市民のための名古屋市会を! Ver.3.0

一人の名古屋市民が「地域委員会制度」「減税日本」に対する疑問をまとめるサイトです。(since 2011/3/3)

「木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針」に見る齟齬

1月25日のシンポジウムの概要を名古屋市オンブズマンが掲載している。

名古屋市民オンブズマン・タイアップグループ

私も現場に居たが、おおよそ同じ意見だ。


この中でバリアフリー担当の森本主幹が「バイブル」と紹介した「木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針」
これが全くとんでもない文章なので、今日はこれを血祭りに上げる。こんな文章を「バイブル」にしてはダメだ。

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針
(各センテンスの末尾に付番した)


1. 基本的な考え方

・本事業は、歴史時代の建築物等の遺跡に基づき、当時の規模・構造等により再現する「歴史的建造物の復元」を行うものである。・・・(1)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針

(1)文化庁は平成27年「史跡等における歴史的建造物の復元に関する基準」を定めているが、この事業はこの基準を満たしていない。

https://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/kondankaito/shiseki_working/01/pdf/r1411437_04.pdf

「2.基準」
「(1)基本的事項
ウ.復元以外の整備手法との比較衡量の結果、国民の当該史跡等の理解・活用にとって適切かつ積極的意味をもつと考えられること」

名古屋市は木造復元にあたって、現在の鉄筋鉄骨コンクリート製の天守建物について、耐震補強についての検討は行っているが、コンクリートの再アルカリ化工事等の長寿命化改修を考慮していない。つまり、「復元以外の整備手法との比較衡量」は十分に行われていない。この再アルカリ化工事による長寿命化は、大阪城において実績のある改修手法であり、これを考慮していない名古屋市の計画には重大な懈怠がある。

名古屋城天守閣は、法隆寺のころから始まった日本の木造建築のひとつの到達点、究極の木造建築とも言われ、豊富な歴史資料をもとに外観の再現に留まらない史実に忠実な完全な復元を行うことの選択を議会、行政における検討や市長選挙での市民の信託を得て推し進めることとしたものである。・・・(2)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針

(2)「史実に忠実な完全な復元を行う」事はできない。なぜなら、残された資料には内部構造を示す資料はない。つまり、柱や梁の組み方、壁の内部構造などは全て推測でしか無い。これらを「史実に忠実な完全な復元」と喧伝することは木造建築史を伝える上で大いなる過誤となる。

また、議会や「市長選挙での市民の信託」を得た計画は、独立採算制を持って、名古屋市に財政上の負担をかけない復元計画であるが、その収益計画は曖昧であり、後述するような追加経費については考慮されておらず、市民は同意していない。

・市民の皆さまの中には、「一旦は焼失しているので復元しても本物の天守閣ではない」との意見もあるが、名古屋城天守閣は城郭として国宝第一号であったものが、大戦中多くの市民の命とともに昭和20年5月14日に空襲で焼失してしまったものの、残された石垣には空襲による傷跡も残っており、焼失中の写真も残されている。
その上で、市民の精神的基柱であり、誇りである名古屋城天守閣を、悲しい歴史的史実を経て、昭和実測図や金城温古録等、豊富な歴史資料に基づき、戦災で焼失する前の本物の姿に復元すると世界に主張するものである。したがって、過去の天守閣と今回の木造復元の同一性について、歴史的な分断を感じさせない復元を成し遂げる事が、事業の価値を決定づける大きな要素となる。・・・(3)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針

(3)まず、この下手くそな文章について、検討したい。文章の書き出しは以下のようなものである。

「市民の皆さまの中には、『一旦は焼失しているので復元しても本物の天守閣ではない』との意見もあるが」

つまり、市民の中にある「復元建造物は本物の天守閣ではない」という疑問について、答える文章であるはずだが、この疑問に答えていない。

いままでも散々「本物復元」と言ってきたのであるから、復元建造物ではあっても、本物と言える根拠を示さなければならないが、それを示していない。

もう一つの解は、本物ではないが、復元建造物にも価値があるという主張だろう。この文章の最後にそう解することができる主張がある。

「事業の価値を決定づける大きな要素となる」

決定づける要素とはなにかと問われれば「過去の天守閣と今回の木造復元の同一性について、歴史的な分断を感じさせない復元を成し遂げる事」であるということになる。

それは何故かといえば「戦災で焼失する前の本物の姿に復元すると世界に主張するものである」からだ。

しかし、この場合主語は誰だろうか?

