本日の中日新聞、一面トップに「『登れぬ城』どうする集客」と題して「名古屋城天守閉館5年」を受け、今後の見通しなどを報じている。これを受けて整理してみた。
・中日新聞の記事について
・「名古屋城天守の有形文化財登録を求める会」の月例会のお知らせ
・なぜこんな事になっているのか、時系列で整理する
・事実が証す名古屋城の本物の本質的価値とは
・(余談)名古屋市長候補の方に告げる、アイデア
中日新聞の記事について
記事は名古屋市の公式見解を真に受けての記事であって、目先の集客や費用の事柄に触れているだけで、何も本質的な事は扱っていない。
コロナ禍により来場者が落ちていたが昨年度の入場者は152万人まで回復し、今年3月は25万人の来場者と、過去10年間の同月と比べても最も多い来場者となったという。
金沢からの来場者の「金シャチは迫力があり、石垣もスケールが大きい」とのコメントを拾っていた。私も3月に名古屋城桜まつりを訪れたが、その際、九州から来たらしい若者*1たちが、内庭に入って名古屋城天守を見た瞬間、歓声を上げていた様子に出くわした。
後述するように、こうした観光客については私は悲観的にはなっていない。
記事中、2点指摘しておきたい。
河村市長の「もっと早く造ろうと思っていた。(市民に)謝るより仕方ない。文化庁にも早く(木造復元の)OKを出してもらいたい」とのコメントをそのまま載せていたが、あたかも現在の遅れが文化庁の判断に原因があるかのような発言は無責任の極みだ。中日新聞は「名古屋市は文化庁にナニカを提出した」というスタンスだろうから指摘できないかもしれないが、文化庁は何も受け取っていない。名古屋市や河村市長が、選挙の前に「文化庁に●●を届けた」と発言するのは、単に「持っていった」だけで、審査の受理や申請ではない。*2
計画の遅延は、文化庁の責任ではない、一にかかって名古屋市・河村たかしの責任である。
その河村たかしは22年の末までに目処が立たなければ「切腹」と発言した。
名古屋市:平成31年4月1日 市長定例記者会見(市長の部屋)
政治家が「切腹」などという発言を行うのは、「政治生命を掛ける」という意味であり、「政治生命を掛けるから、邪魔をしてくれるな」という主張だろう。河村たかしの名古屋城天守木造化には誰も邪魔はしていない。*3
名古屋市の職員も(訴訟リスクを背負ってまで)全力で応援しているし、議会も計画を止めるような事はしていない。で、あるにも関わらず、公約の22年末はおろか、22年度末も超えて、まだ目処が立たない、潔く「切腹」するべきだろう。
幸い、次の名古屋市長に立候補表明をしている人が複数現れている。安心して託すべきだ。
もう一つは囲み記事「木造保管に年1億円」の中の費用について。「21年度までに調査や設計、木材の調達費で64億円余りを支払っている」と報じているが、「令和4(2022)年度開催 名古屋城天守閣木造復元 市民向け説明会」にて配布された「資料冊子」では、「平成28年度~令和3年度における名古屋城天守閣木造復元に係る経費」として、決算額で約73億円(7,306,888,764円)との報告が為されている。この記事のネタ元と、この市民向け説明会の資料の齟齬について、追求していただきたいものだ。
繰り返しになるが、名古屋市の公式見解を真に受けるものではない。
令和4(2022)年度開催 名古屋城天守閣木造復元 市民向け説明会
令和4(2022)年度開催 名古屋城天守閣木造復元 市民向け説明会 | 復元事業の進捗情報 | 名古屋城公式ウェブサイト
「名古屋城天守閣木造復元 市民向け説明会」資料冊子(ダウンロード:PDF)
https://www.nagoyajo.city.nagoya.jp/tenshu_information/2022setsumeikaisiryosasshi.pdf
「名古屋城天守の有形文化財登録を求める会」の月例会のお知らせ
名古屋城天守の有形文化財登録を求める会では、5月20日(土)14時から、名古屋市市政資料館において「建築士が読み解く!名古屋城跡木造天守整備基本計画(案)」と題し、建築士・渡邉正之さんによる名古屋城天守の木造化案(木造天守整備基本計画)の解説をしていただき、名古屋市はどのような木造化を行おうとしているのか、その計画は文化庁から了承を得られるのか、何が問題点なのか。などを明らかにしていただこうと思っております。
参加はご自由で、どなたでもご参加いただけます。入場も無料です。
特別史跡名古屋城跡全体整備検討会議 天守閣部会(第28回)配布資料・特別史跡名古屋城跡木造天守整備基本計画(案)(注意:135ページに渡るPDFです)
