものは「昭和実測図」であり、「写真」とされているものは「ガラス乾板」のことだろう。

www.nagoyajo.city.nagoya.jp

 名古屋市は繰り返し、これら資料があるので「日本一再現可能な城である」などと主張する。
確かに、資料の豊富さは日本一で、他の城郭に比較すると「日本一再現可能」なのだろうが、では本当に再現可能であるかというと、私はそうは思わない。いや、再現するには資料が不足している。

昭和実測図例

 これら資料は外観、外回りの計測をしたものであって、内部構造を記した図面はない。この例でも示したように、梁と柱の存在は理解できるが、その両者がどのように接合されているかは示されていない。また、壁の中の構造は不明のままだ。
 「昭和実測図」は国宝である建物の記録を取るのであるから、木組みや継ぎ手、仕口などをバラして調べることはできなかった。写真にしてもそうだ。ところどころ壁など壊れている箇所があり、そこから漏れて見える様子から構造を推測しているにすぎない。

 記事でも「使用された木材は、丈夫で耐久性が高いが高価な木曽ヒノキがほとんどで、木材の面から見ても、史上もっとも豪華な天守だった。 」と言っているように、木材も木曽ヒノキであれば、それを組み上げたのも飛騨の匠である(と、推測されている)飛騨の匠の木組みには高度で難解な仕様もある。飛騨の匠の作品中、「千鳥格子」と呼ばれるものは、明治になるまでその構造が不明のままで、明治期に一部を分解して構造が解明された。しかし名古屋城を構成した木組みの実態については、なんら資料も残っておらず、全ては焼失してしまったのである。*1

 記事では

 「焼失したものを復元しても本物ではない(からあまり意味がない)」という意見もあるが、名古屋城天守の場合、わからない部分を想像で補う復元ではない。失われたのと同じ建造物を再現することができるので、後世にいたるまで歴史的空間の正しい理解に寄与するはずである。

 名古屋城天守は「わからない部分を想像で補う復元で」しかない。「失われたのと同じ建造物を再現すること」はできない。現在においてもこうした誤認ははびこっている*2のであり、木造復元天守は「後世にいたるまで歴史的空間の正しい理解に寄与する」と誤って伝えられたら、「日本はすごい!慶長に建てられたお城でも、耐震性を与えるために、柱や梁に補強金具を当て、壁に耐震ダンパーを付けていた!」なんて歴史修正されかねない。そこまでは言い過ぎにしても、構造を伝える資料はないのであって、そこは現代の技術で推測し再現しているだけなのだ。

もう一つの「抜けている視点」

 当ブログでは、昭和5年の名古屋城国宝指定の説明文から読み解ける、名古屋城の本質的価値を探った。

ichi-nagoyajin.hatenablog.com

 この「国宝」指定の説明を要約すると。
徳川家康の指示により築城されたものであること。
・戦国の大大名、前田、毛利、黒田そして加藤清正らの築城したものであること。
・五層楼の壮大な城であること。
・有名なる黄金の鯱をいただいていること。
・保存最も完全であること。
・(陸軍への供用で)今僅かに東御門及び旧奥御殿庭園の一部及び銃眼を有せる土塀等を存ずるに過ぎずといへども、尚城門跡城堀等旧規見るべきもの少なくないこと。


 整理すると、徳川家康の指示により諸大名が建て、その保存が完全である。
そして、五層を重ねた壮大な楼閣を有し、有名な金のシャチホコを載せた天守を含み。古を尋ねるべく「見るもの少なくない」となっている。

 これらのうち、建物そのものについては焼失してしまい保存や真実性は失われてしまった。

 国宝、文化財において「オーセンシティ(真実性)」は最も重要な価値であり、それは建物に関しては第二次世界大戦の空襲で焼失してしまったのである。

 しかし名古屋城の歴史を考えた時、この戦火で焼かれ、焼失してしまったという事すらも歴史的事実ではないのか。そして戦後、昭和34年。戦後復興も間もない頃、名古屋市民がその総工費約6億円のうち、約2億円を寄付し文字通り市民の熱意によって現存天守が再建された、これも歴史的事実である。

 上記国宝指定の説明文に記載されている「五層楼の壮大な城」「有名なる黄金の鯱」は昭和復元天守で再現されている。

 昭和復元天守は「オーセンシティ」を持ち得ない。(復元木造天守にも「オーセンシティ」は無い)しかし、これらの意匠は復元されているのであり、現に今も様々な場面で昭和復元天守の姿は使われている。「本質的価値」が有るのだ。

 昭和復元天守には、名古屋城第二次世界大戦の戦火で焼かれ、それを市民が再建したという歴史的事実を示す「オーセンシティ」がある。

 記事の筆者の言う「なぜ“木造復元”するのか原点に返るべき」とする価値、その価値が「後世に伝えるべき価値」であるとするなら、その歴史を正しく伝え、市民が再建したという息吹を今に伝える昭和復元天守こそを、耐震改修し、最上階までエレベーターを延伸し、令和にふさわしい「みんなの城」にして伝えるべきではないのか。


*1:あるテレビ番組で「名古屋城は築城時の設計図が残っている」と言っていた者がいたが、いやしくも名古屋城徳川幕府の軍事拠点であり、尾張徳川家の要塞であった。そんな図面が残っているわけがない!

*2:その責任は名古屋市にある