河村市長自身が、「本物の姿に復元すると世界に主張するものである」から「歴史的な分断を感じさせない復元を成し遂げる事」が「事業の価値を決定づける大きな要素となる」のであって、それが「本物」であるかどうかは二の次ということなのではないだろうか。つまり、市民の当初の疑問「復元建造物は本物の天守閣ではない」という疑問には答えずに、それ以上に「歴史的な分断を感じさせない復元を成し遂げる事」に価値があると言っているに過ぎない。

これは「本物」を求めているものに対して、「本物ではないが価値がある(と主観的に考える)」と言っているだけであって、回答になっていない。

また、この主張はとんでもない主張である。「戦災で焼失する前の本物の姿に復元」し「過去の天守閣と今回の木造復元」が「同一性」をもち「歴史的な分断を感じさせない復元」を行うということは、昭和20年の戦災による消失と、昭和34年の市民による復興という歴史的事実を隠蔽してしまうことであり、歴史修正主義的主張だろう。

歴史的事実を超克し、復元を果たし、評価を得ている遺構として、世界遺産であるワルシャワ歴史地区が挙げられるだろうが、これにしてもナチス・ドイツによる蹂躙という歴史を超克するワルシャワ市民の意志が、その遺構に価値を与えられるのであって、そうした文脈では、戦後復興期の昭和34年に、現名古屋城天守を再現した名古屋市民こそ、このワルシャワ市民と並べ称されるべき存在だろう。現代においては金さえ積めば木造5層の建造物は建てられる。安全性を無視し、建築基準法も無視すれば、それは技術的には可能だ。しかし、そのような木造模型に価値があるのだろうか。戦争の痛手から立ち上がろうとした名古屋市民の建築した昭和遺構を破壊し、単に市長の個人的思い入れだけで歴史改竄の建物を建てるとすれば、それは名古屋の歴史に永遠に消えない傷を残すことになるだろう。

4.再現された歴史的建造物について
(1)再現された歴史的建造物の価値について

史跡等において再現された歴史的建造物は文化財保護法上直ちに文化財として扱われるわけではなく、史跡等の文化財に準じた、価値を伝えるための手段(プレゼンテーション)としての複製品(レプリカ)と捉えられる。
(略)

「天守等の復元の在り方について(取りまとめ)」pp.9

「本物復元」ではないのであるから、この事を市民に説明し、謝罪すべきだろう。

・50~100年で再度「国宝」になることを目指す。・・・(4)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針

(4)「50~100年で再度「国宝」になることを目指す」これも虚言だ。50~100年で再度「国宝」になった事例など無いのであるから、なんら根拠ない主張だ。京都の「金閣寺」(鹿苑寺舎利殿)は昭和4年「国宝」に指定されていたが、昭和25年、放火により消失し、昭和30年に再建された。現在再建後65年が経過しているが、国からの文化財指定はなされていない。(鹿苑寺を含む2県3市に点在する構成資産17件が「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。しかし、建築物そのものではない。逆に、周辺をこのような文化的価値あるものと認めても、復元建造物への文化的評価は上がっていない)

・ゆえに、史実に忠実な復元を確保した上で、まず、2022年の完成時期に、その先においても世界の模範とされるべき改善を重ね、観覧、体験、バリアフリー環境を整備するための付加設備とする。・・・(5)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針


(5)下手くそな文章だ。「まず、2022年の完成時期に」・・・何をしたいのだろう。

2022年の完成時期にバリアフリー環境を整備するための付加設備を設置し、その先においても世界の模範とされるべき改善を重ねると言いたいのだろうか。

ここには2つの誤魔化しがある。

つまり、完成時期までに代替設備の設置は不可能であるということの言明だ。つまり、バリアフリーを満たすという条件は守れませんよと、ゼロ回答をしていることになる。それが行政文書としてはありえない、この尻切れトンボの正体だ。
明白に「2022年までには間に合いません」というのであれば潔い。そのうえで謝罪があってしかるべきだろう。
しかし、そうした結論を誤魔化して、却って胸を張るかのようなこの文章はあまりに異様だ。

そして、もう一つ。2022年の完成以降も「世界の模範とされるべき改善を重ねる」というのだろうか?
その経費は誰が出すのだろうか、そのような支出について、議会や市民はいつ合意したのだろうか。


2. 現天守閣の現状

・現天守閣は5階までエレベーターで上がれるが、内部は博物館施設であり、本来の木造天守閣の内観を観覧することはできない。また、展望については、1階の東側及び北側の一部と7階の展望室からに限られているが、7階へは階段でなければ行くことができないため、車いすの方は展望ができない状況である。・・・(6)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針

(6)言い訳臭い文章だ。

小学生が叱られた際に「○○君もやっている」というようなものだ。あまりに幼稚な構成だ。


3. 内部エレベーター

・内部エレベーターについては、柱、梁を傷めないものとして、史実に忠実に復元する天守閣とするためには、乗員が4人程度、かご(乗用部分)の大きさが幅80cm、奥行き100cm 程度となり、乗ることができる車いすも小型なものに限定され、よく使用されている幅65cm、長さ100cm程度(電動車いすは幅65cm、長さ105cm 程度)のものは利用できない。したがって、バリアフリー法の建築物移動円滑化基準に対応するエレベーターは設置できない。・・・(7)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針