なぜこんな事になっているのか、時系列で整理する
さて、平成31年に河村市長が「22年末までに目処が立たなければ切腹する」といった名古屋城天守の木造化計画。今に至るも目処が立っていない。記事では文化庁の審査、現天守の解体、木造建て替えで6年半かかり、その間天守全体が囲われると、これまた名古屋市の見解を真に受けた見通しを報じているが、そもそも文化庁の審査に掛けられる「基本計画」自体できていない。入り口に入っていない。
入ったところで、この審査何年かかるか判らない、10年はかかるという人もいる。
更に、現在の計画では建て替え木造天守の基礎構造は未定義となっており、現天守を壊した後に、天守石垣を調査(調査に何年かかるかも不明)し、場合によっては補強等の工事を行い。その後に基礎構造の設計、文化的審査を受けることになる。
最悪、この天守台石垣の補強工事は文化材保護法的に認められない可能性もあり、その場合現天守を壊しても次を建て替えることはできなくなる。*4
なぜ、こんな事になってしまったのか、時系列的に整理してみる。
・2009年(平成21年)そもそも河村たかしの最初の市長選挙マニフェストには名古屋城天守の木造化など謳われていなかった。「河村市長の一丁目一番地の公約」などと喧伝するものが居るが、それは嘘だ。
・2011年( 平成23年)2月6日 名古屋市長選挙
・2012年(平成24年)この年に「名古屋城の将来を考える市民大討論会」なるものが市長公館で行われる。つまりこの頃「名古屋城天守の木造復元」が課題として挙げられ、市長選挙の前さばきとして、このイベントが開催された。
・2013年(平成25年)4月21日 名古屋市長選挙
・2013年(平成25年)河村市長は市長選挙のマニフェストに「名古屋城天守閣の本物復元検討着手」(6-(1))と記載する。しかしここでも「検討着手」とやや腰が引けた主張であることに着目したい。
・2016年(平成28年)この頃私は、河村市長を支持する集団のある会合に潜り込んでいる。そこでは現在の名古屋城復元検討有識者会議(特別史跡名古屋城跡全体整備検討会議 天守閣部会)の構成員である広島大学三浦正幸名誉教授がゲストとして招かれ、名古屋城木造化について簡単な講演があった。その場でも三浦教授は「木造化はやろうと思えばできる」つまり、文化的や法的条件を無視し、さらには費用や期間も考慮に入れなければ、現代の技術で再建は可能であるが、現実的には無理があるとされていた。
河村市長は遅れて登場して、名古屋城木造化再建の話はそこそこ、すぐに酒を飲んで懇談会となっていた。私がにらむに、いわゆる名古屋城天守木造ファンダメンタリストはこの会合のグループで、河村市長の政治資金団体にも寄付金の提供元として名前を並べている。
・2016年(平成28年)3月25日 竹中工務店より「名古屋城天守閣整備事業 技術提案書」が提示される。
https://app.box.com/s/ff3ykt80mtkbmfcvoo27khekujr296id/file/775762376032
※ある建築の専門家は、このPDFの27ページ目「④施設計画概要 史実に忠実な木造復元に配慮した実現可能な計画」でいうと、現在(令和5年5月)の「フェーズ」は「1フェーズ」に定められた文化庁復元検討委員会にかけられる以前であるので、「0フェーズ」であると断じている。
※PDFの56ページ「⑥構造計画 構造計画(地盤・石垣検討を含む基礎構造、高層木造建築物構造)」によると、CLT【直行集成材】耐震壁を使い剛性を得ることとしている。
T-FoRest ® Wall (LVL耐震壁、CLT耐震壁)Takenaka Corporation
鉄骨架構+CLT耐震壁でプロトタイプ | 日経クロステック(xTECH)
5階建て木造建築物を想定したCLT耐震壁の開発(1)@国立研究開発法人 建築研究所
この資料では、CLTの4周にフラットバー(FB)をラグスクリュー接合により留め付け、この面材を2枚用意して接合面を内側にして上下の鉄骨梁に溶接した接合プレートをFBで挟み込んで高力ボルトにより締結。つまり、構造材に鉄骨を使用した場合に耐震性能が得られている。
・2016年 「2万人アンケート」が実施される。実態としては7割以上の市民にとって「名古屋城整備」など喫緊の課題とはいえず、アンケートの様態(豪華なカラーパンフレットにDVDまで付いた木造化提案の資料が同封されていた)に比べて、回答は芳しく無く、特に河村市長の提案するオリンピックまでに木造化をという回答は約1553人(2万人を分母とすれば約7.8%)にしか賛同を得ていない。
つまり、そもそも河村市長の案になど市民の民意は無い。これが最初のボタンの掛け違いだ。
アンケートに添付されている資料は「木造化」のものだけで、現天守の文化的価値や耐震改修についての説明など無かった。逆に「現天守は耐震改修をしても40年しかもたない」などとネガティブな質問を受ければ回答は歪む、子どもじみたイカサマで民意を歪めて始まったのが現在の名古屋城天守木造化である。
その後、建築の専門家から、「耐震改修をしても40年しかもたない」などという見解は根拠がないとの指摘や、元大阪城館長の渡辺武氏による「大阪城では耐震補強とコンクリートの中性化を行い、震度6以上の地震が起こっても人身事故を起こさないだけの安全性を確保し、貴重な文化財に被害を及ぼさないようにし、計算上今後100年以上は大丈夫にした」との発言もあった。
・2017年(平成29年)4月23日 名古屋市長選挙
・2017年(平成29年) 5月9日 名古屋市は名古屋城天守閣木造化を進めるため、竹中工務店と「基本協定」「基本設計契約書」を締結。
◆2020年の東京オリンピックまでに木造天守を作成する。
◆竹中工務店の提案していた木造天守は、鉄骨を使うハイブリット木造だった。
ところが、河村市長は「史実に忠実な再建」を主張し始める。
※木造化事業は「技術提案・交渉方式(設計交渉・施工タイプ)」の公募型プロポーザルで進められていた、その設計交渉の前提は「業務要求水準」(平成27年12月)に定められていたが、この中の第3章施設整備 第2節の「①史実に忠実な復元」が暴走し、「⑤建築基準法」「⑥消防法及び名古屋市火災予防条例」「⑦バリアフリー化」との両立を阻んでいる事になった。
https://app.box.com/s/ff3ykt80mtkbmfcvoo27khekujr296id/file/775761384204
◆鉄骨を使うハイブリット構造の否定
→ 耐震性
→ 言い訳程度のエレベーターも拒否
◆東側外階段も拒否
→ 二方向避難路の成立不可能
◆天守台石垣に手を加える「跳ね出し架構」を基礎構造としていた
→ 基本協定の条件としている業務要求水準に謳われていた史跡に対する侵襲
※つまり「公募型プロポーザル」において既に矛盾していたといえる。
この「公募型プロポーザル」の入札に対して途中で「降りた」業者が居たことは、今日の状況を想定していたのかもしれない。
・2018年(平成30年)5月6日 名古屋城天守、耐震性を理由に閉鎖
考察:
河村市長にとって、「名古屋城木造化」は自身の支持を得るための方便でしか無かった。その他に有権者の耳目を集めるような施策が思いつかない段階では、この施策を主張し続ける以外になかった。
河村市長としては、減税政策のようにすぐに実現できる施策では、有権者の耳目を集めることができないために、なかなか実現できないネタとして、ハードルを上げて、政治的争点化した方が得策となった。
これは例えば「北朝鮮拉致被害者の救済運動*5」でも言えることで、この運動に関わっている政治家が「ブルーリボンを永遠に付け続ける」などと公演し「それは拉致問題が永遠に解決しないということか」などと批判された。しかし政治運動というものは、それ自体が自己目的化しやすく、問題が政治課題として先鋭化すると、却って問題そのものの解決が遠のくという傾向はある。
名古屋における河村市長の主導する名古屋城木造化については、完全にこのパターンに収まっている。名古屋城木造化が永遠に進まなければ、この課題を支持する有権者は、永遠に河村たかしを支持し続けなければならなくなる。
事実が証す名古屋城の本物の本質的価値とは
皆騙されている。
名古屋城の天守が木造化しても、外から見る分には今となんにも変わらない。現在の鉄筋コンクリート製の天守は、丹念な外観復元が施されている*6ので、現在の外観と変わってしまったなら、それは復元ではない。
そして、中日新聞のこの記事にもあるとおり「昨年度の入場者は152万人まで回復し、今年3月は25万人の来場者と、過去10年間の同月と比べても最も多い来場者となった」つまり、大天守は入れなくても、そこにあるだけで価値があるのだ。
大天守は入れなくても、入場者は増加している。という事実は、大天守の価値は、入場にあるわけではなく、「そこにある」「その外観に価値がある」と示している。
実際に今訪ねても、本丸御殿から覗く大天守の姿は素晴らしい光景であり、ホテルナゴヤキャッスルなどが借景としていた光景は、現在の名古屋城天守のものであり、それが復元天守であろうと不満を言う者はいない。