(7)「内部エレベーター・・・は、柱、梁を傷めないものとして、史実に忠実に復元する天守閣・・・は設置できない」「バリアフリー法の建築物移動円滑化基準に対応するエレベーターは設置できない」と言っている。

なら簡単だろう。史実に忠実に復元する天守閣など作らなければ、この矛盾は解決する。

SDGsの先駆である経済学者のエルンスト・シューマッハ
「愚か者は物事を大きく、複雑にする。しかし賢いものは小さく、単純にする」と語ったそうだ。

なにも私は自分が賢いとは思わないが、この文章のように必要以上に大きく(なんで「世界」に模範を示したり、主張したりしなけりゃならないんだ?)複雑にする必要がない事は即座にわかる。

4. 外部エレベーター

・都市景観条例を定めて、すぐれた都市景観の形成を進めている中で、景観計画により名古屋城の眺望景観の保全を図ることとしている。・・・(8)

・その眺望の対象である天守閣の歴史的な外観を損なうことから、外部エレベーターは設置しない。・・・(9)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針


(8)(9)はい、終了。外階段を設置しないのであれば、建物はおよそ10数メートルの石垣の上にポツンと建つことになり、避難路が確保できないことになる。そのような建築物に建築許可を出した建築審査や防災評定は、いざ発災の際にはどう責任を取るのだろうか。そもそも違法で危険な建築物だし。(建築基準法の除外規定は、法律を無視してなんでもやって良いわけではない。法律を無視しても、物理条件は変えられない。結果として災害に遭う人が出れば、その責任は負わなければならないだろう/だから、文化庁のヒトは「1分の1模型」と言ったんだろう。ヒトが入らなければ被害者は生まれない)

5. 基本方針

・史実に忠実に復元するためエレベーターを設置せず、新技術の開発などを通してバリアフリーに最善の努力をする。・・・(10)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針

(10)基本方針は「努力する」ですからね。

・今回、木造復元に伴い、本来の天守閣の内部空間を観覧できるようにする。また、電動か否かによらず、車いすの方が見ることのできる眺望としては、現状1階フロアまでだが、様々な工夫により、可能な限り上層階まで昇ることができるよう目指し、現状よりも天守閣のすばらしさや眺望を楽しめることを保証する。・・・(11)

・例えば、昇降装置を有する特殊車両を応用し、外部から直接出入りすることや、ロボット技術を活用し、内部階段を昇降することなどが挙げられる。併せてVR技術を活用した体感施設の設置を行う。・・・(12)

・ 新技術の開発には、国内外から幅広く提案を募る。・・・(13)

・また、協議会を新たに設置し、障害者団体等当事者の意見を丁寧に聞くことにより、誰もが利用できる付加設備の開発を行う。・・・(14)

・姫路城や松本城など現存する木造天守にも転用可能な新技術の開発に努力する。・・・(15)

・再建後は元来の姿を見ることができるようになり、介助要員、補助具を配置することなどにより、今より、快適に観覧できるようにする。 ・・・(16)

木造天守閣の昇降に関する付加設備の方針


(11)以降はもう良いだろう。十分だ。

単なる空理空論のお題目に過ぎない。「努力」すれば良いんだから。

シンポジウムで谷口さんが話していたが、義手や義足、パワードスーツや車椅子に代わる技術。
これらはすでに何十年も、産業界や大学、身障者団体などが協働で様々な提案を行っている。

その中にはすでに形になっているものもあるが、こうした「思いつき」のような提案ではない。一日一日の技術者の積み上げや、莫大な投資資金によって形になってきたものだろう。それとても水平移動に限定されており、危険を伴う垂直移動を行えるものはまだ出てきていない。(垂直移動に伴う、「落ちる」「重なってしまう」という物理条件は、乗り越えるのが非常に困難な条件であることは容易に理解できる)

名古屋市天守木造化に支出するとした505億円をこの協働に投げ出せば、幾ばくかは助けになるのだろうが、幾ばくかでしか無い。

そもそも、「姫路城や松本城など・・・にも転用可能な新技術」をなぜ、名古屋が作らなければならないのか?
そんな事、誰かが同意したのだろうか?

そして決定的な事は、この(11)以降の「原価意識」のなさ。いったい幾ら掛かるのだろうか。

新入社員の決意作文みたいだ。

ヒトは言語で思考する。ヒトは母国語の枠組みでしか思考できないとも言われている。
こうした言い訳や没論理に逃げ込んだような文章を「バイブル」にしていると、言い訳や論理破綻に免疫ができてしまう。やがて思考そのものが散漫になり、行動においても責任が脆弱となる。結果としてその人物が作り出すものは、具体的な事物でも、無形物である制度でも、チグハグで使い物にならない代物となってしまう。

こんな文章を起点とした事業は、先行きで矛盾が露出し、破綻することは見えている。


シンポジウムの様子は、中日プラスのこの記事でも取り上げられている。

chuplus.jp


Nihil enim honestum esse potest, quod justitia vacat.