そもそも「旧名古屋城国宝指定説明文」にあるように、国宝になった理由に、外観や歴史的価値は語られていても、その素材、木造であることなど理由になっていない。
同じ素材でレプリカを作ったところで、その工法はあくまで今日的な推測でしかなく、レプリカを見ても往時を偲ぶことはできない。
元々、城郭などというものは、外観で他者を威嚇するためのものであって、江戸時代に名古屋城の天守の内部を見たものなど一握りしかなく、そこに「本質的価値」などない。それよりは、東海道、尾張名古屋の象徴としての「金のシャチホコ」と「名古屋城」そのそびえ立つ姿こそ、「尾張名古屋は城で持つ」といわれた本質的価値である。
名古屋在住の、それもお城のお膝元である西区で生まれ育った方に言われた「名古屋市民にとって、名古屋城は訪ねたり登ったりするものじゃない、仰ぎ見るものだ」まさに本質的価値を言い当てた言葉ではないのか。
そして、その本質的価値を昭和の名古屋市民は理解しており、現存する天守建物が再現しているのだ。それを否定して「別の本質的価値」を言い立てる今の「有識者」には疑問しか持たない。
(余談)名古屋市長候補の方に告げる、アイデア
横井利明市会議員
www.youtube.com
yokoi-t.net
学生党 西田ひろたかさん
https://lit.link/hirotaka009
gakuseito.com
再来年に予定されている名古屋市長選挙に立候補の意向を表明されている方々に申し上げたい。
政治においてリーダーシップを握る者は誰か。
将来のビジョンを誰よりも早く正確に掴み、そこに立って旗を振る者だ。
自分の損得や好悪から、見向きもされないところで旗を振っていても、誰もやってこない。支持もされない。
私は戸川猪佐武さんの『小説吉田学校』が好きだ。特に映画化されたそれではGHQの顔色を伺って「山崎首班」に向かいつつあった民自党総務会で、田中角栄(西郷輝彦)が「アメリカの内政干渉に屈するな」と熱弁をふるい、それまで山崎首班を画策していた広川弘禅(藤岡琢也)が秒の早業で手のひらを返し、吉田首班を支持したシーンが好きで、藤岡さん独特のコミカルな演技に笑わされる。史実は少々違うようだが、こうして吉田首班をいち早く見定めた広川、田中は実際に党内で地場を固めていく。
すでに、名古屋城天守の木造化事業は終了している。「投了」しているのだ。
つまり「名古屋城天守木造化は現実にはできない」という場所に立つ者がイニシアチブを握れる。
人命を軽視する「二方向避難路」を確保しない公共建築の建設計画などナンセンスであり、日弁連から「人権無視である」と指摘を受けるような建設計画を文化庁が了承できるはずもない。
名古屋市長河村たかしは、何も有権者にアピールできる政策を思いつくことができなかったがために、この数年*7「名古屋城天守木造化」を主張し、有権者を煽ってきた。そしてそれが実現しそうになると(と同時に、自分の政治的推進力が無くなるため)ハイブリッド木造を「史実に忠実な木造」にハードルを高め、外階段を外し、エレベーターを拒否し、釣り人がルアーを引くように有権者を引き釣り回してきたに過ぎない。
しかし、その無理が祟り、ついにゴールは「本当に実現不可能」な位置に行ってしまった。
ここで名古屋市民に、有権者に「私は木造化に反対である」などというスタンスを取る必要はない。それは河村や名古屋市に対する「反対のための反対」であるかのように映ってしまい、河村の術中にハマることになる。
尋ねれば良い、そして事実を示せば良い。
■木造五層の建築物の耐震性はどのように保証するのですか?
■石垣の耐震性はどのように保証するのですか?
現在、耐震性に不安があると天守への入場を拒んでいるのに、耐震性の保証もない石垣の上に載っている木造天守に不特定多数のヒトを入れるのですか?
■二方向避難路もない建物に不特定多数のヒトを入れるのですか?
■高層階で出火した際の避難路はどこになりますか?
■はしご車で避難するとされてますが、1人にどの程度の時間がかかりますか?
■下層階で出火している場合、高層階にはしご車をかけて火にあぶられないのですか?
■高層階の最大滞留人数は何名ですか?
■その人数で天守建物に一日何名の入場が可能ですか?
■その入場可能人数で収支計画の入場者数が成立しますか?
■河村市長が信頼する経済学者のリチャード・クー氏は「将来の国民の負担にならない公共事業プロジェクトを見つけ出すこと」と主張されていますが、名古屋城木造化はこの条件にあたりますか?
まだまだある。
名古屋の本当の宝を自身の政治的支持のためのオモチャにし、有権者を欺いてきたツケが、幾重にも河村市長自身を縛っています。逃げ場はない。